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夫婦係〜御曹司とゴリラ系女子編〜  作者: 柊原 ゆず


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第一話 最悪の日


【登場人物】

挿絵(By みてみん)

☆神室 蓮

 神室財閥の御曹司。

挿絵(By みてみん)

☆葉山 桔花

 女であることが嫌で、身体を鍛えていたらゴリラと言われるようになった。






「……ふう、今日の追い込みも完璧だったな。大胸筋が喜んでるぜ」


 葉山 桔花(はやま きっか)は、自宅の自室で満足げな息を吐いていた。日課であるハードな筋力トレーニングを終え、シャワーを浴びてスッキリした彼女は、ジャージ姿でベッドの上にあぐらをかいていた。片手には、筋肉の最高の友であるコンビニの『サラダチキン(ハーブ味)』。それを野生動物のように豪快に噛みちぎり、咀嚼しながら、何気なく部屋のテレビをつけていた。


『――続いてのニュースです。深刻な少子化対策の一環として、政府は全国の高校に新たな制度【夫婦係】の導入を決定しました』


 ニュースキャスターの真面目腐った声が、部屋に響く。


『これは生徒が日替わりのくじ引きで男女ペアとなり、放課後に設けられた疑似家庭ラウンジで「夫婦」として過ごすというもので……』


 深刻な少子化と若者の結婚離れを食い止めるため、政府は全国の高校に新たな制度【夫婦係】の導入を決定した。

 生徒が日替わりのくじ引きで男女ペアとなり、放課後に設けられた『疑似家庭ラウンジ』で夫婦として過ごす。ここで愛を育み、将来的に結婚すれば国から莫大な援助が受けられるという、狂気とも言える政策だ。

 ポロッ。

 桔花の口から、食べかけのサラダチキンが滑り落ちた。ベッドのシーツにハーブの香りが染み込んでいくのも気にならないほど、彼女はテレビ画面に釘付けになっていた。


「……ふうふ……がかり……?!」


 咀嚼を止めたまま、桔花は目を限界まで見開いた。


「オレが?男と?……ふ、夫婦ゥ!?」


 想像しただけで、全身の毛穴という毛穴から鳥肌が立ち、せっかくパンプアップした筋肉が萎縮しそうだった。

 無造作な赤褐色のショートヘアに、ジャージ。身長は一七五センチと、同年代の女子の中では群を抜いて高い。それだけでなく、日々の過酷なトレーニングによって鍛え上げられた体はガッシリとしており、ジャージの下には綺麗に六つに割れた腹筋が隠されている。男友達からは親しみを込めて――そして時々本気の恐怖を込めて――『ゴリラ』と呼ばれる始末だ。

 そんな自分が、『妻』として疑似家庭を築く。何の冗談だろうか。

 見知らぬ男子生徒と二人きりの部屋に閉じ込められ、エプロンなんかをつけて、「あなた、お帰りなさい♡」なんて言う……?


「……オエッ」


 想像しただけで全身の鳥肌が立ち、桔花は本気で吐き気を催したのだった。冗談じゃない。そんな地獄のような空間、相手の男子にとっても罰ゲームでしかないだろう。絶対に「うわ、ゴリラと夫婦かよ最悪」という顔をされるに決まっている。昔から『女』という枠組みに押し込められるのが死ぬほど嫌いだった桔花にとって、国から強制的に女としての役割を強要されるこの制度は、人権侵害も甚だしい。


「ふざけんなよクソ政府……少子化の前にオレの精神が死ぬわ……」


 桔花は頭を抱え、ベッドに倒れ込んだ。しかし、絶望の淵に沈みかけながらも、桔花の持ち前の『謎のポジティブさ』が顔を出した。


「……いや、待てよ」


 桔花はガバッと起き上がった。


「ニュースでは、『日替わりのくじ引きでランダムにペアが決まる』って言ってたな。ランダムなら、毎日相手が変わるってことだ」


 それならまだマシかもしれない。適当な男子と当たれば、適当に距離を置いて、ラウンジで筋トレでもして時間を潰せばいい。相手だってゴリラとイチャイチャしたいわけがないのだから、利害は一致するはずだ。


