第42話 折れた鋤先は、誰の仕事か
問題というものは、だいたい誰かの悪意ではなく、悪意のなさから始まる。
その日の昼過ぎ、工房へ来た村人はまさにそういう顔をしていた。
中年の農夫で、手には折れた鋤先を抱えている。顔には露骨な焦り。つまり急ぎだ。畑で使う道具が折れれば、その日の仕事が止まる。
「頼む、これ見てもらえねえか」
男はほとんど開口一番に言った。
「鋤先か」
「ああ。さっき石噛んじまってな」
俺は鋤先を受け取った。完全に駄目というわけではない。継ぎ直しと締めでどうにか持たせられる範囲だ。問題はそこではない。
これは、本来なら村鍛冶の仕事だ。
リッカもそれを分かっているのだろう。横で、少しだけ顔が硬くなっていた。
「親父んとこ、行かなかったのか」
リッカが先に聞く。
「行ったさ。でも今、馬車の輪金やってて手が離せねえって」
「……」
「今日はこのままだと畑が止まる。だから、近い方へ来た」
悪気はない。
むしろ、ものすごくまっとうな理由だ。
近い方へ来た。急ぎだから。
それだけだ。
だからこそ厄介だった。
俺は鋤先を見下ろしたまま考える。直せる。今の工房でも十分直せる。しかも急ぎなら、受けた方が村人は助かる。だが、その一方でこれは村鍛冶の領分でもある。
リッカが小さく言う。
「……どうする」
「直すしかないだろ」
そう答えたのは、たぶん俺の性分だった。
目の前で畑が止まると言われて、直せるものを「それは他所の仕事だから」と突っぱねるのは、どうにも腹に収まらない。
だが、だからといって何も考えず受けるのも違う。
「ただし」
俺は農夫へ向かって言った。
「次から、急ぎでなければ親父のところへ持っていけ」
「……ああ」
「俺が何でも受けるわけじゃない」
「分かってる」
「ほんとか?」
「た、たぶん」
たぶん、では困るのだが、今はそれ以上言っている暇もない。
炉に火を入れ、鋤先の割れた部分を見ながら、継ぐための準備をする。リッカは無言で炭を寄せ、水桶を近くへ動かした。口を挟まないあたり、この件の重さが分かっているらしい。
火の前に座りながら、俺は少しだけ歯がゆかった。
これは鍛冶の問題でもあり、場所の問題でもあり、人間関係の問題でもある。だが、いま目の前にある鋤先は、そういう事情を待ってくれない。だから先に手を動かすしかない。
直し終えて農夫へ返す頃には、陽が少し傾いていた。
「助かった」
男は何度も頭を下げた。
「でも、次はちゃんと親父んとこ行く」
「そうしろ」
「……悪い」
「悪いと思うなら急ぎでなければ最初からそっちへ行け」
「ああ」
男は本気でそう思っている顔だった。
だからこそ、この境界の曖昧さは今後もっと厄介になるだろうと、俺は感じ始めていた。




