第17話:縁を数で読む男
使者は、三日で来た。
門の上のマリカが、拍子抜けした声を出した。
「なにあれ。……剣、持ってないじゃん」
馬は四頭。旗も鎧もなく、遠縁の家へ挨拶に来た客のようだった。
「あれは、兵の数を数えに来た男だ」
アルヴィン様が、剣を佩きながら言った。
「数えさせてやる義理はない」
*
ヴァレンティンは、馬を降りると、まっすぐわたしを見た。
アルヴィン様ではなく。
「縁定め殿にお会いしたい」
背の高い、痩せた男だった。外套は上等だが、飾りが一つもない。品のいい、疲れた顔。
人の糸には、引きつれがある。欲しいもの、隠したいもの、負い目。——この人の糸は、平らだった。
「わたしが、ロザリンド・アルシェットです」
「存じております。ガルディア全権使者、ヴァレンティンと申します。——あなたは、この四年、同盟婚を七つ、臣下の縁組をおよそ二百、お組みになった。この大陸で最も多く縁を成立させた人物です。にもかかわらず、あなたの名は、どの名簿にも載っていない」
息を、忘れた。
数が、合っていた。臣下の縁組は、正確には二百と十四。数えたのは、わたしだけだ。
「……どこで、それを」
「数えました。あなたを追放した国が、あなたの価値をご存じない。ですから、私が先に」
宰相はわたしを侮った。オルフェウス様はわたしを見ていなかった。セシリアはわたしの手柄を盗んだ。
この人は、違う。王家より先に、わたしを正しく知っている。
*
広間で、彼は従者に、革表紙の台帳を出させた。角が擦り切れている。
「ヴェルンフェルト辺境伯領。家門は十一。昨年の麦は、一昨年の七割。兵は二百と少し、徴せば六百。国境を越える街道が一本、川に沿って下る道が、もう一本。——橋が、一つ」
指が、止まった。
「この春に、架け直されておりますね」
胸が、小さく鳴った。あの橋が、この人の台帳では、一行だった。
「よくお調べで」
「数えただけです。——縁を数で読みますので。家格でも、真情でもなく。縁は取引です。感情は、誤差だ」
「人を、数えるのか」
アルヴィン様が、低く言った。
「人は数えません。数えるのは、その人が動かす物と、金です。辺境伯、あなたの領民がこの冬飢えるかは、あなたの誠意では決まらない。麦の量と、塩の値と、道の幅で決まります」
アルヴィン様は、答えなかった。それは、正しいからだ。
*
彼は、台帳の、白い頁を開いた。
「本題を。破談の非は、そちらにあります。——詫びとして、代わりの縁を差し出していただきたい。二年と、姫君の面目を失った埋め合わせです」
道理だった。腹の立つことに、完全に。
「王家に、その話をなさるべきです」
「王家には、縁を組める者が一人もおりません。——話が通じるのは、この大陸で、あなただけです」
*
「あなたは、この国では追放者だ。立場もなく、権限もなく、名簿にも載らない。——もったいない。我が国は、あなたを正当に評価いたします。地位も、権限も差し上げる」
「あなたの目には、それだけの値がある。——道具は、使う者次第で、名器になるのです」
胸の底が、すとん、と抜けた。
道具。四年、浴び続けた言葉だ。
けれど、この人の言い方は、誰とも違った。侮っていない。正しく、値をつけている。
がた、と椅子が鳴った。
アルヴィン様が、立っていた。わたしが動くより、先に。
剣の柄に手をかけ、わたしと使者の間に、体ごと入っていた。
「使者殿。この館では、そういう言葉は使わん。——もう一度言えば、辺境の作法で応じる」
わたしは、まだ、痛いとも思っていなかった。
なのに、この人は、もう怒っている。わたしより、先に。
「アルヴィン様。大丈夫です」
「大丈夫な顔じゃない」
「……はい」
嘘が、通じなかった。
ヴァレンティンに、向き直った。声は、荒げなかった。荒げる必要が、なかった。
「あなたの台帳は、よくできています。——一つだけ、書かれていない数がありますね。今、この方が剣に手をかけました。それは、どの数から出てきたものですか」
彼の指が、白い頁の上で止まった。
「……誤差です」
「ええ。誤差が、剣を抜きます」
彼は、台帳を閉じた。
「なるほど」
その声に、怒りはなかった。愉しさに、近かった。
*
中庭で、足を止めた。
井戸端のマリカが、塩の袋を抱えて、露骨に睨んでいる。
ヴァレンティンは、その子を見ていた。品定めではない。照らし合わせる目だった。
「あの娘は、どこの村の子です? ——どの帳面にも、載っていない。ギード村、ロウ村、ハイデ村。人別の写しは、王都の税の記録に上がる。私は、全部数えました」
背筋が、冷えた。
「数え落としでしょうか。それとも」
彼は、微笑んだ。
「どこの村の子でもない、ということでしょうか」
「使者殿」
アルヴィン様の声が、また低くなった。
「失礼。職業の病です。——数え落としが、いちばん怖い」
戸口で、振り返った。
「では、代わりの縁の目録を、お送りしましょう。——ご心配なく」
微笑んでいた。
「公平に、値をつけます」
ヴァレンティン、登場です。剣ではなく、台帳を持って現れる男にしたかったのです。
宰相はロザを侮りました。この男は違います。王家より先に、ロザの価値を正確に数え上げていた。侮蔑ではなく、評価で人を踏む。しかも彼の言うことは、たいてい正しい。
そして「名器になる」と言われた瞬間、ロザより先に動いたのはアルヴィンでした。ロザが自分の痛みに気づく前に、この人はもう怒っていた。
次話、その目録が辺境に届きます。書かれる前から、ロザには全部見えている。見えていて、動かせない。
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