第41話 ろくでなし二人組と着物の着付け
「……大丈夫なのか、これ」
20分程度で着付けが済み、カウンターの前で犬井さんを待ちながら腕や足を動かす。
着物のサイズはちょうどいい、帯は少し締まるが背筋が伸びる程度。ただ、袖がひらひらと動くのと、草履から踵がはみ出て落ち着かない。
草履はこれで適切らしいが……足袋で保護されているとはいえ、普段スニーカーを履いている身としてはパカパカとして脱げないか不安で仕方がない。
「歩き方は気をつけろよ、靴擦れしやすいから」
一緒に待っている笠村さんが自分の足元を指さす。
「男は若干ガニ股で歩くんだよ、小股ですり足気味にな。着地は踵じゃなくて足の裏全体で。あと、鼻緒に指を突っ込みすぎ。擦れるから引っ掛ける感じに履け」
そう言って足を隣に寄せ、自分が履いているのを見せてくる。
「は、はぁ」
言われた通りに少し歩いてみる……が正直、あまり変わらない気がする。
きっと普段の歩き方が体に染みついているからだろう。
言われたことを意識しながら姿見の前を歩いてみる。
「……」
鏡に映る姿はペンギンの様にぎこちなく、横では笠村さんが苦笑している。
「ま、まぁ、そのうち慣れるから大丈夫だろ。それよりさ――」
改めて草履を履き直し、鼻緒を余らせてみると指の間で擦れなくなり確かに楽になる。
足元に目を落として軽く足首を振ってみる中、笠村さんは唐突に口を開く。
「お前らさ、どっから来たの? 卒業旅行とか?」
「東京から修学旅行で――」
「えっマジ? 俺、修学旅行で行ったわ……修学旅行?」
口元に拳を当てて俯いた後、腑に落ちない表情で顔を上げる。
「遅くね? それに制服の集団も見てないし」
……どう説明するか。
たまたま悪天候で修学旅行が先延ばしになって、たまたま太宰府で犬井さんとバスに置いて行かれた。たまたま僕が大金を持ってて、たまたま同意書を用意できました……なんて信じてもらえる気がしない。
とはいえ聞かれた以上は答えないと失礼だ、最初のナンパに目を瞑れば笠村さんはとても丁寧にしてくれている。
「……も良さそう!」
「これも……ですね!」
犬井さんはまだ来ないかと耳を澄ますと、奥から途切れ途切れに彼女たちの楽しそうな声が聞こえる……髪留めか巾着を選んでいるようで、もう少し掛かりそうだ。
◇
「――という訳で……」
「お前ら、すっげえ事になってるな」
旅の始まりや行程、出来事をどうにか話し終えると、笠村さんは目を皿のように開く。
自殺のことを省きに省いたことで、説明は何とか数分に収まった。
「それにしても大分エラい事だぞ? 余裕で連日ニュースになるだろ」
そう言って笠村さんは僕らの高校の名前でニュースを検索する。だが、大したものが出てこないらしく残念そうに肩を落とす。
「ま、まぁ、今は気にしてないので――」
「それは気にしろよ! クソッ、いいなぁ……」
ひっくり返った声が上がり僕がハッとすると、彼はため息を吐いてグリグリと床のタイルの隙間をつま先でほじりだす。
「金があって、同級生の女子を連れて旅行、おまけにその女子はクソ可愛いと来た」
「は、はは……」
「マジでなんなんだよ。あのクソゴミ……いや、クソカスの近江と交換してくれよ」
「えっ」
今、近江さんのことを間違いなく『カス』と言った……訂正しかけたのに取り消してまで。
笠村さんは何か思い出しているのか、近江さんの名前を出した途端に表情がどんどん険しくなっていく。
「アイツ、まだ俺に――」
「あの、笠村さんって……近江さんと同居してるんじゃ?」
「あぁ? そうだけど?」
「それって、付き合ってたりは――」
「無い無い。だって――」
ため息を吐くと、面倒ごとを拾って諦めたような笑みが浮かべる。
「――同居っても、拾っただけだもん」
「えっ――」
「皆様お待たせしました! 着付けが終わりました!」
店の奥から顔を覗かせて上機嫌な近江さんの声がカウンターに響く。
「はい、内股で転ばないように! 1、2、1、2!」
