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悪役令嬢ですが、原作開始まであと三日しかありません  作者: トントロ


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19/26

19話 友人とのお出かけは予定通りにいきませんの?

 週末の予定を尋ねられたとき、オクタヴィア・ローゼンフェルトは、特に深く考えずに答えた。


「今のところ、これといった予定はございませんわね」


 その瞬間、エレノアの顔がぱっと明るくなった。


「でしたら、オクタヴィア様! 今度のお休みに、わたくしたちと王都へお出かけになりませんか?」


 昼休みの食堂。


 食後のお茶を楽しんでいたオクタヴィアは、カップを持つ手を止めた。


「……お出かけ?」


「はい! 王都の商業区に、新しい菓子店ができたそうなのです。とても評判がよいらしくて、ぜひ皆さんで行ってみたいと思っておりましたの」


 フェリシアも頷いた。


「そのお店、焼き菓子が有名なのだそうですわ。季節の果物を使った小さなタルトが、とても可愛らしいとか」


「わたくしは、近くの文具店にも寄ってみたいです」


 ナタリアが控えめに続ける。


「珍しい色のインクや便箋を扱っているそうなので……」


 オクタヴィアは三人を見渡した。


 菓子店に文具店。


 いずれも、特別珍しい場所というわけではない。


 公爵家の令嬢であるオクタヴィアは、これまで買い物をするとき、店の方から屋敷へ品物を持ってこさせることが多かった。出かけるとしても、仕立て屋や宝飾店など、あらかじめ用件が決まっている場所ばかりである。


 何の用事もなく街を歩き、気になった店へ立ち寄る。


 そんな経験は、ほとんどなかった。


(……なるほど。友人同士のお出かけ、というものですわね)


 前世では当たり前のようにしていたことだ。


 放課後に友達と寄り道をしたり、休日に買い物へ行ったり、特に目的もなく店を覗いて回ったり。


 けれど、今の自分にとっては少々新鮮だった。


「……よろしいですわ」


 オクタヴィアは優雅に頷いた。


「わたくしもご一緒いたします」


「本当ですか!」


 エレノアが嬉しそうに身を乗り出す。


「ええ。ただし、わたくしは街歩きにはあまり慣れておりませんの。案内はお任せしてもよろしくて?」


「もちろんですわ!」


 エレノアは自信満々に頷いた。


「お店の場所も、行き方も、きちんと調べておきます!」


 フェリシアとナタリアも嬉しそうに笑う。


 その様子を見て、オクタヴィアは少しだけ口元を緩めた。


(……ふふ。悪くありませんわね)


 こうして誰かと予定を立てるのも、案外楽しいものらしい。



 ◇



 約束の日。


 オクタヴィアは朝から、衣装室の前で腕を組んでいた。


「……困りましたわね」


 目の前には、色とりどりのドレスが並んでいる。


 どれも一流の仕立て屋が手がけた品ばかりで、社交の場へ出るなら何の問題もない。


 しかし、今回の目的は友人との街歩きである。


 あまりにも華美な装いでは、かえって浮いてしまうだろう。


「マリアンヌ」


「はい、お嬢様」


「友人と買い物へ行く場合、どの程度の装いが適切なのかしら」


 マリアンヌは少しだけ考えた。


「そうでございますね。動きやすく、なおかつお嬢様のお立場にふさわしい装いがよろしいかと」


「……随分と難しいことをおっしゃいますのね」


「ですが、お嬢様でしたら、どのようなお召し物でもお似合いになります」


「それは当然ですわ」


 即座に答えると、マリアンヌは小さく微笑んだ。


「では、こちらはいかがでしょう」


 彼女が選んだのは、淡い藤色のワンピースだった。


 胸元には控えめな刺繍が施され、袖口には細いレースがあしらわれている。華やかすぎず、それでいて上品さを失わない一着である。


「……悪くありませんわね」


「お嬢様の黒髪にもよくお似合いになると思います」


 オクタヴィアは鏡の前でワンピースを合わせてみた。


 確かに、短く整えた黒髪との相性もよい。


「では、これにいたしますわ」


「承知いたしました」


 マリアンヌが嬉しそうに頷く。


 着替えを終えたオクタヴィアは、鏡の中の自分を見つめた。


 以前なら、王都へ出かけるとなれば、誰よりも目立つ装いを選んでいただろう。


 しかし今日は、少しだけ違う。


 自分が美しく見えることも大切だが、友人たちと並んで歩くことを考えると、あまり派手すぎない方がよい気がした。


(……わたくしも、少しは成長したということかしら)


