4・勇者にはなれないよ
「さてさて、到着いたしましたよっと」
「眩しっ……」
車を降り、東雲に再度手を引かれた先でアイマスクと耳栓を外される。
感覚が封じられて何も見えない状態が続いていたせいで、部屋の明かりが瞳の中でチカチカと弾ける。
その刺激で少し涙ぐんだ視界が少しずつ明るさに慣れていくと、見えてきたのは打ちっ放しのコンクリート壁に囲まれた灰色の部屋だった。
手入れが行き届いていないのか、少しの埃っぽさとカビの独特の匂いが鼻腔をくすぐる。広さは学校の体育館ぐらいだろうか。
何の変哲もないただの広い部屋。しかし、唯一異様なのは周囲に散らばった赤黒いシミの数々。
逃げ出す際、血塗られた指を壁に擦り付けた様な跡や、床に溜まった血液がそのまま乾いた様な跡。そのどれもが、その時の景色を鮮明にこちらへと伝えてくる。
『――保護区域での異能事件を内密に処理するための国家公認の正義の味方ってわけ』
――内密ってそういう事ね……
東雲の先ほどの発言。その意味を理解し、冷や汗が手に滲み、呼吸がほんの少し浅くなる。
となれば、チャンスというのも……ろくなものじゃないのだろう。
「いやーごめんね、汚い部屋で。賢い優等生ちゃんだと色々察しちゃうだろうけど、どうせ今からやる事は変わらないから」
「何をさせられるの……って、怯えたフリをしたら、助けてもらえます?」
「いやいや、怯えたフリなんて要らないし、意味ないよ。めんどくさいけど、今から伝える条件で試験をする。ただそれだけだから」
東雲は背を向けながらゆっくりと対面の入り口へと歩みを進め、私から距離を取り始める。
少し跳ねた黒色の後ろ髪をヘアゴムで一つにまとめ、こちらを振り返った際に両手に携えられていたのは、青みがかった反射光を放つ二刀の短剣だった。
一体どこに隠し持っていたのか分からないそれをくるくると器用に回しながら、東雲は真意の掴めないニヤッとした笑顔をこちらに向ける。
それと同時に、得体のしれない冷気が首筋を撫でる。ドロっとしていて、舌なめずりをする蛇に睨まれたような不快感。
私は無意識のうちに構えをとってしまっていた。
「一つ。この後の戦闘の結果によっては優等生ちゃんの異能使用の罪を特別待遇で無かったことにしてあげる。
二つ。異能の行使は自由ね。好きに使って、なんなら場合によっては私を殺したって構わない。
三つ。ただ……私もちゃんと殺しに行くから、死なないように頑張ってね」
――来るっ!
空気がガラッと変わり、嫌でも攻撃の気配を感じ取ってしまう。警戒はもちろん、構えも解いていない。
が、それでも捉えられないほどの一瞬だった。モーション一つ見え無いほどの速度で、目の前から東雲の姿が消えた。
見失った。
どこに行った、攻撃が来る、どうする異能は間に合わない。
――殺される。
無駄な思考が脳を巡り、恐怖で身体が強張った結果、一拍行動が遅れてしまう。
「かはっ……?!」
その一瞬を見逃してくれる訳はない。何をされたのか理解出来ないまま、ガードすら間に合わず、外側から内臓をすり潰すような衝撃が身体全身を駆け巡る。
勢いそのままに床を転がりながら、見上げた視界に入り込んだ情報で、ようやく蹴られたのだと理解する。
痛い、痛い、痛い。あぁもう……めちゃくちゃ痛い。
すぐさまビクビクと震える足に必死に力を入れ、蹴られた個所を手で押さえながら、ふらつく視界で何とか立ち上がる。
全身が痛覚で警報を鳴らしている。
あの小柄な体型からは想像も出来ない重く、鋭い一撃。
例えガード出来ていたとしても、何度も耐えられるような威力じゃない。
「あらら、さっき路地裏で出会った時の威勢はまるで無いね」
「うる……っさい」
「強がらなくていいよ。初めてなんでしょ、殺される側に立ったの」
図星を言い当てられ押し黙る私を見て、反応をからかうように東雲はニヤッとした笑顔を浮かべる。
強者側からしたら殴る蹴るといった強みを押し付けるだけで終わる単純な肉体言語による会話。口々に説明をめんどくさがっていた彼女にとっては、この会話は心底楽しくて仕方がないのだろう。
私だってそうだ。弱い者を倒すだけで評価されるのは楽で、なおかつ自身の強さの再確認出来る。
あぁ、そっか。私が叩きのめしてきた彼らはこんな気持ちだったのか。
……ふざけるな、馬鹿にするのも大概にしろ。
私は、こっち側で終わるつもりはない。
私の下にいたはずの鈍間なカメに、理想の勇者像を見てしまった。挙句に訳の分からない組織の人間の圧倒的な武力に打ちのめされている。
こんな状況で腐ったまま、何も出来ずに食いつくされて終わるわけがない。終わっていいはずがない。
「……あんたも……無いんでしょ。こっち側に立ったこと」
「ご名答、見たことないね。私は強いから」
「なら、初めてを見せてあげる……私の前で膝ついて、死にたくないって懇願する景色ってやつを」
「ふふっ……いいね。なら、口だけじゃないって証明してみなよ、優等生ちゃん」
『――二つ、異能の行使は自由。場合によっては私を殺したって構わない。』
東雲の異常なまでに鍛え抜かれたフィジカル。恐らく異能を使ったとしても真正面からじゃ、悔しいけど勝てない。
なら、私の得意に持ち込む。
「異能――概念付与・存在希釈」
「……概念操作の異能。なるほど、監視組が見失った理由はこれか」
私が異能を発動させた瞬間、東雲の視線の先から私が逸れていく。
私のこの能力は単に姿が見えないというだけではなく、発する音や気配に至るまで、異能によってその情報を認識不可能なレベルまで薄めている。
今、東雲には私の存在が認識出来ていない。どんなに相手が一流だろうと、この状況は確実に迷いを生む。
どれだけ否定されても、異能という私の天性の才能は誰にも劣らないという絶対の自信がある。
これは戦闘訓練じゃない。東雲は言葉の通り、本気でこちらを殺しに来ている。このままじゃどうせ死ぬんだ。なら……私も覚悟を決めろ。
「自身の想像できる範囲かつ破綻の無い範囲での概念付与と省略、だっけか?
