File35.薄氷上の日常
──前回のあらすじ──
1週間の捜索の果て、ついに明大と華奈子の居場所へ辿り着いた誠良達。
そんな彼等を待ち構えていたのは、白龍の怪物へと変貌を遂げた明大と、それを止めた華奈子の姿だった。
子どもと戯れる彼を見てから、早一月。いつもなら待ち遠しかったはずの28日、ベッドの上に仰向けとなったアヤは、転がるスマホの電源を落とす。
「…バカみたい」
月に一度、心を躍らせ出勤していたはずの今日。体調も別に悪くないが、珍しく──否、産まれてはじめて、仮病で休んだ彼女は、目元を腕で覆い、自問するようにそう呟く。
二つ返事で、すんなりと受け入れられた休暇。アヤの恋心…というか、その心境を理解した店長なりの好意なのだろう、と。わかりきった現状に甘えて、幾度目の息を吐く。
職場で、月に一度会う。否、月に一度しか会えない、店員と客というだけの関係。2年の積み重ねがあるとはいえ、アヤが白髪の彼について、知っていることは少なくて。
一月前のあの日。彼を「パパ」と慕った子ども達──そう、冷静になって考えれば、自分が出会った頃には、彼は既に父親であったのだ、と。幾度目となる思考に思い至った時、勝手に募らせ、期待していた恋慕が、己の心臓を握鷲掴む。…所詮は、生娘の妄想。そう囁く自分が瞼裏の闇に紛れ、消える。
「…勝手に期待して、これじゃあとんだピエロね」
数回話してわかるくらいには、彼は良い男なのだ。一目惚れしたその相手に、配偶者はおろか、恋人すらいないと決めつけていた自分が浅はかだっただけで。…そもそも、彼を7年前の初恋と重ねた地点で、端から破綻していたのかもしれないけれど。
吐き捨てた息が、舞い上がっては振り注ぐ。
いつか、より深く言葉を交わし合って、その先に進むという虚構。理性では打ち砕かれたと理解しても尚、頭を過るソレは、最早呪いであるか。
いっそ、本人の口で玉砕したかった、と。未練を引き摺った彼女は、照明の差す天井へと、手を伸ばした。
★ー☆ー★ー☆
鈍痛が全身を襲い、草木の生臭い匂いが舞う。
光を遮る森の中。ゆっくりと、意識を覚醒させた誠良は、重い瞼をこじ開けて、その上体を揺り動かす。
「──っ、ここは…」
呟く声の鳴る刹那、羽ばたく鳥の音が、木々を揺らして。ざわつく森の音が、彼の記憶中枢を刺激する。
──姉とその彼氏の捜索。果てに、辿り着いた寂しき居城。ただ一瞬、殺されかけた姉が、自らを一蹴した怪物が、脳裏に過って。過呼吸になった息で、なんとか胸を上下させる。
「──は、っ…姉さん!明大ッ!」
なんとか声を張り上げて、周囲の景色をぐるりと見渡す。
覆い茂る草木の緑。住居跡はおろか、獣道一つない森の心部。ただ、見ていた記憶こそが幻であったかのように、蒼いバイクが1台、そこに停まっていて。無意識に踏み出した足が、砂埃を被ったソレに近づく。
「アンタも起きたか。…センパイ」
ガサリ、と。草木を掻き分ける音と共に、妙に小綺麗な男──セカイが、そう呟いて現れる。
「アンタもってことは、もしかして──」
「俺達全員、ここで寝転されてた、ってことだな。…目が覚めた場所がここだったからよかったが…未だに、酷い夢でも見てたんじゃないかと思ってる」
明後日を見つめて、そう言葉を返すセカイ。
誠良より一足先、既に目覚めていた彼曰く。誠良と同様に、寝転されていたコトハと庄司。セカイと共に意識を覚醒させた2人は、転がった大蜘蛛だったものをパトカーに乗せ、既にこの場を離れた──とのこと。セカイが残ったのは、はぐれた誠良との合流と調査、情報のすり合わせを兼ねてであるが。
「──じゃあ、オリジナルは…」
「姉さんじゃなく、その彼氏──田辺明大って男だ。少なくとも最後のあの瞬間、明大は正気に戻ってた」
ギリリと誠良の握った拳が、音を立てては血を滲ませる。
誠良にとって、最悪の予想であった、長姉が真神類だった──という仮説は否定された一方。その裏付けである、明大がオリジナルであるという事実もまた、問題でしかなくて。身内である姉が庇っていた以上、少なくとも彼女はずっと明大の正体を知っていたことは明らか。…なら、それはいつから?
