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File38.原初の誕生

──前回のあらすじ──


 誠良、そして華奈子と合流し、何事もなく、共に住んでいる部屋へと帰宅した明大。

 それぞれの想いが交錯する中、明大は、自身たるオリジナルが華奈子の死に反応し、その度改変していたことを告げたのであった。

 誠良に思い出したことを告げてから、数日。あれからというもの、特に大きな変化も、事件もなく、本来そうであった日常が、穏やかに流れていた。


「さて、どうすっかな…」


 雑踏に紛れては消えていく、俺の呟いた声。自身が怪物(真神類)である、と。そう認識して、自覚しても尚、日常とは案外何も変わらないものであって。…強いて、変わったことをあげるとしたら、意識して力加減や周囲からの情報を調整できるようになったくらいか。重要ではあるが、あくまで日常の延長線なことも相まって、あまりその恩恵を受けてない節はある。まぁ、それが無意識下でできるようになったのが、一番の成果といっても差し支えない。


 特に宛もなく、思い付いたままに町中を歩く。こうして周囲を覗いてしまうのは、自分の過去への未練か、はたまた好奇心によるものなのか。移り変わる景色を他所に、ただ足を動かし進む。

 相変わらず、俺の三年間──正確には、昏睡前の2年間か。その記憶は、未だに空白のまま。十中八九、どういう経緯で俺が怪物になったのか、それに付随する出来事があった期間なんだろうが…まぁ、忘れているということは、きっと碌でもないことのはずだろうし、おそらく全容を知っているであろう華奈子さんが、一向に離すことがないあたり、無理に思い出す必要は無いのかもしれない。少なくとも、あの部屋(・・・・)で見たモノに拒絶反応を起こしたのだから、俺の精神衛生上わざわざ触れる気も起きないしな。



 学生の集団を抜け、通学路から離れた小道に出た、刹那。


 ───ゾワリ。


 久しく感じた、全身の毛が逆立つような、この得体のしれない悪寒。自分が怪物であると、認めた今ならわかる。今までの──いや、今感じているこの気配は、真神類の発するものだ、と。

 周囲の人影が消え、淀んだ空気が、外界と切離されたかのような錯覚。ゆっくりと近づいてくる気配を前に、俺は少しだけ重心を落として、咄嗟に身構える。



「──タナベアキヒロさん、で間違いありませんよね?」


「──っ」



 鼓膜を震わす女の声。建物と木々の隙間、そこから差し込まれた日の光。詰まる俺の息に呼応するように、ソレは一瞬だけ、目前の景色で照らし出すと、近づいてきた声(気配)のシルエットを、俺の網膜に映し出した。



ーーー



『over charge』



 時は明大が、いつものように華奈子を職場へ送り届けた直後。人気のない広場の一角にて、響く庄司の声(システムボイス)と共に、2人(・・)の銃型デバイス(レイテュール)から放たれたレーザー弾が、真神類に触れては爆発する。


「目標沈黙、ね」

「よし、じゃあ報告するかー」


 目標の鎮圧を確認しました、と。コトハ(カフラマン)に続けて呟いて、メットのインカム部分を抑え任務完了の報告を済ませるセカイ(ヒロアス)。地に伏せた半裸の男(真神類だった人間)を一瞥した彼らは、レイテュールからデモルフィネを引き抜いて、静かに息を吐き捨てる。


 彼らにとって、真神類の討伐とは、元々ごっこ遊びの延長線上に位置していたもの。ただ、件の女に騙されたことがわかり、庄司や出雲、そして誠良(先輩ヒーロー)に触れたことによって、いつしかソレは、責任を帯びた使命感へと、そう変わっていた、その矢先のこと。

 目まぐるしく変わる日常に、自分達だけが取り残されたかのような、現実そのものの改変。明確に、そして本能的に、自分達では勝てない(・・・・)と、そう思わせる真神類の存在。庄司経由とはいえ、情報だけでもその正体となる人物を知れたのは、不幸中の幸いか。詳しくは知らないものの、少なくとも、一度以上は自分達と面識がある上、彼なら敵(・)にはならないだろう、と。そう思える相手であったのは、安心であると同時に、悲劇でもあるわけで。

