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第31話 看病 by 犬井

「……」


 何も、言えない。


 百瀬くんは一人でずっと、こんなつらいことを抱えてたなんて。


 私は百瀬くんのために、何か言うことはできる……けど。


「……うぇっ……ぅぐ」


 思い出して辛くなった今の百瀬くんには、慰めるだけじゃたぶん届かない。

 むしろ、もっと辛くなる気がする。もう変なことを言って、百瀬くんの首は絞めたくない。


 助けてあげたい、私がされたみたいに。


 頭を撫でて、膝枕をしてる。でも、触れるだけじゃ足りない。


「百瀬くん……」


 大丈夫――こんな言葉だけを繰り返すだけだって……空っぽだ。


「僕……僕が……」


 あなたは悪くない、私がいる、泣かないで、笑って――こんな簡単なことを伝えるのが、こんなに難しいなんて。


 助けるなら言わなきゃいけないのと、余計に傷つけるんじゃないかで、頭がぐちゃぐちゃになる。



「ねぇ、百瀬くん……」



 傷つけたくない……けど――



「百瀬くんは、何も悪くないよ」



――そうしなきゃ助けられないなら、私は傷つけても助ける方を選ぶよ。


「そんな、こと……」

「百瀬くんはさ、すごい優しいんだよ」


 頑張って傷つけないようにしながら。


「百瀬くんはたぶん、誰も悪者にしたくないんだよ。パパも、ママも、妹ちゃんも、誰も」


 やり方が分からないなら、無理なら――


「それで、百瀬くんは一人で受け止めようとしてるんだよ」


――分からないなりに、無理やり。


「そんなのじゃ……」

「なら百瀬くんが分かってないだけだよ」


 首に沿って撫でると、肩がビクッとして、鼻をすすって息が荒くなる。


「百瀬くんが話してくれた時、『誰かのせい』なんて、一回も言わなかったじゃん」

「だって、僕の……せい――」


「そんなことない!!」


 気がついたらあごの下を抱えて、胸に押し付けて、抱きしめてた。


「ママが辛そうだったら助けようとして、パパが怖くても、ぶたれても怒らないなんて、百瀬くんは優しいいい子だよ。すごいよ」

「……そう、なの?」

「そうだよ! 悪者にすることもできたのに、百瀬くんはみんな守ったんだから!」


 百瀬くんのほっぺたが、心が、私の体温で温まっていってる――そんな気持ちになって、私はもっと熱くなって仕方ない。


「でもね、百瀬くんだって悪くないんだよ」

「……ぐすッ……ぅえ……」

「百瀬くんも、みんなも悪くないよ。絶対に。みんな優しいんだから」


 息が荒くなってヒュッと音がする。百瀬くんはどんどんめちゃくちゃに、ずっと我慢してたものがゆっくり溢れるみたいな、綺麗な泣き方になってる。


「それでも悪いなら、みんな悪者だよ。百瀬くんも、ママもパパも、私も、止まらないバスも、止まった電車も、この旅行で会ってきた人だって、みんな悪者だよ」


 もう、自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。合ってるか、間違ってるかどうかも。


「だから百瀬くんが悪者なんて、百瀬くんだけが悪者なんて、許さないよ」


 でも全部、本当に、心からだ。


「百瀬くんが悪いって言う人がいたら、私が本気で怒るよ、百瀬くんでもね」


……もう、出せるものが全部出て、何も考えられない。全身がぐたっとして、胸がドキドキして、喉はヒリヒリする。


 でも、これでよかった。言えてよかったんだと、それだけは確信してる。


「……熱くなっちゃったね、私? あはは……顔洗ってくるね」



「……犬井、さん」


 百瀬くんは毛布から腕を伸ばして、ふにゃっと優しく私のシャツの裾を掴んだ。


「なに?」



「……ありがと」


 赤く恥ずかしそうに、トロンと優しく微笑んだ。


「ううん、本当のことだも――」


 グウゥーーーッ!


