第39話 宇治金時とハプニング
清水寺の舞台を抜けてからの僕らは奥の院のそばで写真を撮ったり、音羽の滝で水を一口飲んだりし、時刻は14時半を過ぎ――
「ねぇ百瀬くん! もう一回だけ! もう一回だけ見せて!」
「……」
道中の店で軽食を食べようと座敷に腰を下ろし、注文を終えても犬井さんはそう言って聞かない。
僕が渋々スマホを差し出すと、彼女は口を押さえるが――
「アハハっ! む、無理! 笑っちゃう!」
「……もう好きにしてくれ」
舞台で撮った写真が余程ツボに入ったのか、彼女は何度見ても飽きずに大笑いしている。
タイマーが0になる寸前、彼女は僕の腕を取ると肩を組み、顔を寄せた……が――
「ごめんって! でも百瀬くん、これは……プッ!」
――突然のことに動揺したせいで、写真に写っている僕の顔は振り向いた残像で3つになり、ホラーになってしまった。
おまけに隣で犬井さんの満面の笑みが綺麗に写っている分、余計に躍動感が増している有様だ。
「お待たせしました。宇治金時と宇治ミルク金時になります」
「「ありがとうございます!」」
エプロン姿の店員が注文の品を運んできたことでハッとした犬井さんは笑いを収め、ようやく終わったと僕はホッと胸をなで下ろした。
最初は抹茶のソフトクリームを食べ歩く予定だった。が、坂を下る途中で店先に立つ旗や宇治金時の写真を見た犬井さんは誤魔化しながらも食べたそうにしていたから、休憩がてらこの店に入った。
季節外れだが、ずっと歩いたことで火照ったし、名物だし……僕も食べたくなったから喜んでかき氷に変更した。あと靴擦れで小指が痛くて、少し休みたかった。
犬井さんの宇治金時は細かく削られた氷に抹茶のシロップがこれでもかと掛かっている。上にねっとりとした粒あん、その上に艶のある白玉が乗っている。
僕の宇治ミルク金時はたっぷりの餡子はそのままに、白玉の代わりにトロリと濃厚そうな練乳が山頂から器の底に向かって垂れている。
「今日さ、何だか結構歩いた気がしない? 距離はいつもと変わらないと思うんだけど」
犬井さんは話したいことが多かったのか、かき氷が溶けることを忘れて止まらない。
「そうかもね。地図で見ればそれなりだけど、結構高低差があるし。あと靴が履きなれないとか」
……まぁ、そうすぐに溶け切るものでもないし少しくらいはいいか。
「あぁ~! それありそう!」
犬井さんは楽しそうに人差し指を振って頷く。
その様子に僕は息が漏れる。
そして靴の中で指を動かし、擦れた小指の存在を確かめる。
「百瀬くん、今日ってこの後どこ行くの?」
「銀閣寺のつもり。移動に時間がかかるし、今日はそこで終わりかな。そろそろ食べよう、ドロドロじゃ美味しくないからさ」
「……あっ」
僕は溶けるのが我慢できずに、器の縁に置かれたスプーンを取る。
ふと顔を上げると犬井さんの瞳は僕の言った『何か』に引っかかったように寂しげに揺れていた。
「いただきます」
「いただき……ま、す……」
そう言って彼女も遅れてスプーンを握るが、微かに手が震え、器の縁に下ろすとスッと真顔になる。
「だ、大丈夫?」
「えっ、あっ! 何でもないよ! ……私がこんな豪華なの食べていいのかなぁって」
彼女は指をもじもじと合わせるが、咄嗟の言い訳なのは明らかだった。
……何か不安なことでもあるのだろうか?