 真神類であれば倒し、人間に戻す。庄司の問いかけに答、2人で立てた、絶対的な軸。一度直接対峙したからこそ、それが難しいと、本能的にわかってしまったことが、その在り方に影を落とす。


「──セカイ?」

「…いや、なんでもない」


 駆け付けた救急隊の姿を横目に、ヒラヒラと手を振るセカイ。その理由はわかるが、コトハがあえて口にしないのは、信頼がなせるが故か。少なくとも今、2人が真神類事件の解決に奔走しているのは、これをこなすことによって、何か見えてくると、一縷の望みをかけているからであって。だからこそ、淡々と過ぎる現状に、地に足がつかなくなっているのだが。


「とにかく、飯だ飯。腹が減ってはなんとやらって言うしな」


 そう取り繕うように呟いて、踵を返すセカイ。


「腹が減っては戦ができぬ、ね。──あ、そういえば冷蔵庫の中もそろそろ尽きてきてたし、ついでにいくつかストックしとくわよ」


 スキップをするように1歩。彼の隣に立っては、言葉を続けるコトハ。はいはいどうせ荷物持ちですよ、なんて軽口を叩く彼を横目に、彼女は静かに口元を緩めると、また一歩、今度は同じ歩幅で前へと踏み出した。



ーーー



 大気が沈み、なんとも言えない苦しさが、俺の周囲を包み込む。

 目の前に現れたのは、きらびやかな衣装を身に纏った女。おおよそこの場にそぐわないであろう、娼婦といったところか。…ただ、俺自身の仮説が正しいとするなら、間違いなく怪物(真神類)だというオマケがついてくるわけだが。


「ふふっ──その反応なら、やはりそう、貴方が…ね」


 一方的に呟いて、口角を上げる女。普段というか、学生時代までの俺なら、脱兎の如く逃げていたはずだ、が…今回はどうも、そうはいきそうにない。なら──


「えっと、どちら様でしょうか…?俺の知りうる限り、貴女と面識は無かったはずですが?」


 俺が今取れる選択肢。それは淡々と、そして若干の怯えを込めて、全力でとぼけること。

 これは正直賭けではある、が…向こうを怪物だとわかっている以上、変に敵対するのは愚策でしかない。怪物状態(オリジナル)ならともかく、今の俺は、少し身体強度が高いだけの一般人にすぎないしな。…まぁ、この女が俺同様に相手を判別できる術を持っていたのなら、お手上げにも程があるが。俺の反応を見た(・・・・・・・)という発言が真であるなら、或いは──


「──おっと、これは失礼しました。自己紹介がまだでしたね」


 警戒する俺を他所に、まるで素で思い出したかのように声を上げ、立ち止まった女。徐に、そしてやたらと扇情的な仕草で。自らの胸元へ、その手を伸ばした彼女は、そこから1枚のカードを取り出すと、慣れた所作で差し出し見せる。


 …派手な装飾に源氏名「青龍」、ディーオ・パレス──って、もしかしなくても俗店の名刺じゃねぇか!行ったこと無ぇけど!


 思わず女を一瞥して、解きかけた警戒を自分に課す。たしかに、身なりは相応であるし、ディーオ・パレス(鈴村から聞いた風俗店)で働いていたと言われて納得はできるが。それはそれとして、だ。まるで表裏が無いような、ある意味純粋な笑顔。真神類である以上、碌でもないことは確かなはずだが…だからこそ、気味が悪い。


「これは丁寧に、ありがとうございます」


 一先ずの笑顔を貼り付けて、差し出されたソレを受け取る。あくまで社交辞令的な対応、警戒を解く理由にはならない。


 それで、本題は何ですか、と。女の当たり障りの無い店の紹介に生返事を返して、あくまで話の流れに沿って、そう尋ねる。

 話の節々からわかることと言えば、何故か俺について調べていて、そして俺と華奈子さんが付き合っている…と、いう情報まで把握されているということ。やんわりとそういう店(・・・・・)はお断りだと伝えても、まるで後で来ると確信しているかのように、伝えてすらいない華奈子さんの名を出して、勧誘をしてくる始末。

