12話 わたくしを疑うのは結構ですけれど
翌朝、オクタヴィアが学院へ到着すると、いつも以上に多くの視線が自分へ向けられていることに気づいた。
昨日の魔法具暴走事件については既に生徒たちの間へ広まっているらしく、廊下ですれ違う者たちの中には、こちらの姿を見つけるなり会話を止める者もいれば、わざと聞こえるような声で噂話を続ける者もいる。
(……まったく、随分と熱心なことですわね)
もっとも、今回ばかりは彼女たちを一方的に責める気にもなれなかった。
オクタヴィア・ローゼンフェルトという人間がこれまでどのような振る舞いをしてきたかは、自分自身が誰よりもよく知っているのだから、あの公爵令嬢ならやりかねないと考える者がいても不思議ではない。
ただし、だからといって黙って犯人扱いされるつもりもなかった。
「おはようございます、オクタヴィア様」
教室の前で待っていたエレノアが、こちらへ歩み寄ってくる。
「おはよう。随分と難しいお顔をしているのね」
「それは……昨日の件で、色々と噂になっておりますので」
「知っていますわ。廊下を歩いているだけで嫌というほど聞こえてきますもの」
「ですが、あまりにも失礼です」
エレノアは珍しく怒りを隠そうとしなかった。
「まだ何も決まっていないというのに、オクタヴィア様が細工をなさったに違いないなどと、好き勝手に申し上げる方々までいらっしゃるのです」
「そう」
「そう、ではございません!」
思わず声を強めたエレノアは、すぐに自分の口を押さえた。
「……申し訳ありません」
「別に構いませんわ。昨日、意見があるなら言いなさいと申し上げたでしょう」
「ですが……」
「それに、あなたが怒ってくださるのはありがたいことですけれど、噂をしている方々を片っ端から叱りつけるつもりなら、おやめなさい」
エレノアが少し驚いたように顔を上げる。
「どうしてですの?」
「以前のわたくしなら、気に入らない噂をした相手へ圧力をかけて黙らせていたでしょう。けれど、それで本当に疑いが晴れると思いますの?」
「……いいえ」
「でしょう? でしたら、今は放っておけばよろしいのです」
オクタヴィアはそう言って教室へ入ろうとしたが、エレノアはまだ納得していないようだった。
「ですが、何もなさらないのですか?」
「何もしないとは申し上げておりませんわ」
オクタヴィアは足を止め、少しだけ振り返る。
「わたくしを疑うのは結構ですけれど、疑うのであれば相応の根拠を示していただきたいものですわね」
その言葉にエレノアが目を瞬く。
「……オクタヴィア様?」
「わたくしは今回の件について何もしておりません。でしたら、それを証明するためにできることをするだけですわ」
そう言って微笑むと、エレノアは少しだけ安堵したように表情を緩めた。
しかし、オクタヴィア自身はそれほど楽観していなかった。
昨日、レオンハルトと図書室で調べた内容からすると、今回の事件は単なる嫌がらせでは済まない可能性がある。
特定の属性へ反応するよう魔法具が細工されていたのなら、犯人はセシリアの光属性を知っていたことになるが、その情報を誰がどのように手に入れたのかは、まだ分かっていない。
そして、もう一つ。
(……そもそも、わたくしが疑われることまで計算されていたのかしら)
原作では自分が犯人だった。
けれど今回は違う。
ならば、誰かが自分へ罪を着せようとしている可能性も考えなければならない。
もっとも、現段階では推測にすぎず、確かな証拠もないのだから、迂闊に口にすれば自分の立場を悪くするだけだろう。
(……焦る必要はありませんわね)
オクタヴィアは静かに息を吐き、教室へ入った。
◇
昼休みになる少し前、オクタヴィアはハインツ教師から呼び出しを受けた。
案内されたのは昨日と同じ準備室で、机の上には破損した魔法具の一部と、調査内容をまとめた書類が置かれていた。
「ローゼンフェルト嬢、昨日の件について追加で確認したいことがある」
「承知いたしました」
椅子へ腰を下ろすと、ハインツ教師は書類の一枚を取り上げた。
「調査の結果、魔法具の制御術式が意図的に書き換えられていたことは、ほぼ間違いないと判断された」
