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8・刃に強き者は

「な、なんで……ここにいるんですか……一ノ瀬さん」


 焦りと信じられないという感情を含んだ、澄んだ鈴の音のような可愛らしい声色が、彼女の自室の壁際へと追いやられた私へと向けられる。

 藤宮静香。今度はすんなりと、名前が頭に浮かんだ。

 肩で息をしながら、じわりと汗の浮かぶ額。少し崩れたふわふわな銀髪を見て、いつかの昇降口を思い出す。

 私たちの服装はあの時のような学生服ではないけれど。


 ――どうしてこんな事になったのか。話は今日の始まりまで遡る。


 ― ― ―


「お、来た来た。結構スーツ似合うね、優等生ちゃん」

「……うざ」

「褒めたんだから、素直に喜びなよ。可愛くないなぁ」


 昨日別れた時よりも多少だが身長の戻った東雲は、少しだけ背伸びをしつつ、ニヤニヤと私の頭に手を伸ばしてくる。

 が、反射的にその手をピシッと軽く叩いて払いのける。私は人に触られるのがあまり好きではない上に、こいつに頭を撫でられたくなどない。


 昨日はあのまま床に就き、朝になったら一通のメールが届いていた。

 泣き腫れた目をこすりながら確認したそれに記載されていたのは住所と時間、それから差出人の欄に東雲という名前だけ。


 相変わらずの情報の足りなさと、察しろというムーブに腹を立てながら、送られていたスーツに着替え、いつものグローブを身に付けてその住所に来たという訳だが、何をするかは見当もつかない。


 場所は診察室のあったオフィスビルから数キロ程度離れた、別のオフィスビル。

 見た目もさほど変わらず、似ているという点を除けば、これと言った特徴はない。

 恐らくは昨日東雲が話していた、別のスコールメンバーの私有化された建物だろう。


「いやー、本来は初日だし私以外のメンバーを紹介するとかで終わろうと思ってたんだけど、面倒なことに優等生ちゃんにしか出来ない仕事があってさ」

「私にしか出来ない仕事……?」

「そうそう、とっーても大事な仕事。付いてきて」


 ――とてつもなく、嫌な予感しかしない。


 根拠はない。が、直感が警鐘を鳴らしている。

 というか、ろくな説明もなしに新人にいきなり仕事を振るなんて、普通に考えてまともじゃない。これぐらいは社会人経験がなくても分かる。


 不安はあるものの、言われるがまま東雲の後ろを付いて行きつつ、オフィスビルへと入っていく。

 中を段々と進んでいくと、初めは綺麗だった廊下に絵の具の飛び散ったような汚れが目立ち始める。


 所々に絵の描かれたキャンバスが積み重なっているが、そのどれもが絵の具を雑にぶちまけたようにぐちゃぐちゃに塗りつぶされていて、内容は見えはしない。


「……うーん、良くないタイミングで来ちゃったな」

「良くないタイミング?」

「あぁ、いや、ここにいるのもスコールのメンバーの一人なんだけど……端的に言うとメンタルがちょっと不安定なんだよね」

「なんでそんな人のとこに連れてくのよ……」

「いや、彼女の異能がないと仕事が進まないっていうか……まぁ、悪い子じゃないから良くしてあげてよ」


 珍しく東雲が言い淀んでいる姿を見るに、恐らく相当どうしようもない事情があるのだろう。


 ――が、進めば進むほど、戻りたくなる。


 一階の汚れ具合は、メンタルの不安定さが周りの汚れやキャンバスに表れているだけだと思っていた。

 気分が落ちている時は自暴自棄になって、掃除やら食事だったりの基本的な生活に支障をきたす、みたいな。大して珍しくもないよくある話だ。


 しかし、二階三階と足を進めていくと、壁際で留まっていたはずの汚れは足元にも及んでいき、ローファーの裏は今の気持ちとは裏腹にカラフル……ではなく、色の合成によって黒く汚れてしまっている。


 廊下の立てる音もコツッコツッではなく、ベチャッベチャッと不快感のある音へと変わっていく。

 もはや廊下というよりは、ちょっとした沼地を歩いているような気分だ。


「ねぇ、本当にこんなとこにメンバーがいるの?」

「いるいる。ちょっと変わってるだけだって」

「もし、本当にいるんだとしたら、変人具合はちょっとじゃないでしょ」

「メンバーなんて、私以外は大体そんなもん……っと、いたいた! ホクサイちゃーん!」


 東雲が手を振ったその先、この異様な廊下で安全区域の様に広げられている段ボールの上で横たわる……というよりは、気を失ったかのように正面から倒れ込んでいる一人の女性の姿があった。