 そう思いながら満足げに頷く。


 すると、背後からマリアンヌが静かに口を開いた。


「お嬢様」


「何かしら」


「本日は、どうぞ楽しんでいらしてくださいませ」


 オクタヴィアは鏡越しに彼女を見た。


 マリアンヌは穏やかに微笑んでいる。


「……ええ。そういたしますわ」


 オクタヴィアも小さく笑った。



 ◇



 王都の商業区は、休日ということもあって多くの人々で賑わっていた。


 石畳の道には馬車が行き交い、店先には色鮮やかな商品が並んでいる。焼きたてのパンの香りや、花屋から漂う甘い香りが混ざり合い、通り全体がどこか楽しげな空気に包まれていた。


 待ち合わせ場所へ到着すると、既にエレノアたちが待っていた。


「オクタヴィア様!」


 エレノアが手を振る。


 彼女は淡い水色のドレスを身につけ、いつもの青いリボンで金髪をまとめていた。


 フェリシアは落ち着いた若草色、ナタリアは柔らかな桃色の装いである。


「ごきげんよう、皆さん。お待たせしましたわね」


「いいえ! わたくしたちも、つい先ほど来たところです」


 エレノアはオクタヴィアの装いを見て、目を輝かせた。


「まあ、オクタヴィア様! 今日のお召し物、とても素敵ですわ!」


「ありがとう。あなた方もよくお似合いですわね」


 そう答えると、三人は嬉しそうに微笑んだ。


 以前なら、褒められることはあっても、自分から誰かの装いを褒めることは少なかった気がする。


 けれど、こうして並んでいると、自然と言葉が出てきた。


「それでは、参りましょうか」


 エレノアが先頭に立ち、四人は商業区の通りを歩き始めた。


 もちろん、公爵令嬢の外出である以上、護衛が全くいないわけではない。少し離れたところにはローゼンフェルト家の護衛が付き添っていたが、必要以上に目立たないよう配慮されている。


