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第34話 京都観光の計画 in 電車

 8時半。照り始める太陽と肩に食い込むバッグのストラップ、濡れて靴が重いまま駆け足のせいで気管が締め付けられるようだ。


「あの赤いのって、電車来てない?」


 犬井さんが指差す先では電車がホームに差し掛かり、緩やかに減速を始めていた。


「はぁ!? 急げ! 逃したら1時間待ちだぞ!」

「えぇ!?」


 残り十数メートル、僕らはなりふり構わず走る。

 レトロな駅舎に目もくれず、荒れた操作で券売機を動かし、息が整う間もなく出てきた切符を握り締めて車両へ飛び込むと、丁度ドアが閉まった。


「はぁ……危なかったね。荷物貸して?」

「ハァ、ハァ……たす、かる……おぇ……」


 立っていられずにドカリとシートに腰を下ろすと、犬井さんにバッグを棚へ上げてもらう。

 少し息が上がり、首筋にうっすらと健康的な汗を浮かべる彼女は向かいに腰を下ろすと、僕を見てニコリと微笑む。


 断末魔みたいな息をして、膝が笑っている僕は……靴を抜きにしても運動不足なのだろう、結構深刻な。


 3年生になったら、体力をつけよう。体育の成績を上げるためにも。


……それにしても、ローファーからグチャグチャと音がして不快だ。


「……途中で寄る広島か京都で、一緒に靴を新調しないか?」

「え、いいの!?」

「あぁ、やれることは全部やろう」





 開けた土地の豊かな木々の緑とせせらぐ川が減って、少しずつコンクリートが増えていく。

 噴き出す汗が落ち着いた頃に僕らは岩国駅へ到着した。


「これから広島まで1時間くらい乗るから、昼ご飯を……」


 用意しよう、そう言おうとした時にふと、一昨日の夫婦が握ってくれたおにぎりを思い出す。


「……僕はおにぎりがあるからいい。犬井さんは何か買う?」

「私もあるから大丈夫!」

「じゃあお茶でも買うか……いや、待て」


 一昨日握ってもらった、ということは――


「ダメだ、捨てよう」


 バッグから包みを取り出して見せた犬井さんは目を丸くする。


「えっ!? ダメ! もったいないよ!」


 そんなことは分かってる、けれど――


「昨日の湿気で傷んでる可能性が高いんだよ。昨日だって本当は――」

「えっ……」


 危なかった――そう言いかけた口を咄嗟に押さえる。

 それを聞いた犬井さんの顔からサッと血の気が引いていく。


「……何でもない。けど、食べるのはダメだ」

「でも、百瀬くんに食べさせ――」

「もちろん、握ってくれたおばさん達には申し訳ないよ」

「百瀬く――」

「でも、向こうだってお腹を壊してまで食べて欲しいなんて思ってないはずだよ」

「……分かった」


 そう言うと犬井さんはしょんぼりとして、僕が差し出した手に包みを置いた。

 夫婦と犬井さんの善意の重さがずっしりと腕に伝わり、胸が痛む。

 それに、彼女の空いた指先は微かに震えていた。


「お昼は、向こうでいいものを食べよう」

「……うん」


 彼女は頷くも、その表情は暗い……どうして僕は、こういう時に気が利かないんだ。


「……少しお手洗いに寄るから、先にコンビニで選んでて。すぐ戻るから」

「うん、わかった」


 そうしてトイレに行くふりをして犬井さんと別れる。

 それから構内を歩いて近くのゴミ箱を探し、4つ分の包みを放り込む。


「……ごめんなさい」


 ボトン、と底を打つ重い音。


 食べ物を粗末にするのは嫌いだが仕方ない――そう言い聞かせる。

 せめておばさん達の善意に謝ること、犬井さんの手でそれを捨てさせないことが償いになればいい。





 お手洗いを済ませて、駅の中のコンビニに向かうと入口に見覚えのある後ろ姿があった。


「お待たせ……って、何してるんだ?」

「おっ! ほほせふん! おっ……」

「あっ、お知り合いですか?」


 口いっぱいに頬張って、リスのように膨れた犬井さんがいたのは、もみじ饅頭の出張販売だった。


……それにしても切り替えが早いな。まぁ、暗くしているよりは断然いいのだけど。


「んぐっ……違うの! おにぎりは悲しかったけど、押し切られ――」

「この子、お腹空かせてたみたいで……お兄さんも試食、お一ついかがですか?」


