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第19話 ブルーアワー

「――くん、もう着くよ! 起きて!」

「……ん?」


 肩を揺さぶられている。右から元気な声が聞こえる。


「百瀬くん!」

「あ、あぁ、分かったから」


 頭がはっきりしないが、どうやら雑誌を読んでいる間に寝ていたみたいだ。

 窓から見える景色は寝起きのぼやけた目でも分かるくらいにコンクリートの割合が増え、流れる速さはだんだんと減速していた。それからすぐにアナウンスが流れ、新幹線は停止した。

 棚の上の荷物を下ろして、犬井さんに渡す。それから僕のバッグも出して、新幹線を降りる。


 新山口駅、山口県に到着だ。



「揺れないし、速いし、椅子もすごいし、景色もいいし、新幹線ってすごいね!」


 改札を出てすぐのコンビニで飲み物を買う中、犬井さんは新幹線で頭がいっぱいのようだ。


「そうだな」

「百瀬くん、途中で寝てたじゃん! もぉ~ 適当なこと言って~」


 そう言ってニヤニヤ笑って肘で僕の腕を小突いてくる。

 時々、犬井さんは目的地が分からない、微塵も建設性のない話をする。そう言う時はどう返してもおちょくられる。

 僕はそういう話題を振る才能は無いと思う。理性があるから。


 モヤモヤした気分で会計を済ませ、店を出る。それから、小脇に抱えたままの雑誌を開く。


「ねぇ、百瀬くん。これからどこ行くの?」


 山口県のページを開くと、彼女も紙面をのぞき込んでくる。


「この、『秋芳洞』ってところはどうだ? バスで行けるし、有名らしい」


 秋芳洞。地下水が岩を長い年月を掛けて削ってできた、日本でも最大規模の鍾乳洞……らしい。


「……なんか渋いね」

「それはいいだろ別に。年中無休で、迫力もあるみたいだし」


 犬井さんは少しお気に召さないらしいが、宿や移動を踏まえると、ここからすぐ行ける観光スポットはこれくらいだ。


「でも面白そうだね! 行こっか!」

「分かった。で、バス停は……」


 スマホの乗換案内アプリを開き、時間を確認すると――


「あと3分でバス出るぞ、急げ!」

「えっ!? 待って百瀬くん!」


――おまけにバス停は駅の反対口にある。





「はぁ……はぁ……」 「はぁ、おぇ……」


 新山口の大きな駅を背に現代的なコンクリートの灰色が広がる、開けたロータリー。


 バスが到着すると他のバスが出発していく、それくらい循環は早く――


「……行っちゃったね」


 ――目的のバスは僕らの目の前で発車した。荷物を持って息が絶え絶えになる勢いで走ったが、間に合わなかった。


「はぁ……行っちゃったな」


 どうにも、僕らはバスにとことん縁がないらしい。

 傍のベンチに腰を下ろして、僕らの目の前を行き来する他のバスを眺める。一帯の殺風景なコンクリートの灰色に重たい曇り空が相まって、気分までどんよりと沈んでくる。


「はぁ……」

「き、切り替えよ! 次、次のバスっていつ来るの?」

「……一時間半後」

「」


 あんぐりと口を開けた犬井さんの表情は、絶句の2文字がピッタリだった。


「あ、あはは……行くのやめない?」


 声色は沈み、笑っているがとても気まずそうで、目は死んでいる。


「そ、そうだな」

「お、お宿とってさ、そこでゴロゴロしようよ!」

「あぁ、そうするか」

「やった! お部屋でいっぱいお喋りしようね! 百瀬くん!」


 犬井さんは生気を取り戻した輝くような笑みで言った。


「はぁ、分かったよ」


 秋芳洞……正直見てみたかったんだけどなぁ。


 とりあえず、良さそうな宿を探そう。なるべく近くで、観光スポットも近いところで。





「着いたね、萩!」


 あれからバスを1時間待ち、バスに揺られてもう1時間。

 僕らが降りたのは山口県の北部にある萩、正確には東萩だ。


 時刻は6時丁度。強くなる風が駅前の居酒屋の幟をはためかせ、分厚い雲を吹き飛ばす。