 そのおかげで、オクタヴィアたちは比較的自由に街を歩くことができた。


「まずは菓子店へ向かいましょう!」


 エレノアが嬉しそうに告げる。


「そのあと、ナタリアの行きたい文具店へ寄って、時間があれば服飾店も覗いてみませんか?」


「素敵ですわね」


 フェリシアが頷く。


 オクタヴィアも満足げに微笑んだ。


 実に順調な滑り出しである。


 少なくとも、このときまでは。



 ◇



「……エレノア」


「は、はい?」


「こちらで間違いありませんのね?」


 オクタヴィアは目の前の建物を見上げた。


 そこには、菓子店ではなく、立派な馬具店があった。


 店先には革製の鞍や手綱が並び、看板には勇ましい馬の絵が描かれている。


 エレノアは手元の地図を見つめ、困ったように首を傾げた。


「……おかしいですわね」


「ええ。大変おかしいですわ」


「確か、この通りを右へ曲がって……」


「右?」


 フェリシアが地図を覗き込む。


「エレノア、ここは左ではありませんこと?」


「……えっ?」


 ナタリアもそっと地図を確認した。


「……本当です。こちらの道を曲がるはずだったみたいです」


 エレノアの顔が赤くなる。


「も、申し訳ございません!」


 オクタヴィアはしばらく彼女を見つめていた。


 以前なら、きっと不機嫌になっていただろう。


 公爵令嬢である自分を無駄に歩かせたことを責め、もっときちんと調べておくべきだったと叱っていたに違いない。


 だが、今日は不思議と腹が立たなかった。


 むしろ、少しだけ可笑しい。


「……ふふっ」


 思わず笑みがこぼれる。


 エレノアが驚いたように顔を上げた。


「オクタヴィア様?」


「いいえ、何でもありませんわ」


 オクタヴィアは小さく首を振った。


「せっかくですもの。少しくらい寄り道をしてもよろしいでしょう」


「……よろしいのですか?」


「ええ。そもそも、今日は急ぐ用事もございませんもの」


 そう答えると、エレノアはほっとしたように笑った。


「ありがとうございます!」


 オクタヴィアは少しだけ顎を上げた。


「ただし、次はきちんと地図をご確認なさい」


「はい!」


 四人は顔を見合わせ、思わず笑い合った。


 どうやら、予定通りにいかないことも、友人とのお出かけの楽しさの一つらしい。



 ◇



 ようやく辿り着いた菓子店は、評判通りの素敵な店だった。


 大きな窓から陽光が差し込み、店内には焼きたての菓子の甘い香りが漂っている。ショーケースには色鮮やかな果物を使ったタルトや、小さな焼き菓子が美しく並べられていた。


「まあ……!」


 エレノアが目を輝かせる。


「とても可愛らしいですわね!」


「本当ですわ」


 フェリシアも嬉しそうに頷いた。


 オクタヴィアはショーケースを眺めながら、少しだけ考え込んだ。


 どれも美味しそうではある。


 しかし、種類が多すぎる。


「……困りましたわね」


 思わず呟くと、ナタリアが顔を上げた。


「どうかなさいましたか?」


「どれを選ぶべきか、少々迷っておりますの」


 ナタリアは小さく微笑んだ。


「でしたら、皆さんで違うものを選んで、少しずつ分け合うのはいかがでしょう?」


 オクタヴィアは目を瞬いた。


「……分け合う?」


「はい。そうすれば、いろいろなお味を楽しめますから」


 オクタヴィアはしばらく黙っていた。


 前世では、友達と菓子を分け合うことなど珍しくなかった。


 しかし、公爵令嬢としての自分は、誰かと一つの皿を分け合うという経験がほとんどない。


(……なるほど。そういう楽しみ方もございましたわね)


