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異世界のんびり鍛冶屋『ひっそり暮らしたい刀匠の異世界工房』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第37話 町の流れを、森の火でほどく

 町から戻った翌朝、工房の空気は少しだけ違っていた。


 森はいつも通り静かだ。沢の音も、葉擦れも、朝の湿った土の匂いも変わらない。小屋の壁は相変わらず粗く、炉だって立派とは言い難い。けれど、俺の頭の中だけが落ち着かなかった。


 試したいことがある。


 その感覚が、火を起こす前から指先のあたりにじわじわと集まっていた。


「起きるの早いな」

 背後から声がして、俺は振り向かずに言う。

「おまえが遅いだけだ」

「いや、今日はわざと早く来た」

「来るなと言ったはずだ」

「町帰りの次の日に来るなは無理だろ」


 もっともらしいことを言うな。


 リッカはいつものように工房の前へ入り込み、だが今日は妙に静かだった。いや、静かというほどではない。ただ、いつもより一歩だけ引いた位置に立っている。たぶん、俺が本気で何か考えている顔をしているのが分かるのだろう。


 そのくらいの機微は、こいつでも読むらしい。


 俺は昨日持ち帰った包みをほどいた。


 町の料理人の包丁。

 見習い鍛冶の細工刃。

 革職人の皮剥ぎ刃。


 並べると、それぞれ別の仕事の匂いがする。村の包丁や鎌とはまた違う、速さと数の匂いだ。


「まず包丁か」

 リッカが言う。

「ああ」

「町のやつ」

「そうだ」

「村の女将さんのと、どう変える?」

「うるさい」

「質問くらいさせろよ!」

「考えてる」

「じゃあ黙る」

「そうしろ」


 そう返すと、ほんとうに少しだけ黙った。


 俺は包丁を持ち上げ、重さの流れをもう一度確かめる。


 町の仕事場は速かった。量が多く、包丁を置く暇もなく、次から次へと食材が流れていた。あの中で必要なのは、ただ切れる刃ではない。数をこなしても手首が死なず、流れを止めず、それでいて根菜にも負けない包丁だ。


 村の女将の包丁は「押しても入る」ことに意味があった。

 町の包丁は「流しても止まらない」ことに意味がある。


 似ているようで、違う。


「……腹の肉、少し抜くか」

 思わず独り言が漏れる。

「やっぱりそこか」

「黙るんじゃなかったのか」

「だって今、めっちゃ大事そうなこと言った」

「聞き流せ」

「無理」


 無理だろうなとは思っていた。


 俺は火を起こす。灰の中の火種は昨夜のうちに残してある。細薪を組み、炭を足し、風を送る。火の色が変わり始めると、頭の中の散らばった考えも少しずつ一つにまとまっていく。


 いい。

 今日は、いい。


 町で見たことを試すにはちょうどいい朝だ。


 リッカがじっと見ている気配がする。いつもならもっと口を挟むところだが、火を見ている俺の邪魔をすると本気で怒られると分かっているのか、今日はまだ控えめだった。


「炭、昨日の乾いてるやつ出すか?」

 少ししてから、ようやく遠慮がちに聞いてくる。

「……ああ。大きいの二つ、小さいの四つ」

「了解」


 返事だけはよく、しかも動きも早い。


 そういうところだけ、本当に使いやすいのが腹立たしい。


 炭が入り、炉の熱が立ち上がる。俺は包丁を前に、頭の中でもう一度町の料理場を思い出した。作業台の高さ、親方の手首の返し、刻む速度、包丁を持ち替える瞬間の無駄のなさ。