 勝手に調べられた挙げ句、交際相手をボロクソに言われるのだ。俺の内心はともあれ、ここで少しだけ嫌悪感を顔に出してしまうのは、話の流れ的にもおかしくは無いしな。


 一瞬の沈黙。ただ、目の前に立つ青龍とかいう女は、待っていたとばかりにその目を輝かせると、無造作に1歩を踏み出しては、俺の手を取り顔を近づける。


「世間を騒がせる怪物について、ご存知ですね?」


 ゾワリ、と。再度、俺の全身を駆け巡る悪寒。耳打ちしてきた彼女から離れるように、咄嗟に1歩退いて、睨みつけながら距離を取る。


 この女、やはり俺がオリジナルであることに気付いている…?だとしたら、俺自身だけ怪物姿になれないこの状況は、コイツにとって絶好のチャンスでしかない、が…


「──っ、一体どこでソレを…」


 警察が英雄(ヒーロー)で無ければ知らないはずだぞ、と。あくまで自分であることは告げず、明確に警戒を表に出す。…そもそも、ここまで詳細に調べられているのなら、俺が何度も襲われていることも、そして鈴村──蝙蝠の真神類と因縁があることは知られているはずだしな。明確に改変している事象ならともかく、真神類同士で繋がりがあるとするなら、そこまでは知られていてもおかしな話でもない。…ただ、俺と真神類そのものを結び付けた情報を開示されていない以上、何処まで知っているかによって、やり過ごせる可能性もある。


 そう警戒しないでくださいよ、なんて到底無理な注文を口にして、妖しく笑う女。押して駄目なら引いてみろを体現しているのか、不意に背を向けて、少しだけ距離を取った彼女は、流し目にこちらを覗くと、ゆっくりと口を開ける。


「──ではもし、貴方の彼女さんが、怪物だとしたら?」



「いい加減にしろッ!華奈子さんが、そんなわけ──」



 思考とは裏腹に、ついて出てしまった否定。口車に乗せられた、とそう思った時には、既にソレは音を伴っていて。女の、過去にないほど口角をつり上げた表情が目に入って、急速に血の気が引くような感覚に襲われる。


「ふふっ、そうですかそうですか」


 不快極まりない笑みを浮かべて、陶酔するように自らを抱く女。もしここで驚くことがあるとするなら、それは女に対してではなく、妙に冷静を取り戻した自分の思考に対してか。

 では、女の今の発言はなんだ?俺が否定することで、彼女が得られるものは何か。俺自身がオリジナルであると、それを知っている前提であるなら、否定は根拠の裏付けになるのか?…でももし、その前提が違っていたら?俺とオリジナルが結び付いていない場合、これによって得られるとしたら、俺が華奈子さんを、怪物ではないと否定したのと同義に──


「アキヒロさん。貴方に一つ、残念なお知らせがあります」


 明らかに歪んでいるであろう、女が手で隠したはずの口元。そして一瞬だけ、悲しむような演技(・・)を挟んだ彼女は、再びこちらに振り返ると、ある種確信めいた瞳で、ゆっくりと口を開ける。


 ──華奈子は真神類である、と。


 再度、あるわけない、なんて口に出そうとして、突き出された指に、口元が塞がれる。そう、まるで皆まで言うな、とでも言うように。

 …冷静になってて考えればある意味、余計なことを言いかけていた訳ではあるが、この場合は奇跡的に、相手に救われた感はある。


 俺が反射的に反論しようとしたこと、それが女にとって確信にでもなったのだろうか。まるで宗教勧誘でも受けているかのような、一方的なまでの言葉の弾幕。

 要は、お前の恋人は怪物だから、交際を続けるべきではない、と。曰く、怪物(真神類)は人の備えるべき欲求や機能を喪っているのだから、対応のほとんどは演技に他ならなくて。それでも尚、本当に愛していると言うなら、人間に戻す他に方法は無い、と。


 確かに、一理あるようにも聞こえる、耳心地の良い言葉の数々。そんな女の話を半分に、俺が客観的に分析できているのは、俺自身が怪物であり、そして女が怪物であると知っているからだろう。尤も、怪物である俺自身が、一応人間として、自我や肉体を使えている以上、おかしな点もあるにはある。が、しかし。