 言い切らないうちにお腹が大きく鳴った――私のじゃない。


「……プッ!」



 やっぱり、こっちの空気が好きだ。



 絶対に笑うべきじゃないのに、ビックリするくらい間が悪くて笑っちゃう、いつもの空気。



 百瀬くんは、ハッとすると耳まで真っ赤になって、急いで毛布を頭まで被った。


「お腹、空いちゃった?」

「……うん」

「さっき、全然食べれてなかったもんね」


 今まで百瀬くんに頼ってばっかりだったから、今はたくさん返せる気がして、すごく嬉しい。


「おにぎりならあるよ、昨日のおばさんたちがくれたやつ」

「……おなかに、入る……かな?」


 窓のそばに寄せてあるテーブルの上に急須と大き目な湯呑み、コードの繋がってないポットがあった。


「お粥かお茶漬けみたいにしたら食べれる?」

「……食べる」

「よかった。じゃあ、ちょっと待っててね」


 毛布から目だけ出した百瀬くんの頭をそっと枕に降ろして、部屋を出る。


 急いで1階まで降りて、受付の人に頼んでスプーンを貰う。


 それからかけ足で3階の部屋に戻る。


 水道から空っぽのポットに水をくんで、コードを繋いで温まるのを待つ。


 その間、湯呑みに百瀬くんの分のおにぎりを割って入れる。


 アルミホイルにずっと包まれて冷たく、固くなってる。

 けど、ちょっとお湯を入れて蒸らせば、お茶漬けみたいになって食べやすくなる……はず。


「もうちょっとだからね」


 頭をまた膝にのせて、ポットの水が温まるのを待ちながら、なんとなく明るくなった気がする窓の外を見る。


 外は雨と風が止んで、分厚い雲の切れ目から柔らかい光のスジが、さっきの河に刺さってる。



 今の私たちみたいだ……なんて、恥ずかしいから言えないけど。



「……迷惑かけて、ごめん」


 ボーっと考えていたとき、膝の上の百瀬くんは私にまっすぐ言った。熱でトロンとしてたのが、ちょっと良くなったみたい。


……ちょっと残念。


「迷惑なんかじゃないよ! 私こそ百瀬くんにずっと迷惑かけてきたもん!」

「……こっちだって、迷惑なんかじゃ――」


 カチッ――と、ポットのお湯が沸いた音がした。


「じゃあ、やっちゃうね。ティーパックあるけど、お茶にする?」

「うん、お願い」


 お湯をもう一つの湯呑みに注いで、パックを使ってお茶を作ってからおにぎりにかける。


 貰ったスプーンでかき混ぜて崩しながら、百瀬くんの頭を定位置に戻す。中身のシャケが混ぜられて、花びらみたいに散った。お茶がふんわり香って、私も食べたくなってきた。


 お茶を吸って、グズグズになったら食べごろ……なんだと思う。


 百瀬くんはボーっと湯呑みを見つめてる……そんな顔を見てると、少しだけイタズラしたくなる。


「はい、あ~ん!」


 スプーンですくって、百瀬くんの口に近づける。


「その、自分で食べ――」


 恥ずかしがって目を逸らされる……良いことじゃないけど、もうちょっとだけ。


「あっ、そうだね、熱いかもね! フーッてしてあげる!」

「……」


 優しく息を吹いて冷ましたものを、また口に近づける。百瀬くんは目を細くして、諦めたみたいに口を開ける。


「……どう?」

「……美味しい」


 モグモグと顎を動かして噛んで、ゴクッと飲み込むのが、太もも越しに分かる。


「かゆ……うまぁ……」


 ゆるゆるに緩くなった顔で、ニッコリと笑った。


「お茶漬けだけど……えへへ、よかったぁ」





 ゆっくりと、一口ずつ食べて、繰り返すうちに湯呑みは空になった。


「……ごちそうさま」

「うん!」


 テーブルに湯呑みを置いて、頭を膝から枕に降ろすと、百瀬くんはうつらうつらとし始めた。


「もう寝る?」


 時計を見ると、まだ5時半だった。外はほんのり暗くなってる。


「まだ、父さんに、写真が……」

