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第38話 多分、心配ない

 清水坂を進むこと数分。高所まで歩いたからか、辺りの空気は澄んでいて、呼吸をした時のスッとした感覚が心地いい。


「ここが清水寺だよね? あの見晴らしのいいお寺は?」


 仁王門をくぐると、目を輝かせる犬井さんはキョロキョロと首を回す。


「それはもう少し奥の本堂。ここら一帯全部含めて清水寺だよ」

「あっ、そういうことね!」


 「早とちりかぁ」と犬井さんは恥ずかしそうに舌を出す。


「景色、きっとすごいよね?」

「……」


 ワクワクしている様子の犬井さんの言葉に、僕の胸の奥で不安が湧いてくる。


 僕の中学の修学旅行は夏で、舞台から見渡す青々と茂る木々が絶景だった。

 3月31日、時期でいえば初春だけれどまだ肌はひんやり冷える。

 今年の冬は長く、開花が遅れているのもあり、桜の芽が開くのはもう少し後だ。


 桜の咲く春、緑が溢れる夏、燃えるような紅葉の秋の景色は有名だが……今の時期はあまり聞かない。


 手前に生えている木はかろうじて緑を保っているが、舞台から見える木々もそうとは限らない。


「大丈夫、百瀬くん?」


……期待に応えられるのだろうか。答えられなかったら、どう取り戻そう。


「……大丈夫、行こう」

「嘘。うつむいてるし、手をギュって握ってるし。絶対なにか悩んでるでしょ?」


 歩みの遅くなった僕に気付いて犬井さんは駆け寄ってくる。


「多分、『この先も大丈夫かな?』とかでしょ?」


 図星……とまでは言わないが、僕の口調や仕草を真似てからかってくる彼女に少しムッとなる。


「……なんだよ」

「心配ないって言ってるの!」


……君が望んでいるかは分からないけれど、僕はできることを全てしているつもりだというのに。


「先のことなんて私たちじゃどうしようもないし、考えたって仕方ないじゃん!」


 そう言って僕の手首を掴み――


「百瀬くんはいつも考え過ぎなんだからさ! 今日の残りはお休みして、一緒に何も考えないで回ろうよ!」

「ちょっ……転ぶぞ!」


――軽やかで危なっかしい足取りの犬井さんに手を引かれる。


「これ、雑誌に写ってた塔だよね! いつも本堂の横に写ってるやつ!」


 階段を上り切り、犬井さんは正面にそびえる塔を指さす。


「確か……三重塔だっけ?」


 賑わう人の群れと、昼の日差しを浴びて鮮やかに輝く漆塗りの朱色で目が眩みそうになる。


「百瀬くん、こういう歴史って感じの好きでしょ?」

「……もうちょっと木目とかの落ち着きが欲しいかな」

「そんなこと言って~! もぉ~!」


 ニヤニヤ笑って冗談交じりに肘で小突いてくる。


 いつも彼女の考えなし具合には呆れるが……けれど、今日はそれに合わせるのも面白いかもしれない。


 三重塔を過ぎて角を曲がると、犬井さんは目を大きく見開く。


「ねぇ! あの奥のが!?」


 どっしりと構える緑の丘を背景に、瓦張りの幅広の屋根がいくつも見える。


「うん、一番奥のが本堂だよ」

「うっ……」


 犬井さんはうずくまり、堪えた様子で――


「大丈夫か!? 足痛めた!?」

「うひょー!! あれが本堂!?」


 心配して損した。


 そう言って彼女はまた、僕の手を――


「ちょっ、手が!」


――握る。


「行こ行こ! 百瀬くん!」



◇



「……フンヌッッ!!」


「「「おおっ!!」」」


 ガタンという鈍い音に、周囲から歓声と拍手が上がる。


 弁慶の錫杖――実際に弁慶が使ったとされる、100キロ近くある杖。


 背丈を超える大きな錫杖を両手で掴み、顔を赤くして踏ん張るとガタンと音を立ててみせた……犬井さんが。


 慣れないヒールと細い腕のどこにそんな力があるのだろう。僕は隣の鉄下駄の片方(12キロ)でさえキツかったというのに。


「ねぇ、あそこ! 特に混んでるってことはさ!?」


 錫杖からパッと手を離し、ほんのり頬を上気させながら犬井さんは向こうを指さす。


「うん……清水の舞台だよ」


 人が入り乱れる中を歩き続けたというのに、犬井さんは疲れなど感じていないように目を輝かせる。


「行こっ!」


 僕の手首を捕まえた彼女は人の波をかき分けて進むと、視界から天井が消え、青い空と太陽が頭の上を覆う。


 舞台の手摺に身をもたれた犬井さんは景色を焼き付けるように目を見開く。


「……すごい。きれい」


 熱にでも浮かされたような、ボーっとした口調。

 けれど、確かに感嘆の温度を感じられた。


「そうだね」


……よかった。


 彼女の横に並び、手摺越しに同じように首を伸ばす。


 冬が終わったような、少し暖かい風が吹く。


 桜はまだ咲いていないし、緑だって生い茂っているわけでもない。

 一帯に広がる灰色、差し色の緑。派手さのない景色。



 なのに、どうしてこんなにも胸が躍るのだろうか。



「百瀬くんさ、今日まだ写真撮ってないよね?」

「うん」

「ここで撮ろうよ! 背景にしたらすごいよさそうじゃん!」


 声を弾ませる犬井さんに逆らう気が起きず、僕はポケットからスマホを出し、インカメラを起動する。


「百瀬くん、景色もいいけど可愛く撮ってよ?」

「……頑張るよ」


 景色に背を向け、腕を水平に伸ばしてシャッターボタンを押すと10、9、8とタイマーが進んでいく。


「可愛くって、こんな感じ?」


 7


「もうちょっと上……って行きすぎ行きすぎ!」


 6


「難しいな……」


 5


「そうそう! そのへんでキープ!」


 4


「百瀬くんも何かポーズ取ってよ! ピース以外で!」

「えっ」


 3


「ちょ、ピース以外って何があるんだよ!?」


 2


「もう! しょうがないんだから!」


 1



◇

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