6・夢も現に夢路を探る
「……だけは……てろ……」
真っ暗な闇の中、目すら開けることの出来ない状況で、声がノイズ混じりに耳へと届く。
が、何を言ってるのか聞き取れないうえに、誰が話しているのかは分からない。
ただ、絞り出すように吐き出されたその声には明確な怒りが含まれていた……気がする。初めて聞いたわけじゃない。が、少なくとも私の言葉でも、記憶でもない。
恐らく……東雲の記憶だろうか。
他人を模倣した時、稀に自分の意識が薄くなるとこういったことが起きる。
ただ、正直に言って興味がなく、誰の記憶なのか等は確認したこと無い。
いつもなら声が聞こえたあたりで目が覚めるはずだけど……
少しだけ今までと異なる終わらない白昼夢の様な状況に、どうしたものか、と頭を悩ませるが何も出来ることはない。
無力感に苛まれながら夢から覚めるのを待ち続けていると
――突然、口元が何かで覆われるような感覚に襲われる。
「……んっ……ふぅ……!?」
空気の通りが悪くなり、酸素を求めるように呼吸は段々と荒くなる。
なにこれ……?!
初めての感覚に加え、口に張り付いたままのそれにパニックを起こしかけるが、それと同時に温かい液体のようなものが体をめぐり始めるのを感じる。
他者が私の中に入りこむような模倣の時に似たような異物感はあるものの、精神が飲み込まれるような恐れや緊張感は無い。
心を落ち着かせ、その流れに身を任せるように呼吸を整えていくと、ふわふわと浮いたままだった意識が体へと吸い寄せられ始め、感覚が戻り、肉体の重さを認識した辺りで、ようやく現実に戻れたのだと実感する。
そして、何よりも先に飛び込んできた情報は、花のような甘い香りと、少し荒い別の誰かの息遣い。
何も分からないまま、ゆっくりと瞼を開けると、ベッドに横たわったままの私の上に覆いかぶさるようにして、唇を奪う東雲の姿がそこにあった。
戦闘中に所々が吹き飛んだスーツ姿の上からそのまま白衣を纏っている彼女は、ゆっくりとその唇を放していく。
粘膜の離れる際のちゅっという水っぽさを含んだリップ音がやけに大きく反響し、何が何だか分からず啞然としてしまう。あとは若干の嫌悪感。
「よーっし、修復完了。あ、起きた? おはよ、優等生ちゃん」
「……なにしてんの?」
「……寝起きにキスされてんのにその反応って、ホントに可愛くないなぁ。何って、見れば分かるでしょ。君、無茶しすぎてほぼ死んだようなもんだったから、面倒だけど私の力で看病してあげたってわけ。感謝しなよ~?」
やれやれといった様子で東雲は私の横たわっているベッドから降りつつ、首を横に振った。
見れば分かると言われても、見たままを説明してしまえば、年下女子を襲う変態女医の図にしか見えないだろう。
ただ、先程の意識の中で感じた、あの流れが東雲の異能……なのだろう。彼女の言う通りならだが。
上半身を起こしつつ、運び込まれるまでの経緯を聞くよりも先に、自分自身への問いかけを始める。
私は、一ノ瀬夕凪。うん、大丈夫……何も忘れていない。
存在模倣に、リミット解除、存在消去の三段重ね。確かに東雲の言う通り、少し無茶をし過ぎてしまった。
言い訳をするなら、初めて死を目前にして焦ってしまった。こんなにも未熟だったのだと、突きつけられた現実の否定を急いだ結果、自己を顧みぬ自爆特攻じゃ、救えるものも救えない。
精神に問題がないことを確認した上で、軽く体を動かしてみる。多少のだるさはあるが、ほぼほぼ問題のないレベルまで回復していた。
医務室の様な装いの部屋に飾られた壁掛け時計を確認すると、東雲と会ってからそこまで時間は経っていない。
死にかけたあの状態から、この体調ということは、看病というのも嘘ではないのだろう。
治療法には色々言いたいことはあるものの、倫理観や常識というのが通じないのは、もう嫌というほどに理解している。許してはいないが。
「優等生ちゃん、話も聞かずに勝手に死のうとするんだもん。悪いけど、まだ死んでもらっちゃこっちが困るわけ」