近江さんが手を引いているようで、ペタペタと慣れない草履の足音が聞こえる。
犬井さんはどんな姿になったのだろうか……その思いで僕の胸は高鳴っていくが、頭の中に笠村さんの言葉がこびり付いて離れない。
……拾った? 何だか似た境遇を聞いた気がするが……嫌な予感しかしない。
「では、拍手でお迎え……えっ、どういう状況?」
犬井さんを暖簾の裏に隠したまま、僕らの視線が自分に向いていることに気が付いた近江さんの表情が強張っていく。
「何?」
「何でもない、な?」
笠村さんに横目で同意を求められ、なされるがままに頷く。
「とにかく! それでは、どうぞ!」
そうして気を取り直した近江さんによって暖簾が開けられる。
それはトボトボと慣れない、ひどく緊張した足取りで――
「ど、どう?」
――息が止まった。頭が真っ白になるのは何度目だろう。
暖簾を潜って出てきたのは、牡丹の模様が施された淡い桃色の生地の着物に身を包み、頬を朱く染める彼女だった。
明るい金の髪は花があしらわれた小振りなかんざしで一つのお団子にまとめられて、唇は口紅でも塗ったのか艶やかな桜色に濡れている。
天使、天女、美人、美少女……言葉を捏ね繰り回す度に、犬井さんをその程度の野暮なものに貶めてしまうような気がする。
「……似合ってるよ、すごく。綺麗」
どんなに褒めようと思っても、僕の語彙力などでは到底足りない。
「……ありがと」
指をモジモジとさせていた犬井さんは照れ臭そうに微笑み、さらに赤くなった頬を掻く。
その姿に思わず笑みが漏れそうになる口を押える。
そして、見とれているのは僕だけでなく――
「「……おぉ」」
――笠村さんと近江さんも目が釘付けになり、その場で固まっていた。
「なぁ……マジで交換しない?」
ハッとした笠村さんはそう耳打ちをしてくるが、その目は犬井さんから離れない。
「絶対に嫌です」
「本当に頼むッ……煮るなり焼くなり、全然沈めていいから」
「そこ、何コソコソ話してんの~? 犬井ちゃんがダメなら今度は男? ほら、犬井ちゃんが困ってるじゃん」
「げっ、クソ近江……」
近江さんは僕らの間に割って入り、話に置いて行かれてしまった犬井さんを指す。
「今月ピンチなんだろ笠村! 私だけじゃなくお前も働け!」
「テメェ、誰のせいだと思ってるんだよ!」
「あ、あの……」
笠村さんの荒くなっていく声に、犬井さんはオドオドしながらも止めに入る……が――
「いい加減金返せ! 立て替えてやった分、何年滞納する気だよ!」
「「えっ」」
僕と犬井の声が重なる――笠村さんに責め立てられた近江さんは「え~」と舌を出して誤魔化そうとしていた。
正直、笠村さんのことを……ろくでもないヒモか何かだと思っていた。突然犬井さんをナンパしようとしていたし。
「いいじゃん、少しずつ返してはいるんだからさ~」
それに比べて近江さんはしっかりした人だと思っていた。口はどうあれ、ちゃんとすべきところはできていた……ように感じたから。
だが――
「パチンコの景品の、賞味期限切れの缶詰めのことか? 返済として受け取った覚えは無えよッ!」
「えぇ~ケチぃ~! あれで私、料理作ったじゃん!」
逆なのかもしれない。
「殺すぞ! お前の両親にバレないように貸した20万がチャラになると思うなよ」
「グッ……で、でも、いつもテストの対策とか課題教えてんじゃん! 笠村、大学デビューしくじって過去問くれる友達いないし」
「そ、そうだが……アイツら聞いてるし、もっと小さい声でだな……」
「あ、あの……二人って同居してて、付き合ってるんじゃ――」
犬井さんは二人の顔を交互に見てオロオロとする、が――
「うんそうだよ!」 「絶対にない」
――悪い笑みの近江さん不機嫌そうな笠村さん。二人とも見事に食い違っている。
「ならどうして同居を?」
犬井さんのそばに移り、気になっていたことを口にすると二人とも表情を崩さず――
