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第32話 目が覚めた後

「うう……ん?」


 目が覚めたばかりのぼんやりとする視界、カーテンの隙間から見える空は深い紺で塗りつぶされていた。


 もぞもぞと体を動かす。腕が動かせない。

 足元へ目を向ける。全身を毛布2枚でしっかりと包まれていて、さながらミイラだ。どうすればこうなる?


 ぐりぐりと肩を動かして腕を抜き、拘束を解いて自由の身になる。


 立ち上がるとクラっと眩暈がしたけれど、昨日の気持ち悪さは嘘のように引いている。


……昨日、看病してもらったんだよな。


「……んんっ、んがっ」


 お礼を言おうと犬井さんを探すと、彼女はすぐ真横で気持ちよさそうに寝ていた。緩んだ口元の涎の跡が、カーテンから漏れる光で輝いている。


「……ははっ」


 変な笑いがでてくる。昨日の頼もしかった彼女の姿が嘘のような、ただの無防備な女の子だ。


 間抜けな表情をしているが、掛け布団1つで少しだけ寒そうに丸まって眠っている。


……僕が犬井さんの分まで毛布を独占していたからだ。


 使っていた毛布……は、風呂に入ってないのに使ったし汚いか。


「ごめん、迷惑かけて……」


 僕の分だった掛け布団を犬井さんにかけて、足音を立てないようにそっと玄関へ向かう……昨日からシャワーすら浴びれていない。



 今日は京都か……コースとか、考えておこう。





 シャワーを浴びて、シャンプーで髪を洗う……が、全く泡立たない。


 原因は果たして汗なのか、雨なのか……とにかく汚いな。


 昨日はこれで膝の上に、こんな汚い頭を――



「……ッッ」



 そうだ、膝枕……僕は一体、犬井さんに何をさせているんだ。


 ただただ慰められて、お粥かお茶漬けか分からないものを冷まさせて……考えるのも恥ずかしい、情けない記憶が少しずつぶり返してくる。


「んッんッ! んッんッ!!」


 強がりな咳払いが、浴室で情けなく反響する。


 勢いで強く髪を擦る、シャワーを最大まで――


「熱ッ!?」


――なにをやっているんだ、僕は。


「……はぁ」



 ぬるま湯を頭に垂れ流しても、頬の熱が冷めない。ドクドクと鼓動が耳に響く。



……『旅の恥は掻き捨て』だ。そういう事にしよう。





 シャンプーとボディーソープを交互に2回ずつ、念入りに。ここまですれば綺麗だと思う、臭いがしなければいいのだけれど。


「平等院、清水寺、金閣寺、銀閣寺、嵐山……多いな」


 誰もいない風呂場で、湯船に浸かって天井のシミを見つめながら中学の思い出を振り返る。


……話さなすぎて友達がいないから、一人でうろうろしていたな。


 そうはいっても、悪い思い出では決してない。嵐山の竹林へ真っ先に向かって独占したり、東寺周辺の厳かな雰囲気に浸ったり、近くの店でおはぎを食べたり。一人でも結構楽しかった。



 けれど、それで犬井さんも楽しめるとは思えない。



 太宰府から始まったこの旅行も、食べるばかりで観光らしいことはできていない。



「写真映えのする場所の方が……犬井さんは楽しめるか?」



……この京都旅行は、犬井さんの思い出になる場所を回ろう。これまで迷惑を掛けた分、取り戻すんだ。





 湯船もそこそこに、体を拭いて浴衣を着る。帯を締めた後、洗面台のドライヤーで濡れた髪を乾かす。

 時計の針はまだ午前3時半を過ぎたばかり。時間は嘘のように余っている。


「7時までプランを……いや、ある程度決まったら少し寝るか」


 後頭部が乾き、仕上げにドライヤーで前髪を軽く吹き上げて電源を切る。


 コンセントを抜き、簡単にコードを巻く。そうして手元のカゴに戻すと、ふと鏡に映った自分の姿が目に入る――


『百瀬くん、こっちの方がいいよ』


――昨日の瓦そばの帰り、犬井さんに言われたこと。


「……」


 昨日の彼女の指を思い出して、試しに前髪を分ける。


 額の出た、不気味な自分がいる。いつもの自分に慣れているせいか、自分じゃないようで変な気分だ。


 普段から髪型に気を遣っていれば、こんなことはないのだろうか?


……額に風が当たって落ち着かないと思うが、本当にこっちの方がいいのか?



 それとも――



「整髪料……とかがあれば変わるのか?」



――僕の感性より、犬井さんの方が信用できる。彼女が『いい』と言うなら、良いのだろう。



 ふと思い付いてスマホで調べると、歩いて10分の場所にコンビニが1軒あった。




……まだやってる。



 いつもなら、こんな時間には決して出歩かない。


 ただ、彼女は『こっちの方がいい』と言ってくれた。雨はもう降っていない。

 病み上がりではあるが、上着を着れば体だって冷やさずに済むだろう。




……少しでも彼女に良く見られるなら、いくらだって試す価値はある。

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