「そうですか」
「さらに、通常の魔力測定では問題なく動作するよう調整されていた可能性が高い」
オクタヴィアは僅かに眉を寄せた。
「……つまり、特定の条件を満たした場合にだけ異常が発生するよう細工されていた、ということですの?」
「その通りだ」
教師が頷く。
「条件については現在調査中だが、光属性の魔力が関係している可能性がある」
レオンハルトの推測と一致している。
オクタヴィアは内心で感心したものの、表情には出さなかった。
「それで、わたくしに何をお尋ねになりたいのでしょう?」
「アーデン嬢が光属性の適性を持っていることを、君は事前に知っていたかね?」
その質問に、オクタヴィアは一瞬だけ返答を迷った。
知っていた。
もちろん知っていた。
なぜなら、セシリア・アーデンは乙女ゲームの主人公であり、光属性の魔法を扱うという設定を持っているのだから。
だが、それをそのまま説明できるはずがない。
「……彼女が特別な魔法適性を持つという話は、耳にしたことがございます」
「どこで?」
「入学前に、特別な推薦を受けた生徒がいると聞きましたので」
完全な嘘ではなかった。
セシリアが特別な推薦を受けて入学したことは事実であり、貴族社会でそのような情報が話題になることも珍しくない。
もっとも、そこから光属性だと断定できるわけではないのだが、少なくともゲームの知識を説明するよりは自然だろう。
「なるほど。では、魔法具の構造についてはどの程度知っている?」
「基礎的な知識はございますが、専門的な術式を書き換えられるほどではございません」
「家庭教師から学んだ範囲ということか」
「ええ」
ハインツ教師は書類へ視線を落とし、少し考えるような仕草を見せた。
「実は、魔法具の細工にはかなり高度な知識が必要だったと考えられている。少なくとも、初めて魔法具を扱う学生が思いつきでできるようなものではない」
オクタヴィアはその言葉を聞いて、思わず顔を上げた。
「……それは確かですの?」
「断定はできないが、複数の制御術式を組み合わせた形跡がある。通常の授業で学ぶ内容を超えているのは間違いない」
(……おかしいですわね)
原作では、オクタヴィアが魔法具へ細工をしたことになっていた。
だが、ゲームの中で彼女が高度な魔法具技術を持っていたという設定は、少なくとも記憶にない。
もちろん、描写されていないだけで何かしらの知識を持っていた可能性はある。
けれど。
(……そもそも、原作のわたくしは本当に一人で細工をしたのかしら)
その疑問が浮かんだ瞬間、オクタヴィアは思わず息を止めた。
ゲームでは、事件の原因がオクタヴィアの嫌がらせだったことは示されていた。
しかし、具体的にどのような方法で魔法具へ細工をしたのか、誰がそれを実行したのかについては、ほとんど描かれていなかったはずだ。
自分が犯人だった。
その結果だけを知っていて、過程までは知らない。
(……なるほど)
オクタヴィアはゆっくり息を吐いた。
どうやら、思っていた以上に厄介な話らしい。
「ローゼンフェルト嬢?」
「失礼いたしました。少し考え事を」
「何か心当たりでも?」
「いいえ。ただ、今回の細工がそれほど高度なものであるなら、学生だけで行ったとは限らないのではないかと思いまして」
ハインツ教師は頷いた。
「その可能性も考えている。だからこそ、魔法具へ触れられた人物を調べているところだ」
「そうですか」
オクタヴィアは少しだけ考えてから、もう一つ質問をした。
「先生、今回の魔法具は、いつから実技場に置かれていたのでしょう?」
「昨日の朝、補助教員が保管庫から運び込んだものだ」
「保管庫には、学生も入れるのですか?」
「原則として許可が必要だが、実技準備の補助を任される上級生が出入りすることはある」
上級生。
その言葉が頭に残った。
もし犯人が学院の生徒だとしても、同学年とは限らない。
そして、教師や補助教員まで含めれば、魔法具へ触れる機会のあった人物はかなり多いはずだ。
「ありがとうございます。参考になりましたわ」
