第13話 朝になるたび弟子が増えるのはおかしい
朝一番に見る顔として、あれほど望ましくないものも珍しい。
工房の入口で丸くなっていた毛布の塊は、夜のうちはただの災害予備軍に見えた。だが、白み始めた朝の光の中で見ると、それはちゃんと災害だった。毛布の端から飛び出した赤茶色の髪、ぐうぐうと遠慮のない寝息、そして昨夜読まされたふざけた板きれ。
「明日から本気で弟子やる」
どう考えても頭がおかしい。
俺はしばらく入口で腕を組み、その毛布の塊を見下ろしていた。夜のうちに叩き起こして森へ放り出すことも一瞬考えたが、さすがにそこまで鬼でもない。問題は、朝になった今もまだしっかり寝ていることだった。
おかしいだろう。
普通、他人の工房の入口で勝手に寝た人間は、夜が明ける前に気まずくなって逃げるものじゃないのか。少なくとも、気持ちよさそうに寝返りを打つ側ではない。
毛布の塊がもぞりと動いた。
「んん……鍛接はまだ……」
「寝言でも鍛冶か」
「……むにゃ……弟子……」
駄目だ、こいつ。
俺は深く息を吸い込み、それから容赦なく毛布の端をつまんで引いた。
「うわっ、冷たっ!?」
ばさっと毛布がめくれ、リッカが飛び起きる。髪はひどい有様だし、目は半分しか開いていない。だが声だけは朝から無駄に元気だった。
「お、おはようございます弟子です!」
「違う」
「朝一番で否定するなよ!」
「朝一番で工房の入口を占拠するな」
「それは……まあ、ちょっとやりすぎたかなって」
「ちょっとじゃない」
「でも追い返されると思ったし」
「追い返す」
「やっぱりな!」
何を当然みたいに言っているのか分からない。
リッカは毛布を抱えたまま立ち上がり、まだ寝起きの目をこすりながらも、まるでここが自分の持ち場みたいな顔で周囲を見回した。やめろ。その自然さが腹立たしい。
「帰れ」
「嫌だ」
「即答するな」
「帰ってもまた来るし」
「来るな」
「でも来る」
「断言するな」
「だったら朝からいた方が早いだろ」
リッカは胸を張ってそう言った。
理屈になっていない。まったくなっていない。だが、本人はものすごく得意げだった。どうやら名案を披露しているつもりらしい。頭が痛い。
「それで納得すると思うか」
「ちょっとは」
「しない」
「ええーっ」
「ええー、じゃない。人の工房の入口で寝るな」
「工房って認めた!」
「そこに食いつくな」
朝の森はもっと静かであるべきだ。沢の音と、鳥の声と、火の気配だけでいい。少なくとも、毛布にくるまったドワーフ娘と不毛な問答をするための時間ではない。
俺は額を押さえたくなったが、押さえたところで事態は好転しないのでやめた。代わりに毛布をリッカへ押し返す。
「持って帰れ」
「帰らない」
「それも持って帰れ」
「じゃあ今日の夜また使うから置いとく」
「泊まる前提で話すな」
「だってどうせ追い返されても来るし」
「来るな」
さっきから同じやり取りをしている気がする。いや、気のせいではない。こいつは本当に同じ話を表情だけ変えて繰り返している。
しかし、そんな押し問答をしているあいだにも、朝の仕事は待ってくれない。炉の火種は見ないといけないし、水も汲まなければならない。炭の具合も確かめたい。リッカと漫才みたいなことをしている場合ではないのだ。
俺は毛布ごとリッカを脇へ押しのけて、炉の方へ向かった。
「話は終わりだ。帰れ」
「終わってない!」
「終わってる」
「弟子入りの相談がまだ!」
「相談じゃなくて押しかけだろ」
「言い方!」
うるさい。
だがもう相手をしている暇はない。炉壁の一部を軽く叩き、昨夜の熱の残りを確かめる。灰の中にはまだ赤がある。悪くない。炭の減り具合も把握したい。
その背中に、なおもリッカの声が飛んできた。
「なあ、ほんとに駄目か?」
「駄目だ」
「なんで」
「静かに暮らしたい」
「その割に村の仕事は受けてるじゃん」
「困ってる刃物を放っておけないだけだ」
「それ、鍛冶屋としてはかなりいいやつでは?」
「違う」
「違わなくない?」
「黙れ」
「はーい……」
一応返事はする。
するのだが、たぶん全然諦めていない声だった。嫌な予感しかしない。案の定、ほんの数息置いただけで、今度は別の方向から声がした。
「じゃあせめて、仕事してるとこ見てていいか?」
「よくない」
「なんでだよ!」
「落ち着かない」
「慣れろよ!」
「なんで俺が」
「弟子を取るなら必要な能力だぞ!」
「だから取らない」
取る前提で話を進めるな。
俺が完全に無視を決め込み、水を汲むための容れ物を持って沢の方へ向かおうとした、その時だった。
背後で、薪の束が動く音がした。
嫌な予感で振り返ると、リッカが勝手に薪置き場の前にしゃがみ込んでいた。
「おい」
「うわ、これ昨日の雨気ちょっと残ってるな」
「おい」
「こっちの乾いてるやつ、炉の近く寄せとくぞ」
「勝手に触るな」
「でも今やった方が絶対いいだろ、これ」
「……」
「あと細いのと太いの混ざってるから分ける。朝は火上げたいだろ?」
「……」
言い返そうとして、一瞬だけ詰まった。
その手つきが、妙に迷いなく見えたからだ。
