第9話 斧一本で、森仕事のやり方が変わる
翌朝、案の定というべきか、本当にリッカは来た。
しかも朝早く。
「おはようございます弟子です!」
「弟子じゃない」
「まだ、な!」
「その“まだ”を勝手に入れるな」
昨日のやり取りをまるで引きずっていない顔で、ドワーフ娘は元気よく薪の束を下ろした。しかも本当に持ってきている。乾き具合も悪くない。森の中で適当に拾ってきたのではなく、きちんと選んだ薪だ。
腹立たしいことに、仕事の質だけ見ると文句が言いづらい。
「これ、炉に向くやつと炭に回せるやつで分けといた!」
「……そうか」
「感謝しろよ!」
「頼んでない」
「うわ、塩っ」
朝からうるさい。昨日よりうるさい気さえする。だが俺も少し学んだ。いちいち正面から相手をすると消耗する。だから最低限の返事だけして、俺は炭置き場の方へ向かった。
今日は炉壁の補修と、例の灰黒色の鉱石を試すつもりだった。だが、予定というものは静かな暮らしを願う人間ほど、外から崩されるらしい。
森の道の向こうから、もう一つ別の足音が近づいてきたのは、リッカが勝手に薪を並べ直している最中だった。
重い足取り。乾いた地面を踏む音。人だ。
俺は振り返る。木立の間から現れたのは、大柄な男だった。肩幅が広く、日に焼けた腕が太い。背には縄でまとめた木材を担ぎ、腰には使い込まれた斧を提げている。歩き方を見た瞬間に分かった。木こりだ。
男は拠点の前まで来ると、一度リッカを見て、それから俺へ視線を移した。
「……あんたが、森の鍛冶屋か」
またその呼ばれ方か、と思ったが今さら訂正しても仕方がない。
「そう呼ばれてるらしい」
「女将さんに聞いて来た」
「女将さん……ああ」
「おっちゃん、ギルドの人じゃなくて村の木こりだぞ」
横からリッカが余計な補足を入れる。木こりの男は「ああ」とだけ返し、少し言いづらそうに頭をかいた。
「変な話かもしれねえが、斧を見てもらえねえかと思ってな」
俺は男の腰の斧へ目をやった。柄は擦り減り、刃はところどころ白く欠けている。見ただけで楽な仕事をしていないのが分かる。
「見せろ」
「おう」
男は斧を外して差し出してきた。受け取ってみると、まず重い。重いというか、重さの乗り方が良くない。頭に無駄な肉が残り、柄との釣り合いも悪い。振れば振れなくはないだろうが、長時間使えば腕も肩も死ぬ。
刃先を見る。欠け方が汚い。単に硬い木へ当て続けたというより、刃の粘りが足りず、しかも研ぎも安定していない。木に食い込む前に、衝撃を全部刃先で受けている感じだ。
「……重いな」
「やっぱりそうか」
「自分でも分かってるのか」
「分かるよ。重いし、すぐ欠けるし、最近じゃ半日振るだけで腕が上がらねえ」
男は苦笑した。笑っているが、本気で困っている顔だった。
俺は斧を持ったまま、男の身体つきを改めて見た。肩は厚い。前腕も強い。だが右の肘に少しだけ違和感がある。無意識にかばっている。長年、道具に身体を合わせてきた人間の癖だ。
「山はどっちだ」
「は?」
「普段切ってる木。見たい」
「……今からか?」
「話だけ聞いて作るより早い」
すると、男の横でリッカが目を輝かせた。
「おお、現場見るやつ!」
「おまえは黙ってろ」
「はい!」
返事だけはいい。
木こりの男は少し驚いたようだったが、やがてうなずいた。
「じゃあ、ついてきてくれ。すぐそこの斜面だ」
俺は鉈を腰へ差し、小刀を持つ。リッカも当然のようについてきた。帰れと言ったが帰らない顔をしていたので、途中で余計なことをしなければそれでいいと諦めた。
木こりに案内されて少し歩くと、村の外れから続く山裾の林へ入った。そこは俺の拠点の周辺より木の密度が高く、地面も斜面で足を取られやすい。切られて積まれた木材の跡もあちこちにあり、仕事場なのがよく分かった。
「この辺りの木は、芯がけっこう締まってる。水気が抜けると固くなるんだ」
「樹種は混ざってるな」
「詳しい名までは知らねえが、切りやすいのと手こずるのがある」
俺は地面の切り株を見て回る。切断面の繊維、斧痕の入り方、刃の抜けた跡。いくつかの切り株では、同じ方向から何度も叩き込んだ傷が深く残っていた。斧が食い込まず、押し込むように打っている証拠だ。