「殺そうとしたのはあんたでしょ……」
「まぁまぁ、死んで無いんだから殺そうとしたのだってチャラでしょ」
「んなわけ――って……あんた……何か小さくなってない?」
ファイルが無造作に散らばり、整理されていない机の前に置かれた、簡素な造りのスツールに腰掛ける東雲をよく観察してみると、明らかに体格が……というか、顔つきまでもが幼くなっている。
元々会った時から小柄ではあったが、それよりもさらに幼く、最初の印象は私と同じ高校生ぐらいといった感じだったが、今の見た目は中学生に近い。
「あー……ほんと、変なとこばっか気にすんね。力を使った反動で若々しくなっちゃってんの。なに、目を惹かれちゃった? こういう可愛い系が好み?」
「うっざ」
「うっわ、可愛くない……別に数日で戻るし、説明めんどいし、気にしなくていいよ」
東雲はそう言いながらひらひらと手を振る。揺れる白衣の隙間から覗く腹部を見てみると、記憶が途切れる前に視認したはずの青黒い痣はすっかり消え去っており、色白の健康そのものといった肌が服の隙間から見えるだけだ。
私を治したような発言をしていたし、恐らくそっち方面の異能なのだろう。その代償で若返るというのは珍しくはあるが、驚くようなことじゃない。
異能なんてものは常識で測れないからこそ、異能なのだから。
「てか、優等生ちゃんが気にしなきゃいけないのは私の事じゃなくて、自分の今後でしょ」
「……じゃあさっさと話してよ。私はなんで助けられたの」
「態度わっる……まぁいいや、優等生ちゃんを助けてあげたのは、最初に話した特別待遇で罪を無かったことにしてあげることにしたからだよ」
「負けたのに?」
「いやいや、戦う前から優等生ちゃん程度が私に勝てるなんて思ってないって」
半笑い気味に告げられるその発言に額の血管がピキッと音を立てるが、現状は言い逃れできない。
死ぬ気で戦って負け、挙句の果てに助けてもらっている。今の私には、その言葉を否定できない。
ただ、普通にイラつく。
「とりあえずは頑張った賞を授与してあげるね。ぱちぱちぱちーおめでとうー」
「いちいちイラつかせないと気が済まないんですか?」
「はいはい、怒んない怒んない。んで、特別待遇ってのはスコールに所属してもらうって話で、明日から私と一緒に行動してもらうから準備しといてね」
「……は? なにそれ、聞いてないけど?」
「いやいや、そりゃ今説明したんだからそうでしょ」
半笑いとともに投げられたその発言は、私の知っている会話のキャッチボールとはあまりにもかけ離れていた。
一度模倣までしたからこそ、分かることがある。
こいつ人間として、なんなら生物として、とことんまで私と合わない。人生の中で何回かはそう感じたことはあるものの、ここまでのは中々いない。
軽薄、適当、面倒くさがり。人間性は終わってても、実力だけで周りを黙らせて生きてきたような人。
私のように才能を努力で磨いたタイプじゃない。
生まれながらにして才能だけで生きてきた、努力を知らない天才の完成系。本当に嫌いなタイプだ。
「あ、言っとくけど拒否権無いよ。逃げようとしたら、今度はさっきみたいなチャンスなんて与えない。確実に殺すから」
はははとわざとらしく笑いながら、ニヤついた顔のまま放たれる殺気と消える目の光。脅しじゃない。彼女はただ、事実を述べているだけだ。
元から逃げられるなんて考えてなどいなかったが、叩きつけられた楔は深く心臓まで貫くようだった。
「考えてないっての。私じゃあんたに勝てないし」
「おー、物分かりが良くて助かるよ。そんじゃもう一つ、あんたって呼ぶの止めようか。ほら、私一応優等生ちゃんの上司になるわけだから」
「分かりました……東雲さん」
東雲は満足そうに腹を抱え、あーおもしろと呟きながらクスクスと笑っている。
屈辱だ。何が屈辱かって、私が屈辱だと感じることを知っている上での言葉選びと調教じみた遊びに付き合わなければいけないという点だ。