いやー、書類で見た時は驚いたし異能はマジで強いよ。
――ただ、それじゃ無理だね。来なよ、格の違いってのを見せてあげる」
東雲はガードを固める訳でも、攻撃に転じるわけでも無く、あろうことか両手に携えていた短剣をその場に捨て、両手を挙げ、目を閉じ完全に無防備な体制を見せつけてくる。
半笑いの声音にこちらを見透かしたようなニヤついた笑顔。
ハッタリ……いや、違う。本気で負けないと思っているんだ。
私の異能を東雲が把握していることに関しては、そうだろうと予想していた。が、知っている程度では対処出来ない。出来るはずがない。
確実に攻撃を届かせるためにすぐさま背後へと回り、距離を詰める。依然として東雲は余裕をひけらかし、構えを取る様子はない。
その伸びた鼻っ柱、確実に折ってやる。
――今だっ!
「――見えない、感じない。それだけじゃ私には敵わないっての」
当たるという確信と共に振りぬいた拳は空を切り、いとも簡単に東雲に腕を掴まれ、そのまま投げ飛ばされる。
何だ、何が起きた。背後を捉え、異能を解いたわけでも無い。
受け身をとり着地するが、目の前で起きた事柄を処理するために脳は思考を加速させてしまう。結果、はじき出された結論は――
見えてたの……?
違う、ダメだ、考えるな。そんな訳がない。
その後出しの思考が間に合うわけもなく、私自身が付与した概念を否定する言葉が脳裏をよぎった瞬間、異能の効力が抜け落ちていく感覚と共に、私の存在が再び露になってしまった。
「あーあ、策が一個潰れただけでこれか。負け犬面が丸見えだよ、優等生ちゃん」
「なんで……」
「なんでって……やっぱ口だけか。優等生ちゃんの行動は全てが予想通りすぎるんだよ。全部が後手で、少し餌を撒けば簡単に寄ってくる」
東雲はやっぱいらなかったか、と小さく呟きながら、地面に落とした短剣を拾い上げ、スーツの胸元へとしまい込んだ。
初撃も、今のカウンターも、私は東雲の攻撃を何一ついなせなかった。もしもどちらかのタイミングで、あの短剣が使われていたら……
ぐっと悔しさで奥歯を噛みしめる。何も通じなかったどころか、手加減までされていては言い訳すら浮かばない。
「異能を使えば見えないから対処できないだとか、後ろからなら確実だとか。全部、手に取るように初心な雑魚の甘ったるい思考が読めちゃうんだよね」
呆れたような声音で、東雲は淡々と説明を続ける。こちらに向けられるその瞳は、まるで道端に転がる石ころを見るような、つまらなそうな視線に変わっていた。
私は、逃げるように視線を逸らしてしまった。
「加えて、一発攻撃が交わされた程度で優等生ちゃんは『自分自身が相手に見えていた』と想定した結果、自分に付与した概念の破綻として認識してしまった。
絶対的な異能への自信が優等生ちゃんの異能の強みなんだろうけど、無駄に賢いふりをして生きてきた君は、目の前の勝ち筋を盲目的に信じることが出来ない」
ゆっくりと一歩一歩こちらへと歩みを進め始める。こちらを警戒している様子はどこにもなかった。
格下を前にした狩人は、獲物を前に舌なめずりこそすれ、怯える者はいない。
もうこいつには、私を狩るすべはない。そう見抜かれているのだ。
「目の前の出来事に対して思考が挟まるせいで、優等生ちゃんの行動は全てが後手に回る。だから、今日みたいにチャンスを逃すんだよ。
――騒動を解決した……藤宮ちゃんだっけか? 逃げてるようだから、私がハッキリ言ってあげるよ」
「……うるさい……」
口からあふれ出した感情の吐露には、理屈なんてなかった。駄々をこねる子供と変わらない、独りよがりな発言。
はぁ、という吐き捨てるようなため息。次の瞬間、顔を掴まれる。
逃げ道を塞ぐように、視線を強制的に合わせられる。彼女の瞳に映った私の姿はひどく怯え、抵抗すら出来ず、情けないとしか言い表すことが出来なかった。
突きつけられた言葉はあの日、試験結果に書かれた内容と同じ。
「君じゃ、勇者にはなれないよ」




