File37.彼女の追憶
──前回のあらすじ──
改変された現実の中、遂に自分こそが白龍の真神類であることを思い出し、己の過去と向き合うことに決めた明大。
時同じくして、直感に従い、セカイと別れた誠良は、日常に戻ろうとした明大の元へと辿り着いたのだった。
彼と会ったのは偶然だった。…ううん、きっと運命だったのかもしれない。そうに違いない。
ある夏休み、妹を連れて、森の中に入った、あの日。私は、彼を知った。
「──オレはアキヒロ!よろしくな!」
正真正銘、私にとって最初で最後の恋。竜のような大木の下で、それが私達の、幼馴染と呼ばれる関係の始まりだった。
彼は優しかった。周りに敵を作ってしまうくらいに。
彼は強かった。多少の理不尽では折れないくらいに。
学校が始まってからも、関係は続いた。放課後に大木の下で会っては、他愛の無い話をする。唯一弟には教えていない、私達だけの、そんなありふれた毎日。…ただ、それも長くは続かなかった。
理由は私が病弱だった、ただそれだけ。
☆ー☆ー☆ー☆
私達と彼の関係が終わったのは、中学校に上がる頃。そもそも別の学区であったこともあり、私の入院を期に会うことはなくなったのだ。
携帯電話こそあれど、子ども達までは普及していなかった時代。故に、私も彼も、連絡先なんて、当然持ってる訳もなく。…彼があの日、ずっと待ち続けていたことを知ったのは、それからだいぶ後の話。
病室の窓から見える、四季の変化こそすれ変わり映えしない景色。そんな日々の中、ずっと忘れられないでいたのは、私の初恋であったから。…我ながら、今思えば有り得ない話だけど、探偵業を営む両親を利用して、彼のことを知るのが、唯一の娯楽だった。
会ったことのない彼の友人に羨み、距離の近い異性に嫉妬する。もちろん、チヨコちゃんもセイラも知らない、私だけの秘密。…両親は察していただろうけど、それ以上口出しすることもなかった。
「カナコちゃん!聞いて聞いて!」
──あたしね、アキくんに会ったんだ。と。
彼への恋慕だけが募り、病室と家を生き来するだけの、そんなある日。珍しくテンションの高い様子で病室を訪れたチヨコちゃんは、満遍の笑みでそう告げる。
曰く、4年ぶりに再会して、でも変わっていなかった、と。
曰く、彼には恋人がいた、と。
会えたことを嬉しそうに、そして何処か寂しそうに。誰かを守るための喧嘩も、浮ついた話も赤裸々に。私も全部知ってはいた事。だけどやっぱり、彼はモテるんだな、なんて分かりきったことを漠然と言い聞かせて、胸の痛みを見ないふりする。…本当は、名前も知らないその女が、羨ましくて妬ましかったけど。病室と友達である私には、その資格は無いと思ったから。
──それでも、彼の全てを知りたくて、終ぞ秘密を辞めることは無かったのだけど。
☆ー☆ー☆ー☆
彼が別れたと聞いたのは、私達が大学に進学してからのこと。 原因は元恋人の浮気。理由は何処までも自分勝手だった。そして同時に、あのゴミ女は、やっぱり彼にはふさわしくなかった。
──私は知ってるよ、チヨコちゃん?慰めるなんて大義名分で、彼を口説こうとしたこと。そして、一夜を過ごしたことも。
ある時を境に、私に彼のことを伝えなくなったのは、その負い目で距離が離れたせいだもんね。…別に否定はしないよ。私だってきっと、動ければ同じことをしただろうから。まぁ、私が許すこともないけどさ。
私が、本当の意味で彼と再会したのは、それからしばらく経ってからのこと。私が服屋に就職して、彼も働き始めた頃。奇しくも、彼にまた、恋人ができた時。病室にこもる必要も、一次的になくなった私は、直接彼の下へ赴いた。
…そう、あくまで偶然。私はあの日、偶然を装った。
「…っ、偶然だな。チy─カナコ、さん」
一瞬だけ、妹を重ねた彼の目。いかにもわかりやすい、未練の残滓。あの時と違い、妙に距離のある呼び方。──ただ、すぐに私だと気付いてくれたことが嬉しくて。別に何も気付かなかったかのように、私は仮面をかぶる。
口を開ければ、どんな愚痴だって許してくれる、何処までも、彼にとってだけ都合の良い女。そこまでしても尚、彼は誠実だった。──そう、自分の恋人を蔑ろにせず、私と距離を離そうとするくらいには。
