茶会ダイブにて候 (後編) 生きるとは
アサクラ社 S3LV研究所 深部抑制室。
黒を基調とした無機質な部屋は、冷たい照明に照らされ、どこか手術室のような
冷たい空気が漂っていた。
中央に据えられた特殊なカプセル状の装置は、複雑な管と端子が絡みつき、
低く唸るような駆動音を立て続けている。
周囲には十数名のラボスタッフが無言で待機し、それぞれがモニターや注入装置の
前に張り付いていた。
ドア付近には、亜駄夢が換装した戦闘義体を身にまとい、静かに佇んでいる。
その義眼は赤く光る。
ヤマトが多少緊張した面持ちで説明を始めた。
「さっき君のサイバネに送ったデータでも分かると思うけど……
チヨメのアノマリー能力は簡単にいうと『感情増幅と転移』つまり
メンタルの改変なんだ。
自分や対象者の感情と記憶の一部を、負荷を無視して増幅することができる。
または相手の感情と記憶の一部を削り取り、完全に0にすることもできる。
そして、更にその感情を他人に転移することも可能だ。
特に今は急速な…発現が強くなりすぎて、制御が効きにくくなり始めている。
アノマリーの中でも彼女の特性は…周囲に甚大な影響を及ぼしうるレベルだ。
このままだとラボの抑制装置も限界を迎えて、チヨメ自身が……壊れてしまう。
だからこの装置を転用して、意図的にチヨメの記憶をシキへ
転移させる形にするよ。
…残念ながら、転移後の結果は本当に予想できない。
難しいとは思うけど、彼女の感情部分の転移は極力そぎ落として
抑えるつもりだ。フルスペックでは危険すぎるからね。
最後に…装置を介して転移を行うのは安全処置と思ってくれ。」
シキは装置の隣に横たわり、天井の無機質な光を見つめながら深いため息をついた。
「……。要するに、チヨメの一部をあたしの頭の中にぶち込まれるってことだな。」
頭と体中がパッチだらけでコードがアホほど接続されている。
腕もベッドに固定された電子錠でがちがちだ。これはきっつい…。
「アノマリーの記憶を他人にぶちこむなんて聞いたこともねえがな…。
コーポらしいっちゃらしいが、いつも通り安全性0に振り切ってて笑えるな?」
チヨメが弱々しい声で、申し訳なさそうに言った。
その声は震え、細い指がシーツをぎゅっと握りしめている。
「……本当に、ごめんなさい……
私の記憶が、シキさんを傷つけるかもしれない……
……全部、流れてしまうかも……」
亜駄夢・三島が低い声で告げた。「危険な場合は即座に抑制措置を取ります。」
装置が低く唸りを上げ、青白い光が部屋全体を満たした。
チヨメとシキの頭部に接続された端子が、同時に強く輝き始める。
空気が震え、微かな高周波音が耳の奥に刺さる。シキは死にそうな気持ではあったが、
諦めて目を強く閉じた。
「……つーかもう…なんでもいいわ。」
次の瞬間——チヨメの膨大な感情と記憶の奔流が、増幅装置を通じて
シキの意識に雪崩れ込んできた。
底知れない孤独。
急速に変わっていく自分への絶望。
兄であるヤマトへの深い愛情と、
「何も壊したくない」という、儚くも必死な願い。
そして、楽しい記憶すらも形容しがたい幾千もの断片に切り刻まれて
…ねじくれた情景の数々。
その信じられない程積み上げられた密度‥‥。音…。
ヤマト「‥‥転移を徐々に停止しろ。」
キーーーーーーーン。
たった10秒のダイブではあったが、シキの体がビクンと大きく跳ね、
背中が弓なりに反った。額から冷たい汗が噴き出し、
歯の根がガチガチと鳴る。
頭蓋骨の内側で何かが暴れ、意識が引き裂かれそうになる痛みが襲ってきた。
「……く……あ……!
これは……ガチ……くそっ……!」
ラボスタッフたちが冷静に監視する中、モニターの数値が急上昇する。
三島の手がわずかに動く。
‥‥‥‥‥‥‥‥。
終わった瞬間、シキは弱りつつ…、装置からゆっくりと上半身を起こした。
顔色は真っ青を通り越して土気色で、額と体にはびっしょりと冷や汗が浮かび、
息が荒い。
しかしシキは深く何度か息を吐いただけで、それ以上多くは語らなかった。
「……わかった。」
シキは掠れた声で一言だけ告げた。
「アパートに錬金工房があるから……一旦帰らせてくれ。」
次の瞬間——「ぶぼおおおおっ……!」
シキは装置の横で膝をつき、フルスペックのゲロを盛大に吐き出した。
胃液と一緒に、得体の知れない残滓まで一緒に吐き出しているかのようだった。
あとには底の知れない感覚が残った。若干視界もおかしい。
チョビが相当微妙な顔で後ずさりながらも、ハンカチを差し出す。
「シキ君。…と言うかゲロブスちゃん?大丈夫かい?」
シキは口の端を拭いながら、苦笑を浮かべた。
声はまだ掠れている。
「……チヨメ。少しだけ待っててな……」
チヨメの方をまっすぐ見つめ、静かに続けた。
「そこのクソ世間知らずでミリオタの優しいお兄ちゃんと一緒にな。」
チヨメは転移の影響なのか浅い眠りについたように見えた。
いや生きるって大変だな。
(つづく)