「そんなこと…信じられる訳が無いだろ!」


 節々に出てきた、華奈子が怪物である、と。その事実のみを否定するだけの、我ながら迫真の演技。少しだけ混ぜた否定の感情は、白々しくも彼女を否定したこの女の言葉に対して、だけども。

 もしかしたら、本来怪物(真神類)同士は、相手を判別できないのでは、と。言葉の節々と、そして今まで対峙した怪物共を思い出して、そんな希望的推測が、俺の頭を過る。…だが、もしそうだとしたら、この女の狙いは何だ?オリジナルが華奈子さんだと誤認したとしても、人間であると認識した俺相手に、わざわざ話す必要性も──


「──ふふっ、そうよね。…でも、安心して」


 ニヤリ、と。妖艶な──しかし下卑た笑みを浮かべて、不意に俺の胸元を指でなぞる女。ゾワゾワと不快な感触。まるで品定めでもするかのように、密着しながら輪郭を撫でてきたかと思うや否や、不意に硬い感触(・・・・)が、俺の胸に押し当てられる。


「コレを使えば、貴方は彼女さんを戻せる英雄(ヒーロー)になれる。使い方は名刺(カード)の裏にあるわ」


 慰めて欲しいときはお店に来てちょうだい、と。囁くように、そして一方的に呟いて、香水の匂いが熱と共に離れる。

 一眼レフカメラほどの大きさだろうか。押し付けられるように掴まされ、手元に機械と、見覚えのある鉄片(エピペンのようなもの)。ただ一瞬、視線を女から外してしまった、その刹那。重苦しい空気と共に、彼女の姿(気配)が消え去って。人々が往来を再開させる中、俺はその場に立ち尽くしていた。



★ー★ー★ー★



 まず、最初に感じたのは、冷たく、固定されているであろう手足の感覚。そんな不快感に伴って、ゆっくりと意識が覚醒する。

 窓もなく、薄暗い部屋の中。まるで廃墟のようでもあって、それでいてしっかりと手入れされた、薄気味悪い空間。動かそうと私(自分)の手を見れば、固定しているであろう金具が視界に入る。



「お目覚めのようね。お嬢さん」



「───っ!」



 不快に私の鼓膜を震わせる、汚物の笑うような声。突如として付いた明かりに、思わず顔を顰めては、静かに瞼を開ける。


「アキヒロさん!」


 反響した自分の声が、私頭をガンガンと揺する。

 目の前に立つ汚物──そんなものよりも強く、網膜に焼き付いてしまう光景。私が、見間違えるはずのない、最愛の人。SFに出てくる培養ポットにも見える、半透明な筒状の何か。様々な管に繋がれ、死んだように眠る彼の姿が、その中に閉じ込められていて。


 再び名前を呼ぼうとして、不意に口元が強く抑えつけられる。


「あーあ。声、届かなくなっちゃったわねー」


「──っ、──!」


 わざわざ私の耳元に近づいて、囁き笑う汚物。

 そのまま見ていなさい、と。言外に語って、盛大に歪められた汚物の口元。再び彼の下へ、その足を動かした彼女は、ポットの中から取り出された(・・・・・)彼を、舐め回すように撫で回し、悪意を持ってほくそ笑む。



 ──そこから先は、地獄だった。



 身体の自由も声すらも奪われ、気絶することも許され無い状況。目の前で解体(・・)され、弄りまわされる(・・・・・・・・)彼を、私はただ、見ることしかできなくて。悍ましいほど飛び散った赤い血が、繋がれた管を、床を、連中を、私の顔を汚し、染め上げていく。


「──あは、アハハハッ!流石の親和性!この耐久力!嗚呼…流石、神に触れた(・・・・・・)ことがある存在。なんて、愛おしい(・・・・)」


 ぐちゃぐちゃの臓器を浴びて、恍惚の表情を浮かべる汚物。素人目に見ても、明らかに、そして確実に息絶えているであろう、目の前の惨状。神降ろしだとか、神事だとか、そんな都合の良い言葉を並べて、汚物がふとコチラへと顔を向ける。


