49話 スパイというのはロマンの塊
東暦7028年6月10日
その日、カリウスたちはルーンハイム王国からの帰還の道についていた。
外交という国家の命運を左右する任務を終え、艦隊は静かな宇宙を航行していたが、この時の戦艦ヘルダインの艦橋内では、後の歴史で大活躍することとなる”とある組織”の胎動が始まろうとしていた。
それは、まだ名前も存在しなかったが、当時のヴァルキリアに確実に必用とされていた新たな”力”であった。
「しかし、本当についてきてよかったんですか?」
カリウスは、やや慎重な口調でそう問いかけた。
視線の先にいるのは、ルーンハイム王国の王女であるミストル。
その身分を考えれば、ヘルダインの艦橋にいるのは異例なことだった。
なにせ、一国の”王女”なのだから.............
「ええ、父上も大丈夫だと言っていたので大丈夫です! それとカリウス様、様なんかつけて貰わなくて結構です、カリウス様のほうがはるかに偉いのですから!」
その言葉には、形式的な謙遜ではなく、明確な意思が込められていた。
実はミストルは、艦隊がルーンハイム王国を出立する直前に、自らの意思でヴァルキリア王国に行くことを決断していた。
理由は単純、「救ってもらった恩を返すこと」それと、「俺が掲げる目標に、強く心を動かされたこと」だった。
ガスターやロンメルもそうだったが、この国の者は、俺のその目標に心を動かされた者が大半なのだ。
当時、カリウスからこの報告を聞いたときは、当然のようにめちゃくちゃ動揺した。
なにせ一国の王女が、捉え方によっては自ら亡命してきたようなものだったのだから...........
「わかりました.......................」
カリウスは短くそう言った、
そして、慎重に言葉を選びながら、次の問を投げかけた。
「ミストル殿は、ヴァルキリアに来たら........... なにか、就きたい職業などはありますか.........?」
その質問は、表面的には普通の質問であった。
しかし、ミストルの解答によって、この質問はこの国に”諜報”というものを担う者が誕生するきっかけとなる、とても重要な質問であった。
「ヴァルキリア王国に尽くせる仕事なら、私は何でも構いません......... しかし、あえて望むのならば..........」
一瞬の沈黙、艦橋の空気は張り詰めていた。
「スパイですかね..................」
その一言は、カリウスにとって衝撃的なものだったらしい。
しかしそれは、「王女がスパイになりたいと言った」という、異常なことへの驚きではなく、もっと根本的なものであった。
諜報、その概念が、この瞬間にカリウスの脳裏に明確な形を持って浮かび上がったのである。
当時のヴァルキリア王国には、軍もあったし、行政も生活も整っていた。
だが、「情報を制する力」というものはなかったのである。
「スパイですか.......................」
カリウスは低くそう呟いた。
それは、単なる言葉の反復ではなく、国家に欠落しているものを認識した瞬間の声であった。
少しの沈黙の後、カリウスはゆっくりと口を開いた。
「わかりました.............」
その声は、先程までの戸惑いが混ざった言葉ではなく、恐ろしいほどに冷静であったそうだ。
「まだこの国には、諜報を担う組織は存在しません。 ですが、”必ず”検討させていただきます」
東暦7028年6月17日
その日、ヴァルキリア王国の首都星であるアイゼンシュタットの軍港には、壮観な光景が広がっていた。
ルーンハイム王国に派遣されていた艦隊が、次々と帰還してきたのである。
戦艦、巡洋艦、駆逐艦、鋼鉄の巨体が整然と港に入っていく様は、国家の力そのものを象徴していた。
「おかえり、よくやってくれたな皆!」
俺は、胸の高鳴りを抑えきれないまま、軍港で帰ってきた皆を迎えていた。
あの時の高揚感は、今でも鮮明に覚えている。
それは、無事に帰還した仲間たちを見る喜びと、国家が着実に一歩ずつ前進してきているという確信からのものだった。
「お久しぶりですグレース様! あのような結果でよろしかったですか?」
「ああ、完璧だ!」
カリウスがもたらした交渉の結果は、当時報告を受けたときは本当にすごいと思ったものだ。
「さて、ミストル王女どこにいるんだ?」
俺は、カリウスたちとある程度の雑談をした後に、カリウスにそう訪ねていた。
「ミストル殿だったら、こちらです!」
カリウスが、間髪入れずにその質問に返す。
「これからよろしくお願いします、グレース様!」
そう言って一歩前に出てきたミストル。
その姿を初めて見た時、俺は妙な感覚を感じたのを覚えている。
王女のはずなのに、ミストルはどこか”戦士”のような雰囲気をまとっていたからだ。
「こちらこそよろしくお願いします! ミストル様」
するとミストルは、それに対してこう言い返した。
「グレース様、私に「様」など不要です」
ミストルは、はっきりした声で言った。
「私は、この国に役に立つために来たのですから...................」
一瞬、場の空気が静まり返った。
それは、単なる宣言ではなく、覚悟の宣言であった。
「私は、ルーンハイムの王女ではありません.......」
ミストルは、ゆっくりと続けた。
「これより先は、ヴァルキリアのために生きさせてもらいます............」
その瞬間に俺が感じ取ったもの。
それは、王女という肩書を捨てて、本気でこの国のために生きようとしている少女の覚悟だった。
「わかった.............」
俺は静かに答えた。
「これからよろしくな、ミストル」
「では、魔法を見せてくれ」
翌日、俺達はミストルの魔法を見せてもらうために、地上部隊の訓練所に集まっていた。
目的は一つ、ミストルに諜報というものを任せられるかどうかだ。
結局のところ、あの後の会議によって正式に俺の直属で諜報部隊が組織されることとなった。
諜報となれば、専門の知識というものが必要となる。
そこで、ミストルの危険地帯にたくさん行ってきた経験が役に立つということだ。
「それでは、行きます.........................」
ミストルは、少し緊張した声で静かにそう言った。
するとどうだろう、次の瞬間にはミストルが消えていたのだ。
「なっ......................!?」
当時、あの場所にいたものは皆息を呑んだ。
「いかがでしょう......... これが一つ目の魔法である、透明の魔法です」
声だけが響き、次の瞬間ミストルの姿が現れる。
「では、次行きます」
すぐさま、ミストルは二つ目の魔法を発動する。
次の瞬間、またしてもミストルの姿は消えていた。
だが、そんなことを認識した瞬間にミストルは、戻ってきた。
「これをどうぞ................」
そうしてミストルが渡してきたのは、俺の執務室においてあるはずの刀だった。
「これが、二つ目の魔法である瞬間移動の魔法です...................」
この二つの魔法は、ミストルがスパイをするのに十分すぎるほどのものであった。
「ミストル...........」
俺は静かに、そしてはっきりと言った。
「ミストル、お前を諜報部隊の指揮官に任命する!」
東暦7028年6月18日
この日、ヴァルキリア王国において、初めて”諜報”というものを担う者が誕生した。
後にミストルによって指揮される諜報部隊は、この大宇宙で暗躍し、ヴァルキリアを幾度となく救うこととなる。