東雲は別に敬称を使う、使わないでどうこう言うような性格じゃない。ただただ私を従わせるのが楽しいから、そうさせているというだけだ。
「まぁ安心しなよ。勇者程じゃないけどたまには感謝されるし、表向きは公務員だから安定して金もそこそこ貰える。問題があるとすれば、明日から優等生ちゃんは学校辞めて貰うから、学歴に消えない傷が付くぐらいかな」
「……だから、聞いてないっての」
「だーかーら、そりゃ今説明したんだからそうでしょ」
頭に上りそうになった血を、ため息とともに下へ下へと押し流す。ダメだ、真正面から取り合うな。
頭を抱えながら、現状を必死に整理する。正確には整理する振りをして、心を落ち着かせる時間を作りたいだけだけど。
どうせ逃げられない、で片付けられるほど、私の目の前に現れた一本道は受け入れられるものじゃない。
外れてしまったレールの先で、たどり着いた先はよく分からない謎組織。説明もなければ、拒否権もない。
公務員だから――とかほざいていたが、まともな場所な訳がない。
じゃあどうするか。結論はどうしようもない。
どこまで行っても元を辿れば身から出た錆。前科者からほぼほぼ法外の怪しい公務員になれただけマシだと思わなければいけない。
それにこの状況、使えない訳じゃない。
現状勇者を目指すにあたって、私に必要なのは周囲の首を縦に振らせるための圧倒的な実績と、何よりそれを作るための実力だ。
学校の外に出た瞬間、自分がどれほど無力なのかを知った。勇者と呼ばれる彼女の背を見て、実戦経験の差を言葉の通り体に刻まれて。
反省、後悔、未練、自責。全部ここまでだ。
私は勝ち続けるための力を、ここで東雲から盗みに行く。
――君じゃ、勇者にはなれないよ。
そんな言葉で諦めるほど、私の夢は軽くない。
「とりあえず今日は帰っていいよ。後の説明やら、組織のメンバーやらの細かい部分はまた明日ね」
「分かりました」
「あ、あと、優等生ちゃんの命は今、一時的に私の力で繋ぎ止めてるだけで、本人の治癒力で完治するまでは定期的に今日みたいな治療受けて貰うから」
「……もういいや。はい、分かりました」
喉元まで出かかった『聞いてない』のセリフをぐっと飲み込み、私はその部屋を後にした。
― ― ―
「東雲さん、いますかな」
「はーい、どーぞ」
からかい甲斐のあるおもちゃが部屋を出てから数分後、医務室の扉からノックの音が転がり込み、聞こえてきたのは低めの少ししゃがれた男性の声。
ガラガラと音を立てながら引き戸が開くと、白髪とやけに長い整えられた顎髭が特徴の見慣れた老紳士が、杖を突きながら入ってくる。
「よいしょっと。どうでしたかな、あの子は」
「……なにニヤついてんの」
「いやぁ、私の選んだ果実が、あなたのお眼鏡に適うかどうか楽しみにしていたもので」
彼は患者用のスツールへと腰掛けながら、こちらの返答を見透かしたような笑みを浮かべながらそう言った。
優等生ちゃんをスコールに迎える報告含め、彼女とのここまでの経緯は既にスコールの全員に通達済みである。
それを聞いた上で、わざわざ足を運んで、あえて私の口から言葉を引き出そうとしているのだ。
物好きというか、暇というか。時間を余す老人の考えはよく分からない。
「まぁ……先に言うなら勇者には確実になれないだろうね。あまりにも行動原理が自分中心過ぎる。勇者っていうのは、他人のためだけに動ける奴しかなれないから」
「ほう、手厳しいですな」
「ただ……」
「ただ?」
「未熟ってのは大前提だけど、あんたの見立て通り、この世界に必要なもう一つのキーにはなれるかもしれない」
その言葉に、老人は目を見開く。そして小さくふふっと笑った。
彼女のデータを見た時から、予感はあった。その予感がどちらに転ぶかを見定めたかったからこそ、私は彼女の観察係を受け入れたのだ。
「なるほど。なら……あなたは彼女を?」
「……そう、不本意だけど。
――私は、彼女を王にする。黒く塗りつぶされた退屈な物語を終わらせるための魔王にね」




