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夫婦係〜御曹司とゴリラ系女子編〜  作者: 柊原 ゆず


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第二話 恋に落ちた日


「ゲホッ……あはははっ」


 痛む背中をさすりながら、神室 蓮は小さくなってゆく桔花の凛々しい背中を見つめ、恍惚とした吐息を漏らした。

 本当に……憎らしい制度だけど、この制度が始まって、本当に良かったよ。

 彼女の背中をドアの隙間からただじっと愛おしそうに見つめながら、蓮の意識は彼女と初めて出会った日の記憶へと遡っていった。

 ――あれは、高校の入学式から数日後のことだった。蓮は校舎の裏庭で、数人の上級生が新入生を取り囲んでいるのを見かけた。


「おい、さっきから随分生意気な目つきしてんな」

「入学したてで調子乗ってんじゃねえぞ、あ?」


 ありがちな不良のイチャモンだ。囲まれていたのは、長身でガッシリとした体つきの生徒だった。ジャージ姿で、まくった袖から見える腕は筋肉質で逞しい。その後ろ姿は、どう見ても男子生徒にしか見えなかった。

 品性の欠片もない連中だ。蓮は彼らを静かに見下し、面倒事に巻き込まれるのは御免だと、その場を立ち去ろうとした時のこと。


「……あ?」


 囲まれていた生徒が振り返り、低く凄みのある声を漏らした。

 その瞬間、蓮はハッと息を呑んだ。

 つり上がった鋭い目元に、不機嫌そうに結ばれた唇。男だと思っていたその生徒は、紛れもなく『女子』だったのだ。彼女――葉山 桔花は、生まれつきのつり目と無愛想な表情のせいで、ただ歩いているだけでも「ガンを飛ばした」と誤解されやすい損な性分だった。


「なんだその態度は!やんのかコラ!」

「……誤解だ、とか説明するのも面倒だな」


 激昂して殴りかかってくる上級生に対し、桔花は小さなため息をついた。

 そして、次の瞬間。

 桔花の体がブレたかと思うと、先頭の男の腕を滑るように掴み、流れるような動作で足元を刈った。ドゴォッ!という鈍い音とともに、大柄な上級生が宙を舞い、地面に叩きつけられる。残りの男たちが怯んだ隙を見逃さず、桔花は的確に鳩尾に一撃を入れ、あっという間に全員を無力化してしまった。


「……っ」


 その一部始終を、蓮は瞬き一つせずに見つめていた。暴力的なはずのその光景が、蓮の目には、無駄のない、まるで踊るように美しい所作に映ったのだ。鍛え上げられたしなやかな筋肉。一切のブレがない体幹。舞うように敵を制圧する彼女の姿は、神室財閥の跡取りとして数々の芸術品を見てきた蓮にとって、どんな名画よりも、どんな宝石よりも圧倒的に美しかった。


「ひぃっ……お、覚えてろよ!」

「フン」


 捨て台詞を吐いて逃げ出していく上級生たちに、桔花は興味なさげに鼻を鳴らした。そして、制服の埃を手で払いながら、振り返る。その時、蓮と桔花の視線が、真っ直ぐに交差した。

 あ……。

 心臓が、ドクンと大きく跳ねた。なんて声をかけよう。大丈夫だったか?いや、彼女の強さを見れば愚問だ。君は綺麗だ、と素直に伝えるべきか?

