第38話 町の流れを、村の台所へ落とし込む
町から戻って二日目の朝、工房の火はいつもより少しだけ忙しなかった。
いや、火そのものは変わらない。炭が赤くなり、細薪が乾いた音を立て、炉壁の土がじわりと熱を返すだけだ。変わったのは、火の前に座る俺の頭の中だった。
町の包丁を、村へ落とし込む。
言葉にすると簡単だが、やることは簡単ではない。村の台所と町の料理場は違う。女将の店で必要なのは、一日に何十人分も切り続ける速さそのものではない。だが、町で見た“流れの良さ”は、村の台所でもきっと役に立つ。
問題は、どこまで持ち込むかだ。
町のままでは軽すぎる。流れを優先しすぎれば、女将のように根菜も肉も一本でこなす台所では物足りない。逆に村の包丁そのままでは、あの「手が疲れにくい」感触には届かない。
つまり、中間を探る必要がある。
「また難しい顔してるな」
工房の前からリッカの声がした。
「来るなと言ったはずだ」
「今日も弟子未満です!」
「うるさい」
「で、包丁?」
「ああ」
「町のやつをそのまま真似するのか?」
「しない」
即答だった。
リッカが少しだけ目を丸くする。
「しないのか」
「当たり前だ。町の正解が村で正しいとは限らん」
「でも、町で見たやつ、良かったんだろ?」
「良かった。だから持ち帰る」
「同じじゃねえの?」
「違う」
俺は炉の脇に並べた材料を見た。村で手に入る範囲の鉄、今の工房で扱いやすい炭、それから柄に使う木。全部、町の仕事場とは条件が違う。だから、答えも変わる。
「真似は楽だ」
俺は言った。
「でも、それじゃ使うやつの仕事とずれる」
「……」
「村の女将は、町の親方みたいな速さで切るわけじゃない。だが、前より少し流れがよくなれば楽になる」
「なるほど」
「その“少し”を探す」
「うわ、難しいやつだ」
そうだ。難しい。だが、その難しさが面白い。
俺は火に鉄を入れた。町で見た包丁の重心を思い出し、村の女将の手首の返しを思い出し、両方を頭の中で重ねる。前を抜きすぎない。だが勝ちすぎてもいけない。刃の流れは少し長く、でも押し切りにも耐えるように腹へわずかに粘りを残す。
ごん、ごん、ごん。
石の叩き台へ鈍い音が落ちる。
リッカは最初のうちは横から覗き込んでいたが、途中から妙に静かになった。火色と形の変化を、かなり真剣に見ている。
「なあ」
少しして、リッカが小さく言う。
「何だ」
「前より、ちょっと迷ってるだろ」
「迷ってない」
「いや、迷ってる。悪い意味じゃなくて」
「……」
「前は“この人にはこれ”って感じで、もっと一直線だった」
「今回は、二つ見てるからな」
「村と町?」
「ああ」
こいつ、意外とそういうところを見ている。
俺は一度包丁を火へ戻し、息を送った。
「町を見たあとで村に戻ると、村の仕事の見え方も少し変わる」
「へえ」
「だから、前と同じようには打てん」
「でも、それっていいことなんだろ?」
「たぶんな」
「たぶん、か」
「試してみないと分からん」
その言葉に、リッカが頷く。
「真似じゃなくて、咀嚼してるって感じだな」
「どこでそんな言葉を覚えた」
「ミレナ」
「余計なことを吹き込まれてるな」
「でも合ってるだろ?」
「……まあな」
火から取り出した刃の形は、だいぶ見えてきた。町の流れを一度受け止め、それを村の台所へ戻す。そのための一本だ。
町の知見は、そのまま持ち込むものではない。工房の火で一度ほどき、自分の手の中で組み直して、ようやく村へ落ちる。
それが分かっただけでも、町へ行った意味はあったのかもしれなかった。
昼前、仮組みの段階まで来た包丁を持ち上げ、俺は小さく息を吐く。
「どうだ?」
リッカが聞く。
「まだ荒い」
「でも、なんか前の村包丁とも違うな」
「違う」
「町のでもない」
「そうだ」
「じゃあ、ちゃんと間のやつになってるんだ」
「……なるといいがな」
そう答えながら、胸の奥では少しだけ手応えがあった。