 ぴちゃり、と。自らに垂れた赤い雫を、嬉々として口にする汚物。ゆっくりと近づいた彼女は、口元に滴るそれを拭って、狂気のままに語り出す。


 ──曰く、この世界にはかつて、この世の因果すら捻じ曲げという、異界からやってきた神がいたのだ、と。死して尚、龍のような大木としてこの地に根付いた神(ソレ)を、汚物たちは、先祖代々崇拝していたのだ、と。


 神下ろしと称して、秘密裏に行われていた実験。それは、かつて大木から得られたという一部を用い、多くの人々に接種や投与させる、というもの。その殆どは、当然のように拒絶反応を起こし、死亡していく中で。偶々目についてしまったのが、彼だったということ。

 最初は表の姿で、ただの取引先として交流していただけの関係。ただ、世間話で彼が漏らした、「幼い頃に巨木を見たことがある」という内容から、神に触れた、と解釈した汚物達は。偽りの恋人関係へと進展させ、経口・投与による混入接種を繰り返していたのだ、と。


 当てつけのように、そして自らの正当性を主張するかのように。私の鼓膜を震わせては、脳内に処理されていく情報の数々。

 こうしてわざわざ聞かせているのは、私が浮気の可能性がある、と説得したことが原因で、彼が混入されていた弁当や行為を断るようになったこと。そして、別れ話に踏み切った為、強硬手段に出たのだ、と。私の意図とは違うけれど、汚物にとっては、予想外の邪魔者だったからに他ならないだろう。


 そしてそれ程までに、拒絶反応を起こさないという彼の存在は、汚物達にとって重要な意味を待っていたのだ、と。


「アハハっ──そうね、アンタには特別に見せてア・ゲ・ル」


 ゾワリ、と。幾度目となる悪寒。いつの間にか、塞がれた筈の口元の、そして手足拘束を外されていたという事実に、思考が追い付いた、その瞬間。不意に襲ってきた、首元を締めつけられる感覚。まるで見えない手(・・・・・)のようなソレを前に、吐き出そうとした息が、喉の奥で詰まる。


「──どうかしら?これこそが、神の力の一端…!ただ経口摂取しただけでこの恩恵ッ!嗚呼──なんて素晴らしいッ!」


 狂気に満ちた目と、恍惚とした表情。朦朧とする意識の傍ら、まるで言い聞かせるかのように語る汚物。

 加速する思考は、走馬灯のようなものか。通常なら理解すら難しい超常現象、サイコキネシス。自分をつかむコレは、おそらくそれだろう、と。冷静に考えられるのは、このまま私の命が尽きかけていることに、他ならなくて。

 どうせこのまま死ぬのなら、彼と一緒がよかった…なんて、諦めかけた刹那。突如として襲ってきた妙な浮遊感と共に、赤い水溜りへと、身体が強く叩きつけられる。


「──あーあ、危ない危ない。アンタにはまだ、死んでもらっちゃ困るのよねー」


 心底残念そうに、コチラを見下しながら、彼の元へと踵を返す汚物。幾度目かの、当てつけのような表情。そして無造作に、彼の中へと手を入れた彼女は、そのまま口角を上げ見せつけるようにして、腕を引き抜く。


「ぁ…ぁ──」


 声は出なかった。ただ、転がされた彼の肉体(からだ)が、私に触れて止まっただけ。

 血溜まりに沈む彼は、何も知らないような、穏やかな顔をしたままで。切り離された鼓動の音だけが、掲げられた汚物の手の中で、尚も響く。


「この無尽蔵なまでの力!鼓動!──嗚呼…ようやく、ようやく悲願が達成された!」


 汚物の手に収まるのは、肉体から離れても尚、鮮血を出し続ける、彼の心臓(モノクロの塊)。この光景が表すことは、つまるところ一つしか無いわけで。

 ──あとは、と。放心する私を余所に、腕を掲げたままの汚物が、その口を開ける。


 古今東西、神に捧げるための、最後の生贄。純潔な乙女を捧げることで、神は顕現するのだ、と。それ故に、彼と同じく神に触れた(・・・・・)私を、こうして生かしたのだ、と。


