第22話:駒であろうとする令嬢
客間に通した。辺境でいちばんましな部屋で、王都の下女の控室より狭い。
公女は、沈む座面に沈まないまま、まっすぐに腰かけていた。
「さて。値踏みを、始めてくださいまし」
「その前に一つ。——この縁を、望んでおられますか」
「望んでおりますわ」
即答だった。人は、即答した後に、溜めた息とともに本当のことを言う。
この方は、息を溜めなかった。
「わたくしは、国の縁のために嫁ぎます。それが公女の務め。——同情はいりません」
「同情など、しておりません」
「なさっておりますわ。先ほどから、あなたの目が、そういう探し方をしておりますもの。『この令嬢は、誰に脅されているのか』。『泣かせれば、崩れるのか』」
背筋が、冷えた。読まれていた。わたしの、読み方を。
「答えて差し上げます。脅されておりません。想い人は、おりません。——いえ、正しく申しましょう。作りませんでした」
「殿下をこの縁に載せたのは、ヴァレンティン様ですね」
「台帳にわたくしの名を書いたのは、あの男ですわ。——書かせたのは、わたくしですの」
「十五の年に、父に願い出ました。わたくしを使ってくださいと。取り合いませんでしたので、使者の館へ、自分で参りました」
クラリッサ様と同じものを、この部屋でも探した。人質を、脅しを、握り潰された縁を。引き離された糸なら、結び直せるからだ。
——ない。一つも。
「殿下。あの方は、あなたに何を約束なさいましたか」
「約束? あの男は、約束をいたしませんの。……いえ、一つだけ。『あなたの値は、正しくつけます』と」
宰相は、姪の想い人を人質に取った。だから、詰められた。人質があるということは、そこに縁があるということだ。
この男は、人質を取らない。嘘もつかない。ただ、正しく値をつける。
——恨みの糸がなければ、束ねるものが、ない。
生まれて初めて、盤の向こうの男に、ぞっとした。
「あなたは、あの男を悪者になさりたいのでしょう。悪者なら、倒せますものね。……あの男は、わたくしを正しく扱っておりますわ。わたくしは、被害者ではございませんの」
——この方は、駒にされた人ではない。
駒であろうとしている人だ。
*
その夕方、中庭で、二人は顔を合わせた。
「アルヴィン様。レオノーラですわ」
「聞いている。——俺は、お前と結ばん」
マリカが口を押さえた。公女は、まばたき一つしない。
「存じております。わたくしも、あなたを好いてはおりません。それでも、これは務めですわ」
「そうか」
「ですから、あなたも、わたくしを好きにならないでくださいまし。務めに、余計なものが混じりますわ」
「安心しろ。俺の縁は、もう決まっている」
二人とも、話が済んだ、という顔をしていた。
「……え?」マリカが変な声を出した。「待って。終わり? もう終わったの、今の?」
政略婚を憎む男と、政略婚を望む令嬢。いちばん噛み合わないはずの二人が、この上なく噛み合った。
——けれど、わたしは、動けなくなっていた。
あの言葉は、わたしのために言われたのではない。この人はただ、事実を言っただけだ。飾らないから、まっすぐ刺さる。
公女の視線が、わたしの上で止まった。
「……そう」
それだけ言って、彼女は館へ入っていった。
*
その夜、ハンナが灯りを運んできて、静かに扉を閉めた。
わたしは、人の縁を何百と測ってきた。家格。持参金。後見。石を天秤に載せるように、正確に。
——測られる側の重さを、今日、知った。
嫉妬なら、まだよかった。嫉妬には、名前がある。名前のあるものは、抱えられる。
紙の上のあの一行に、わたしの名前はない。あって当然だ。なのに、読むたびに指先が震える。他人の縁なら、一目で読めるのに。
「お嬢様。今夜くらいは、泣いてよろしいのですよ」
「泣きません。泣いたところで、明日の朝、雪が止むわけではありませんから」
ハンナが、笑いながら、目尻を拭いていた。
*
翌朝、霜の降りた井戸端で、公女に呼び止められた。
「殿下。あなたの糸は、ぴんと張って、どこにも繋がっておりません」
「……あら。悪いことですの?」
「いいえ。ただ——」
「張っていればよいのですわ。たわんだ糸は、みっともないでしょう。まっすぐなものは、美しいですもの」
「けれど、張った糸は——」
口をつぐんだ。その先を言えば、この方は傷つく。傷ついても、たわまない。たわまないまま、切れる。
公女が、わたしの前に立った。
「言いかけて、やめるのは、ずるいですわ。……あなた、勅命の返答を作るのでしょう。断らず、受けもせず、何かを持ってくる。顔に書いてありますわ。——ならば、縁定め。わたくしより良い縁を、この国に持ってきなさい」
白い息が、朝の光にほどけた。
「できないのなら、わたくしが嫁ぎます」
挑む目ではなかった。本気で、務めを譲ろうとしている。
「……承りました」
「返答は、十日のうち。今日で四日が過ぎましたわね」
公女は、裾を翻し、振り返らずに言った。
「六日、差し上げますわ」
第22話をお届けしました。公女レオノーラの登場回です。
書きたかったのは、クラリッサとの差分でした。クラリッサは駒に「された」被害者。だからロザは救えた。レオノーラは、駒で「あろうとしている」。しかも、彼女のほうから「わたくしを使え」と申し出ています。
宰相は人質を取りました。だから恨みの糸が生まれ、束ねて詰められた。この男は、正しく扱う。束ねるものが、ない。ロザが初めて、盤の向こうにぞっとする回でした。
一方でロザは、初めて「測られる側」に立たされます。他人の縁なら一目で読めるのに、自分の縁の前でだけ、指先が震える。第8話からずっと続く傷です。
次話、辺境で燻っていたものが噴きます。マリカです。「縁なんて、結んだって死ぬのに」——あの子が、なぜそう言うのか。
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