5・空っぽな私を
目の前の少女は、その言葉に肩を落とす。
やっぱり、この程度か。
渡された書類、彼女の過去の全てが記されたそれを見た時、多少なりとも興味が沸いた。成績は戦闘も学力も優秀で、人当たりもよく、ただ一点を除けばまさに勇者にふさわしいと私でも思ってしまった。
だけど、観察の一環でそこからの落ちこぼれ方を見てきたからこそ分かる。彼女は異能が強いだけで、他に何もない。
人を思いやる心はただのハリボテで、周りの考える優等生を演じる人形のような人間。私は幾人もの落ちぶれた勇者候補を観てきたからこそ言える。
そんな奴が一番救えない。
もう無理かな。時間の無駄っぽいし、終わらせちゃおう。
「じゃあね」
顔を掴んでいた手を放し、別れの言葉と共に首元へと放った手刀。
武器を使うまでもない、今までの立ち合いで分かる。どうせ、今の彼女にこれは防げない。
――そう、考えていた。
「――勝手に勝った気になって……私が勇者になれないだとか優等生だとか、全部、全部、うるさいって言ってんのよ!」
「……へぇ。まだやるんだ」
骨ごと首を断つつもりで放った手刀は、彼女の手に当たり前のように弾かれ、すぐに距離を取られてしまう。確かに手は抜いた。それでも手心を加えた訳じゃない。
彼女には逆境から立ち上がるだけの理由がない。それは、生きたいだとか、死にたくないなんてありきたりな理由で賄えるものじゃない。
彼女を支えていたのは、勇者というただ一つのちっぽけな夢だけだ。
先の鵺騒動での一件や、この戦闘の中で、目指すなどおこがましいと思えるほど、心は確実にへし折れているはず。
しかし、こちらを睨みつけるその目は光を失っていない。痛手を負いながらも一矢報いるタイミングを伺う獣のような眼光の鋭さに、私の冷え切った興味が再度熱を帯び始める。
「勇者になれないのなんて、ずっと……あの日から分かってる。それでも、投げ出せるわけない。勇者になることが私にとっては全てで、空っぽな私を私たらしめるものなの……
――だから、こんなとこで躓いてる訳にはいかない……あんたなんかに負けてたまるか。なるも、なれないも、全部私が決めることだ!」
こちらが制圧していたはずの空気が、流れが、下から押しのけられ拮抗する。ビリビリと肌から内側まで伝わってくる圧と殺気。
どれも先ほどまでの彼女が纏っていた弱弱しい、ありあわせで見繕ったような物とは全くの別物。
しかし、妙なことに何故か私はその圧に憶えがあった。
赤の他人の圧にそんな感覚を覚えたことはこれまでない。
なに……この違和感……?
「異能――概念付与・存在模倣」
「あぁ……そう言う事ね。だから、優等生を演じれてたのか。うん、いいね……いいよ、最高だ優等生ちゃん!私も一度、私と戦ってみたかったんだ!」
「……そういうのめんどくさ。さっさと来なよ、格の違いってのを見せてあげる」
― ― ―
「ほらほらほら! 守ってるだけじゃ勝てないって!」
風を切り裂く二刀の刃による猛攻。さっきまでこちらに向けられていた手心はもう無い。
先程までの肉弾戦で見せつけてきた圧倒的な速さが刃に乗ることで鋭さは一層増し、対処に綻びが生じた瞬間に矛先は命へと簡単に届いてしまう。
が、こっちだってただやられるわけじゃない。
降りしきる雨のような絶え間ない斬撃を的確にいなしつつ、隙を見て踏み込む。そう簡単に有効打が当たるわけではないが、それはこちらも同じ。