「よろしいですわ」


 オクタヴィアは頷いた。


「では、皆さんで違うものを選びましょう」


 三人が嬉しそうに笑う。


 こうして四人は、それぞれ好みの菓子を注文した。


 オクタヴィアが選んだのは、薄い飴細工で飾られた苺のタルト。


 エレノアは桃のムース、フェリシアは香ばしい木の実の焼き菓子、ナタリアは柑橘のクリームを使った小さなケーキを選んだ。


 席へ運ばれてきた菓子を前に、四人はしばらく目を輝かせていた。


「……美しいですわね」


 オクタヴィアが呟くと、エレノアが嬉しそうに頷いた。


「ええ! 食べてしまうのがもったいないくらいですわ」


 それでも、菓子は食べるためにある。


 オクタヴィアは小さなフォークを手に取り、苺のタルトを一口食べた。


 甘酸っぱい苺と、香ばしい生地の組み合わせが絶妙だった。


「……美味しいですわ」


 思わず笑みがこぼれる。


 その様子を見て、エレノアたちも嬉しそうに微笑んだ。


 やがて、互いの菓子を少しずつ取り分けることになった。


 オクタヴィアは最初こそ戸惑っていたものの、すぐにその楽しさを理解した。


 同じ菓子を食べても、人によって好みが違う。


 甘いものが好きなエレノアは桃のムースを絶賛し、フェリシアは木の実の香ばしさを気に入っていた。


 ナタリアは柑橘の爽やかな風味を好み、オクタヴィアは結局、自分が選んだ苺のタルトが一番だと結論づけた。


「……やはり、わたくしの選択は間違っておりませんでしたわね」


 満足げに頷くと、フェリシアが小さく笑った。


「ふふっ。オクタヴィア様らしいですわ」


「何かおかしいことでも?」


「いいえ。ただ、とても楽しそうでいらっしゃるので」


 オクタヴィアは少しだけ目を瞬いた。


「……そう見えまして?」


「ええ」


 エレノアも頷いた。


「わたくしたちも、とても楽しいですわ」


 ナタリアも微笑む。


 オクタヴィアは三人を見つめた。


 そして、ゆっくりと笑った。


「……そう。それなら、よかったですわ」


 誰かと同じ時間を楽しむ。


 ただそれだけのことが、こんなにも心地よいものだったとは。


 オクタヴィアは少しだけ驚いていた。



 ◇



 菓子店を出たあと、四人はナタリアの希望していた文具店へ向かった。


 店内には色とりどりのインクや便箋、装飾の施された羽根ペンなどが並び、ナタリアは目を輝かせながら棚を眺めていた。


「……素敵ですわね」


 オクタヴィアも一つの便箋を手に取った。


 淡い青色の紙に、銀色の小さな花模様があしらわれている。


 派手すぎず、それでいて上品な仕上がりだった。


「こちら、なかなかよろしいのではなくて?」


 そう尋ねると、ナタリアが嬉しそうに頷いた。


「ええ! わたくしも、先ほどから気になっておりました」


「そう。では、これをいただこうかしら」


 オクタヴィアは便箋を手に取り、店員へ声をかけようとした。


 しかし、その直前にふと思いつく。


「……そういえば、皆さん」


 三人が顔を上げる。


「わたくし、今日のお出かけの記念に、何か一つずつお揃いのものを買いたいのですけれど」


 エレノアが目を輝かせた。


「お揃い、ですか?」


「ええ。せっかく四人で出かけたのですもの。何か形に残るものがあってもよろしいでしょう?」


 フェリシアが嬉しそうに微笑む。


「素敵ですわね!」


 ナタリアも頷いた。


「でしたら、こちらの小さな栞はいかがでしょう?」


 彼女が示したのは、細い銀色の飾りがついた栞だった。


 先端には小さな花の意匠が施されており、色違いの紐が四種類用意されている。


「……なるほど」


 オクタヴィアは栞を手に取った。


 高価な品というわけではない。


 公爵家の令嬢である自分なら、もっと豪華なものを選ぶこともできるだろう。


 けれど、今はそれが重要ではない気がした。


「よろしいですわ。これにいたしましょう」


 四人はそれぞれ好みの色を選んだ。


 オクタヴィアは深い紫色。


 エレノアは青色。


 フェリシアは若草色。


 ナタリアは桃色。


 同じ形でありながら、それぞれの個性が表れているようで、オクタヴィアは少しだけ嬉しくなった。


「……大切にいたしますわ」


 そう呟くと、エレノアが嬉しそうに微笑んだ。


「わたくしもです!」


 フェリシアとナタリアも頷いた。


 その様子を見て、オクタヴィアはふと思う。


 以前の自分なら、こうした小さな品を記念として大切にすることなど、考えもしなかっただろう。


 けれど今は、これを見るたびに今日のことを思い出すのだろうと思えた。


 道を間違えたこと。


 菓子店で笑い合ったこと。


 それぞれが好きなものを選んだこと。


 そんな些細な出来事が、少しずつ大切な思い出になっていく。


(……友人というのも、なかなか奥が深いものですわね)


 オクタヴィアは小さく微笑んだ。



 ◇



 夕方、待ち合わせ場所へ戻った四人は、名残惜しそうに別れの挨拶を交わしていた。


「今日は本当に楽しかったですわ!」


 エレノアが嬉しそうに言う。


「ええ。わたくしもです」


 フェリシアが頷き、ナタリアも微笑んだ。


 オクタヴィアは三人を見渡した。


 そして、少しだけ照れくさそうに口を開く。


「……わたくしも、楽しかったですわ」


 エレノアが目を見開いた。


「オクタヴィア様……!」


「何ですの、その反応は」


「いえ、その……嬉しくて」


 オクタヴィアは呆れたように息を吐いた。


「まったく、あなたは少々大げさですわね」


 そう言いながらも、口元には自然と笑みが浮かんでいた。


 馬車へ乗り込む直前、オクタヴィアはふと振り返った。


「……皆さん」


 三人が顔を上げる。


「また、誘ってくださる?」


 エレノアの表情がぱっと明るくなった。


「もちろんですわ!」


 フェリシアとナタリアも嬉しそうに頷いた。


 オクタヴィアは満足げに微笑み、馬車へ乗り込んだ。


 窓の外では、夕暮れの街並みがゆっくりと流れていく。


 膝の上には、今日買った小さな栞が入った包みがあった。


 オクタヴィアはそれをそっと手に取り、紫色の紐を指先で撫でた。


 公爵令嬢として生きてきた十五年間。


 高価な宝石も、美しいドレスも、望めば大抵のものは手に入った。


 けれど、今日のような時間は、これまでほとんど知らなかった。


 誰かと一緒に道を間違え、同じ菓子を分け合い、何でもないことで笑う。


 そんな一日が、これほど心に残るとは思わなかった。


(……本当に、不思議なものですわね)


 オクタヴィアは小さく微笑んだ。


 悪役令嬢としての人生は、まだまだ先が長い。


 これからも、きっと面倒なことは起きるだろう。


 それでも、今日のような日が少しずつ増えていくのなら。


(……案外、悪くない未来かもしれませんわね)


 そう思いながら、オクタヴィアは大切そうに栞を包みへ戻した。


 夕暮れの王都を走る馬車の中で、彼女は久しぶりに、何の心配もなく穏やかな気持ちで帰路についたのだった。

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