 不可視の腕で抑えられているわけでもなく、ただ、動かなくなってしまった足。咄嗟に、彼の肉体(からだ)を抱き抱えたのは、目の前で起きた現実に対する抵抗か、はたまた、逝ってしまった彼への未練か。


 ビチャビチャと、鼓動と共に液体を撒き散らしながら、汚物が近づいてくる音。私の感情とは裏腹に、今更になって溢れた涙が、迫る輪郭を歪めはじめて。伸ばされた手を前にして、強く、瞼を閉じる。



 ──助けて。アキヒロさん。



 せめて、話だけでもしたくて。それでいていつかのように颯爽と、笑いながら守ってほしくて。そんな浅はかで、都合の良い願望を願ってしまうのは、まだ温もりの残る彼だったものが、自分の手に残るからだろうか。最期に、もう一度逢いたかった、と。ある種諦めのような、そんな覚悟を決めた、その刹那。


「──ッ!?何が起き…t…」


 突如として離れていった、目前にいたはずの汚物の声。

 反射的にゆっくりと、瞼を開けて。飛び込んできた光景が、網膜に映っては焼き付いていく。


 それは、急速に老化し、塵となって消える汚物の姿。

 それは、淡く輝きを放ちながら、肉体を形成していく(・・・・・・・・・)彼の心臓(モノクロの塊)。


 まるで白い龍のような、神々しくも禍々しい、人型の怪物(ナニカ)。それが世界に、産声を上げたのと、同時に。腕の中にいた彼(肉体)が、枯木のようになっては、塵となり、崩れ消えた。



☆ー☆ー☆ー☆



 最期に意識が覚醒したのは、既に全てが終わった、その後のこと。瓦礫の下、身体を起こそうとして、伸ばした右腕だけが、ダラリと垂れては頭上に落ちる。

 視界の端に、少しだけ映る建物の残骸。見なくとも確実に、下半身は潰れている。だって、感覚の一切も消えているから。どう考えたって助からない、明らかな致命傷。こうして意識を保っていられるのは、アドレナリンによる興奮か、はたまた、汚物共に盛られた薬のせいか。いずれにせよ、未来は変わらないのだけれども。


 ガサリ、と。ゆっくりと近づいてくる、瓦礫を踏み込む音。


 怪物が現れた、あの後。ソレはたちまち、駆け付けた防護服の連中を消し去り、人も、施設も、何もかも、文字通り全てを破壊した。病弱な私だけがこうして、瓦礫に押しつぶされても尚、少しだけ生き永らえているのは、芸の込んだ皮肉でしかない。尤も、助かる保証も無いけれど。


 ただ破壊衝動のまま、生き残りを探していたのか、再び私の視界に映る、白龍の怪物。何度も再生を繰り返したであろう、赤い液体を滴らせるソレは、こちらにそっと、鋭利な腕を伸ばして。


「──アキヒロ、さ…?」


 血反吐と共に出た声が、周囲の空気をピタリと止める。


 実にオカルティックで、現実味の無い、今(・)。ただ、それを現実たらしめているのは、風前の灯たる、私自身の残り(・・)だけ。

 

 あの時、確実に助からなくて、喪った筈の、最愛の人。だけど、理屈でも、理性でも無く。私の本能が、魂が、この怪物が、彼である、と。そう確信して、理性へ強く訴える。



「───っ、カナ…コ、さ…なん、俺…?っ!?」



 チカチカと、彼(怪物)の蒼い瞳が、声を乗せては揺れる。

 奇跡と言うには血生臭く、屍の上にしか成り立たない、私達の再会(・・)。ただ無意識に、私の伸ばした右腕が、膝から崩れた彼の、その頬に紅い手型を遺す。


 伝えたい事は色々ある。汚物のこととか、こう成り果てるまで気付かなかったこととか、待っていたことに対する懺悔だとか。それでも、一番最初に、ついて出た言葉。



 ──愛してる。どんな時でも、どんな姿でも、私はずっと、貴方を愛している。



 音に出たかはわからない。だって、もう何も聴こえていないから。だけど、怪物に成り果てても尚、私を心配し、私だけを見てくれるその姿が。とてつもなく幸福で、そして根拠も無く、伝わっているのだと、確信を持つことができて。力を喪った腕が、私の制御から解放される。