 蓮の優秀な頭脳がフル回転し、彼女を引き留めるための言葉を探した。

 しかし。

 桔花は蓮を一瞥しただけで、すぐに視線を外した。そして、蓮のことなど道端の石ころか何かのように、どうでもいいといった様子でスタスタと彼の横を通り過ぎて行ってしまったのだ。


「え……?」


 蓮は呆然と立ち尽くした。神室財閥の御曹司である自分の顔を知らない人間は、この学校にはいないはずだ。他の有象無象は、自分がいれば必ず立ち止まり、媚びへつらうような笑みを浮かべてすり寄ってくる。

 なのに。あの圧倒的に美しい彼女の眼中に、自分は一ミリも存在していなかった。

 屈辱、驚き、そして――。


「……あははっ」


 気づけば、蓮の喉の奥から乾いた笑いが漏れていた。誰もが自分に傅く退屈な世界で、初めて出会った『自分に見向きもしない絶対的な強者』。彼女の視線を、自分だけに向けさせたい。あの凛々しい瞳に、自分以外のものを映させたくない。それが、蓮の狂気じみた恋の始まりであり、彼女のすべてを手に入れると誓った瞬間だった。






 一目惚れをした翌日、蓮は早速行動を起こした。神宮寺財閥の御曹司である彼にとって、『告白』とはすなわち、己の権力と財力を余すことなく見せつけるためのショーでもある。昼休みのチャイムが鳴り響くと同時に、校庭のど真ん中に三台の大型トラックが横付けされた。黒服の男たちが慌ただしく荷台から降ろしたのは、数千本、いや万単位に及ぶであろう『最高級の深紅のバラ』だった。あっという間に校庭の一部がバラの絨毯で埋め尽くされ、むせ返るような甘い香りが校舎全体に漂い始める。

 何事かと窓に群がった生徒たちの歓声と悲鳴が入り混じる中、蓮は真っ白なスーツという、学校という場に全くそぐわない出立ちでバラの海の中央に立ち、愛しの君が来るのを優雅に待ち構えていた。

 やがて、校舎の入り口から、食堂へと向かおうとする桔花が姿を現した。今日の彼女は男子用の制服を着用している。スラックスのポケットに両手を突っ込み、ひどく不機嫌そうなつり目をさらに細めている。

 ああ、今日も歩く姿すら美しい……♡

 恍惚とした溜息を吐きながら、蓮は周囲のギャラリーなど完全に無視して、一歩を踏み出した。そして、自ら抱えていた数百本のバラで作られた巨大な花束を桔花の前に差し出し、片膝をついた。まるで、映画のワンシーンのように。


「葉山 桔花さん!昨日、君の美しく力強い姿を見た瞬間から、僕の心は君の虜だ。僕と付き合ってほしい。世界中の誰よりも、君を幸せにすると誓うよ」


 甘く、よく通る声が校庭に響き渡る。神宮寺の御曹司からの、あまりにもロマンチックでスケールのおかしい告白。周囲で見ていた女生徒たちの何人かは「キャアアッ!」と甲高い悲鳴を上げてその場に卒倒し、男子生徒たちも度肝を抜かれて静まり返った。

 これだけの演出と、神室 蓮という男のブランド。どんな女であれ、感動の涙を流して頷くに決まっている。そう、誰もが信じて疑わなかった。蓮自身でさえ、少しは頬を染めてくれるかもしれないと期待していた。

 しかし。

 当の桔花は、目の前に差し出された巨大なバラの花束を、本当に「一瞥すら」しなかった。


「……は?」


 地の底から響くような、ドスの効いた低い声。桔花は、片膝をつく蓮をゴミでも見るかのように冷たく見下ろした。


「お前、頭湧いてんのか」

「え……?」

「ここを通らないと食堂に行けねえんだよ。邪魔だからどけ」


 それは、照れ隠しでもなんでもない、純度百パーセントの『無関心』と『苛立ち』だった。桔花はポケットから右手を出したかと思うと、進路を塞いでいる蓮の肩口に手をかけ、まるで軽い段ボール箱でもどけるかのように、無造作に横へと押し退けた。