あくまで人間として、背中を預けられる、と。そう信じた男──で、あったが故に。気付かずにいた己自身にその矛先を向けるしかなくて。脳裏に過った、2人の後ろ姿が。その「恋人同士」という歪な関係が、そんな思考にノイズを走らせる。
「それはその、なんだ…すまん、言葉が思いつかん」
「…別に、アンタが謝る必要はない」
やることは変わらないしな、と。嘘。期待を寄せた相手だからか、まだ身内でもないのにらしくない。そう、木霊する思考に蓋をして、御託に似た言葉を並べる。
──とりあえず、真実に繋がる痕跡を探そう、と。
深い森の奥で、言葉を交わし、彷徨う2人の男達。それぞれの視点で、悪夢にも似た一連を吐き出した2人は、暫く周囲を散策し、その足を止める。
「──やっぱ何も無い、か」
「ったく…わかってはいたが、真神類の中でも相当厄介な能力持ちだぞ」
記憶を辿ったような廃屋はなく、ただ続いていく森。いつの間にか、反対側に出た彼等は、何も無い森を振り返る。
争った跡の一切が無く、寧ろ不自然なまでの、現実の書き換え。画面越しではなく、己自身が体験した改変は、きっとその一部に過ぎない、と。改めて辿り着いた思考の先で、誠良は一つ、深い息を吐く。
「兎にも角にも、今は姉さん達を探すのが先だ。明大──オリジナルと一緒に消えたってことは、きっと2人は一緒にいるはずだしな」
寧ろ、そうでないと困る。そんな内心を覆い隠して、呟いた声。
ただ無造作に、バイクの中から2つ目のヘルメットを取り出した彼は、自らバイクに跨り乗る。
「…っ、おいセンパイ。これって──」
いいから乗れ、と。セカイへと、放り投げたヘルメットに目もくれず、エンジンを蒸した誠良。
言葉を遮られ、一瞬固まったセカイは、徐に頭を掻いて、ソレを被り歩み寄る。
「悪かったな、デートの相手が俺で」
「いいや、この程度で浮気と叫ぶほど、アイツは小さい女じゃないさ」
軽口を叩く。回した手で、自らを固定する。──それに、あてがあるんだろう?と。セカイの言葉に、誠良は頷きクラッチを離す。
一瞬の空気抵抗と、慣性によって押される身体。男二人、メットの下で口角を上げた彼らは、茂る草木をあとにした。
ーーー
とある建物の、その一室。
カチ、カチ、と。机を叩く爪の音が、薄暗い室内に響き渡る。
「──まだまだ、届かない。ふふ…」
呟いた女の声。声の主は覗き込んだタブレットを伏せ、座っていた席をたつ。
ヌセイリンの関心──即ち、完全な神たるオリジナルの存在。その候補者たる女に大蜘蛛をけしかけ、返り討ちにされた…にも関わらず。手塩にかけた大蜘蛛が撃破されて寧ろ、彼女の心は昂ぶっていて。その歪んだ口元は、歓喜か、はたまた狂気か。現状を、成長の余地があると置き換えた彼女は、静かな笑いを漏らし出す。
「ホルスザクも、偶には役に立ちますね」
吐息交じりの独り言。
1週間前、大蜘蛛から突如として返ってきたデータは一見、手足もでず、一方的に敗北したソレである…が、しかし。ビャステコと、そしてホルスザクの集めた情報──それらを統合することによってはじめて、佐倉華奈子の、その命の危機に瀕した際、彼女がオリジナルと成り、暴を振りかざすという、決定的な輪郭を浮き彫りとさせた。故に。
「恋人が相手なら、どう出るのでしょうねぇ…?」
ひとり、艶やかな息を吐いた彼女は、徐に服を脱ぎ、綺羅びやかな衣装へと、自らの身を包み変える。
彼女の中で辿り着いた、オリジナルの出現条件。元々、関係者にする予定だった男を利用したら、どんな反応をするのか、と。そんな次の一手、その結末を想像して、己の頬を上気させて。──ただ、握られたサプレスバックルだけが、妖しく光を反射した。
ーーー
夕陽が影を伸ばし、橙に景色を染める。
本職の技術を使い、またたく間に情報を集めた誠良。ここからは手分けをしよう、と。一足先にセカイと別れた彼は、その本能に従って、己のバイクを走らせる。
──誰もが違和感を持たない、大規模な改竄。
直近の捜索劇は愚か、1週間前に起きた、同時多発的な真神類の襲撃すらも、何もなかったことになっている事実。尤も、この情報が簡単に集まったのは、誰も彼もが口を揃えて日常を語っていただけにほかならなくて。再び、自分だけが別世界に迷い込んでしまったかのような、そんな錯覚。既視感のある現状が、彼をまた強く突き動かす。
「──っ、頭が狂いそうだ」
信号待ちの交差点で、ひとりそうして吐き捨てる。
次姉の話曰く、進展がリセットされたオリジナルについての情報。だからこそ、その「日常」へ一歩、足を踏み入れる。
「──もう、そんな時間か」
誠良が幻視した、目先に映る男の声。
整えられた街並み、人々が絶えず往来する中。平和に続いていたはずの、その延長線上。逃げも隠れもせず、在るべきいつもへ溶け込んでいたその姿。
バイクを乗り捨て、その間をすり抜けた彼は、思い馳せていたその男へと、足を早めて。伸ばした手で、なんとか彼を引き留める。
「アンタに聞きたいことがある。…明大」
この1週間のこと。長姉のこと。──そして、明大自身のこと。
ゆっくりと、足を止め振り返った黒髪の男は、鋭い眼光の彼と、その視線を交わし合って。何処か儚げに、その表情を崩した。
名前:田辺明大 (26)
性別:男
備考:本作の主人公であり、真神類の原初たる白龍の怪物その人。ヒロインである華奈子の彼氏にして幼馴染。
怪物由来の高い身体能力・回復力を持ち、その無意識下で無機物を『創り出す』事ができる。
元々は人間であったが、ある時を境に神へと至り、意図せずアマトゥスらを魅了することとなった。
名前:深見アヤ(26)
性別:女
備考:糸羽町商店街にある花屋で働く女性。
花屋へ転職してからというものの、毎月28日に訪れていた白髪の男性へ一目惚れした。
修正後も、フィナマノイドと遭遇したことを覚えていられる特異体質。
──7年前の初恋。彼女は、その相手の顔をまだ知らない。