 そういえば汚物は、神を顕現させるのだ、と言っていたっけ。因果すら捻じ曲げるという、圧倒的な力を持つ神。…今まで、産まれてこの方、神を信じたことなんて無かったけれど。もし彼が、真に神へと至ったのであれば。信じてもいいのかもしれない、と。



 ──どうか、貴方がこんな悲劇を思い出さず、十字架を背負わずにいられる世界に変えてほしい、と。そしてあわよくば、私だけが、彼にとって唯一でいられたらいいな、なんて。



 怪物─ううん、神(・)となった姿のまま、私を想い、涙を流す最愛の人。その垂れ落ちた雫が、抱えてくれた温もりが、確かに私に伝わってきたような気がして。私は、彼の腕の中で意識を手放した。



★ー★ー★ー★



「──なんのつもり?」


 せっかくの戦利品を手放すなんて、と。とある建物の、その一室。彼女の居城(ヌセイリンの研究室)と化した室内に、ビャステコの声が響きわたる。


 数刻前、明大との接触を終え、自らの部屋へと戻ってきたヌセイリン。ビャステコが異変に気付いたのは、彼女がその手に、何も持っていなかったからに他ならなくて。紛失した(持ち出したはずの)戦利品(サプレスバックル)の行方を問いただし、そして今に至る。


 ヌセイリンが渡したという相手──田辺明大。それはかつて、底根商社の関係があるとして、自ら(ビャステコ)が暗殺の対象、その候補としてあげられていた男。尤も、自分達が活動を始めた期間の入院歴と、鈴村(始末した元部下)のもたらした記憶障害という内容故に、それ以降の手を引いていた人物ではあるが。彼女にとって、ホルスザクが因縁をつけた相手、という認識が記憶に新しい。


 コツリ、と。きらびやかな衣装を翻し、自らのタブレットへ手を伸ばすヌセイリン。納得のいかないという、ビャステコの反応を余所に、彼女は光を灯した画面を目に、その口元を確かに歪める。



 思い返すのは、はじめて神を目にした、あの日のこと。当時より娼婦として働いていた彼女にとって、その後を決めることとなった一件。アフターの最中、突如として起きた謎の爆発。客に突き飛ばされ、その場に残された彼女が目にしたのが、全ての始まりだった。


 今尚思い出す、神々しくも圧倒的で、そして生物らしい、神と呼べる存在。

 襲い来る異能を、重火器を、その全てを受けて尚、再生を繰り返し、跳ね返す姿。おおよそ現実味の無い話ではあるが、刺激を求めていた彼女にとって、目が離せない光景であって。ふと、偶然飛んできた、神(人外)の四肢の一部を目にして、一つの考えが脳裏を過る。


 ──ソレを取り込めたら、自らも神(人外)へと至れるのではないか、と。


 好奇心に、そして根底にあった破滅願望に誘われるまま、齧り付いては、啜る。まるで、人間の血肉のような、拒絶したくなるほどの、刺激的な味。

 いつ意識を失ったかはわからない、がしかし。気付けば何も無い自室に、四肢だったと思わしき木片のようなものが一つ。おおよそ人間らしい欲求を失ったのに気付き、自らの力を自覚した彼女は、再びあの場所(・・・・)へ訪れ、惹かれ合うようにして、アマトゥスらとであったのだ、と。

 数こそ減ってしまったが、当初より魅了され同様にして人外へと至った同志達。神へと触れ、真にその仲間と成った自分達を『真神類(マコト)』。そして、敬意と超えるべき目標である原初たる神を『オリジナル』と。それぞれ名を付けて、今日迄歩んできた、この1年。



 ビャステコに生返事をして、思い耽っては笑みを零す。


 ──自分達とは対照に、人として生き、恋人まで作った原初の神(オリジナル)。そして、その恋人たる、あの男。触れた限り、一般人でしかない(・・・・・・・・)彼が、その正体を知ったらどうなるのか。拒絶か、或いは蛇の言葉に(・・・・・)耳を貸す(・・・・)のか。同時に、絶対的な神が、愛する者から反逆された時、ソレは一体、どんな反応を返してくれるのか。


