第36話 戻ればそこに、火と弟子未満が待っている
工房の前まで戻ると、まず見えたのは煙だった。
細い。だがたしかに、灰の奥の火が生きている証拠の煙だ。朝に残した火種は、ちゃんとつながっていた。
そして、その煙より先に飛び出してきたのはリッカだった。
「おっせえ!!」
「帰ってきて第一声がそれか」
「町どうだった!? 包丁見た!? 鍛冶屋いた!? 店多かった!? 人多かった!?」
「多い」
「質問の答えが雑!」
こいつは一人で工房の前に立っていた。しかも腕を組んで。待っていたつもりらしい。見送った時と同じく偉そうだ。なぜそうなる。
だが、入口の前でこいつの声を聞いた時、少しだけ帰ってきた実感が強くなったのも事実だった。認めたくはないが。
俺はまず炉の前へ向かい、灰を寄せる。赤は残っていた。そこへ細い炭を足すと、すぐに火が息を吹き返す。
「よし」
思わず声に出る。
リッカが横でにやにやする。
「やっぱ火、気になってたろ」
「当たり前だ」
「町より工房の方が好きだろ」
「それも当たり前だ」
「でも町、収穫あった顔してる」
「……」
腹立たしいくらい、見ている。
「少しはな」
とだけ答えると、リッカの目が輝いた。
「話せ!」
「命令するな」
「じゃあ頼む!」
「やだ」
「なんでだよ!」
「うるさいからだ」
「理不尽!」
そう言いながらも、俺は道具台へ持ち帰った包みを置いた。包丁、小刀、細工刃。村の仕事だけでは見えなかった種類の課題が、いくつもそこにある。
火が戻っていくのを見ながら、俺はぽつりと言った。
「町の包丁は、村のより速く動く」
「おお」
「でも、そのぶん無駄な重さが疲れに出る」
「へえ」
「鍛冶屋は忙しすぎて、一本ごとには寄りづらい」
「うん」
「見習いは、形は作れても使う人の顔を見てない」
「……なるほど」
リッカはいつになく真面目な顔で聞いていた。
俺は自分でも少し驚く。気が向いたら話す、くらいのつもりだったのに、火の前へ戻ると不思議と口が動いた。工房の中で話す町の仕事は、どこか「持ち帰ったもの」みたいに感じられるからかもしれない。
「で?」
リッカが言う。
「で、何だ」
「おまえ、何試すんだ?」
「……まずは包丁だ」
「やっぱりか」
「町の流れを、村の手に合わせて噛み砕く」
「すげえ」
「すごくはない」
「でも、試したいこと増えたんだろ?」
「増えた」
そこは、もう否定しなかった。
火の前にしゃがみ、町の包丁をもう一度手に取る。町で見た仕事場の速さが、刃の減り方に重なって見える。そこへ村の台所や、女将の手の動きが頭の中で重なる。
試したい。
工房でやってみたい。
町へ行った面倒と、帰ってきた安心と、その両方を抱えたまま、俺は炉へ炭を足した。
「……試したいことが増えた」
口にすると、リッカが満足そうに笑う。
「いいじゃん」
「よくはない」
「でも顔はちょっと良さそうだぞ」
「うるさい」
そう返しながらも、俺はもう包丁の方へ意識を向けていた。
森の工房へ戻れば、結局やることは同じだ。
火を見て、素材を見て、使う人間の仕事を考える。
ただ、その視野が少しだけ広がった。
工房にはもう、森の静けさだけではない温度がある。
村の気配。
町の課題。
そして弟子未満の騒がしさ。
それらを抱えたまま、俺は新しい一本へ手を伸ばした。