「……まさか、あの『神室 蓮(かむろ れん)』に当たる確率なんて、全校男子の数を考えたらありえねー数字だしな」


 桔花の脳裏に、毎日毎日付き纏ってくる、頭のネジが数本飛んでいる白スーツの御曹司の顔がよぎった。

 あいつと二人きりの密室に閉じ込められることだけは、何があっても絶対に避けなければならない。物理攻撃が通じないどころか喜ばれるあの変態と密室になどなったら、貞操の危機どころか精神が崩壊する。


「まあ、いくらあいつが金持ちでも、国のシステムをどうこうできるわけないしな。うん、大丈夫だ。オレのくじ運の悪さなら、絶対に当たるわけがない」


 根拠のない自信で自分を納得させ、桔花は「よし!」と気合を入れるように両手で頬を叩いた。そして、シーツに落ちたサラダチキンを、3秒ルールを大幅に超過しているが気にせず拾い上げ、再び豪快に齧り付いた。


「とりあえず、明日からの『夫婦係』は適当にやり過ごす!筋トレのメニューでも考えながらな!」


 桔花は豪快に笑って、不快な情報を頭から追いやった。






 そして、運命の初日。

 学校中はその話題で持ちきりだった。廊下でも、教室でも、食堂でも、飛び交うのは今日から始まる『夫婦係』の話ばかりだ。


「ねえねえ、今日選ばれた!?私外れちゃったー」

「俺選ばれた!誰とマッチングするか超楽しみなんだけど!」


 浮き足立つ生徒たちを横目に、桔花は自分の席で深く、深く絶望していた。

 政府が定めた『夫婦係』のルールはこうだ。放課後は毎日、ランダムで選ばれた十人の男子生徒が、それぞれ指定された疑似家庭ラウンジで待機する。同じく選ばれた十人の女子生徒が、自分のスマホに送られてきた指定のラウンジのドアを開く。そこで初めて、お互いのペアが誰なのか分かるという仕組みだ。プライバシーを極限まで考慮し、各ラウンジは校舎のあちこちに離れて設置されており、防音も完璧。外からは誰と誰が中にいるのか一切分からないようになっている。誰とマッチングしたかを友人に言うのは自由だが、教えろと強要するのは禁止。要するに、完全に国公認の『密室のブラインドデート』である。

 なんで……なんで初日から、オレが選ばれてんだよ!?

 桔花は机に突っ伏したまま、心の中で盛大に毒づいた。朝、スマホに届いた『本日の【夫婦係】に選出されました』という通知を見た瞬間、スマホを握り潰しそうになった。当然、誰かに言うつもりなんて毛頭ない。こんな恥さらしなこと、墓場まで持っていきたいくらいだ。

 女にはなりたくない。気色が悪い。オレはオレだ。『誰かの妻』なんていう、女としての役割を押し付けられるなんて反吐が出る。あまりのストレスに、本気で具合が悪くなりそうだった。「先生、体調不良で早退します」と言って逃げ出せたらどんなに楽だろうか。

 しかし、日々の過酷な筋トレで鍛え上げられた桔花の強靭な肉体は、ストレス程度ではビクともしなかった。熱も平熱、脈拍も正常、胃腸の働きもすこぶる健康。屈強な身体が、仮病という選択肢を完全に奪っていた。


「……クソが」


 そして、ついに放課後。逃げ場を失った桔花は、指定された旧校舎の奥にあるラウンジ『Room-07』の前に立っていた。

 適当な奴だったら、すぐに隅っこで腕立て伏せでも始めて威嚇してやる。オレに近づいたらぶっ飛ばすってオーラを全開にするんだ。


「はあぁぁぁ……」


 桔花は今日一番の盛大なため息を吐き出した。そして、覚悟を決め、重厚なドアのノブに手をかける。

 ガチャリ。

 ドアを開け、部屋の中に足を踏み入れた瞬間――桔花の目に飛び込んできたのは、最悪の、そして絶対にあり得ないはずの光景だった。ラウンジの中央に置かれた高級な革張りソファ。そこに優雅に脚を組んで座り、この世の春を全て集めたような、とろけそうなほど嬉しそうな顔で笑いかけている男。神宮寺財閥の御曹司、神室 蓮。

 亜麻色の髪がさらりと揺れる。アッシュブルーの瞳は透明感があり、女子生徒が見れば胸を打たれてしまう光景だ。しかし、相手は桔花である。


「…………」


 バタンッ!!