 彼女(ヌセイリン)にとって、自分が創り上げた盤面。訝しげに視線を寄越すビャステコのことなど露知らず。その結末を妄想し、自らを抱き締めた彼女は、甘く暖かい息を絶頂と共に漏らすのだった。



ーーー



 

「──ちゃん。佐倉ちゃんってば」

「──っ!?」


 糸羽町市の一角、大通り沿いの服屋のバックヤードにて、華奈子の裏返った声が、強く響き渡る。

 

 久方ぶりに見た悪夢。明大と夜を共にしてから、見ることの無かった悪夢。その内容は、幾度と無く繰り返した、自分の軌跡であって。激しくなる鼓動が、思考のリソースを奪う。


 …大丈夫、まだ何もない。


 覗き込む同僚にすら気付かず、自らに言い聞かせること数刻。なんとか呼吸の仕方を思い出して、静かに拳を胸に当てる。

 時計を見れば、14時を回っていて、本来なら既に休憩が終わっている時間。どうやら、休憩を貰ってから寝過ごしてしまったらしい。慌てて席を立った彼女は、周囲を一度見渡して、静かに息を吐く。


「えっと…すみま──」


「よかったぁ…もう、目覚めないのかと思ったわ」


 謝罪の言葉よりも早く、同席した女に有無を言わさず抱き締められる。

 支店長と呼ばれた彼女曰く、魘されていたのだとか。見るからに体調がすぐれていないから、と休ませたはいいものの、一向に起きる気配が無かったから、と。本来なら仕事中ではあったはずだが、同僚達が彼女を休ませて、その仕事をカバーしていたのは、生来の人徳のおかげか。尤も、こうして仕事が回っているのは、支店長も同僚達も、華奈子が病弱であった頃の経験があったからではあるが。


 支店長から離れ、改めて謝罪と礼を口にした華奈子。ただ、妙にこびりついたあの日(・・・)のことが、彼女の胸をざわつかせて。誰にとってではなく、何か良くないことが起きたのではないか、と。具体的には、彼の身に、女の影が近づいているのではないか、と。乙女の勘が、自らの思考に警鈴を鳴らす。


「──っ、ごめんなさい支店長!私もう帰ります!」


「──ぇ?ぁ、ちょっと智代子ちゃ──」


 バタン、と。勝手口の閉まる音が、支店長の声を打ち切る。

 彼女にしては珍しい、衝動に任せた行動。叱責はあとで受ける、と。そう未来の自分に責任を押し付けて。職場を飛び出した彼女は、愛する男の元へと、その足を踏み出した。

名前:庄司(ショウジ)(??)

性別:女

備考:警察の対真神類用に作られた研究機関の職員であり、出雲の元同僚。

 自身が開発した対真神類用携帯型特殊武装「サプレスバックル」のデータを元に、セカイとコトハが使用するレイテュールを対真神類専用の装備へと仕様変更を施した。


 明大・華奈子の失踪騒動以降、持ち帰った大木の一部(・・・・・)の影響を受け、デモルフィネの使用をせずに改変の影響を受けなくなった。





『真神類(マコト)』

「A being who declared themselves a god and transcended humanity」

・突如として糸羽町市に現れた、人間から変貌した怪物。

・存在の大きさに応じたステージがあり、オリジナルという例外を除き、主にデモルフィネを用いた個体と、オリジナルから直接因子を取り込んだ個体(※)の2種類が存在する。

・人間を殺すことで、吸い上げた生命に応じたアンゲロスを再生することが可能である他、真神類を殺すことで殺した相手の存在そのものを吸い上げ、自身の力とすることができる。尚、真神類によって殺された人間は消滅し、真神類のままであれば水分と養分を吸い取られた変死体と化す。


※真神類幹部(アマトゥス、ヌセイリン、ホルスザク、ビャステコ、ゲアジェント)のみが該当し、いずれもオリジナルの四肢を喰らうことで人外となった。


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