7・生身の私
来る時には目隠しや耳栓といった器具で情報を遮断されていたが、出る時は特に何もなく、すんなりと外に出ることが出来た。
はたから見ればただの小さなオフィスビル。
部屋を去る前に東雲に聞いた話では、表向きにはいくつかの企業が部屋を借りていることになっているらしいが、実際のところ、この場所は東雲管轄のスコール専用診察室兼処置室としてしか使われていないらしい。
オフィスビルの地下に設けられている通路は、私と東雲が戦った場所にも通じており、ここら一帯の保護区域の地下にはアリの巣のようにスコール専用の通路が備わっているとのこと。
加えて、ここ以外にも表から地下へと通ずる施設がいくつかあるそうで、それぞれスコールのメンバーがここのように裏で私有化しているそうだ。
今日接触するまで噂すら聞いたことのなかった組織だが、地下通路の件や施設の話を聞くと、かなり国には可愛がってもらっているのだろう。
少なくとも一組織の範疇を超えた権限を貰ってはいそうだ。
――いや、そうでもなきゃ人を平然と殺しかけるような奴の居場所にはならないか。
呆れ交じりの苦笑いを浮かべつつ、そのまま家路をたどっていく。
途中で鵺騒動のあった広場を通っていくと、倒れたままの電柱に、鵺特有の青色の血液の滲んだ建物の壁など、対処の終わってない騒動の痕跡が一部残ってはいるものの、夕日に照らされた街はいつもの日常を取り戻していた。
ただ、広場の一か所を除いて。
記念撮影を行う一般人、マイク片手に興奮の抑えきれないといった様子のニュースキャスター。その中心にあるのは地面を抉るのではなく、断ち切ったように深く、息を飲むほどに綺麗な切り傷の痕だった。
彼女が称賛を浴びていた昼間の光景が、フラッシュバックする。
嫌な気分だ。
胸の奥がやすりのようにざらつき、言葉にならない感情が喉からあふれ出しそうになる。
別にこの広場を通らなくても、家に帰るルートはいくらでもあった。ただ、見なければいけないと感じた。
自分自身に逃げの選択を残したくなかった。戒めとして、超えるべき壁の指標として。
― ― ―
広場の人混みを抜け、歩くこと数十分。家に着き、玄関を開けるとそこには見慣れない黒色のアタッシュケースが置かれていた。
「……なにこれ?」
確実に私の物ではないが、アタッシュケースの上に添えられた『優等生ちゃんへ』と書かれた手紙を見るに東雲から送られてきた荷物のようだ。
ただ、不可解なのは東雲と別れてから時間は1時間も経ってないという点だ。配送業者が来た訳ではないだろうし、来てたとしても部屋の中に荷物を置く訳がない。
玄関の鍵をこじ開けたり、窓ガラスを割ったりといった、無理やり誰かが入ったような形跡もない。
となると、恐らくは合鍵……まぁ、もういいや。プライバシーやらなんやらをあまりにも無視しすぎているが、疲れすぎてツッコむ気になれない。
手紙の封を開け、折りたたまれていた紙を取り出し、広げる。
『説明めんどいんで、中身見て察して』
やけに綺麗な字で書かれた、惰性にまみれた走り書きですらない、説明モドキ。
本当にこの手紙は、私の家に無断で入り込んでまで渡さなきゃいけない物だったのだろうか。
ため息をつきながらアタッシュケースに手を伸ばし、中身を確認する。
入っていたのは綺麗に折り畳まれた黒色のスーツ一式と、藍色の革製の手帳。
手帳の中には銀色の狼を模した徽章があしらわれており、個人情報などの内容以外は東雲と初めて会った際に見せてもらった物と同じだった。
恐らく明日からの活動のために送られてきた制服と、身分証明書だろう。
……言われた通り察してしまってるのが、若干気に食わない。
本当なら今着てみてスーツのサイズ等の確認もすべきなのだろうが、そんな気力はとうに抜け落ちていた。
グローブを外し、戦闘で汚れてしまった衣服を適当に洗濯機へと投げ入れ、Tシャツにハーフパンツという一番ラフな部屋着へと着替える。
倒れ込むようにベッドに横たわると、泥沼に落ちたかのように身体が沈み込んでいく。もう、今日は起き上がれそうにない。
「……やっぱ、ダメかも……」
ふと、頭に浮かんだ言葉が口から自然と漏れ出す。
すると、ぼーっと眺めていた天井がだんだんとぼやけていき、窓から差し込む夕焼け色が瞳の上で滲んでいく。
大丈夫。予定とは大きく異なったが、前向きに未来を考えられている。
私は、大丈夫……そう思っていた。
ベッド横のナイトテーブルに置かれた小箱に手を伸ばし、その中に収納されたシルバーの小さな指輪を手に取り、縋るようにぎゅっと胸元で握りしめる。
優等生の仮面を失った私は……あの子を纏っていない生身の私はこんなにも弱かったのか。
「ごめん……澪。あなたの夢を叶えるの、まだもう少しかかりそうで……ダメな私で、本当にごめんね」
頬を流れる煩わしい感情を、必死にTシャツの裾で拭いながら呟くその独白に、返事は無い。
静かな部屋で、止まらない嗚咽がやけに響いていた。




