第27話 一本の包丁に、町の昼がかかっている
親方の店での観察は、思っていたよりずっと面白かった。
いや、面白いと言うと語弊があるかもしれない。仕事場としては忙しすぎるし、俺が長居して歓迎される空気でもない。だが、包丁の働き方を見るにはこれ以上ない場所だった。
親方が一通り仕込みの山を片づけたところで、俺は預かっていた包丁を手に取った。
「ちょっと貸せ」
「折るなよ」
「そんなことはしない」
「町の鍛冶屋でもそこまで自信満々には言わんぞ」
「町の鍛冶屋じゃないからな」
俺は調理台の隅を借り、持参した小さめの砥石と、店にあった水桶を使った。大がかりな打ち直しは無理だ。今できるのは、あくまで場に合わせた応急の調整だけ。
だが、それでも十分に分かることがある。
刃先の流れを整え、少しだけ腹の抜けを変える。重心そのものは今ここでは変えられないが、刃の入り方を変えるだけでも疲れ方はだいぶ違う。
「何をするつもりだ」
親方が横で腕を組む。
「今の仕事に合わせて、少しだけ素直にする」
「素直?」
「押し返してる癖を減らす」
「……分かるように言え」
「使えば分かる」
それがいちばん早い。
しばらく研ぎの音だけが続いた。見習い二人は露骨に気になっている顔でこちらを見ている。ミレナは店の隅で面白そうにその様子を眺めていた。あいつは本当に、こういう場面になると余計に楽しそうだ。
俺は包丁を返す。
「使え」
親方は疑い半分の顔で受け取り、目の前の野菜へ刃を当てた。
と、と、と。
音が少し変わる。
親方の手が止まった。
「……もう一回」
俺が言う。
親方は何も言わず、今度はもっと速く包丁を走らせた。刃がまっすぐ入る。前より押しつけが減っている。切るというより、流れている感じに近い。
「どうだ」
ミレナが楽しそうに聞く。
「……くそ」
親方が低く言う。
「腹立つな」
「なんでだ」
「少し触っただけで、こうも違うと腹立つんだよ」
それは褒め言葉として受け取っておく。
親方は続けて肉を切り、香草を刻み、根菜へ刃を入れた。最後には完全に目の色が変わっていた。
「なあ」
「何だ」
「これ、ちゃんと見て直せるのか」
「仕事場を見た以上は、前よりはできる」
「前より、ねえ」
「今は応急だ。本気でやるなら持ち帰る」
親方はしばらく黙り、やがて低く言った。
「頼む」
その一言は、村で包丁や鎌を預かる時とは少し違う重さがあった。町の料理場の昼は、この包丁一本にかかっている部分がある。だからこそ、頼む時の声も真剣なのだ。
それを受けてしまった以上、もう「見るだけ」の言い訳は少し苦しくなっていた。