「うわっ……!?」


 ゴリラと恐れられるほどの筋力が詰まっている桔花に、細マッチョ程度の蓮では全く抗えず、あっけなくバランスを崩してバラの絨毯の上に無様に転がってしまった。


「ったく、腹減ってんのに余計な体力使わせんな」


 悪態をつきながら、桔花は倒れた蓮や散らばったバラになど一秒も興味を示すことなく、食堂に向かってスタスタと歩き去ってしまった。

 静寂。

 あの神宮寺蓮が、フラれた。それも、文字通り『物理的に押し退けられて』、完全に無視されたのだ。周囲の生徒たちが顔面を蒼白にして震え上がる中。


「……っ、くっ……ふふっ……」


 バラの中に倒れ込んだまま、蓮は肩を震わせていた。


「あはははははっ!!」


 青空を見上げ、蓮は腹の底から歓喜の声を上げて笑い出した。ショックで頭がおかしくなったのかと周囲はドン引きしていたが、蓮の胸の中は、これまでに感じたことのない強烈な興奮と喜悦で満ち溢れていた。

 ああ……やはり、彼女は最高だ!

 僕の顔を見ても、家柄を知っても、数千のバラを用意しても、一ミリも靡かない。それどころか、邪魔な障害物として物理的に排除してくる。

 手に入らない。思い通りにならない。だからこそ――欲しくて欲しくてたまらない。

 彼女のあの冷たい瞳に、僕への熱い情欲を浮かばせたい。僕を突き飛ばしたあの強い腕で、僕の背中を抱きしめさせたい。


「……絶対に、手に入れてみせるよ、きいちゃん♡」


 バラの香りに包まれながら、蓮は泥に汚れた白いスーツのまま、妖しく目を細めた。神室 蓮の、決して諦めることのない狂気的な『執着』に火が点いた、記念すべき初告白の瞬間だった。






 バラの花束事件で盛大にフラれ、物理的に押し退けられたあの日から。

 神室 蓮のアプローチは、留まることを知らず、むしろ狂気を帯びて熾烈さを極めていった。

 ある朝のことだ。

 登校してきた葉山 桔花が自分の靴箱を開けると、中から分厚い和紙の封筒がバサリと落ちてきた。ご丁寧に金箔が押され、最高級の墨と筆で『愛しの葉山 桔花さんへ♡神室 蓮より♡』と記されている。達筆すぎる文字と、それに似つかわしくないハートマーク。中には、昨晩彼が徹夜で書き上げた、百首にも及ぶ愛のポエムが綴られていた。


「…………」


 桔花は一切の感情を排した無の表情で封筒を拾い上げると、中身を開けることもなく、そのまま横にあった燃えるゴミのゴミ箱へと、見事な放物線を描いてシュートした。


「ええっ!?きいちゃん、せめて中身くらい読んでくれても!」

「うおっ!?」


 物陰から様子を窺っていた蓮が慌てて飛び出してくると、桔花は「チッ」と舌打ちをして身構えた。


「燃えるゴミの日、明日だろ。資源の無駄だ。あと『きいちゃん』って呼ぶなキモい」

「そんな、僕の血と涙と愛の結晶が……!せめて僕の口から愛の言葉を――」


 なおも食い下がり、距離を詰めようとした蓮の鳩尾に、桔花の容赦ない右エルボーがめり込んだ。


「ごふっ……!!」

「朝から鬱陶しいんだよ。顔洗って出直してこい」


 くの字に折れ曲がって蹲る蓮を一瞥すらせず、桔花は教室へと向かう。


「ゲホッ……でも、朝一番にきいちゃんに触れられるなんて……!今日はなんて素晴らしい日なんだ……♡」


 痛みに悶絶しながらも、蓮は靴箱の影で恍惚とした笑みを浮かべていた。

 またある日の放課後は、校門前での待ち伏せだった。

 部活を終え、ジャージ姿で帰路につこうとした桔花の目の前に、黒塗りの超高級リムジンが滑り込むように停車した。後部座席のドアが開き、中からバラを一輪を持った蓮が、後光が差すようなキメ顔で現れる。


「やあ、きいちゃん。今日も部活お疲れ様。汗を流す君も美しいよ♡さあ、僕の車で家まで送らせてくれないか?中には君のために、最高級のプロテインとささみ肉を用意して……」