リッカは口ではうるさいが、薪を手にした瞬間だけ少し表情が変わる。軽いものと重いものを分け、乾きの甘いものは端へ避け、火を起こしやすい細薪を手前へ寄せる。その動きに無駄が少ない。
ただの思いつきでやっているのではなく、火を扱う場で見て覚えた手だった。
「……おまえ」
「ん?」
「誰に教わった」
「親父のとこ見てた」
「見てただけでそれか」
「あと勝手にやって怒鳴られてた」
そりゃ怒鳴られるだろう。
だが、納得もした。村鍛冶の家で育ったなら、火と薪と炭の扱いが身体に入っていてもおかしくない。むしろ、そこが分かっているからこそ余計に厄介だ。何もできないただの押しかけなら、強引に帰して終わりだった。だが、役に立つやつは追い返しづらい。
しかも本人は、その「役に立つ」をちゃんと自覚している顔をしていた。
「な? いた方が便利だろ?」
「便利かどうかと弟子は別だ」
「でも便利なんだな」
「認めてない」
「認めかけた顔してたぞ」
「してない」
「した」
「うるさい」
くそ、調子がいい。
リッカはにやにやしていたが、それ以上勝ち誇ることはせず、今度は本当に黙って薪を分け始めた。珍しい。黙れるのか。いや、五秒くらいかもしれないが、それでも進歩だ。
俺はひとまず水を汲みに沢へ向かった。
往復して戻るあいだ、もし工房が滅茶苦茶になっていたら本気で村まで引きずって返しに行こうと思っていた。だが戻ってみると、薪はちゃんと種類ごとに分けられ、細薪は炉のそばへ寄せられ、炭の乾いたものまで陰へ移してある。
しかも、雑ではない。
手数はやや荒っぽいが、考え方が分かっている配置だ。
「……何やってる」
「見て分かるだろ」
「勝手に働くな」
「働いてるんじゃなくて、弟子としての素質を見せてる」
「見せなくていい」
「でも見ただろ?」
「見えてしまっただけだ」
リッカはそこで、ぐっと顔を寄せてきた。
「じゃあ、ちょっとだけでも認めたか?」
「認めてない」
「でも追い返してない」
「追い返しても帰らないからだろ」
「じゃあ居ていいんだな」
「そうはならない」
「なるだろ!」
「ならない」
また問答が始まる。
朝なのに、もう疲れていた。こんなに一日が騒がしく始まるのは明らかにおかしい。森の工房というのは、本来もっと孤独で、静かで、火の音だけが響く場所であるべきなのだ。それがどうして、目の前に毛布を抱えたドワーフ娘がいて、弟子入りの交渉をしているのか。
だが、こいつが本当に役に立つのも事実だった。
俺はそれを認めたくなくて、わざとぶっきらぼうに言った。
「……水」
「ん?」
「沢の水、こっちの桶にも入れてこい」
「おっ」
リッカの顔がぱっと明るくなる。
「仕事振ったな!?」
「弟子にじゃない。手が空いてるやつにだ」
「細かいなあ!」
「嫌ならやるな」
「やる!」
言うが早いか、リッカは空の桶を抱えて沢へ駆けていった。毛布はそのへんへ放り投げたままだ。あとで絶対忘れるだろう、と思ったが、それも別に困ることではないので放っておく。
俺は炉の前にしゃがみ込み、炭を足しながら、小さく息を吐いた。
完全に押し切られているわけではない。ないはずだ。
ただ、状況が少しずつ勝手に進んでいるだけで。
そう自分に言い聞かせたところで、沢の方からまた元気な声が飛んできた。
「水、二杯分入れとくぞー!」
「一杯でいい!」
「もう汲んじゃった!」
「だから勝手に増やすな!」
森に響く俺の声が、思いのほかよく通った。
静かな暮らしとは、いったい何だったのかと朝から問い直したくなるが、まだそこまでではない。まだ、たぶん。
しばらくして戻ってきたリッカは、本当に桶を二つ満たしていた。しかも片方は飲み水用、片方は作業用と、勝手に分けている。細かいところの勘がいいのが、本当に腹立たしい。
「な?」
「だから何がだ」
「いた方が便利」
「便利かもしれんが弟子ではない」
「そこ重要?」
「重要だ」
「うーん……」
リッカは少しだけ考える顔をした。
そして次の瞬間、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ見習い未満でいい!」
「何もよくない」
「弟子じゃない。見習いでもない。その手前!」
「そんな区分はない」
「今作った!」
「作るな」
「でも、勝手にいるだけならいいんだろ?」
その言葉に、俺は一瞬だけ黙った。
たしかに、弟子だとは認めていない。追い返したい気持ちは変わらない。だが現実として、こいつは今ここにいて、しかも薪を分け、水を汲み、炭の扱いまで分かっている。
それを全部否定しきるには、少しだけ役に立ちすぎていた。
俺は顔をしかめたまま、できるだけ冷たく言う。
「……弟子ではない。勝手にいるだけだ」
「よし!」
「よくない」
「見習い未満、リッカ! 本日より勝手に在籍します!」
「在籍するな」
だがリッカはもう、朝日より明るい顔で笑っていた。
俺はその顔を見て、心底面倒そうにため息をついた。
そしてそのため息が、昨日までより少しだけ深くなっていることに、自分ではまだ気づいていなかった。