『私自身を東雲として扱う概念』を付与することによって、今の私の思考は東雲のそれにかなり近い。今回は情報が少ないため100%のトレースではないものの、少しでも相手の考えが読めるだけで対処のしようはある。
何より、格上相手にこの能力を使用する一番のメリットは――
「はぁっ!」
「うぉっとと……効くね。流石、私の模倣品なだけはあるか」
――身体能力の強制的な底上げである。
東雲へと放った蹴りの威力は、私の素の体では到底再現の出来ない速度と重さであり、こちらが攻め込めば流石の本人でさえもガードに徹するしかないようだ。
相手との格差を一瞬にして埋めることが出来る上に、思考を読むことでオリジナルの一歩先へと進むことが出来る。まさに最強の能力。
……と言いたいところではあるけど、そうじゃないことは使い手の私が一番よく分かってる。
蹴りを放った足から伝わる鈍く重くのしかかるような痛み。筋線維はぶちぶちと千切れそうなほど傷み、骨からは悲鳴のような軋みが体を通して鳴り響く。
東雲レベルへの強制的な身体能力の底上げに、私の貧弱な体がついていけていない。
加えて、この能力の難点は口調や考え方が、模倣した存在に寄ってしまうことだ。私という存在そのものが飲み込まれそうになる恐怖と、単純に嫌いな人間の場合、自分の中に入れている不快感でイライラしてくる。
本当にめんどくさい。
……ほら、イライラしてきた。
結論、この能力は持久戦には向かない。今回のケースで言えば、超短期決戦を想定した異能使用であり、少しでも長引けば私の心も体も簡単に崩れ落ちてしまう。
だが、これほどのデメリットがありながら、攻撃を受けた腕をプラプラと揺らしながら軽口を叩く姿を見るに、東雲には大したダメージは与えられていない。
――早くけりを付けなきゃ……
「異能――概念省略・リミット解除」
「概念操作の重ね掛けで、体の自己制御を取っ払った……でも、それキッツいんじゃないの、優等生ちゃん」
「楽しもうとしてるとこ悪いけど、こっちはさっさと面倒事を終わらせたいの」
東雲の口調からして、既に存在模倣の弱点は気づかれている。
私の限界が来るまで逃げ回る……なんてことは彼女の性格からしてしないだろうが、それでもこちらの攻めに対しての警戒はかなり高まってしまっている。
守りの姿勢に入られれば、こちらに勝機は無い。
それなら、その守りを崩せるほどの圧倒的な一撃で正面からねじ伏せる。
どうせ、今の私では搦め手で攻めたところで、先ほどのように簡単に見破られてしまう。それなら、自身の体の限界を異能によって取り除き、東雲の模倣によって得た爆発的な身体能力で終わらせる。
「焦ってるねぇ……せっかく面白くなってきたのに。まぁいっか、正面から受けて立ってあげるよ」
東雲は二刀の短剣を正面で十字に構え、ふぅと息を吐く。こちらも拳を握りしめ、今にも飛び出そうなほどドクドクと鳴り響く心臓の音をゆっくりと沈めていくと、周囲の細かな雑音がだんだんと消えていき、体から余計な力みが消えていく。
緊迫の最中、異様な静寂の一瞬。張り詰めた弓の弦を弾くように、両者は同時に放たれる。
「二刀四式・八咫烏」
東雲の放つ空間すらも切り裂くような一閃。青く煌めく刀身が、一ノ瀬の拳が届くよりも早く彼女の喉元へと迫っていた。
これで終わりだ。東雲がニヤっと笑みを浮かべた瞬間、東雲を模倣した一ノ瀬の表情にも彼女に似合わない笑みが浮かんでいた。
正面からねじ伏せる?
搦め手は見破られる?