 同い年くらいのニコニコした店員さんは小動物にエサを与えるように、一口大に切られた饅頭が刺さった串を次々と口元に差し出す。


……こうやって餌付けされたのか。


「いや、結構で――」

「おひとつ、どうぞ!」

「……ありがとうございます」


 この押しの強さにやられたのか……僕が来るまでに、一体いくつ食べたんだ。


 そんな恐ろしい考えを押さえこんで串を受け取り、口へ運ぶ。


 しっとりとしたカステラの生地はもっちりとした歯ごたえ。甘さは控えめながら、優しい卵の風味が口の中で広がり、くどさがない。中身は抹茶の餡でほのかな苦みと白あんの甘さがふんわりと舌に溶ける。


 朝からなにも食べていないからか、甘味を逃さないとばかりに唾液が尋常じゃなく分泌される。


「おいしいです……その、彼女が沢山食べさせて貰ったみたいですみません」

「全然いいよ~ あっ、こっちの味もあげるね~」

「あ、ありがとうございます……」


『こっちの味も』……ということは他にも何個か食べたな?


「お兄さん、お土産にいかがですか?」


 これ、買わないとダメなやつだ。


「……このアソートセットを1つ――」

「ん?」


 店員さん口元に笑みを浮かべて聞き返す――『口元に』だけ。

 その間にも店員さんは絶え間なく犬井さんに餌付けをしている、彼女の頬袋が弾けんばかりに。


「――2つください」

「お買い上げ、ありがとうございま~す! 梱包しちゃいますね~」


 そのまま店員さんは慣れた手つきで商品を見ずにクリーム色の紙で包むとテープで留め、紙袋に詰めて僕に手渡す。


……この商魂逞しさは誰かを思い出すが、止めておこう。就職の面倒を見るのは……お腹が痛くなってくる。


 広島から乗る新幹線で食べる軽食にしよう。

 犬井さんの分もだ。試食を食べ過ぎた分だ、有無は言わせない――


「……ごめんね、買わせちゃって」


――まぁ、別にいいか。





 9時を目前に3番線に止まっている糸崎行きの電車に乗り込む。始発であるからか、中は予想以上にガランとしていた。

 荷物をまた棚に上げて、向かい合う形で僕らはシートに座った。


 電車が動き始め、アナウンスが流れると犬井さんの視線は緑の増えていく景色に貼り付く。


「ねぇ、百瀬くん。広島までってどれくらいかかる?」

「1時間位だよ、着いたら新幹線のチケットを取ってそのまま――」


――そういえば忘れていた。


「犬井さん。今は2つプランを考えてるのだけど、選んでくれないかな?」

「え、いいの!? なになに?」


 犬井さんは身を乗り出すと、キラキラと輝く目で僕に近づく。


「1つは広島からそのまま京都に行く。12時前には着くから長めに観光ができる。もう一つは神戸に寄って――」

「京都がいい!」

「その、神戸は――」

「百瀬くんが元気になったから、百瀬くんと一緒に周るのが本当に楽しみだったの!」


 そう言って犬井さんは落ち着かない子供のように肩を揺らして、身をくねらせる。


 凄まじい熱量の彼女を、もう説得する気にはなれない。今まで迷惑を掛けた分、この先は望むようにしてあげたい。


「分かったよ、じゃあ真っ直ぐ京都に行こうか」

「やった!」


 行きたかったな、神戸……まぁ、また今度行けばいいか。


「京都着いたらさ! どこ行くかって決まってる?」

「まだ具体的には決めれてないから、一緒に決めよう」


 そう言ったと同時に途中駅である和木に到着し、停車時間の間に僕は棚からバッグを下ろし、雑誌を取り出す。


「嵐山とか金閣寺とか、犬井さんは行きたいところって決まってる?」

「うぅん……」


 犬井さんは京都のページの端から端を往復した末に――


「……百瀬くんが行った場所に行きたい。同じ景色が見たいなぁ~……なんて」


――膝に雑誌を置いて、指をもじもじさせる。


「……なら、全部周ろうか。夜も、明日の午後も使って」


 窓の外は相変わらずの快晴。太宰府での肌寒さを忘れさせるような、日差しの温かさ。


「靴を変えて、宿を取ってからだけど」

「うん!」


 きっと彼女はニコニコしている……と思う。気恥ずかしさで車窓の景色しか見れないから分からないけれど。

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