当時の彼には恋人がいた。…でも別に、私にとってそれは問題じゃなかった。だって、彼がモテることは知っていたから。だからこそ、ある種の諦めがついていたのに。
それでも都合の良い女を演じるのは、きっと全部知っている、という私の傲慢で、そして取り繕えなかった未練なのだろう。
──だからこそ、私は知りすぎてしまったらしい。
「──アンタ、アキヒロのなんなの?」
その日、私と対峙した女が発した言葉。どの口が、と心の中で呟いて、静かに睨み返す。
いかにも彼の恋人として、もっともらしい言い方。彼や、彼の友人達なら騙せたかもしれないけど、私に対しては意味をなさない言葉。
最初は取引先の女、少ない接点から派生した恋人関係──ただ、それだけだった。そう、それだけのはずだった。
調べ始めた当初、よくいる浮気するクズ女か、なんて思っていた。でも、違った。
「彼を──アキヒロさんを解放して」
汚物の返事には答えない。あくまで端的に、要件だけを述べる。一瞬だけ、汚物は驚いたような顔をして、すぐさま笑い取り繕う。
額に滴る汗。今までの体調不良とは違う、全身を走る悪寒。…何か、おかしい。
無意識に握っていた手から、不意に力が抜ける。
周囲の気配に気づいた時には、もう遅かった。
「ふふ、よくここまで辿り着いたねぇ…コレも、愛の力とやら?ふふ、いいわ、特別に教えてあげる。アナタの目の前でじっくり、たっぷりと、ね?」
ねっとりと、そして怪しい目つきで舌なめずりをする汚物。
逃げることはできない。既に、私のからだは言うことを聞かなかったから。慢心していたのだ、私なら彼を救えると思い込んで。これが女同士の話し合いなら、相手は退くと思っていたから。ううん、実際に、今まではうまくいっていたから。例え巨漢に囲まれても、撃退するすべを身に付けて、今回も同じようになると、そう思っていたから。
ゾロゾロと、周囲に群がる防護服姿の人々。思考だけは彼に、助けを求めようとして。取り囲まれた私は、そこで意識を手放した。
★ー★ー★ー★
誠良と合流してから数刻。いつも通り…いや、誠良も一緒ならいつも通りってわけでもないか。俺達は2人して華奈子さんのお迎えに行き、アパートへと戻る道を歩く。
俺と誠良、互いに話したいことはある。が、しかし。今この場において、俺達は特に言葉を交わすわけでも無く、同じ方向を向き進む。
我ながら、実に奇妙な距離感だと思う。まぁ、元々が華奈子さんを通じてできた関係ではあるはずなのだから、ある意味元通りというべきか。ただ、お互いに溝はあるはずなのに、彼に妙な信頼を寄せているのは、俺だけじゃないと思いたい。
「ただいま」
華奈子さんの声。ガチャリと音を立てて、アパートの玄関が開く。
押してきたバイクを置いて、俺達に続く誠良。誰が示し合わせた訳でもなく、席に着いた3人は、少しの沈黙を置いて、静かに息を吐き合う。
「──さて、明大に姉さん」
沈黙を破ったのは誠良。向かいに座る俺達を一瞥して、口を開けた彼の、ここに来てようやく踏み込んだ本題。その瞳はまっすぐに、俺達を見つめていて。だからこそ、もう引き返すつもりも、誤魔化すつもりも無い、と。そう考えた俺は、彼の方へ向き直る。
「わかる範囲でいい。この1週間の…いや、姉さん達がこれまで、どうして今に至るのか。それを、教えてくれ」
頭を下げて、尚も震える声。それは、俺に対する誠良からの懇願。
反射的に、頭を上げさせようとして、回ろうとした口が噤まれる。──今、コイツがほしいのはそんな言葉ではないはずだから。
無意識に握った拳が、一筋の赤を垂らす。何度も脳裏に蘇る、忘れていた光景の数々。──ただ、今、確かに横にいる、彼女の体温を感じて。俺は言葉を絞り出した。
「そうだな、まずは──」
ーーー
糸羽町市内にある、警察が管轄する施設の一角。先の捜索が終わり、目が覚めるや否や、そこに缶詰めになっている女─庄司は、手元のタブレットを前にして、興奮したように天を仰ぐ。
彼女の脳裏に焼き付いた、白龍の怪物と大木の存在。デモルフィネの影響も無く、何故か忘れないでいられた彼女は、時間も忘れて戦利品の解析に勤しんでいた。…尤も、時間を忘れてとは言えど、出雲の見舞いには欠かさず行っていたため、あくまで比喩の域を出ないが。
閑話休題。