「邪魔」


 何故、家を特定しているのか。疑問に思ったら負けだ。

 桔花は足を止めることすらなく、行く手を塞ぐリムジンのボンネットにヒョイッと手をつくと、跳び箱を飛ぶように軽々と飛び越えてしまった。


「えっ!?ちょっ、待ってきいちゃん!」


 慌てて追いかけようとする蓮。しかし、日々の過酷なトレーニングで鍛え上げられた桔花の脚力は、並の男子など足元にも及ばない。陸上部も顔負けのスピードで、あっという間に距離が離れていく。


「待って!愛してる!愛してるから待ってーー!!」

「うっせえ!追ってくんなストーカー!!」


 商店街を爆走するゴリラ系女子と、それを追いかける御曹司。なんとか桔花の背中に追いつき、肩を掴もうと手を伸ばした瞬間。


「しつこいっつってんだろ!!」

「ああっ!?」


 桔花は振り返りざまに蓮の腕を掴むと、そのまま見事な一本背負いをキメた。ドシャァッ!という派手な音と共に、蓮は商店街のアスファルトに沈められた。


「私は自分の足で歩く主義だ。車なんて乗らねえ。次やったらリムジンごとスクラップにしてやるからな」


 見下ろしながら吐き捨てて、再び走り去っていく桔花。


「ああ……アスファルト越しに伝わる、君の圧倒的なパワー……痛いけど、最高だ……♡」

 

 通行人たちがドン引きして遠巻きに見つめる中、蓮は大の字で倒れたまま、幸せそうに空を見上げていた。

 そして極め付けは、ある日の昼休み。

 どこまでも付き纏ってくる蓮から逃れるため、桔花は旧校舎の裏へと逃げ込んでいた。しかし、不意に校内のスピーカーから「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴り響いた。


『あー、マイクテスト、マイクテスト。全校生徒の皆さん、昼食中失礼するよ』


 スピーカーから流れてきたのは、聞き慣れた、そして今一番聞きたくない甘い声だった。どうやら放送室をジャックしたらしい。


『1年C組の葉山 桔花さーーん!!聞こえているかい?君がどれだけ僕から逃げようと、僕の愛からは逃げられないよ!!世界の誰よりも君を愛してる!!きいちゃん、愛してるよォォオオーー!!』


 全校生徒が昼食を吹き出し、教師たちが放送室へと駆けつける大パニックの中。放送室の窓の下、中庭に向かった桔花は、怒りで六つに割れた腹筋をさらに引き締め、足元に落ちていたソフトボールを手に取った。そして、ピッチャー顔負けの完璧なフォームで、開いていた放送室の窓に向かって、ボールを全力投球した。

 シュゴオオォォッ!!


『きいちゃああああん!君の心を僕の愛で――んぐふぉっ!?』


 ボールはマイクを握って叫んでいた蓮の顔面に、寸分の狂いもなくクリーンヒットした。


「公共の電波を私物化すんな、クソ金持ちがァーーッ!!」


 中庭から桔花の怒声が響き渡る。放送室では、鼻血を出しながら仰向けに倒れた蓮が、顔面にめり込んだボールを両手で大事そうに抱きしめていた。


『命中率も、威力も、完璧だ……これはまさに、愛のキューピッドの矢……♡』


 マイクがオンになったままの放送室から、そんな恍惚とした呟きが全校に流れてしまい、ついに理事長が気絶する事態にまで発展した。

 ――そんな風に。何度物理攻撃を食らおうと、冷たい暴言を浴びせられようと、蓮の心は少しも折れなかった。

 むしろ、彼女の容赦のなさに触れるたび、『僕だけに向けられる特別な感情』であると脳内で変換し、その重すぎる愛をブクブクと肥大化させていったのだ。

 どんなに断られても、手段はいくらでもある。彼女は恋愛に疎く、異性に一ミリも興味がない。今はまだ、この暴力的なまでの拒絶さえも愛おしい。いつか絶対に、そのすべてを僕のものにする。