「……あのさ」
これまで干渉されることを嫌って人を避け続けてきたくせに、いざ彼女のことが心配で踏み込もうとすると「どの口が言うんだ」という小恥ずかしさを覚えて目を逸らしてしまう。
「勘違いだといいけどさ。犬井さん、何かあるなら……言えないなら言えなくていいから、いつか言えるようになったら……教えてほしいな」
余計なお世話かも知れないが、紛れもない本心だ。それに、犬井さんは僕を救って……とまでは言わないが、一緒にいるとそんな気分になる。
だから暗い顔をして欲しくない。
「……うん」
目線を犬井さんに戻すと彼女は慣れない様子でほほ笑み、スプーンをギュッと握る。
「ありがとね……百瀬くん」
「……いいよ、別に。それより溶ける前に食べよう」
「そ、そうだね!」
そうしてスプーンを取り、雪のようにキメの細かい氷の山頂に突き刺すとサクッと軽い音が立つ。
宇治抹茶と練乳が半々の部分を掬い、口へ運ぶ。
舌の熱で氷がすっと溶ける。すると豊かな抹茶の爽やかで甘く、ほろ苦い風味がふんわりと鼻を抜け、舌は練乳の濃密な甘さに包まれる。
「んん~~!!」
犬井さんは一口食べると身悶えするような声を上げる。かく言う僕も「うま……」と思わず声が漏れる。
『脳へ素早く届く幸福感』とでもいうべき味。
エネルギー補充だとか電解質だとかで、疲れた時に体は甘いものを欲するのは理屈では分かっている。けれど、これ程とは……
「百瀬くんのってどう? こっちは白玉がモチモチで美味しいよ!」
「甘くて美味しいよ」
「も~! 抹茶は同じなんだから、そんなのわかってるよ!」
犬井さんは元気を取り戻したようで、目を輝かせている……とりあえず一安心だ。
「白玉1個あげるからさ、百瀬くんのちょっとちょうだい!」
「いいよ、好きなところ食べて」
そう言って僕は犬井さんの方へ器を寄せるが、犬井さんは微動だにせずニコニコしている。
「あの、犬井さん?」
「ん? なに?」
「食べないの?」
スプーンから手を放したまま笑みを崩さない彼女のせいか、それとも午後の暖かさのせいか、背筋に一筋の汗が伝っていく。
何となく分かるが……ただの自意識過剰であると思いたい。
「あのさぁ、百瀬くん」
「……何?」
犬井さんは少し呆れたように笑みを浮かべている。
「昨日さ、お茶漬け食べさせてあげたよね。膝枕もしたよね?」
「……はい」
「じゃあ、分かるよね?」
犬井さんは可笑しそうに「あー」と小さく開けた口をツンツンと指さす。
通りを歩く観光客や店内の人の視線を一身に集めている気がして、全身は一気に熱を帯び、居心地の悪さで肩を縮こまらせる。
「……膝枕は、無しだからな」
苦し紛れに文句を垂れながら、僕は練乳が多く掛かった所を掬う。
彼女はこちらの羞恥心などどこ吹く風で楽しそうに目を細めている。
「はいはい、あ~~ん」
「……」
他の客と絶対に目が合わないよう顔を伏せながら、スプーンを開いた口元に差し出す。
フッと肩の力の抜けた息が聞こえると、グイッとスプーンが引っ張られる。
「ん!? これすごい美味しいじゃん!」
顔を上げると犬井さんは口の横についた練乳を指で拭い、目を輝かせて僕のかき氷を見つめていた。
「ねぇ、もう一口! もう一口ちょうだい!」
そう言って犬井さんはエサを待つ雛鳥のように口を開けて待ち構える。
「もう自分で食べてくれよ。恥ずかしいから」
「えぇ~~、いいじゃん!」
「無理……」
耐え切れずに顔を覆うと、指の隙間からは犬井さんが『しょうがないなぁ』と言いたげに自分のスプーンに手を伸ばすのが見えた。
「は~い百瀬くん。白玉あげるね~、あ~~ん」
彼女は微笑みながらスプーンを僕の口元に伸ばす。
犬井さんは全く理解していない……というより楽しんでいる。よく見ると肩が震えていることが何よりの証拠だ。
参道に面した座敷に涼しい風が優しく吹き込み、そばの木々をそよそよと揺らすが、顔に溜まる熱は一向に冷めない。
「どうしたの、溶けちゃうよ?」
「はぁ……」
犬井さんにスプーンを揺らして急かされ、モヤモヤとした気分のまま覚悟を決める。
「んっ……」
人の目が無くなったタイミングを逃さず、一瞬でスプーンに乗った白玉と氷を口にする……金属のスプーン越しに彼女の体温が微かに伝わってくる気がして、やけに熱く感じる。
