第22話 A.M.5:00 by 犬井
コツッ、コツッと小さな音がする。
「んっ……ぅん~~!」
重たい体を起こして、カーテンを少しだけめくる。外はまだぼんやりしてて、雨がポツポツ降ってる。スマホを見ると時間は5時だった。
早く起きすぎちゃったな……もう一度寝なきゃ。
「……んん」
洗面所にお水を飲みに行こうとしたとき、隣から声がした。
そっちを見ると、百瀬くんが寝返りをうっていた。
よかった、生きてる。
百瀬くんの横でしゃがんで寝顔をのぞく。
「……ふふっ」
いつもムスッとした感じの百瀬くんは静かに寝息をたててる。
昨日のことがウソみたいに気持ちよさそうな顔をしてる。意外とまつ毛が長くて、口もちょっと開けちゃって、なんかかわいい。
一枚くらいなら写真撮っても……大丈夫だよね?
スマホのスピーカーのところをギュッと押さえて、ボタンを押す。
小さくカシャッと鳴って、すぐに撮れたか見る。暗くて見づらいけど、ちゃんと寝顔が写ってる。
なんか、すごく『修学旅行』って感じだなぁ……
……このまま、ずっと続けばいいのになぁ。
◆
「おい、犬井さん。起きて」
シャッと音がした。電気がついててまぶしい。
「う~~ん……」
「顔洗って、着替えて準備して。チェックアウトの時間だから」
ショボショボする目を開けると、百瀬くんが立ってた。ぼんやりしてよく見えないけど、雰囲気が少しだけ暗い気がする。
「あっ、うん! わかった!」
パッと立ち上がって、お布団を畳む。百瀬くんはお布団を畳み終えてて、顔を洗いに行った。
顔は……畳んでからでいいよね?
畳みおわってお部屋のすみっこにやってから、次に部屋を出てすぐにある洗面台へ行く。
ヘアバンド代わりにカチューシャで髪を上げて、蛇口をひねって顔をチャチャッとすすぐ。ヒンヤリっていうのか、ぬるいっていうのか微妙な温度。うちの水道とそっくり。
濡れた顔をお部屋から持ってきたタオルで拭いて、鏡でいくつか表情を作ってみる。
怒るのも、笑うのも、変な顔もいつも通りちゃんとできる。むくんでないし、クマもできてないし、前髪も変じゃない。
……うん、これなら大丈夫そう。
お部屋にもどると、百瀬くんは着替えを済ませてバッグを持ってた。ちょっと暗めの水色のシャツとくすんだ白のゆったりしたパンツ。
「じゃあ、僕は先に下で待ってるから」
「えっ、どうして?」
今日の百瀬くん、なんだかちょっとだけ違う。
全部パパッと済ませて……私から離れようとしてるみたいな。
「百瀬くんもここにいてよ! そんな待たせないから!」
「……はぁ!?」
百瀬くんは大きな声を出した。これは断られちゃうな……
でも、一人にしたらいなくなっちゃいそうで怖い……だから、そばにいないと。
「ご、ごめんね? でも……一緒にいてほしくて、ダメ?」
「……」
百瀬くんは呆れたって感じで顔を覆った。
「……なんで僕がいなきゃいけないんだよ」
「そ、そんなの……だって――」
私に優しくしてくれるあなたに死なないでほしいから。そばにいてくれるあなたには生きてほしいから。
そう思って、気づけば百瀬くんの手を掴んでいた。ゴツゴツした、男の子の手だ。
無理やり手を剝がした百瀬くんの顔は――
「……いつ着替えるんだよ、犬井さんは」
「あっ」
――目をギュッとつむって、りんごみたいに真っ赤だった。
「ごごっ、ごめんね! 忘れてた! あはは……」
「……」
「う、うん、じゃあ下で待っててね? 私も着替えたらすぐ行くからね!」
「分かったッ」
裏返った声で返事をした百瀬くんはワシッとバッグを持って、ドアノブをガチャガチャやってドタバタ部屋を出て行った。
「……なにやってんだろ、私」
いなくなっちゃいそうなんて、気のせいかも。
恥ずかしがり屋の、いつもの百瀬くんだ。
◆
「おまたせ、もも――」
「そんな、悪いですよ……」
着替え終わって階段を降りると、百瀬くんが困った表情をしておばあちゃんと何か話してる。
「もう作っちゃったから、お金はいいから食べていきなさい」
「……分かりました」
「どうしたの、百瀬くん?」
振り返った百瀬くんはすごく複雑そうにほっぺを掻いてる。
「素泊まりで止まったのに、朝ごはんを用意して貰っちゃったんだよ」
「ん? あぁ、ご飯が出ないんだよね」
「そう、それで申し訳なくてさ」
うつむいている百瀬くんの奥で、おばあちゃんはテーブルにお皿をどんどん置いてる。
「……食べようよ。おばあちゃん、親切にしてくれてるんだからさ」
背中を軽く叩いて笑ってみせる。私が先に席に座ると百瀬くんも後からついてきてゆっくり座った。
テーブルには白ごはんとシャケ、のり、目玉焼きとソーセージ、お豆腐、漬け物にサラダ、みそ汁、お茶が全部ふんわり湯気が立って、デザートにみかんが入ってるヨーグルトがある。ドラマとかでよくある、普通の朝ごはんって感じ。
普通に見えるけど、私は一度も食べたことがない。朝ごはんなんて食べる暇ないから、こういうのにずっと憧れてた。
百瀬くんはこういうの、毎日食べてるのかな?