 ワイシャツの上からジャケットではなく、アーティストエプロンを身に付け、周辺には筆やら刷毛やらが転がっている。


 ぱっと見はほぼ事故現場だったが、ちゃんと息はあったようで、東雲の呼びかけに答えるように、女性はもそもそと起き上がる。


「その呼び方……東雲さん?」


 腰辺りまで伸びた金髪は毛先がインクで汚れ、顔や捲ったワイシャツ袖から覗く白い肌にも、様々な色が散りばめられている。

 だらしないし、ここまでの惨状を見た上ではまともな人間には思えない。だが、その姿になぜか不思議と目を惹かれてしまう。


 少し眠そうな碧眼に、整った顔の造形美。所作の一つ一つすら、有名画家の一枚の絵のような……そんな、体験したことのない美しさを感じてしまった。


「やっほ、ホクサイちゃん。調子はどう?」

「調子もどうも……早く私を殺してください……もう無理です……唯一の取り柄の絵すらまともに描けない、生きてる価値もないゴミクズです……」

「あははー、やっぱめんどい時に来ちゃったかー」


 膝を抱え酷く落ち込む姿を、東雲は軽く笑い飛ばす。

 先程まで感動するほど美しかった彼女の姿も、今はどんよりとして湿っぽい。

 これが、先程東雲の言っていたメンタルが不安定ということなのだろう。


「……どうすんの、これ。仕事出来そうな雰囲気じゃないけど」

「まぁまぁ、いつものことだから。対応策はバッチリってわけよ、お医者様に任せときなって」


 自信満々に胸を叩く東雲は、丸まったままぶつぶつと自己否定を続ける彼女へと近づいていく。

 そして、目の前でしゃがみつつ右手で俯いたままの彼女の左頬へと触れた。


「ごめんね。辛いだろうけど」

「ひっ……?!」


 その瞬間、ホクサイの身体がビクッと跳ね、明らかに様子が変わる。呼吸が荒くなり、冷や汗が滝のように流れ始める。

 それでも、東雲はその手を彼女から離さない。


 必死に手を退けようと東雲の手を掴んで剥がそうとしているが、それでも東雲は手を離さない。

 ただじっとホクサイの瞳を見つめながら、頬に手を添え続ける。


「いやっ……やめて、やめてください……!」


 身をよじりながら必死に東雲の手から逃げようとするが意味はなく、ついには辺りのキャンバスやら筆やらを東雲にめがけて投げつけながら、距離を取るためにジタバタと暴れ始める。

 耳をつんざくような悲痛な叫び声は、聞いているこちらまで辛くなってくる。


 が、東雲は意に返さない。投げつけられた物も軽く交わすだけで、じっと彼女を見つめ続ける。


「いやぁぁぁ! は、離してっ! 離してっ!」

「優等生ちゃん、彼女を抑えて。痛くしちゃダメだよ」

「わ、分かった」


 何がなんだか分かりはしないが、少なくとも東雲は彼女を壊そうとして危害を加えているわけでは無いと感じた。

 私は指示されるがまま、暴れるホクサイの細い手首を掴み、地面に抑えつける。見た目通りの少女程度の力で大した抵抗力はなく、一人で十分組み伏せられる。


 東雲は依然として手を離さず、彼女に馬乗りになるような形で常にホクサイの左頬を触り続ける。

 ――それを数分ほど続けた後、心痛でぐしゃぐしゃに泣き腫らしたホクサイの意識がぷつんと糸が切れるように落ちてしまう。


「よしっと。これで大丈夫」

「……いやいや、どこがよ。本当に大丈夫なんでしょうね」

「大丈夫だって。面倒だけど、多分こうなるだろうなって思ってたし」


 すーっ、すーっという安らかな寝息を聞くに、死んではいない。

 ただ、恐怖を前面に押し出した叫び声というのは聞いてるこっちも精神を削られるもので、手を押さえてた私を見つめる瞳に含まれた『どうしてこんな事を』という感情に、息を呑まずにはいられなかった。


 正直、彼女と初めましての私にとっては、見てられない治療だった。


「ホクサイちゃんは昔、酷い目にあったトラウマで、こうなっちゃう事があってね。んで、たまに私の能力で浮き上がってきちゃったトラウマの位置を治してあげてるの。簡単に言えば、心の奥底にもう一回しまうみたいな感じ」

「……それ、解決になるの?」

「いやいや、解決なんて無理だよ。そこは本人次第、私の能力じゃ彼女を本当の意味で治してあげるなんて出来ないって」

「そう……てか、東雲さんが左頬だけをずっと触ってたのは能力の制約とかなの?」

「そこは私の能力にも、ホクサイちゃんのトラウマにも関わるからヒ・ミ・ツ」

「うざっ……てか、触るだけで直せるなら、なんで昨日、私はキスされたのよ」

「そりゃあ必要だからだよ。これも、あれも、全部ぜーんぶ、必要だからだよ」


 勝手に状況を進めて、聞いてもいないことをペラペラと喋るわりには、質問は薄っぺらい回答で、のらりくらりと交わされてしまう。

 本当にやりづらくてしょうがない。


 ……いや、ホクサイの事を話したのは、恐らくはわざとなのだろうが。

 東雲が彼女の事を話したのは、東雲なりに彼女の印象を出来る限り良く保とうとしているのだろう。

 こうなってしまったのは、悪いのはトラウマとなる出来事であって、彼女じゃない。


『いや、彼女の異能がないと仕事が進まないっていうか……まぁ、悪い子じゃないから良くしてあげてよ』


 トラウマの原因を直接話さないのは、それを誰かに知られることがホクサイにとって辛い事だと知っているから。


 模倣の概念は解除したとはいえ、読み取った思考というのはそう消えるものじゃない。

 この考えが当たっているのか、当たっていないのかは分からないが、聞くのは野暮というものなのだろう。

 ……眠る彼女を見守る目を見れば、聞くまでもないか。


「案外優しいとこあるんだね、東雲さん」

「……ほんっと、可愛くないわ」

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