 夜を迎えようとする深い紺の空が全てを群青色に染める。日の入り直前のこういう時間帯をブルーアワーというらしい。正直、この雰囲気は好きだ。


「……顔、真っ青だけど大丈夫?」


 犬井さんは心配そうに僕の顔をのぞき込み、その手を僕の額に伸ばしてくる。


「あぁ……うん、行こうか」


 そんなブルーアワーでも、僕の車酔いは隠れなかった。脳が絞られるようで、酔いは昨日よりひどい。こんなに酔うのはバスの排ガスの臭いがキツかったからだ、きっと。


 酔うし、乗り過ごしてばかりだし、バスはロクなことがない。この先バスは乗らないようにしよう。


 伸びと深呼吸をして、床に降ろしたバッグのストラップを肩に掛けて、僕らは歩き出す。


「お宿って、ここからどれくらいなの?」


 駅と町の境を割って流れる松本川。その上に掛かる橋を渡っているとき、横を歩く犬井さんがボーっとした様子で言った。


「確か15分くらい」

「そっか、近いね」


 どこか上の空の様子で彼女は答えた。いつもと違ってぼんやりとしていて、彼女の様子はどこか変だ。


「……疲れてるのか?」

「ううん、大丈夫」

「じゃあ、どうしたんだよ。そんな――」


「魔法みたいだなぁ……って思ってさ」

「……」


……犬井さんと意見が同じなのは何というか、とても複雑な気分だ。


「空と町はこんな綺麗なのに、車しか走ってなくてさ。この景色を百瀬くんと一緒に独り占めしてるみたいじゃない?」


 隣を歩く犬井さんは手を後ろに組んで前のめりになり、こちらを顔を覗き込んでくる。

 陽が沈み灯りの少ない町中の通りで、彼女は明るく目を輝かせていた。


「……はぁ」

「もうっ! 頑張ってお洒落なこと言ってるんだから、もっと反応してよ!」


 犬井さんは地団駄を踏んで、バッグを持たない手を振り回している。彼女の言葉はさておき、振舞いはお洒落ではない。


……それにしても、自分でお洒落っていうのか。



 まぁ、少しだけ認めるが。本当に少しだけ。





「着いたぞ」

「えっ?」


 今日の宿泊先である『民泊 明木』に着いた。一階は優しい茶色の板壁、2階は漆喰のように白い壁に覆われた、温かい雰囲気を感じる瓦屋根の一軒家だ。


 担いできた荷物を下ろして一休みする傍らで、犬井さんは目を丸くしていた。


「ここって人の家じゃないの?」

「民泊だよ、部屋に人を泊めて商売をしてるんだ」

「へぇ~そうなんだ。百瀬くんって物知りだね」


 さっき調べた、それはそれとして――


「じゃあ、行くか」

「うん!」





「……ええと、ですね」


 前途多難な1日目を乗り越えたからこそ、順風満帆な2日目を送れる。僕は心の奥底でそう思っていたのだろう。

 けれど、そういう時にこそ困難がいつも決まってやってくる。


「保護者の同意書なんですが……昨日丁度切らしてしまいまして」


 遥野さんに渡されたデータ、それは父さんに書いてもらう必要がある。

 そして、僕はそれをすっかり忘れていた。


「……そうですか」


 『民泊 明木』を切り盛りしているおばあさん――明木さんは椅子に座ったまま、皺の刻まれた顔で困ったように眉を下げている。その隣で犬井さんも一緒にうなだれていた。


 僕が不注意でトラブルを起こした一方、犬井さんは博多駅でトイレに行くついでに同意書をコピーしていたらしい。彼女が小脇に抱えているクリアファイルにはそれを証明するレシートが見える。


 同意書の白さが僕の準備不足を責めているようで、やけに目に眩しかった。


「その……百瀬くんも泊めてあげることって、どうしてもできないですか?」

「泊めたいところなんだけどねぇ……」


 そう言って、ふぅ、と長い息を吐いた。かなり真剣に悩ませてしまっているようで、胸が痛くなってくる。


「弟ってことにして泊めることは……むりですか?」

「それはだめだよ、嘘ついちゃいけない」

「そっ、そうですよね?」


 明木さんの言葉を聞いて、犬井さんは横目でちらりと僕を見た。必死に口元は抑えているが、その目は「どの口が言うの?」とでも言いたげに楽しげに細められ、肩がくすくすと微かに震えている。