 その歪んだ『余裕』を形にしたような空間が、神室本邸の蓮の自室には存在していた。


「……ふふっ、あははっ……♡ああ、何度見ても素晴らしい形だ」


 豪奢なシャンデリアが薄暗く照らす自室で。

 蓮は最高級のベルベットのソファに深く腰を掛け、アッシュブルーの瞳を熱っぽく細めていた。彼が両手で包み込むように持ち、まるで壊れ物を扱うかのように愛おしそうに撫でているのは――薄汚れた、一つのソフトボールだった。

 先日、全校放送をジャックした愛の告白の最中、中庭から桔花が全力投球し、見事蓮の顔面にめり込んだ記念すべきボールである。蓮の鼻血がわずかに染み付いたその表面を、彼は恍惚とした表情で指先でなぞる。


「僕の顔面を正確に撃ち抜いた、君の美しいフォーム。ボール越しに伝わってきた、君の圧倒的なパワー……。これを見るだけで、あの時の痛みが甘く蘇ってくるよ、きいちゃん」


 ボールにそっと唇を落とし、蓮はゆったりと立ち上がった。彼の部屋の壁の一面には、美術館をも凌駕する特注の防塵ガラスケースが鎮座している。それは神室財閥の跡取りの部屋にはおよそ似つかわしくない、狂気に満ちた『展示品』だった。ケースの中にうやうやしく飾られているのは、高価な美術品でも宝石でもない。小さなジュエリーボックスの中には、日差しの下で透けるような『赤褐色の短い髪の毛』が数本。これは、教室内で桔花が落としたものを、蓮が這いつくばって回収してきたものだ。その隣のシルクのクッションの上には、桔花が授業で使い、無造作に捨てた『インクの切れたボールペン』と『角が丸くなった消しゴム』。彼女の強い筆圧が残るグリップのへこみを見るだけで、蓮はご飯が三杯は食べられた。さらに隣には、『飲み終わったプロテイン飲料の空のペットボトル』。もちろん、ストローは刺さったままだ。桔花の唇が触れたそのストローを、蓮は毎晩ケース越しに眺め、「いつかこの間接キスを直接のキスに……」と暗い情念を燃やしている。

 そして、祭壇の中央に最も厳重に保管されているのが――。


「……ああ、今日もなんて良い香りなんだろう」


 蓮はガラスケースをそっと開け、専用の密閉クリアケースに保管された一枚の布を取り出した。それは、桔花が部活の後にベンチに置き忘れた『使用済みのスポーツタオル』だった。蓮はそれを両手で持ち上げると、ためらうことなく自身の顔に押し当て、深く、深く息を吸い込んだ。


「すぅーーっ……はあぁ……。君の汗の匂い、それにほのかに香る君自身の甘い匂い……。君の生命力そのものを吸い込んでいるみたいだ……っ♡」


 アッシュブルーの瞳が、快楽にドロリと濁る。他人が見れば、即座に通報されるレベルの完全なる変態行為。しかし、蓮にとってここは、愛しい彼女の存在を全身で感じられる唯一の聖域だった。


「誰も君の魅力に気づいていない。僕を『ゴリラ』と恐れる愚かな有象無象の男たちに、君のあの金色の瞳の凛々しさ、鍛え上げられたしなやかな肉体、不器用で真っ直ぐな心の美しさが分かってたまるか」


 タオルに顔を埋めたまま、蓮は甘く重い声で囁く。


「君の髪も、君が使ったペンも、君の汗も……君の存在の欠片は、一つ残らずすべて僕のものだ」


 彼女の隣は、いつも完全な空席。だからこそ、時間をかけて、じわじわと外堀を埋めていく。いつかこの部屋の『本物の主』として、彼女自身を迎え入れるその日まで。


つづく

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