「普段、見せてみろ」
男は少し気恥ずかしそうにしながらも、斧を受け取って目の前の細めの木に向かった。そして何度か打ち込む。
確かに、悪くない振りだ。
腰は入っているし、腕だけで叩いているわけでもない。だが斧が悪い。重さが前に出すぎて振り抜きが鈍る。食い込みも浅く、切り口が汚い。そのせいで一打ごとに余計な力が要る。これでは半日で腕が終わるのも当然だ。
「振り方の問題じゃないな」
「だろ?」
「七割は道具だ」
「七割かあ」
「いや、八割かもしれん」
そう言うと、男は思わず笑った。
「そんなにはっきり言われると逆に気分がいいな」
俺は切り株の断面に触れた。木の繊維が思ったより粘る。乾くとさらに手強くなるだろう。なら、刃先を薄くしすぎると負ける。かといって鈍角すぎれば入らない。必要なのは、木への入りと粘りのちょうど中間だ。
「薪割り用と伐り倒し用、同じ斧か」
「一本でやってる」
「無茶だな」
「二本も持てねえよ」
その返しで、大体の事情は分かった。余裕がないのだ。村の木こりが用途ごとに道具を揃えられるほど、暮らしは楽ではない。なら一本で何役かこなせる形にするしかない。
俺は男の手を見た。掌の厚み、指の長さ、握り癖。柄の太さも今のものでは合っていない。少しだけ細く、しかも末端へ向けて抜けが悪い。握ったまま手首を返す動きが重くなるはずだ。
「名前は」
「ん?」
「おまえ」
「ああ。ガロだ」
「そうか、ガロ。斧は作り直す」
「打ち直しじゃなくてか?」
「この形は直しても中途半端だ。木と手に合わせて最初からやる」
「……できるのか」
「やる」
言い切ると、横でリッカが小さく「かっけえ」と呟いた。無視する。
拠点へ戻る道すがら、俺は頭の中で斧の形を組み立てていた。重心は今より少し手前に寄せる。頭は無駄な肉を削る。刃は広げすぎず、しかし一点に食い込みすぎないよう緩い弧をつける。柄はガロの手に合わせて、握りで遊ばない太さにする。一本で伐りと割りをそこそこ両立させるなら、そのくらいがいい。
炉に火を入れ、材料を選ぶ。
斧は包丁とは違う。食い込むだけでは駄目で、衝撃を受け止める粘りが要る。今の俺の設備で理想を言えばきりがないが、それでも拾った鉱石の中から比較的素直なものを選び、不純物の多い部分は避ける。必要なら少し厚みを残して、研ぎで形を詰める。
ガロは言われた通り、少し離れた場所で待っていた。リッカは勝手に見学位置を決めて座っている。追い返そうかと思ったが、もう面倒なので放っておく。
火に入れ、色を見る。
斧は道具だ。派手である必要はない。だが、働く道具ほど誤魔化しが利かない。使えばすぐに分かる。だからこそ手が抜けない。
ごん、ごん、ごん。
鈍い音が続く。包丁の時より厚みを意識して打つ。刃先だけを作るのではなく、頭全体の重量配分を決めながら肉を寄せる。目立たないが、こういうところで振り心地は変わる。
「そこ、ちょっと厚めに残すんだな」
「おまえは解説者か」
「気になって!」
「黙って見ろ」
「はい……」
返事はするが、たぶん全然黙っていない顔だった。
何度も火に戻し、打ち、また戻す。刃の開き方、頭のまとまり、柄を差す部分の収まり。簡易な設備ゆえに完璧ではないが、少なくとも今の斧よりはずっと理にかなう形へ近づいていく。
最後に柄を合わせる段で、俺はガロを呼んだ。
「握れ」
「おう」
仮に削った柄を持たせる。男は少し驚いた顔をした。
「今のより細いな」
「おまえの手ならこれで遊ばない」
「ん……ああ、たしかに」
振る動作を何度かさせる。手首の返し、肩の入り、足の運び。俺はそれを見て、柄の末端をさらに少しだけ削った。見た目には分からない程度の差だ。だが、そこが手に馴染むかどうかを決める。
完成した斧は、見た目だけなら地味だった。
装飾もない。磨き上げたような美しさもない。無骨で、働くためだけの顔をしている。だが、持てば分かる。重さが暴れない。手の中に収まる。振る前から、道具が仕事を邪魔しない感じがある。
「試せ」
俺はガロへ斧を渡した。
男は半信半疑の顔で受け取り、少し振って重さを確かめる。
「……軽い?」
