第12話:駒にされた令嬢
クラリッサ嬢は、婚礼の下見という名目で、辺境を訪れた。
宰相家の縁続きにふさわしい洗練された令嬢だった。淡い金の髪を結い上げ、隙のない微笑みを浮かべている。けれど、その微笑みの下の糸をわたしは一目で読んだ。
——この人の糸は、ぷつりと切れている。
生きているのに、糸が切れている人がいる。誰とも本当には結ばれず、心を閉ざした人。クラリッサ嬢はそういう糸をしていた。
「あなたが、噂の縁定めの方ね」
彼女は扇の陰から、冷ややかにわたしを見た。
「宰相閣下から伺っているわ。王家の縁を陰で操っていた、恐ろしい女だと。……でも、今は追放の身。落ちぶれたものね」
「ええ。落ちぶれております」
わたしは、逆らわなかった。
「クラリッサ様。一つ、お尋ねしても?」
「なにかしら」
「あなたは、セドリック様を、今もお慕いですか」
扇がぴたりと止まった。
クラリッサ嬢の、隙のない微笑みが、初めて崩れた。
「……なぜ、その名を」
「あなたの糸が、ずっと、北を向いていたからです。ここへ来てから、ずっと。北——王都の、騎士団の詰所の方角を」
彼女の手が震え始めた。
セドリック。それは、わたしが王都にいた頃、宰相家に仕える下級騎士の名だった。家格は低いが、実直で、腕の立つ青年。そして、クラリッサ嬢と、幼い頃から想い合っていた。
三年前、その二人の縁談が持ち上がったことをわたしは覚えている。けれど、その縁は——結ばれなかった。
「あの縁を潰したのは、宰相閣下ですね」
クラリッサ嬢の目に、涙が盛り上がった。
「……セドリックは、家格が低いから、と。わたくしは、もっと高く売れる駒だから、と。叔父様は、そう仰ったわ。わたくしの縁は、宰相家の利益になる相手としか、結べないと」
やはり、そうか。
宰相バルドウィンは身内の縁すら商売の駒にしていた。姪のクラリッサ嬢を「高く売れる駒」として手元に置き、想い人との縁を握り潰した。そして今、辺境を乗っ取るための駒としてアルヴィン様との政略婚に使おうとしている。
「あなたは、この縁談を、望んでいませんね」
「望むわけが……!」
クラリッサ嬢が、思わず声を荒げ、そして、はっとして口を押さえた。
「……でも、逆らえないの。叔父様に逆らえば、セドリックが、どうなるか。あの人は、宰相家に仕える身。叔父様の一存で、いつでも、あの人を辺境の最前線へ送れる。死ぬような場所へ」
人質だ。
宰相はクラリッサ嬢の心をも人質に取っていた。想い人の命を盾に、姪を意のままの駒にしている。
わたしは、静かに、けれど確かに、怒りが込み上げるのを感じた。
これが、宰相バルドウィンの「縁組」だ。壊れる縁で儲け、身内の心を人質にし、人を駒として売り買いする。
縁を汚す男。
「クラリッサ様」
わたしは、彼女の震える手を、そっと握った。
「あなたの縁は、切れてなどいません。ただ、無理やり、引き離されているだけです。引き離された糸なら——結び直せます」
「そんな……無理よ。叔父様に、逆らえるわけが」
「逆らうのではありません」
わたしは、微笑んだ。
「宰相閣下ご自身の縁で、宰相閣下を、詰ませるのです」
クラリッサ嬢が、涙に濡れた目で、わたしを見た。
その目の奥で、消えかけていた糸が、かすかに、光を取り戻し始めていた。
*
その夜、わたしは辺境の書庫にこもった。
宰相バルドウィンがこれまで手がけた縁組。壊した縁、握り潰した縁、遺恨に変えた縁。その一つ一つを王都で見てきた記憶から丹念に手繰り出していく。
糸は、必ずどこかで繋がっている。
宰相が潰した縁の一つ一つが恨みとなって、今もどこかで燻っている。その恨みの糸を丁寧に集めて、一本に束ねれば——。
「見えてきました」
わたしは、羽根ペンを置いた。
宰相バルドウィンを詰ませる、たった一本の縁の糸が。
政略婚の相手・クラリッサ嬢もまた、宰相の被害者でした。想い人セドリックとの縁を握り潰され、その命を人質に、駒として使われていたのです。
「宰相閣下ご自身の縁で、宰相閣下を詰ませる」——ロザの反撃が始まります。壊された縁の恨みを一本に束ねて。
次話は、アルヴィンとの関係にも大きな進展が。宰相の政略婚を前に、あの不器用な人が、ついに——。
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