第39話 試し切りは、女将のまな板の上で
新しい包丁は、翌日の朝には一応の形になっていた。
まだ完璧ではない。柄の微調整もいるし、長く使った時の手応えまでは実際に動かしてみなければ分からない。だが、工房でいくら考えていても答えは出ない。こういうものは、結局使う場所へ持っていくのがいちばん早い。
というわけで、俺は包丁を布へ包み、村の食堂へ向かった。
「また来たね」
女将は俺の顔を見るなりそう言った。
「今日は何だい。包丁か?」
「見れば分かる」
「最近そればっかりだねえ」
そう言いながらも、女将の目はもう包みに向いていた。前に打った包丁で十分に助かっているからこそ、新しいものを持ってきた理由も何となく察しているのだろう。
俺は包みを開いて差し出す。
「……少し変えた」
「少し、ねえ」
女将は受け取って重さを見る。その瞬間、表情がわずかに変わった。
「前より軽い?」
「軽くしすぎてはいない」
「ふうん」
疑い半分、期待半分といった顔で、女将は調理台へ戻った。ちょうど仕込みの時間で、根菜、葉物、肉が並んでいる。ここで試してもらうにはちょうどいい。
最初の一刀は、前の包丁と比べるためか、少し慎重だった。
とん。
切れる。だがそれだけではない。手元の止まり方が前より柔らかい。女将もすぐそこに気づいたらしく、二度、三度と続けて動かした。
「……あれ」
「何だ」
「流れるね」
「そうなるようにした」
「でも、前みたいに頼りない軽さじゃない」
「根菜で負けたら意味がない」
「へえ」
次に女将は根菜へ刃を入れる。前の包丁でも切れた。だが今回は、押し切るより少し手前で刃が走る感じがあった。手首の返しが軽く、次の動きへつながる。
「これ、前より“速くなる”感じだ」
「少しだけな」
「少しでも、台所じゃ大きいんだよ」
女将はそう言いながら、今度は葉物をまとめて刻む。細かい切り返しの時の流れは、前より明らかにいい。村の台所に町の速さをそのまま持ち込む必要はない。だが、少しだけ滑らかになるだけで、手は楽になる。
女将は包丁を止め、手の中で持ち替えながら言った。
「前の包丁でも十分ありがたかったんだけどね」
「なら使うな」
「そうじゃないよ」
女将はにやりと笑った。
「これ、欲しがる人増えるよ」
「やめろ」
「なんでだい」
「増えると面倒だ」
「でも増える」
「増えなくていい」
「その嫌そうな顔、最近よく見るねえ」
そこへ、店の奥から若い女が顔を出した。女将の手元の包丁に気づいて目を丸くする。
「また新しいの?」
「森の鍛冶屋がね」
「ああ、あの……」
「“あの”が付くな」
俺が低く言うと、女たちは笑った。
笑われるのは好きじゃない。だが、仕事の場でこういう軽さが混じるのは、前ほど嫌ではなくなっている自分がいる。それもまた、少し面倒だった。
女将は包丁をもう一度握り直し、今度は意識して速く動かす。前の包丁より、明らかに流れが途切れない。
「町の空気、ちょっと入れたろ」
女将が言った。
「見たからな」
「へえ。で、それをそのままじゃなく、うち向けに戻した」
「まあな」
「なるほど、職人だ」
その言い方に、俺は返事をしなかった。
だが、女将の手の中で包丁がちゃんと働いているのを見て、胸の奥に小さな満足が落ちる。町を見て持ち帰ったものが、ただの知識で終わらず、村の台所へちゃんと還元できる。それは思っていた以上にいい感触だった。
帰り際、女将がぽつりと呟いた。
「これ、他の家でも欲しがるよ」
「だからやめろと言ってる」
「無理だね」
「そういうところだぞ」
「鍛冶がいいんだから、仕方ないだろう?」
その一言を否定しきれなかったのが、少しだけ悔しかった。




