第??話
橋の上から河を覗き込むと、世界を飲み込むような濁流が広がっている。
雨に濡れて張り付く服も、風に吹かれて冷える体も、最初は不快だったが、今は何も感じない。
霧のかかる橋の上、激しく打ちつける雨の中、僕の姿も声も掻き消えているだろう。
本当は彼女の記憶からも消えたかったが、そう上手くは行かない。
だからせめて彼女に嫌われようとも思ったが、それさえできない。
そうしようとするのも、全ては彼女を傷つけないため――なんて建前だ。本当は僕が傷つきたくないだけだ。
なにもかもを全うできない自分のことが嫌になってくる。
今も見えない河底を覗き込みながら、自分勝手にただただ彼女のことを考え続けている。
もし、今すぐ彼女のもとに戻ったら、彼女はどんな反応をするだろう。
もし、河を流れていく僕を見たら、どんな反応をするだろう。
彼女を傷つけない方法はあるだろうか? そもそも、彼女は傷ついてくれるのだろうか?
考えれば考えるだけ、死ぬことを引き伸ばしてしまう。本当に、こんな自分が嫌になる。
……そういえば、財布の中に薬が入ったままだったな。
いや、何を今更。薬で楽に死のうだなんて、僕にはふさわしくないんだ。
人を殺して、傷つけて、そんな奴はひたすら苦しみながら、ゆっくりと死んでいくくらいが丁度いいんだ。
手摺に腹を掛けて身を乗り出す。
あばら骨の下に体重が掛かったときに、ふと橋のたもとに目を移す。
誰もいない。
正確に言えばよく分からない。僕の視力が良くないからかもしれない。雨で向こうが霞んでいるからかもしれない。目に映る景色が雨で濁っているからかもしれない。
いや、頬を伝うこの感覚が本当に雨かは分からない。しょっぱくないから、きっと雨だ。そうあってほしい。
とにかく、もう僕を止める人間はいない。そして何より彼女に姿を見られないという点では安心だが……正直、寂しさもある。
……いや、これでいいんだ。
重心を少しずつ橋の外側へ移していく。
体温が下がって、足に上手く力が入らず竦む。それでも地面を押す。
増水した河はごうごうと無感情に轟いている。
……走馬灯じゃないが、最後に頭に浮かぶのは犬井さんだった。
カッコつけずにもう少しだけ、くだらないことで犬井さんと話しておけばよかったな。