「あっ、送んなきゃだね! 撮ってあげるから寝てて!」


 包まった毛布から出ようとする百瀬くんを止めて、そばに落ちてるスマホを借りてカメラを開く。


「ちょっ――」

「はい、チーズ!」


 百瀬くんの隣で寝ころがって、ほっぺたがくっつきそうなくらい近くで横並びになった二人の顔がインカメラに映る。


「……もういいや」

「私が送っとく?」


 ため息を吐いてうなずいたのを見て、私は送信ボタンを押す。


「じゃあ、寝よっか。私、もう一回お風呂入ったら寝るからね」


 そう言って百瀬くんに毛布をもう一枚かけて、部屋を出ようとしたとき、袖がくーんとのびた。


「明日には、熱……直すから」


 振り返ると、百瀬くんが腕を伸ばして掴んでる。


「明日は、京都に……しない?」


 京都。私がずっと行ってみたかった所……でも――


「……いいの?」


――百瀬くん、楽しめるのかな。


「行きたいって……言ってたから。大阪も、名古屋も」


 覚えててくれたんだ……


「うれしい、けど……無理してない? 行ったことあるんでしょ? 他のとこでも……」


 正直、踊りたいくらい嬉しいけど……熱なのに喜ぶのはダメだよね。




「……犬井さんと、行ってみたい」




 えっ?


「……じゃあ治ったら、行こっか」


「うん」


 百瀬くんはニッコリすると、そのまま目をつぶって、スヤッと寝ちゃった。



 私はタオルを持って部屋を出て……急いでお風呂場に駆け込む。





 湯船に入っても、落ち着くためにシャワーを浴びても、耳に残った声は全然消えない。


『犬井さんと、行ってみたい』


 あの赤くなった顔と声を思い出すと、ほっぺたが燃えるみたいに熱くて、胸がギュッとなって息ができない。

 こんなにのぼせそうになるのは、お湯のせいなんかじゃない。



 私と……じゃあ他の人とは? 『また行ってみたい』じゃなくて、『私と行ってみたい』なの?



 百瀬くんは……私のことを……?


 ううん、自意識過剰! 気のせいだ、喜んじゃいけないのに……


 出会って3日しかたってないのに……変だけど――



「やっぱり私、百瀬くんのこと、好きなんだ」



 誰よりも優しくしてくれて、いつもは冷たい表情だけど笑ったら可愛くて、友達でいてくれて。

 今だって夢を叶えてくれてる。飛行機の中でしてた私の想像よりも、ずっとすごい形で。



「……好き」



 好き。時間なんて関係ない。好き。



 私の勘違いのはずなんだ。私は貧乏でバカで、百瀬くんとは嘘でも釣り合わない。月とスッポンなんてレベルじゃない。



 でも、もしかして百瀬くんも私を……なんて。



「そんなわけないよね! 私のバカ!」



 百瀬くんにとって、私は旅行の間の友達でしかない。



 でも、あのグニャッとした、くすぐったくなる表情って……どう考えても……



「……期待、させないでよ」



 叶わないなら、最初から期待させないでほしい。


 でも、叶うなら……なおさら『期待』のままなんて、やだ。



 もし百瀬くんも同じ気持ちなら、この思い出作りは終わりじゃなくて、始まりにしたいだなんて……欲張ったって、いいのかな。



 旅行が終わっても手を繋いだり、学校に通ったり、一緒に帰ったり、その先とかを考えてしまう。

 クレープを食べたり、勉強を教えてもらったり、普通のカップルみたいに……なんて、あるわけ無いのに。



「明日の髪型……どうしようかな……」


 暗いこと考えたって仕方ない!

 明日、元気になった百瀬くんのそばには、可愛くなった私でいたい。




 もう少し温まってドライヤーで乾かしたら、アップにしたり、横で結んでみたり、いろいろ試してみよう。

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