黒とおとんと時々ガウス
とある道場の前。
そこに黒はいた。
「隙ありいいいいいいいいい!」
道場の門をくぐると、道着姿の男が黒に飛び掛かった。
「あぶなっ」
「あ、避けないでっ」
飛び蹴りをかわされた男は、近くの池に吸い込まれていった。
「誰かと思えば君は和花のルームメイトの黒くんではないか」
「逆に誰だと思ったから飛び掛かって来たんですか…」
道場の稽古場。黒と向かい合って座るのは、和花であるルチアの父。
「…ガウスの定理」
「は?」
父は呟いた。
「ガウスの定理っ!」
「え…て、テブナンの法則…?」
「うむ」
父は満足しているようだ。
「…何読みました?」
「和花の置いて行った電磁気学の教科書」
「急にまたどうして…」
父は泣き出した。
「だって…だってさ…和花が最近帰ってきても全然口聞いてくれないしさ…」
「話題作りってことか…」
だとしたらそれは間違いだろう。黒はそう思う。
「ところで君は何をしにやって来たんだい?」
「いや…何をってことは無いんですけど…」
父はハッとする。
「まさか…娘さんを僕に下さいと…?残念だが彼女は男性です!」
「…娘がグレる理由わかるなあ…」
父は唸る。
「むむぅ…だが君になら和花をやっても構わないと思っているのだよ」
「あたしもさんせーい」
「あ、ユナちゃん」
ルチアの父の背後から突如女子高生が顔を出す。
「ユナ…完全に気配を消すとは…さすが我が娘」
「やだなー、超絶望☆」
「父親ってそういう運命なの?」
ルチアの妹、ユナは黒に擦り寄る。
「和花と黒さんが一緒になれば黒さんはあたしのお兄ちゃんになるもんねー」
「あはは…てかユナちゃん高専行くって言ってなかった?」
ユナは高専とは別の制服を着ている。
「高専はイケメンがいっぱいだし女子も少なくて気が楽なんだけどさー、毎週何十枚もレポート書くのはダルいからやめたー」
「そうでございますか…」
「てか黒くんお嫁に来て!」
「それはおかしいから!」
父と妹に揉みくちゃにされていると、道場の奥にある勝手口から声が聞こえる。
「お父さん…お弟子さんが…」
「おお、もう稽古の時間か」
勝手口から着物姿の女性が現れる。
ルチアとユナの姉、サヤカである。
「ユナも…バイトでしょ…?」
「あ、いっけねー」
ユナは慌てて道場をとびだして行く。
サヤカが黒に近寄る。
「お見送りします…」
「あ、大丈夫ですから」
黒はなんとなく彼女が苦手だ。いつも物静かで考えが何1つわからない。
いそいそと帰ろうとする黒の腕をサヤカが掴む。
「お見送りします…」
「は、はい…」
道場の門前。
サヤカがふいに口を開く。
「…あなた…悩んでるのね…」
「え、いや…」
サヤカは静かに首を降る。
「きっと…和花のこと…」
「…」
黒は閉口する。
「だから…ここに来たんでしょう…?」
「…あはは…お見通しなんですね…」
やはりこの人は苦手だ。
「…忘れられない人がいる。そいつのことを思うと前に進めねえ…俺にはたくさんの仲間がいるの…和花がいるのに…あいつは1人なんじゃないかって…」
「その子はあなたの"空"なのね…」
黒は静かに頷く。
「…そしてあなたは…空からあなたに向かって落ちてきた、息も絶え絶えの"流れ星"に恋をしてしまった」
「…」
サヤカは黒に背を向ける。
「もう帰りなさい…」
"ホーム"の前。
黒はルチアと遭遇する。
「ん?休みだったよな、お前。どこ行ってたんだ?」
「ちょっと散歩」
「ふーん」
ルチアはスタスタと玄関に向かう。
ドアノブを手にすると、黒が声を掛ける。
「…ガウスの定理…」
「あ?俺ガウス嫌いなんだけど?」
「じ、じゃあテブナンは?」
「回りくどいからそれも嫌い」
ルチアは玄関の向こうへ消えた。
「…やっぱこれ間違ってんな…」
黒は改めてそう思うのだった。