「……」
ボーっとテーブルに並んでるご飯を見つめてる。百瀬くんも食べたことないんだ。
「「いただきます」」
百瀬くんは最初に箸でシャケを切って食べた。そのままかじるんじゃなくて、ああやって食べるんだ。
私もマネして食べる。しょっぱい塩味と、じゅわっとシャケの味がしておいしい。
これが『お母さんの味』ってやつなのかな? 一口食べるたびに、体がじんわりとあったかくなる気がする。
食べたこと無いから分からないけど、きっとこんな感じだよね。
「はい、お茶もどうぞ」
「わぁ! ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
湯呑みに温かいお茶が入れてもらって、百瀬くんが飲むのに合わせてズズッと一口飲んでみる。ちょっと苦いけど、さわやかな香りと甘さがする。
「「ほっ……」」
思わず息が出る……それは百瀬くんも同じだったみたい。
百瀬くん、コーヒーは苦手みたいだったけどお茶は飲めるんだ。
◆
『3月30日、土曜日の全国の天気をお伝えします』
目玉焼きを食べ終わった時、私達のとなりにある棚の上のテレビではちょうど天気予報が流れてた。
『中国地方は午前中はまずまずのお天気ですが、午後からは前線の影響で広い範囲で荒れた天気となりそうです。交通機関への影響も考えられますので、移動の際は余裕をもって行動してください』
「うわぁ……雨だって」
「そうだな……これだと遠くには行けないか」
百瀬くんはグーを口にあててピタッと止まって、目線が下に落ちた。
メニューを見て考えるときもそうだけど、百瀬くんは考えるときにコレをする癖があるみたい。
「……午前の内に広島を目指してできるだけ移動して、着いたらすぐに宿を取ろう」
「うん、そうだね」
私もなにかアイディアを出したかったけど、結局よく分からないからこれしか言えない。
百瀬くんはグーをあてたまま、暗い顔で何かを考えながらニュースを見ていた。
そんなに雨が嫌なのかな?
「ご飯、食べないの?」
百瀬くんがどんなことを思ってるかが分からない。だからこんなどうでもいいことしか言えない。
私、役に立てないなぁ……
◆
「じゃあ、お世話になりました」
「ありがとうございました!」
「うん、また泊まりにきてね。あぁ、それと……」
玄関で靴を履いて、お別れの挨拶をするとおばあちゃんは靴箱の横をガサゴソしだした。
「今日は雨だから、1本しかないけどこれを持っていきなさい」
そう言っておばあちゃんがくれたのはビニール傘、袋に入ってる新品。
「えっ、いいんです――」
「――そんな、朝ご飯まで頂いてしまったのに悪いですよ」
おばあちゃんはニコッと笑うと、ぐっと腕をのばして傘を百瀬くんに押し付けた。
「いいのいいの、安物ですから。それに――」
おばあちゃんは私のことをチラッと見た。
「旅行するんでしょう? あなたが良くても、その子を雨で濡らす訳にはいかないでしょう?」
「……」
……なんか、すごい恥ずかしい。
「……分かりました」
そう言って傘を受け取った百瀬くん、すごく真っ赤になってる。
「あの……」
部屋に戻ろうとするおばあちゃんを止めた百瀬くんの声、少し震えてる。
「タクシー、呼んでもらってもいい、ですか?」
「はいはい、じゃあちょっと待っててね」
おばあちゃんはそう言ってニコニコしながらトコトコと部屋に戻っていった。
百瀬くんと2人だけになった玄関はすごく静かで、空気はヒンヤリして、濡れたコンクリートの匂いがする。
「……」
「……」
引き戸の外でシトシト雨が降る静かな音が玄関で響いてる。奥からテレビの笑い声がする。
百瀬くんのゆっくり吸って吐く息の音が、親指をごにょごにょ動かして指を擦る音が、よく聞こえる。
……気まずい
「百瀬く――」
静かすぎるのが我慢できなくて振り向く。
「「あっ……」」
目が合った。
「「……」」
いつもは合わないのに、なんでこういう時って目が合うんだろう。
頭の中がじんわり熱くなって、いつもどうやって息を吸っていたかを忘れそうになる。
「……顔、すごく真っ赤だよ」
「……そっちこそ」
そういって百瀬くんも私も、ずっと黙った。
このしっとりした静かさが、すごく恥ずかしい。
百瀬くんのことを意識すると、百瀬くんも私を意識してるんじゃと思うと、それでもっと恥ずかしくなってくる。
吸って、吐いて。息の仕方を思い出すために深呼吸する音が、意識したわけじゃないのに、気がついたら百瀬くんのと自然に重なってる。
……『息ピッタリ』って、こんな苦しいものなのかな。




