上と下
「どうしました?」
心配そうに話しかけてくる男性。
自分より年上の、自分の部下である田口。
「いや…なんでもないですから…」
仕事場の休憩時間。
ふいに脳裏に再生されたあの時の彼女の記憶。
「珍しいですね、お疲れですか?」
彼はマグカップに淹れたコーヒーをそっと差し出してくれる。
この人が自分の部下で、自分が上司。
なんとも複雑で、難しい関係。
「いつも疲れてないみたいな言い方ですね…」
「はは、お疲れでないわけではないんでしょうけど、あなたはいつも涼しい顔をしてますから」
田口はとても丁寧で、品のある様子で笑う。
世の中年功序列だなんて誰が言ったんだろう。
「…仕事します」
「そんなに急がなくても、まだ休んでていて下さい」
彼は仕事に向かおうとする自分を引き止める。
「十分休みました」
「そう言わずに、ね?」
そういう風に言われると、なんとなく休憩していないといけないような気がしてくる。
仕方なく休憩用のソファーに身を預ける。
すると胸元に下げた端末が振動する。
ディスプレイに浮かぶのは、
着信という文字とハルカという名前。
彼女からの電話なんて初めてだ。それほど急を要する用件なのだろうか。
「…もしもし、なんかあった?」
『あ、黒さん…よかった繋がって…』
電話越しに聞こえるハルカの声はどことなく震えている。
『その、ルチアさんが…』
「…わかった。少し時間かかるかもだけど待ってて」
ハルカとの通話を切り、ソファーから立ち上がる。気を利かせてその場を離れていた田口が戻ってくる。
「すみません、少し仕事片付けたら…」
「今日は早引きですか。珍しい」
田口は静かに微笑む。
「では、仕事は私が済ませておきますね」
「え、いや…」
「任せてください。あなたはいつも1人でパッパと片付けてしまいますけど、私だってやれば出来る子です」
そう言って彼は胸を張る。
「あなたには仕事より大事なことがありそうです」
「…すみません…ありがとうございます…」
田口に頭を下げ、自分は急いでその場を後にして行くのだった。




