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異世界のんびり鍛冶屋『ひっそり暮らしたい刀匠の異世界工房』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第11話 行商人は、余計なものまで運んでくる

 朝の工房に、今や「誰かが来るかもしれない」という気配が混じるようになっていた。


 前までは違った。目を覚ませば、あるのは沢の音と、火の残りと、森の静けさだけだった。今も基本は同じだが、そこへ足音の予感が加わる。村人が包丁を抱えて来るかもしれない。鎌を持った誰かが立っているかもしれない。あるいは、頼んでもいないのに薪を持ったドワーフ娘が現れるかもしれない。


 その最後の可能性が一番高いのが癪だった。


 そして案の定というべきか、その日も朝からリッカはいた。


「おはよう弟子です!」

「違う」

「最近、否定の間が短くなってるな」

「慣れたくないのに慣れつつあるのが腹立たしい」

「へへっ」

「褒めてない」


 リッカは今日も勝手に薪を分け、炭の乾き具合を覗き込み、頼みもしないのに沢の水まで汲んできていた。おかげで仕事は進む。進むのだが、だからといって弟子にする気はない。ないのだが、朝の工房にリッカの声が混じるのも、もはや完全に非日常ではなくなってきている。


 それが嫌なのか嫌じゃないのか、自分でも少し分からなくなってきているのが面倒だった。


 俺は炉壁の一部を補修しながら、黙々と土を盛っていた。今日は大きな仕事の予定はない。村から預かっていた鎌を一つ研ぎ直し、小刀の柄を締め直し、それから時間があれば例の灰黒色の鉱石をまた少し試してみるつもりだった。


 静かで、悪くない一日になるはずだった。


「……ん?」


 先に気づいたのはリッカだった。


 森の外れへ顔を向け、耳をそばだてる。俺も手を止めて気配を探る。足音が二つ。いや、一つは人で、もう一つは車輪のような軋みだろうか。荷を引いているのかもしれない。


「村の人じゃねえな」

「分かるのか」

「歩き方が違う。あと、荷車っぽい音」


 たしかにそうだった。村人が工房に来る時の足音はもう少し遠慮がない。知っている道を歩く音だ。だが今近づいてくる気配には、初めての場所を探る慎重さと、それでもずんずん進む図太さが混じっていた。


 嫌な予感がする。


 俺の嫌な予感は最近よく当たる。


 木々の間から姿を現したのは、小柄な娘だった。年は俺とそう変わらないか、少し上かもしれない。栗色の髪をきっちり後ろで束ね、動きやすそうな上着の上に、荷物の多い革の肩掛けを斜めに提げている。後ろには小さな荷車。布や瓶や籠が雑多に積まれていた。