「軽くはしてない。無駄を減らしただけだ」
「へえ」
ガロは山裾の林へ戻ると、目の前の木へ向き直った。握り直し、構え、振り下ろす。
ざくっ。
音が違った。
前の斧で打った時のような鈍い衝撃音ではない。刃が木へ入って、素直に繊維を割りながら止まる音だ。ガロの肩が小さく跳ねる。驚いたのだろう。
「もう一回だ」
「……お、おう」
二打目。三打目。切り口が揃う。斧が暴れない。振り抜きも軽い。前の斧なら、打つたびに手元へ嫌な痺れが残っていたはずだ。だが今は違う。衝撃が抜けている。
ガロの顔つきが変わった。
「なんだこれ」
「食い込みが違うだろ」
「違うっていうか……戻りが軽い」
「だから次が早い」
「腕が、楽だ」
男は信じられないものを見るみたいに斧を見下ろした。そして今度は少し太めの木へ向かい、何度か打ち込む。食い込みも抜けも、やはり今までよりずっといい。切り口が荒れず、力が逃げていない。
横で見ていたリッカが、ついに我慢できなくなったように叫んだ。
「うわ、ぜんっぜん違う!」
「だから黙って見ろ」
「無理だろこれ!」
「気持ちは分かるが黙れ」
ガロはしばらく夢中で何本か試したあと、ようやく斧を下ろした。息は上がっているが、前の斧を振った時みたいな嫌な疲れ方ではないのが見て取れる。腕を開閉して確かめ、肩を回し、それからゆっくり俺を見た。
「……こんなに違うのか」
その声には、本気の驚きがあった。
「切れるだけじゃねえな」
「働く道具はそれだけじゃ駄目だ」
「だよな」
ガロは斧を両手で持ち直し、しばらく黙っていた。それから、不器用なくらい真っ直ぐに頭を下げた。
「助かった」
短い言葉だったが、軽くはなかった。
「今まで、腕が鈍ったのかと思ってた。年のせいかとも。でも違ったんだな」
「少しは鈍ってるかもしれん」
「ひどいな、おい」
そう言いながらも、ガロは笑っていた。さっきまでの半信半疑の顔はもうない。手にした斧を、ちゃんと相棒として見始めている目だった。
「女将さんが言ってた通りだ。あんた、道具の作り方が変だ」
「変ってなんだ」
「使うやつの仕事ごと変えちまう方の変だよ」
言われて、少しだけ言葉に詰まる。
自分では当たり前のことをしているつもりだった。相手の手を見て、仕事を見て、道具を合わせる。ただそれだけだ。だが、使う側から見ればそれは十分に特別なことなのかもしれない。
ガロは斧を肩に担ぎ、村の方へ戻っていった。帰り際、何度も握りを確かめていたのが見えた。気に入ったらしい。悪くない。
静けさが戻る。
リッカはまだ興奮した顔で何か言いたそうだったが、俺が見るとさすがに少しだけ口をつぐんだ。
「……今の、見たか」
「見た」
「弟子に」
「しない」
「まだ何も言ってない!」
「言う気だっただろ」
「ばれたか……」
ばればれだ。
結局、リッカはその日も少しだけ薪の整理をしてから、また明日来ると勝手に宣言して帰っていった。だから来るな、と最後まで言ったが、たぶん効果はない。
俺は小さくため息をつき、炉の様子を見に戻った。
すると、工房らしきものの外、道具台の近くに見慣れないものが置かれているのに気づいた。
籠だ。
近づいてみると、中にはいくつかの根菜と青い葉物、それから小ぶりの瓜が入っていた。新しい。今さっき置かれたものだろう。周囲を見回しても、もう誰もいない。
「……ガロか」
礼を言うのが照れくさくて、置いていったのかもしれない。あるいは村の誰かが、話を聞いて先に持ってきたのか。どちらにせよ、悪い気はしなかった。
言葉にしなくても伝わるものがある。
包丁一本。斧一本。そういう道具が誰かの仕事を軽くして、その分だけこちらへ何かが返ってくる。対価と言えばそれまでだが、ただの取引より少し温かい。
籠を持ち上げる。
根菜の土の匂いがした。
俺はそれを小屋の中へ運びながら、ふと気づく。
村が少しずつ、俺のことを「森の外の変なやつ」ではなく、「道具を打つやつ」として見始めているのかもしれない。
それは静かな暮らしにとって、良いことなのか悪いことなのか、まだ分からない。
ただひとつ言えるのは、こういう形で置かれた野菜籠は、思っていたよりずっと悪くなかったということだった。




