第26話 町の食堂は、包丁より先に速度で回る
裏口から通された瞬間、町の食堂の空気がまともにぶつかってきた。
熱い。
村の女将の店も決して静かではないが、ここはその比ではなかった。竈が三つ。大鍋が二つ。調理台が広く、その上に野菜、肉、香草、木皿、塩袋が迷いなく並んでいる。見習いらしい若い男が二人、怒鳴られながら走っていて、奥では太い腕の料理人が、まるで木を削るみたいな勢いで包丁を動かしていた。
「親方、連れてきたわよ」
ミレナが言う。
包丁を使っていた男が顔を上げる。年は三十代半ばくらいか。肩幅が広く、目つきは鋭い。だが、腕の動かし方は荒っぽいようでいて無駄が少ない。積み上げた数で覚えた人間の動きだ。
「森の鍛冶屋ってのは、あんたか」
「そう呼ばれてるらしい」
「らしい、ねえ」
料理人は俺を値踏みするみたいに見た。無理もない。森から出てきたわけの分からない男に、大事な包丁を触らせようとしているのだ。
「包丁は見た」
俺は先に言った。
「見ただけで何が分かる」
「少なくとも、村の包丁とは違う」
「ほう」
親方の片眉が少し上がる。
「言ってみろ」
「量が違う。刻みも多い。押し切りより流し気味だ。だが今の包丁は、そのわりに少し前が重い」
「……」
「最初はいいが、数を重ねると手首へ残る」
「……おい、ミレナ」
「なあに?」
「こいつ、本当に包丁見ただけか?」
「そうよ」
親方は俺をじっと見たあと、顎で調理台を示した。
「じゃあ見てろ。今から昼の仕込みだ」
俺は無言で頷いた。
見る。今日はそのために来たのだ。
調理台の横に立つと、仕事場の癖がよく分かる。台の高さは村の女将の店より少し高い。長時間、前傾で刻み続けるにはその方が楽なのだろう。食材の並びも速さ優先だ。切る順番の近いものが、利き手側から流れるように置かれている。
そして何より、包丁の往復が速い。
親方は野菜を引き寄せ、刃を当て、ほとんど止まらずに切っていく。村の台所が「一つずつ仕上げる」感じなら、こっちは「流れを止めずに片づける」感じだ。
「どうだ」
親方が手を止めずに言う。
「思った通りだ」
「何が」
「村より、包丁に求めるものが一段細かい」
「……へえ」
俺はそのまま、見習いの動きも見た。親方より明らかに疲れている。包丁の握りが強く、押しつけ気味だ。つまり、ここでは「使いこなせる人間」と「まだ道具に振られている人間」が混ざっている。
その差が、町の仕事場をさらに難しくしていた。
大量にこなしながら、使う人間も複数いる。なら包丁に求める最適も、一本の中で幅を持たせなければならない。
「……面倒だな」
思わず漏れた。
「何がだ?」
親方が聞く。
「包丁一本で、村より多くを背負わされてる」
「背負ってもらわなきゃ困るんでな」
親方はそこで初めて、少しだけ笑った。
その笑い方で分かった。この人は、ただ疑っているだけではない。いい仕事をする道具に飢えている。だからこそ厳しいのだ。
工房へ戻ったら、まず包丁の重心をもう一度考え直そう。
そう思った時点で、もう俺はこの仕事場を「面倒な場所」以上のものとして見始めていた。




