第21話:勅命
勅命は、雪より先に辺境へ着いた。
門をくぐってきた馬車に掲げられていたのは、半年前、わたしを大広間の床から追い出した、あの金の紋章だった。
「——勅命である」
読み上げたのは、老いた侍従だった。あの断罪の夜、広間の隅で目を伏せていた顔の一つだ。
「ヴェルンフェルト辺境伯は、ガルディア王弟が息女、レオノーラ公女を娶るべし。返答は、十日のうちに」
巻物を巻く手が、震えていた。自分が何を運んできたか、わかっているのだ。
「断る」
アルヴィン様の声が、間を置かずに落ちた。
マリカが、ほら来た、という顔をした。冬の支援を人質に取られたときも、この人は同じ二文字を言った。それで、済んだ。
——わたしも、その二文字に、ほっとしていた。縁を読む女が、いちばん先に。たちが悪い。
「……辺境伯。お断りになれば、盟約は破れます」
「破れさせておけ」
「破れれば——戦になります」
薪が、ぱちりと鳴った。
「ガルディアはすでに、国境の砦に兵を入れております。矢が真っ先に降るのは、王都ではありません。——この、ヴェルンフェルトです」
アルヴィン様は、動かなかった。それでも断る気だ。戦が来るなら剣で受ける。そういう考え方しか、できない人だ。
「わかった。返答は、今する。俺は——」
「お待ちください」
わたしの声が、彼の言葉を遮っていた。
マリカが、ぽかんと口を開けている。
「……ロザ?」
わたしは、勅使に向き直った。
「王都の評定は、何と」
「……評定は、ございません。ガルディアの要求を、そのまま勅命に書き写した。それだけでございます。縁組の議を差配できる者が、王都には、もう、一人も」
そうでしょうとも。わたしのいない王都に、縁を読める者は残っていない。隣国が「この縁をよこせ」と言えば、紙に移すしかない。
縁を、書き写す。それは、もう国ではない。台帳の写しだ。
「承りました。返答は、十日のうちに。——必ず、差し上げます」
「ロザ!」
アルヴィン様の声が、初めて荒れた。
*
勅使を下がらせると、広間には二人だけになった。
「なぜ止めた。あの時と同じだ。支援など要らんと言って、辺境は冬を越した」
「越しました。……あの時は」
わたしは、彼を見上げた。
「断れば、辺境が飢えるだけでした」
彼の言葉が、止まった。
「塩がなければ山を越えて買いに行く。鉄がなければ古い鍬を打ち直す。あれは、あなたの誇りの話でした。だから、断れたのです」
「今度は、断れば、人が死にます」
薪の音だけが、残った。
「断れば、戦です。今度は、辺境だけの話ではありません。まず橋が焼かれ、次にギードとロウが焼かれます」
「俺が、剣で受ける」
「受けられます、あなたなら。——けれど、受けている間に、誰かの母親が死ぬのです」
「では、受けろというのか。俺に、あの公女を娶れと。……お前が、それを言うのか」
胸の奥が、鋭く痛んだ。顔には出さない。何百の縁を、この顔のまま組んできたのだから。
「いいえ」
わたしは、彼の目をまっすぐに見た。
「——断るのではなく、結び替えます」
アルヴィン様が、剣の柄から手を離した。
「……お前には、王家の役職も、家門の後ろ盾もないぞ」
「では、作ります。立場がないなら、作ればいいのです。——縁を、そうしてきたように」
彼の目が、揺れた。
「……ロザ。お前に、そんな重いものを——」
そこで、口をつぐんだ。
たぶん「背負わせたくない」と言おうとしたのだ。この人はいつも、言葉より先に前へ出る。けれど、飲み込んだ。
わたしがこういう目をしたときは、止まらないと——もう、知っているからだ。
「言わん。言いたいことは山ほどあるが、言わん」
彼は、腕を組み直した。
「その代わり、俺も立つ。——お前の後ろにではない。隣にだ」
庇われるのには、慣れていた。この人は、いつもわたしの前に立ってきた。
隣に立つ、と言われたのは、初めてだった。
*
三日後の昼、門番の角笛が鳴った。
「お嬢様。紋章が、王家のものではございません」
坂を上ってきた馬車に掲げられていたのは、剣を咥えた黒い鹿。ガルディア王弟家の紋だった。
従者が扉を開けるより早く、令嬢が一人で降りてきた。深緑の外套。旅塵にまみれた裾。それでも、背が、まっすぐだった。
彼女は集まった人々の顔を順に見て、迷わず、わたしの前で足を止めた。
——おかしい。この場でいちばん、目に留まらない女のはずだ。
「ガルディア王弟が娘、レオノーラですわ。あなたが、縁定めですわね」
宰相の縁談のときは、わたしから「クラリッサ様にお会いしたい」と言った。会いに行ったのは、わたしのほうだった。
——今度は、向こうから、来た。
「殿下。勅命の返答は、まだ」
「存じております。ですから、参りましたの。紙で値を決められるのは、性に合いませんもの」
公女が、顎を上げた。
哀れみを乞う目でも、憎む目でもなかった。もっと静かで、もっと、始末に負えない目だった。
「縁定め。——わたくしを、値踏みなさい」
第21話をお届けしました。ついに勅命です。
この回で書きたかったのは、「アルヴィンが断る」をロザが止める場面でした。宰相のときは断れた。でも今度は、断れば人が死ぬ。だから「断るのではなく、結び替えます」。
そして、ずっと盤の外にいた人が、初めて自分から盤に立ちます。「立場がないなら、作ればいいのです」。アルヴィンの「お前の後ろにではない。隣にだ」も、この二人には大きな一歩でした。
さて、公女レオノーラが自分から乗り込んできました。第一声が「わたくしを、値踏みなさい」です。次話、ロザがこの方の糸を読みます。たぶん、予想は裏切られます。
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