 娘は工房らしきものを見つけた瞬間、ぱっと目を細めた。


 あれは「発見した」顔ではなく、「当たりを引いた」顔だ。


 その時点で、俺の中の警戒はかなり上がった。


「へえ」


 娘は荷車を止めると、まず俺ではなく工房を見た。


 炉。

 道具台。

 積んだ炭。

 壁際の鉱石。

 乾かしている柄材。

 工房前の椅子。

 そこへ置かれた籠や薪。


 その全部を、一瞬で舐めるように見た。


 視線の動きだけで分かる。こいつはただの客じゃない。物の値打ちを測る目を持っている。


「あなたが、森の鍛冶屋さん?」


 声音は柔らかい。だが、その柔らかさに油断すると面倒なことになるタイプだと直感した。


「そう呼ばれてるらしい」

「ふふ、村で聞いた通りだ」


 娘はそう言って、にこりと笑う。


「私はミレナ。行商をしてるの。村の食堂で包丁の話を聞いて、木こりさんから斧の話も聞いて、これは見に来るしかないと思って」

「見たなら帰れ」

「うわ、ほんとに愛想がない」


 初対面にしては遠慮がなかった。


 リッカが横から胸を張る。


「こいつはこういうやつだぞ!」

「知ってる。女将さんが『仕事の話になると急に口が回る』って言ってた」

「余計なことしか広まってないな……」


 頭が痛い。


 ミレナと名乗った娘は、俺の露骨に嫌そうな顔をまるで気にしていなかった。むしろその反応すら面白がっている節がある。


 彼女は荷車の取っ手から手を離すと、工房の前の椅子に勝手に近づき、だが座る前に一度だけこちらを見た。


「座っていい?」

「……勝手にしてくれ」

「じゃあそうする」


 そうして本当に自然に腰を下ろす。


 その動きに迷いがない。商人というのはみんなこうなのか、それともこいつが特別なのか。とにかく、遠慮で時間を無駄にしない人間らしい。


「で、何が見たい」

「ううん、もうだいぶ見えた」


 そう言ってミレナは、指を一本立てた。


「まず、炉が仮設なのに、炭の質が村の鍛冶場よりいい」

「……」

「次に、置いてある刃物に“使われ方の癖”がちゃんとある。つまり、あなたは見た目じゃなくて相手の仕事に合わせて作る人」

「……」

「あと、この工房、物の流れがいい。道具の並び、炭と水の距離、作業位置。住む場所は適当なのに、仕事場だけ変に整ってる」

「適当で悪かったな」

「悪いとは言ってないわ。むしろ分かりやすい」


 言いながら、ミレナは楽しそうに目を細めた。


「あなた、自分では目立ちたくないと思ってるでしょう」

「思ってる」

「でも作る物は目立つのよ」

「目立たせたいわけじゃない」

「そういう人が一番厄介なの」


 即答だった。


 俺は露骨に嫌そうな顔をしたと思う。実際、嫌だった。「厄介」と言われて気分がいい人間は少ないだろうが、商売人の口から出るそれは、また別の意味を帯びて聞こえる。


 ミレナはそんな俺を見てもまったくひるまず、今度は荷車の中から包みを一つ取り出した。中に入っていたのは、使い込まれたがまだましな包丁だった。刃の減り方を見るに、そこそこ腕のいい料理人か、あるいは丁寧に使う人間のものだ。


「これ、町の料理人が使ってる包丁」

「なんでそんなもの持ってる」

「預かってるから。研ぎのついでに別の町へ持っていく予定だったの」

「で?」

「女将さんとこの包丁を見て思ったのよ。これ、あなたに見せたらどんな顔するかなって」


 やめてほしい。


 商売人のそういう「試す」感じは本当に苦手だ。


 だが、包丁を差し出されて、見ないわけにもいかない。俺は無言で受け取り、刃を眺めた。町の料理人が使うだけあって、村のものよりずっと手入れはいい。だが、それでも重心が少し前に逃げている。刃の流れも悪くないが、まだ少し押し気味だ。肉も野菜も一本でこなすには中途半端な作りだった。


「悪くない」

「でも?」

「でも、使う人間によっては疲れる」

「やっぱり、そこ見るんだ」


 ミレナは嬉しそうに笑った。


「女将さんがね、すごい顔して言うのよ。『あの森の鍛冶屋は、包丁一本で台所の疲れ方まで変えた』って」

「大げさだ」

「木こりさんは『半日振っても腕が死ななかった』って言ってたわ」

「……あの人、余計なことまで喋るな」

「喋るでしょうよ。だって商売になる話だもの」


 その言葉に、思わず眉間へ皺が寄った。


「ならない」

「なるの」

「ならなくていい」

「なるものはなるのよ」


 断言された。


 ミレナは荷車の上で指を組みながら、すっと真面目な顔になる。


「ねえ、分かってる?」

「何が」

「あなたの作る道具、“売れる”わよ」


 その言い方が嫌だった。いや、正確には「売れる」という言葉自体が嫌なのではない。ただ、目の前の商人が俺の仕事を見て、まずそこへ辿り着いたことに、ひどく嫌な予感がした。


