第35話 担任と神戸牛が通り過ぎる
「じゃあ、京都行きを2枚買うぞ」
奥行きのある空間、タイル張りの床、液晶ディスプレイの壁。近未来な雰囲気は空港さながらの広島駅。
「うん! ……って、そういえば!」
新幹線乗り場前の発券機で乗車券と特急券を買った時、犬井さんは雷に打たれたように体をビクッと硬直させた。
「さっきさ、プランって2つあったよね?」
「えっ、まぁそうだったけど」
「もう1個はどんなだったの? なんか気になっちゃって……」
そう言って恥ずかしそうに笑って、頭に手を当ててみせる。
「……京都の前に神戸に寄って、昼に神戸牛を食べようと――」
「こっ、神戸牛!?」
声が上がり、目を剥いた犬井さんはワナワナと震え出す。
そうして少し強張った笑みを浮かべ、落ち着かない様子で体をくねらせ――
「ね、ねぇ、百瀬くん……今から神戸に変更って――」
券売機がチケットを発行する無機質な音が、猫撫で声をかき消す。
「……もう買っちゃったよ、京都行き」
「お、おねが~い……」
「あと10分。時間が無い、行くよ」
◇
「もみじ饅頭……食べるか?」
「……抹茶味がいい、あと栗」
そっぽを向いて膨れる犬井さんに2つを差し出すと、弱ったようにおずおずと受け取った。
高速で流れる景色と、ノイズのように現れては消える電柱の数々を見ながら、犬井さんは包み紙を裂いて口へ運ぶ。
「神戸牛ぅ……」
犬井さんはモグモグと口を動かす傍らで、チラチラと目線を送ってくる。
「京都のこと考えよう、な? あっちでもっと美味しいものを食べよう」
「でもぉ……」
広島を出て、岡山を過ぎてからもずっとこの調子で胸が痛むが、ずっと煮え切らない様子なのは流石に……いや――
「……ちょっとトイレ行ってくる、饅頭は好きに食べてて」
「あっ……」
――少し頭を冷やそう。一度落ち着いて、忘れられるようなリカバリーを考えよう。
◇
連結部のスペースは静かで、空気がひんやりとして心地いい。
それと席に飲み物を忘れ、水でも買おうと思ったが、まさか自販機が無いのは想定外だった。
ホッと一息ついて、扉にもたれながら京都駅周辺の靴屋やホテル、グルメを探すと――
『非通知』
――こんな時に電話なんて、一体誰だ。
前のバイト先だったり、詐欺繋がりだったらと嫌な考えが過ぎる……が、どうせ大したことではないと応答を押す。
『よし! 繋がった!』
音質の悪いマイクで拾った、鼓膜をヤスリで削るようなガビガビとした声――
『百瀬! 今どこにいる!? 犬井も一緒にいるのか!? 親御さんに聞いたぞ! 早く帰ってきなさい!!』
――同級生のような若い声ではない、大人の焦った口調。
「……どちら様でしょうか」
『どちら様じゃない! 黒川、お前の担任!』
……僕らを置いて行った、どちら様以下じゃないか。
『もうみんな東京に昨日帰ってるんだぞ! いなくなってからクラスみんなお前のことを心配してるんだからな!?』
「……そうですか」
『なんだその態度は!? お前たちが他クラスの奴と席を替わったから――』
「してませんよ、そんなこと」
『……その上、時間通りに来ないから――』
僕らのせい、それが前提か。
「……集合時間は、何時ですか?」
頭が脈を打って、鼻息が荒くなる。
喉がヒリヒリと乾いて、アドレナリンが脳を満たしていくのが分かる。
『……それが何の――』
「いいから! しおりに何時と書かれている!」
『……3時――』
ははっ、と乾いた笑いが漏れる。
「ふざけるな! 僕らは2時50分にはロータリーに着いた! 先に行ったのだって全部覚えているんだ! 犬井さんだって楽しみにしてたんだぞ! それで僕らのせいか!? ふざけやがって!!」
キンッと擦れるような大声の残響。ゴンッ、という鈍い音。
その気は無かったが、気が付けば僕の左手は壁を殴りつけていた。
『……もも――』
電話越しの動揺した声にハッとして、後ろを振り返る。幸い、デッキには誰もいなかった。
「ごめんなさい、取り乱しました」
赤くなった拳の痺れる感覚が、頭に昇った血を冷ましていく。
ヒリヒリと痛むが、不思議と嫌な感覚ではない。むしろ憑き物が落ちたように頭がスッキリと冴え渡っていくのが分かる。
「とにかく、僕も犬井さんも無事です。あと数日で帰ります、それでは」
『お、オイ! 百瀬――』