 桔花は一切の感情を顔から消し去り、光の速さでドアを閉めた。見間違いだ。最近プロテインの味が単調だったから幻覚を見たんだ。


『ビーーッ! ビーーッ! エラー。室内にペアの生徒が確認できません。速やかに入室してください。ビーーッ!』


 ドアの上部に設置されたセンサーが、無慈悲な警告音を廊下に響き渡らせた。国のシステムのバカヤロー! と叫びたくなるのを必死に堪えていると、内側からガチャリとドアが再び開いた。


「うわっ!?」


 ドアの隙間から伸びてきた白い手が、油断していた桔花の手首をガシッと掴む。強引な力で引っ張られ、バランスを崩した桔花は、ズルズルとラウンジの中へと引きずり込まれてしまった。

 バタンッ! カチャッ。

 今度こそ重厚なドアが閉まり、無情にもオートロックの鍵がかかる音が響く。


「ふふ♡こんなに近くで話すのは初めてだね。待ってたよ、僕の可愛い奥さん♡」


 桔花の手首を掴んだまま、蓮が恍惚とした表情で至近距離から顔を覗き込んできた。甘い吐息と、高級な香水の香りが鼻腔をくすぐる。


「っ……!」


 あまりの気色悪さと寒気に、桔花の生存本能が爆発した。


「近寄んな!ド変態がァーーッ!!」


 ドゴォッ!!

 桔花は掴まれていない方の足で踏み込み、腰の入った完璧な前蹴りを蓮の腹部へと叩き込んだ。


「ぐふぉっ!?」


 というカエルのような声と共に、蓮の体が宙を舞う。しかし、運が良いのか悪いのか。吹っ飛んだ蓮の体は、背後にあった最高級のフカフカな革張りソファのど真ん中に、バフッ!と見事に着地した。衝撃は完全に吸収され、事なきを得る。


「ゴホッ、ゲホッ……す、すごい威力だ……。まさか初日の最初のスキンシップが、君の蹴りだなんて……♡」

「スキンシップじゃねえよ! 防衛本能だ!」


 ソファに沈み込みながらも、なぜか嬉しそうに腹を押さえている蓮を見て、桔花はドン引きして叫んだ。


「なんでお前がここにいんだよ!?」

「運命の赤い糸は、どんなシステムよりも強力なんだよ。それに……」


 蓮は痛む腹を押さえながらも、妖しく目を細めて微笑んだ。


「言ったでしょ?君の隣は、僕の指定席だって」


 ソファに沈み込みながらも恍惚とした表情を浮かべる蓮を、桔花は汚物でも見るかのような冷たい目で見下ろした。


「……相手にすんのも馬鹿らしい。オレはオレの時間を有効活用させてもらう」


 桔花は蓮を完全に視界から締め出し、ラウンジの一番隅っこのスペースへと移動した。そして、おもむろに床に手をつき、高速の腕立て伏せを始めた。


「いち、に、さん、し……」

「ふふっ、本当にストイックだね、きいちゃんは」

「……ご、ろく、なな……話しかけんな」


 静かな密室に、桔花の規則正しい息遣いだけが響く。彼女の息遣いにうっとりと耳を傾けながら、桔花を見つめる蓮。相手をしたらダメだ、と桔花は視界から追い出す。

 このまま時間が来るまで筋トレでやり過ごし、チャイムが鳴ったら一目散に帰る。それが彼女の完璧な防衛計画だった。

 しかし。

 腕立てが五十回を超えたあたりで、ソファから優雅な足音を立てて近づいてきた蓮が、桔花の頭上から残酷な現実を告げた。


「きいちゃん。筋トレで時間を潰しても、ここからは出られないよ」

「は?」


 桔花は腕を曲げた状態のままピタッと止まり、鋭い視線を上に向けた。


「出られないってどういうことだ。放課後の時間が終われば終わりだろ」

「指定されたミッションをクリアしないと、ドアの鍵が開かない仕組みになってるんだよ。まあ、僕は朝までずっときいちゃんと一緒にいられるから、大歓迎だけどね♡」

「おい、なんだよそれ聞いてねえよ!?」


 ガバッと跳ね起きる桔花に、蓮はニコニコと微笑みながら、ラウンジの中央にあるローテーブルを指差した。


「先生の話、ちゃんと説明聞いてた?二人で協力してミッションをクリアしたら、ドアの鍵が開くんだよ」

「なっ……」


 桔花は顔面を蒼白にした。そういえば、担任が『夫婦の絆を深めるための特別な課題がある』とか何とか言っていたような気がするが、どうせくだらないお遊びだろうと完全に聞き流していたのだ。