 村の台所では、一本の包丁が一日の飯を支える。

 町の台所では、一本の包丁が店の流れそのものを支える。


 そこを間違えると、ただの「よく切れる包丁」で終わる。


 火色を見て、金属を取り出す。


 石の叩き台に置き、丸石の槌を当てる。


 ごん、ごん、ごん。


 鈍い音。だが、いま欲しいのは美しい響きではない。腹の肉の落とし方、刃の抜け方、手元の残し方。それを形にすることの方が先だ。


「前を軽くするのか?」

 リッカが聞く。

「軽くしすぎると駄目だ」

「でも重いんだろ?」

「重いんじゃない。流れに対して前が勝ちすぎてる」

「……難しいな」

「仕事場が違うと、そうなる」

「村の包丁なら?」

「多少勝ってても押せる」

「町は押してる暇がねえ」

「そういうことだ」


 言いながら打つ。熱を見て、戻して、また打つ。村の包丁を直す時より、ほんの少しだけ刃の流れを長く取る。だが根菜を相手にした時の粘りは残したい。だから抜きすぎない。


 この「抜きすぎない」が難しい。


 村へ寄せすぎても駄目。

 町へ寄せすぎても駄目。


 あの親方の手と、あの仕事場の速度と、包丁一本で受け持つ量。その全部を、今この森の工房で思い出しながら形にしていく。


 面白い。


 気づけばそう思っていた。


 町は面倒だ。人も多いし、音も多い。だが、持ち帰った仕事の課題をここでほどいていくのは、思った以上に面白かった。


「顔、ちょっといい感じだな」

 リッカがぽつりと言う。

「うるさい」

「いや、町行く前より、今の方が職人っぽい」

「前から職人だ」

「分かってるけど、なんか今は“工房に戻ってきた”顔してる」

「……」

「やっぱ、ここが本拠地なんだな」


 その言い方に、少しだけ手が止まりかけた。


 本拠地。


 そんな大層なものではない。粗末な小屋と、仮設の炉と、道具台と、椅子が二つ。雨が強ければ不安になるし、風が変われば炭の置き場も気にしなければならない。工房と呼ぶにはまだ足りないところだらけだ。


 それでも、町から戻ってきた今、それを否定しきれなかった。


 ここへ戻ってきたから、試せる。

 ここに火があるから、仕事をほどける。


 それはもう、ただの寝床ではない。


「……まあな」

 小さく返すと、リッカが少しだけうれしそうに笑った。

「認めた」

「何を」

「工房」

「前からそう言ってる」

「そうじゃなくて、気持ちの方」

「うるさい」


 そこから先は、また火と音の時間になった。


 ごん、ごん、ごん。

 炭の爆ぜる音。

 沢の音。

 リッカが時々薪を動かす音。


 静かではない。以前みたいな、火だけの静けさではもうない。だが、これも悪くなかった。いや、悪くないと思い始めている自分が、少しだけ面倒だった。


 昼前には、包丁の輪郭がだいぶ変わってきた。


 まだ仕上げには遠い。研ぎと柄の調整もある。だが、少なくとも町で見た速さを受け止める形には近づいている。


 俺は熱の引いた包丁を持ち上げ、光へかざした。


「どうだ?」

 リッカが聞く。

「まだ途中だ」

「でも前と違う」

「違う」

「町の流れ、入った?」

「少しはな」


 そう答えた時、工房の前の道から足音がした。


 振り向くと、村の女将が立っていた。手には布袋を下げている。


「あら、仕事中だったかい」

「見れば分かる」

「相変わらず愛想がないねえ」


 そう言いながらも、女将はすたすたと工房の前まで来た。もう遠慮の仕方が村の最初の頃と違う。完全に「寄れる場所」扱いだ。


「何だ」

「漬物用にちょっと細く刻みやすい包丁が欲しいって相談があってね」

「また増えるぞ」

 リッカが横で笑う。

「うるさい」

「でも、ちょうどいいじゃないか」

 女将が俺の手元の包丁を見た。

「町の包丁でも見て、何か考えてたんだろ?」


 なんでそういうところだけ勘がいいのか。


 俺は少しだけ顔をしかめたが、否定はしなかった。


「……試してる」

「だろうね」

「まだ町用だ」

「でも、それを村へ落とし込めるか考えてる顔してる」

「おまえもか」

「職人の顔ってやつかい?」


 やめてほしい。最近、まわりがやたらと俺の顔を読む。


 女将は布袋を椅子の上へ置いた。中には少しばかりの干し肉と香草が入っていた。


「礼だよ」

「まだ何もしてない」

「でもこれからするだろう?」

「勝手に決めるな」

「もう町の包丁まで見てるんだ。決まったようなもんだよ」


 その物言いに、俺は深いため息をついた。


 たしかに、町を見て帰ってきた以上、前と同じ村の仕事だけをそのまま繰り返すわけにはいかないのだろう。工房の火はもう、少しだけ外の仕事も持ち帰り始めている。


 面倒だ。

 だが、その面倒が次の鍛冶を生む。


 女将が帰ったあと、俺は包丁をもう一度見つめた。


 村の台所、町の台所。

 村の鎌、町の細工刃。

 違う仕事、違う速さ、違う疲れ方。


 工房は、そういう違いを持ち帰って試す場所になり始めている。


「なあ」

 リッカが静かに言った。

「何だ」

「次、また町行くのか?」

「知らん」

「でも、行くかもしれねえって顔してる」

「おまえ、本当に顔ばっかり見てるな」

「火と顔は大事だからな」

「妙にそれっぽいことを言うな」

「弟子未満だからな」


 最後で台無しだ。


 だが、その台無しさも含めて、今の工房の音なのかもしれなかった。


 俺は包丁を炉の前へ戻し、炭を少し足す。


 火が強くなる。

 形がまた少し変わる。

 新しい仕事の流れが、この森の中の工房で、少しずつほどかれていく。


 静かに暮らしたいだけなのに、気づけば課題は増え、人も増え、試したいことも増えていた。


 それでも、火の前に立てば、やることは変わらない。


 見て、考えて、打つ。


 その繰り返しの先に、また次の道具が生まれるのだろう。

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