言い切る前に通話を切って、そのまま電話番号をブラックリストに放り込んでやった。
ホーム画面に戻るとRUINには父さんからの『学校から連絡があったけど、大丈夫か?』という通知が来ていた。
『あと数日で帰ります。大丈夫です』とだけ返信する。
「……はぁ」
ようやく落ち着けたのか、魂が体からはみ出るような、軽い虚脱感が襲ってくる。
このまま席へ行こうと思ったが……一旦お手洗いで顔を洗って、もう少し京都について調べてから戻ることにした。
今日は3月31日。明日は大阪に言って、その次は名古屋。それで帰るから……
……残り3日か。日数を意識すると、少し寂しくなってくるな。
◇
必要な調べ事を終えると、新幹線は姫路に到着した。
「……お帰り、百瀬くん」
「うん、ただいま」
扉が開く前にそそくさと席に戻ると、犬井さんは少し強張った笑みを浮かべていた。
「あの……さっきはゴメンね、神戸のこと引きずっちゃって。嫌だったよね」
「大丈夫だよ、全然気にしてないから」
「でも……拳のところ、赤くなってるじゃん」
……なんでこういう時に鋭いんだ、一番バレたくない相手なのに。
「犬井さんのことじゃないよ。黒川先生から電話が来たんだ」
「そっ、そうなんだ……大丈夫なの?」
ホッと息を吐いた犬井さんは、少し安心したのか自分の袖を握る手が緩んだ。
「うん、気を付けて帰ってこいだって」
「……そっか」
「そんなことより――」
犬井さんは何か察したのか少し複雑な表情を浮かべるが、僕は調べものをした画面を差し出す。
「神戸牛は食べられないけどさ、その分今日はいいホテルに泊まらないか?」
見せたものは京都駅から徒歩3分のホテルのホームページ。
値段に関しては……この時期のは見ない方が幸せだ。
「そっ、それって、どういう……」
「例えば……屋内プールとかが付いて――」
「えっ……」
目を輝かせていた彼女は、みるみると表情を強張らせて――
「部屋が広くて、ベッドが大きかったり――」
「……」
――自分の体を抱きしめて、顔は火事でも起きたように真っ赤に染まる。
僕はそんなに変なことを言っているのだろうか?
犬井さんは抱きしめる力を強めると、覚悟を決めたように微笑んで――
「……いいよ、百瀬くんなら。やっと、百瀬くんにお返しができる――」
――待て待て待て! なんでそんな雰囲気に!?
「サっ、サウナにジムとか! レストランも付いてるようなやつ!」
「……えっ?」
レストラン、という単語を出した時、犬井さんは虚を突かれたように固まった。
「……あっ、あぁ! そういうことねっ! そうだよね! 分かってたよ!」
「そっ、そうだよ! 勘違いするなよ、全く……」
お互いに変な意識をして話せないでいる中、新幹線は都市部を抜け、窓には緑が一気に増えていた。
「でもさ、そういうのって本当にすごいホテルじゃない? お金、大丈夫なの?」
トンネルに差し掛かって景色が暗転した時、先に調子を取り戻した犬井さんがふとした様子で聞く。
「実は……」
僕がもったいぶって溜めると、意図を汲んだ犬井さんはペチペチと太ももでドラムロールを始めた。
次のトンネルに差し掛かるまでの一瞬、昼の明かりが車内に差し込む。
「まだ半分も使ってないんだよ」
「えぇ!? どうなってるの、百瀬くんのお財布!?」
ギクッと体をのけ反らせる反応があまりに期待通りで、思わず頬が緩む。
「とにかく、今日はここに泊まろうか」
「うん! すごい楽しみだね!」
犬井さんも納得してくれたようで、ホッと息が漏れる。
「そうだね」
そうしてスマホを閉じ、雑誌の京都のスイーツ特集のページを開く。
「あんみつぜんざい、抹茶パフェってすごい美味しそうじゃない?」
甘いものに目がないのか、犬井さんは目をキラキラとさせて食い入るように見ている。
「じゃあ全部回るか、僕も食べたことないし」
「いいの!? やった!」
彼女は初めて会った時が嘘のように我慢をしなくなっている。
常に引け目を感じている雰囲気が無くなって、女の子らしいというか、無邪気にしている姿は見ていて安らぐ。
とにかく、もう神戸牛は引きずっていないようで良かった――
『まもなく、新神戸です』
「うっ!」
――ぐぅ、と犬井さんのお腹から大きな音がした。
……もう、何も言うまい。