「売るつもりはない」

「今は、でしょ」

「今も、だ」

「でも、欲しがる人は増える」

「増えなくていい」

「そう願っても増えるの」


 話が通じない。


 いや、通じてはいるのだろう。通じた上で、相手はその先の現実を口にしているだけだ。たぶん、それが商人の目というやつだ。


 ミレナは工房の前に置かれた籠や薪を顎で示した。


「もう始まってるじゃない。村の人たち、あなたにちゃんと対価を置いていくようになってる」

「……」

「包丁、鎌、斧、小刀。生活道具が変われば、働き方が変わる。働き方が変われば、その噂は村の中だけで終わらない」

「終わってほしい」

「無理ね」


 あっさり言われると、逆に腹が立つ。


「おまえ、勝手に広める気か」

「まだ何もしてないわ」

「“まだ”って言ったな」

「言った」


 にこやかに認めるな。


 リッカが横から口を挟む。


「でも、たしかにすげえもんな!」

「おまえは商売の話に乗るな」

「だって本当だし」

「正しいことほど面倒を増やす時がある」

「なんか名言っぽい!」


 名言じゃない。ただの本音だ。


 ミレナは立ち上がると、今度は本当に工房の中を一歩だけ覗き込んだ。俺は咄嗟に止めようとしたが、彼女はそれ以上踏み込まず、視線だけで中を追う。


「……へえ。ちゃんと、まだ先がある顔してる」

「何だそれ」

「今の仕事場、完成形じゃないでしょう」

「当たり前だ」

「なのに、すでに村の人が来る」

「来なくていい」

「でも来てる」


 ミレナはそう言って、少しだけ声音を落とした。


「こういう人ってね、自分では静かにやってるつもりでも、周りが放っておかないのよ」


 その言い方は、妙に現実味があった。


 たしかにそうだ。女将の包丁を直したところから始まって、斧を打ち、小刀を研ぎ、今では工房の前に籠や薪まで置かれるようになった。俺は別に客寄せをしたわけではない。ただ目の前の道具をまともにしただけだ。なのに結果として、人は増えている。


 認めたくないが、そういうことなのかもしれない。


 だからこそ嫌だった。


 このまま村の外まで噂が出たら、静かな暮らしはもっと遠のく。町だの商人だの、そういうものが絡み始めたら、俺の手の届く範囲では済まなくなる。


 俺ははっきりと嫌そうな顔で言った。


「広めるなよ」

「うーん」

「迷うな」

「だって、もったいないもの」

「俺には静かな方が大事だ」

「あなたには、でしょ」


 その一言が、妙に引っかかった。


 俺には、静かな方が大事だ。そうだ。それは間違いない。

 でも、目の前に困っている人間がいて、その人間の道具を少し直すだけで仕事が楽になるなら――そこを無視できない自分も、たしかにいる。


 ミレナはそこまで見抜いているような顔をしていた。


「あなた、自分のためだけに鍛冶してる人じゃないでしょう」

「……そんなことはない」

「そう? 本当にそうなら、村の包丁なんか放っておいたはずよ」


 返す言葉が、一瞬だけ出なかった。


 図星を刺された時、人は腹が立つ。


 腹は立つのだが、それ以上に面倒なのは、相手の言っていることを完全には否定しきれない時だった。


 俺が黙ったのを見て、ミレナはふっと笑った。勝ち誇った感じではなく、「やっぱりね」という確かめるような笑いだ。


「安心して。今すぐ町中へ大声で触れ回ったりはしないわ」

「信用できない」

「ひどい」

「初対面で“売れる”とか“広まる”とか言うやつをどう信用しろと」

「商人としては褒め言葉なのよ、それ」


 俺には全然褒めに聞こえない。


 ミレナは荷車の方へ戻り、包丁の包みをしまい直した。帰るらしい。ほっとしたのも束の間、彼女は取っ手を握ったまま、何でもないみたいな顔で振り返る。


「今度、町の料理人にこの包丁の話をしてもいい?」

「駄目だ」

「まだ話してないわよ?」

「その顔は話す気だろ」

「どうしようかしら」

「やめろ」

「うーん」


 絶対にやめない顔をしている。


 俺は全力で嫌そうな顔をした。隠す気もなかった。たぶんここ最近でいちばん露骨に嫌そうな顔をしていたと思う。


 ミレナはそれを見て、なぜか楽しそうに笑った。


「そんな顔しなくても」

「する」

「でも、そのうち町の人も来ると思うわよ」

「来なくていい」

「そういうこと言ってるうちに来るのよねえ、こういうのは」


 行商人の娘は、余計なものまで運んでくる。


 塩や布や瓶だけじゃない。噂と、流れと、面倒の種まで一緒に荷車へ積んでくるらしい。


 ミレナは軽く手を振ると、そのまま森の外れの道へ荷車を押していった。車輪の軋む音が少しずつ遠ざかる。リッカは「面白いやつだったな!」と気楽に言ったが、俺はまったく面白くなかった。


 嫌な予感しかしない。


 村の中だけで終わってくれればいいと思っていた工房の噂が、じわじわと外へにじみ出る気配がした。


 俺はしばらくその場に立ち尽くし、やがて深く息を吐く。


「……静かに暮らしたいだけなんだがな」


 誰に聞かせるでもなく零した言葉に、炉の灰が風で少しだけ揺れた。

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