タブレットの画面、それが示す情報。尚も興奮を続ける彼女は、持ち帰った戦利品を手に取って、己の口元を静かに歪める。
「──これが、神なのね」
あの時、突如として彼女の前に姿を現した大木、その幹から剥ぎ取った、皮の一部。最初はただの興味本位であった。が、しかし。オリジナルによって、全て無かったこととなった事象。華奈子を除いて唯一、デモルフィネの影響を受けていないはずの庄司。故に。目覚めてから、ソレと共に記憶を持ち越すことができた彼女は、一つの仮説を立てた。
──件の大木は、神の一部ではないか。
正確には、オリジナルの生み出した神域か、それに近い何かであるだろう、と。彼女にしては珍しく、データではないスピリチュアルな結論。だからこそ、改めてソレを解析した彼女は、そう言葉を漏らした訳で。
覗き込んだデータが示すのは、オリジナルと全く同じ波長の、それでいて全く違うもの。ただ、一つわかったことがあるとするならば。自分も含め、あの日、あの時、あの空間にいた全員は、既に一つ先の存在へと、片足を踏み込んでしまったということだけだった。
ーーー
「──と、まぁこんな感じだ。…あくまで俺が思い出せたのは、だけど」
相変わらず、空白の記憶はわからないけど、と。そう付け加えて、俺は華奈子さんが用意してくれたお茶に口を付ける。
誠良に話したのは、怪物─オリジナルとして動いていた、俺の話。記憶を失う前ではなく、目覚めてから活動していた分の、俺の話。
思い出したことを簡単にまとめると、俺はこの半年で幾度と無く、オリジナルとして真神類を屠ってきた。そして、その度に世界を、華奈子さんが生きている状態に書き換えた。
…つまり、本当なら華奈子さんは何度も死んでいて、俺は、華奈子さんが死ぬ度、オリジナルとなり暴れ、その死を無かったことにしていた、ということ。
俺自身、確かめようと何度試しても、任意で変身することはできなかった。が、しかし。今思えば、目覚めてから兆候─というか、おかしいことは起きていたのだ。異様に力加減が難しかったり、回復が早かったり、気配に敏感になったり。ただ、それを違和感として受け止められなかったこと自体、俺は既に人間を辞めてしまったということの証明に他ならない訳で。
今でもまだ、自分のことだが半信半疑ではあるが…こうして語ることで、ようやく飲み込めたような気がした。
「──確かに、辻褄は合う、が…そうか」
チラリと華奈子さんを一瞥して、額に手を当てる誠良。こうして彼がオーバーリアクションを取るのは、この場において、内容的に最も反応すべきだった華奈子さん自身が、俺の言葉を補足するように、次々と口を挟んだからに他ならないからであって。客観的に観たら、俺もきっと同じような反応をしていたのは間違いない。
閑話休題。
ある程度誠良が状況を飲み込んで、テーブルに突っ伏していた顔を上げた頃。不意にいい匂いを運ぶ皿が、俺達の間にコトリと置かれる。
時間的には、いつもより少し遅めの夕食。…本当は俺が当番の日だったが、華奈子さんが気を利かせてくれたんだろう。我ながら、こうして気の利く彼女ができたことは、幸運と言う他ない。…尤も、ソレと同時に、どうして怪物と連動しているのか、という疑問は浮かぶわけではあるのだが。兎にも角にも、俺は一先ず考えないようにして、食卓に向かって手を合わせる。
『いただきます』
「いただきます」
重なった俺達の声と、遅れて出た誠良の声。流れる沈黙と引き換えに、3人で彼女の手料理に舌鼓を打つ。
怪物となっても尚、腹は減るのだ。見方によってはただの、何気ない日常よ一幕。でも、こうして食卓を囲める今だけは。
──俺自身は人間のままだと、そう思える気がした。
名前:綾瀬(??)
性別:女
備考:華奈子が働く服屋の支店長。眼鏡をかけた初老の女性で、病弱時代の華奈子を覚えている人物の一人。
雇った当初から、華奈子が一途に明大を思っていたことを知っており、恋人同士となり進展したことを自分事のように嬉しく思っている御人好し。
【底根商社】
・かつて明大が勤めていた会社の、その取引先。
・明大を含め、取引先関係者が次々と真神類被害にあっているが、その関連性は不明。
・表向きは名前の通り、流通を担う会社であったが、既に倒産しているため、その実態は謎に包まれている。