そうじゃない。それは東雲の勝ち方だ。
『東雲の異常なまでに鍛え抜かれたフィジカル。恐らく異能を使ったとしても真正面からじゃ、悔しいけど勝てない』
だから、私は私の得意に持ち込んだ。存在模倣のメリットとデメリットを東雲に見せつけたうえで、正面から叩きのめすという東雲じみた思考を真正面に押し出した。
彼女は絶対に逃げない。己の絶対的な強さを信じる東雲は、私の全力を必ず叩き潰しに来る。
――でも、私はあんたじゃない。
よく見てろ。初心な雑魚の甘ったるい思考が、あんたを殺す瞬間を。
「異能――概念限定省略・存在消去・ワンセカンド!」
東雲の刃が降りぬかれた瞬間、背後のコンクリート壁に十字の傷が刻まれる。それ以外、何も切れた感覚が無かった。
私は誰と戦っていたんだっけ。そんな考えが東雲の頭に浮かぶ。
振った刃の理由すらわからず、前後の記憶の辻褄が合わない。まるで、何かがぽっかりと抜け落ちたように。
あるのは妙な違和感と……異様な危機感。
――は、その隙を見逃さない。唯一自分が、一ノ瀬夕凪が作ったその最初で最後の隙を。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
何も無かったはずの東雲の視界に突如現れた少女と、こちらへと振りぬかれる拳。その瞬間、抜け落ちていた彼女の存在がふっ、と息を吹き返す。
そうだ、なんで忘れてた。違うそんな事よりっ……!
東雲はとっさにガードを試みるが、思考の乱れ、気の抜けた一瞬はあまりにも致命的だった。一ノ瀬の拳はガードすらままならない東雲の腹めがけて撃ち込まれる。
一ノ瀬の食らった打撃よりもさらに重く、鋭く、速さの乗ったそれは、東雲を容易に吹き飛ばすと同時に、放った一ノ瀬すらも吹き飛ばすほどの威力だった。
地面が砕け、巨大な土埃が上がる。
東雲の姿は見えないが、私には東雲の生死よりも、先に確かめなくてはいけないことがあった。
「私は一ノ瀬夕凪。大丈夫、消えてない、消えてない……」
震え始める体に、かすれた声で必死に言い聞かせる。
自分の存在を希釈ではなく、概念の省略によって一時的に完全に消し去る。その結果、相手からは見えないだけではなく存在していた事実すら無かったことになる。
が、少しでも己の限界を見誤れば、私の存在はそのまま消え去ってしまう。
体の形を自分自身に再度教え込むように、顔、肩、足、胴をゆっくりと掌で感じることで、ここにいるということを確かめ心を落ち着かせる。
他人に精神を飲み込まれる模倣とは違う、存在を天秤にかけた大博打。
これ以上は、もう……
その思考によって体を立ち上がらせていた力が抜け落ちていき、へたり込んでしまう。
攻撃を放った拳や、それを支えた腕、肩はもはや感覚がない。まるで他人の物がくっついているかのようだ。
かなり無理をしてしまったせいで、脳も疲弊しきっている。意識を保つのがやっとで、異能を使うほどの余裕もない。
――けど、流石に……
「けほっ……いやぁ、正直ナメてたよ。さっすが、優等生ちゃん。そこまで賭けられるとは思ってなかった!」
希望的観測は簡単に打ち破られてしまった。
咳混じりに土埃の向こう側から姿を現した東雲。口元には血が滲み、衝撃で弾け飛んだ衣服の隙間から見える腹部は、青黒く染まっている。効かなかったわけじゃない、無駄だったわけじゃない。
ただ、それでも及ばなかった。
東雲の表情に浮かんでいたのは、先ほどまでの薄っぺらいニヤニヤとした笑みでは無い。
とろける様な表情に、やけに熱っぽい吐息。ドロドロとした視線がこちらに向けられるが、悪寒と寒気で身が震える。唯一、何を考えてるのか分からないのだけが、今まで通りだった。
まぁ、正直分からなくても変わらない。どうせ、理解したところで意味なんて無いんだから。
「もう優等生ちゃんも限界でしょ。面倒だし、さっさと――」
「悪いけど……あんたの話なんて聞いてられないから……先に行かせてもらうわ」
やれる事はやった……いや、後悔はぜんっぜんあるけど……次は……ってもう無いか。あぁ……もう……死にたくないなぁ……
瞳から悔し涙が溢れたその瞬間、プツンと緊張の糸が切れたように、意識が暗く沈んでいった。