 蓮が指差すテーブルの上には、タブレット端末が置かれており、画面には大きく本日の課題が表示されていた。

 『本日のミッション:手を繋ぐ(三十秒間)』


「手を……つなぐ……?」

「ふふっ♡当たりだね♡」


 桔花の震える声に被せるように、蓮が甘く弾んだ声を出す。そして、白く長い指を真っ直ぐに桔花へと差し出した。


「ほら。きいちゃんの手、絡めてみて?」

「なんでオレが……!」

「僕はいいよ?きいちゃんとこのお部屋でずっと一緒にいても。でも、きいちゃんは嫌なんだよね?」


 蓮はわざとらしく首を傾げ、意地悪く微笑んだ。


「っ……!」


 桔花は唇を強く噛み締めた。朝までこの変態と同じ部屋に閉じ込められるなど、想像するだけで全身の鳥肌がスタンディングオベーションを始める。絶対に嫌だ。今すぐ帰ってプロテインを飲んで寝たい。


「早く出たいなら、おてて、繋ごっか♡」


 悪魔の囁きに、桔花は屈するしかなかった。ギリリと歯軋りしながら、差し出された蓮の大きな手に、震える己の右手をそっと重ねる。

 その瞬間。蓮はすぐさま手の向きを変えて、彼女の指の間に指を滑り込ませた。


「なっ!?」

「ぎゅっ♡」


 蓮が握る力を込める。そのせいで、掌と掌が隙間なく密着している。彼の手は見た目以上に大きく、そしてひどく熱かった。自分のごつごつした手とは違う、手入れされた滑らかな肌の感触。ぞわり、と。桔花の背筋が、恐怖とは違う未知の感覚に粟立った。


「っ、も、もう、いいだろ!」


 すぐに手を離そうとする。しかし、蓮は硬く握ったまま離さない。それどころか、指の間をゆっくりとなぞってきた。


「ひっ……!」


 二度目の粟立ち。変な声が出そうになり、慌てて口を噤む。


「だーめ♡このままでいよう?僕たちは『夫婦』なんだから♡」


 至近距離で熱っぽく見つめてくる気色の悪い男。夫婦という言葉。密室。早く逃げたい。今すぐこの熱から逃れたい。

 桔花は限界だった。彼女は繋がれたままの右手を強引に引き寄せ、自身の腰の回転と遠心力をフルに使い、力任せに蓮を一本背負いした。


「えっ……ああっ!?」


 ドッッッシャァァーーーン!!!

 完璧なフォームで放たれた一本背負いが炸裂し、神室財閥の跡取りはラウンジの床に派手に叩きつけられた。


『ピッ。ミッションをクリアしました。ロックを解除します』


 タブレットから無機質な音声が流れ、背後のドアからカチャリ、と鍵の開く音がする。


「うおおおおぉぉぉっ!!」


 桔花は床で悶絶する蓮を一瞥すらしなかった。

 ミッションをクリアしたため、開いたドアに向かって一目散に走り、彼女はラウンジを、学校を後にしたのだった。


「ゲホッ、ゴホッ……あははっ……最高だ……きいちゃん、なんて可愛いんだ……♡」


 誰もいなくなったラウンジの床で。全身の痛みに顔を歪めながらも、御曹司は自分の右手に残った熱を大事そうに胸に抱き、この世の全てを手に入れたような狂気の笑みを浮かべていた。


つづく

ゴリラ系女子の桔花ちゃんがだーいすき♡な御曹司蓮くんのラブコメです。

ギャグ寄りではありますが、ガッツリヤンデレです。

本当は『せーよく処理係』的な、えっちな方向で考えようと思って考えていましたが、この二人には似合わないと思い、修正しました。

楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

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