「いやぁね? 1年の秋に笠村が『家に住まないか?』って言ってきてね? 恥ずかしがっちゃって!」
近江さんは彼の目を伺い、得意そうに答える一方――
「生活費に手を付けて大家に追い出されて、『泊めてください』って駅前で泣きついてきたから仕方なく拾ってやったんだよ」
笠村さんはそんな彼女をゴミを見るような目で返す。
「ね、ねぇ、百瀬くん……これってさ」
「う、うん……」
僕らは顔を見合わせ、耳打ちをして出た結論に犬井さんと頷く。
……本当にまともなのは、笠村さんだったのかもしれない。
人は見た目によらない、というが……いくら何でも納得行かない。2人とも極端過ぎる。
◇
「じゃあ、ここらで行こう」
「うん!」
揉める二人が落ち着き、僕らが外に出ると後から二人が付いてくる。
「返却は6時半までに。遅れるとか、何かあったら連絡しろよ」
「はい」
「また後でね~犬井ちゃん!」
「はい! 近江さん!」
そうして手を振られながら僕らは店を後に――
「百瀬くん……」
二人が中に戻った頃を見計らって、犬井さんは足を止める。
「私が転んで汚しちゃったのに、その……」
振り返ると犬井さんは燃えるように頬を朱くして――
「ありがと……ね。百瀬くん……すごい、似合ってるよ」
――いつもニコニコしている彼女が、慣れない様子で笑っている。
「……よかった」
3時半。残り3時間で行き先は銀閣寺だけだというのに着物というのはやり過ぎかと思ったが……そんなことは無かった。
そうして僕らはそばのタクシー乗り場まで歩く……が、僕らが着付けをしている間に乗り場には列が生まれていた。
「……これはしばらく掛かりそうだね?」
ため息が漏れる僕を見て、犬井さんはクスクスと笑う。
「待ち時間、どうしようか……抹茶ソフトでも食べる? 買って来るけど」
「あはは! 百瀬くん、食べることばっかり! でも……いい?」
そう言って首を傾げる犬井さんはとても……素直に認めるのは少し恥ずかしいが――
――着物姿など関係なしに、ただ笑ってくれる彼女がとても……可愛い。
……と、浮かれた頭を振り、列を犬井さんに任せて僕は来た道を脱げそうな草履で引き返す。
◇
清水坂を登る途中で通り過ぎたソフトクリーム店に並ぶ中、ふと犬井さんのワンピースが頭をよぎる。
……もし着物を返したら、犬井さんはまた泥だらけの服を着るのだろうか?
◇
「いらっしゃいま……あれ、百瀬くんじゃん」
「……どうも」
考えれば考えるほど居ても立っても居られず、僕は列を抜け出してしまった。
パチンコや遊び過ぎ、デビュー失敗のエピソードだとかを沢山聞かされて気まずい……が、今は仕方ない。
「あの……」
「何? 私、これからパ……ひと山当てに行くんだけど」
普段着の緩いパーカーに身を包んだ近江さんはリュックを背負い直して僕を見つめる。
「お礼はするので、戻ってくるまでに犬井さんの服を……洗濯してもらうのって、できますか?」
「? あぁ~、泥がついてたもんね。でも、うちの店洗濯機ないし、規則的にキツイかなぁ」
そう言って面倒くさそうな苦笑いを浮かべて去ろうとする。
「これで、お願い出来ませんか?」
近江さんを呼び止め、僕は財布から五千円札を一枚出す……が――
「……私、クビにされたらヤバいし ……あんまり良くないよ、そういうの」
色々と聞かされて低く見ていたが、近江さんだってちゃんと真面目なところが――
「……じゃあ、もう一枚――」
「喜んでッ! いやぁ~いい彼氏だねぇ! 犬井ちゃんは幸せものだ!」
……気のせいかもしれない。
「じゃ、じゃあ……」
「はいッ!! 直ちに洗濯と乾燥、アイロンまでキッチリさせて頂きます!」
近江さんはお札を受け取ると僕の手を握り、握手の形でブンブンと手を振られる。
……これで良かったのだろうか?
「いらっしゃ……近江、何で!?」
「忘れ物! どけ!」
「おまっ、そっち従業員のロッカーじゃねぇぞ!」
笠村さんの悲鳴が聞こえる……いや、気のせいだ。ソフトクリームを買ったらすぐに戻ろう。