それに、ついさっきまで犬井さんの淡い色の唇が触れていたと思うと頭がショートしそうになる。
「どう? 美味しいでしょ?」
じっと見られながら、口の中の白玉を咀嚼する。
氷は口でジワッと溶け、白玉のツルツルモチモチとした食感は噛んでいて飽きない……けれど――
「うん……美味しいよ」
「でしょ~?」
――ひたすら咀嚼をするが、味がわからない。
不味いわけではなく……彼女にニヤニヤと見つめられて、味わうほどの余裕がない。
ようやく白玉を飲み込むと一気に気疲れが襲い、後ろに手を突いて天井に渡された梁を見上げる。
『これから銀閣寺もあるが、体力は足りるだろうか』などと考える中、向かいでは犬井さんは何かを企んでいるようにクスクスと笑っている。
「ねぇ百瀬くん?」
「……何?」
背筋で嫌な冷や汗が伝う。
「私、また『あ~ん』してあげたよね?」
「……」
「じゃあ、百瀬くん――」
「――もう一回、してくれるよね?」
◇
「ごめんって、百瀬くん! 意地悪しすぎちゃったのは謝るからお願い! 拗ねないでよぉ!」
「……拗ねてない」
犬井さんが後ろで何か言っているが、もう気にしない。
気を遣ってばかりの彼女が悪戯を仕掛けてくるようになったというのは大きな前進なのだろうが……少しやり過ぎだと思う。
「ここ、さっき歩いたよね? こっちで大丈夫なの?」
犬井さんはキョロキョロと心配そうにあたりを見回している。
そう、今は清水坂――来た道を引き返している。というのも――
「こっちに進まないとタクシーを拾えないんだよ……何度も置いて行かれてばかりだ、もうバスは信じない」
太宰府で2回、新山口と東萩で1回ずつ。バスに乗ろうとする度に逃しているのはもはや呪いに近い。
「タクシー!?」
駆け足で僕に追いつくと、犬井さんは僕を見上げて心配の表情を浮かべる。
「お金もそうだけど……百瀬くんは車酔い大丈夫なの?」
「……まぁ、何とかなるよ」
こう言うものの、正直不安だ。ここからタクシーで20分以上乗ることになる。
吐く……はしないだろうが、こんなことなら酔い止めを買っておけばよかった。
石畳が終わり、道がアスファルトに変わる。タクシー乗り場はすぐそこだ――
「あっ、あそこってタクシー乗り場だったん――わッ!!?」
――バタンと大きな音がして、犬井さんが視界から消える。
「あいたた……」
「大丈夫、犬井さん!?」
「あっ、うん!」
思わず声が裏返るが、犬井さんは何も起きていないかのように立ち上がる。
「ケガとかしてない?」
「つまづいちゃったけど、ちゃんと受けれたから大丈夫……あっ……」
転んだ部分を払おうと下を向いた犬井さんの顔から血の気が引いていく。
「本当に大丈……」
そう言いかけて足元に目を向ける――彼女の足元には泥の混じった大きな水溜りがあった。
「ごめんなさい。洋服、ちょっと……汚れちゃった」
「あの、犬井さん――」
声を掛けようとすると、犬井さんはスカートの汚れた部分が隠れるように体の向きを変える。
「あはは、大丈夫だよ。気にしないで」
そう言って、震える手で泥のついた白い生地を恐る恐る擦ろうとしては止まる。
「でも……」
「大丈夫……だから」
犬井さんは震えた笑みを浮かべ強がりを口にするが、泥の付いた部分を見ると目には涙が少しずつ溜まっていく。
……僕が拗ねて速足になったからこうなったのだろうか。
頭の中が罪悪感で満たされ、背負う十字架の重さに項垂れて目の前が暗くなっていく。
「お二人ともお似合いですよ。観光、楽しんで~」
「駆け込みだったけど、可愛いの見つかったね!」
「学割っていいね~」
どん底まで落ち込む僕らを神様は見放したのか、奥では嫌味なくらいにキャッキャッと女子の2人組がはしゃいでいる。
……憎む権利なんて微塵もないというのに、どうしても恨めしく思ってしまう。
「ねぇ、あそこの2人……大丈夫?」
『助けてくれよ』と縋る思いで顔を上げると、二人も僕らを心配する様子だった――
「……行こう」
考えるよりも先に、俯いて立ち尽くす犬井さんの手を引く。
――着物、レンタル。
「痛っ……えっ、あの、百瀬くん?」
手に力が入り過ぎているのかもしれない、けれど……一縷の望みというのはこんな気持ちなのだろうか。