……仕方ないだろ、泊めてもらうためなんだから。


「ええと、百瀬さん?」

「は、はい!」


 考え込んでずっと下を向いていた明木さんは何か思いついたようで、顔を上げて僕の方を向いた。


「同意書を明日……それか後日用意することはできますか?」

「それでも大丈夫ですか!?」

「あんまり良くはないけど、仕方がないしねぇ」


 願ってもない提案だ。今から父さんに頼めば、明日には書いてもらえると思う。


「じゃ、じゃあ、それでお願いします! 明日の内に用意しますので」

「じゃあ、しょうがないね」


 そう言って明木さんは椅子から立ち上がり、奥の部屋に入っていった。

 ほっと胸を撫でおろしたのも束の間、犬井さんはささっと僕の傍に来て耳打ちをする。


「よかったね、百瀬くん」


 彼女は悪戯っぽく囁き終えて、一歩後ろに下がる。肩の力の抜けた、心から安心した微笑みを浮かべていた。


「でもさ、ここに来るときにコンビニ1つも無かったけど、用意できるの?」

「まぁ、なんとかなるだろ。コンビニじゃなくても、コピー機さえ見つければいいんだし」


 とはいえコンビニどころか写真屋もスーパーも無かった。正直不安だが、犬井さんに余計な不安を抱かせる訳にはいかない。


 そうして話していると明木さんが戻ってきた。


「これが鍵で、お部屋は階段を上がって正面ですからね――」


 それからこの民泊のルールについて丁寧な説明があった。

 門限は20時半で、送れる場合は連絡すること。お風呂は21時まで。チェックアウトは9時。素泊まりだから食事は出ないこと。

 そして――他の部屋は埋まっているから、お二人には一部屋を使ってもらうことになります、と。


「他のお客様も泊まってますから……くれぐれも変なことはしないようにね」

「分かりました!」 「……分かりました」


 支払いを終え、犬井さんが鍵を受け取る。

 そうして階段を上って部屋へ向かう中、耳の奥にこびりつく明木さんの一言で、昨日起きたあれこれを嫌でも思い出させる。


 犬井さんは何事もないかのように前を歩いている。一方の僕はただその後ろ姿ですら、視界に収めるのが辛かった。



「わぁ……和室だぁ!」

「そうだな」


 ドアを開けると犬井さんは靴を脱ぎ捨てて部屋に駆け込んでいった。脱ぎ散らかされた犬井さんの靴を揃えて、一足遅れて僕も部屋に上がる。

 畳6畳ほどの和室の真ん中には年季の入ったちゃぶ台が鎮座し、床の間には小さめのテレビが置かれている。

 すりガラスの窓を開けると風が吹き込んでカーテンが大きくたなびく。道路に面した景色は遮るものがなく、すっかり夜になった空とたまに行き来する車だけが見える。


「百瀬くん、なんか落ち着いてるね」

「そうか?」

「そうだよ! 畳だよ? いい匂いだし、ゴロゴロしても痛くないし、なんかワクワクするじゃん!」


 そう言うと犬井さんは大の字に寝そべり、部屋一帯をゴロゴロと転がって見せた。

 畳一つでここまで大興奮できるのは才能だと思うが……今は黙っておこう。あれこれ言うのは無粋ってものだ。

 僕も畳に座り、足を伸ばした時、犬井さんはテレビのリモコンを手に取った。


「ねぇねぇ、テレビ付けていい?」

「あぁ、いい――」


 僕の答えを待たずに彼女はテレビの電源を入れた。放送されていたのはニュースで、天気予報が流れていた。


「面白そうなのやってないかな?」

「探してみ――待て待て」


 急に止められて犬井さんはキョトンとしてテレビの画面からこちらに向いた。

 天気予報は明日の中国地方の天気を解説していた。


「明日、ここら辺は昼頃から嵐らしいぞ」

「えっ!?」


 犬井さんはサッと這ってこちらに寄ると、縋りつく形で僕を見上げた。


「じゃあ明日ってどうなるの!?」

「なっ!?」


 彼女は膝で立ち、僕の腰に手を突いてシャツを握り、混乱した表情で僕の顔を正面から見つめる。


 この姿勢とアングル、彼女の動きで前が大きくたわんだ鎖骨の見えるシャツ、潤んだ瞳。そして表情はその……否が応でも考えさせられて……ダメだダメだ。


 下腹部に彼女の体重が乗って少し苦しい。その不快感が……情動を押さえ込んでくれた。


「明日は早めに出よう。観光は……こっちでは諦めよう」

「……そっか」


 彼女は落ち込んだ表情を浮かべ、崩れるようにベタっと両手を床に突いた。

 僕らはバスだけじゃなく、観光にもあまり縁がない。


「はぁ……」

「で、でもさ! 今日はまだまだ時間あるし、明日が嵐でも楽しめることはあるよ、絶対!」


 犬井さんは立ち上がって、暗くなった空気を振り払うようにグッと握った拳を振る。


「だからさ! ため息なんて吐かないで、今日をどう楽しむか――」


 ぐぅ、という音。


 長く低い音が静かな部屋の中で、恥ずかしげもなく鳴り響いた。

 高らかに掲げた拳が、勢いを失ってだらりと下がる。犬井さんの元気がどんどん萎んでいくのと反比例するように、顔にじわじわと血が上っていくのが見て取れた。


「考え、よう、よ……あはは」

「夕飯……食べに行こうか」


 犬井さんは何も言わず、コクっと頷いた。


 それから彼女は玄関へ行き、ぎこちない動きで靴を履いて外へ出た。


「……ははっ、なんなんだよ」


 頼もしいんだか、カッコ悪いんだか。

 いや、微笑ましいってことにしよう。彼女にも名誉ってものはあるだろうし。


『これを書いてもらえると助かります』


 保護者同意書を添えて父さんにメールをして、僕は犬井さんの後を追った。

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