オクタヴィアがそう答えると、ハインツ教師は少しだけ表情を和らげた。
「ローゼンフェルト嬢、君に疑いが向いていることは承知している。だが、学院としては証拠もなく処分するつもりはない」
「当然ですわね」
思わず即答すると、教師が僅かに苦笑した。
「……君はなかなか強気だな」
「身に覚えのない罪で処分されることを、当然のように受け入れる理由がございませんもの」
「もっともだ」
教師は書類を閉じた。
「今日はこれで結構だ。何か思い出したことがあれば報告してほしい」
「承知いたしました」
オクタヴィアは丁寧に一礼し、準備室を後にした。
◇
放課後、オクタヴィアは再び図書室を訪れていた。
昨日と同じ席には、既にレオンハルトが座っている。
「……あなた、随分とお暇ですのね」
「お前もな」
「わたくしには調べるべきことがございます」
「俺もだ」
「……本当に会話が続きませんわね」
呆れながら向かい側へ腰を下ろすと、レオンハルトは読んでいた本を閉じた。
「何か分かったか」
「ええ。魔法具の細工には、学生の通常の授業範囲を超える知識が必要だったそうですわ」
「だろうな」
「……驚きませんの?」
「昨日の術式を見れば分かる」
オクタヴィアは少しだけ眉を上げた。
「あなた、魔法具にもお詳しいのね」
「家で学んだ」
「なるほど。ヴァイス侯爵家のご嫡男ともなれば、その程度は当然ということですか」
「お前も似たようなものだろう」
「わたくしは魔法具の専門家ではありませんわ」
「そうか」
そこで会話が途切れた。
オクタヴィアは小さく息を吐き、持ってきた書類を机へ置く。
「それで、保管庫へ出入りできる人物についても確認しましたの。上級生の中には、実技準備の補助を任されている方がいらっしゃるそうですわ」
「上級生か」
「ええ。少なくとも、犯人を同学年の生徒だけに絞る理由はありませんでしょう?」
「そうだな」
レオンハルトは少し考えたあと、別の資料を取り出した。
「それなら、気になることがある」
「何ですの?」
「今回の魔法具に使われていた制御術式は、学院で使われている標準型とは少し違う」
「……どう違いますの?」
「魔力を吸収する部分に、古い形式の術式が混ざっていた」
オクタヴィアは資料へ目を落とした。
そこには複雑な魔法文字が並んでおり、専門的な知識がなければ読み解くのは難しそうだった。
「この形式は、現在の授業ではほとんど扱われていない。だが、古い魔法具の修復や研究をしている者なら知っていてもおかしくない」
「つまり、そうした研究に関わっている人物が細工をした可能性がある、と?」
「ああ」
オクタヴィアは腕を組んだ。
「……なるほど。ですが、それだけでは犯人を絞り込めませんわね」
「分かっている」
「では、次に調べるべきは、その古い術式を扱っている方々ということになりますかしら」
「そうなる」
レオンハルトが頷く。
そこでオクタヴィアは、ふと別の疑問を覚えた。
「ところで、あなたはどうしてそこまで今回の事件に関心をお持ちなの?」
「何がだ」
「セシリアとは、まだほとんど面識がないのでしょう?」
「ああ」
「それなのに、随分と熱心に調べていらっしゃるようですから」
レオンハルトは少しだけ考えた。
「危険だったからだ」
「……それだけ?」
「それだけでは足りないか」
オクタヴィアは言葉に詰まった。
確かに、誰かが危険な目に遭ったのだから原因を調べるというのは、十分な理由だろう。
むしろ、それ以上の理由を求める方がおかしいのかもしれない。
「……いいえ。十分ですわ」
そう答えると、レオンハルトは再び資料へ目を落とした。
オクタヴィアも自分の本を開く。
しばらくは、紙をめくる音だけが続いた。
その静けさの中で、オクタヴィアは昨日から考えていた疑問をもう一度整理してみる。
原作では自分が犯人だったはずの事件が、今回も起きた。
しかも、使われた細工は学生が簡単に行えるようなものではない。
ならば、原作でも自分以外の誰かが関わっていた可能性がある。
もしそうなら、その人物は今も同じ目的で動いているのかもしれない。
(……何だか、嫌な予感がいたしますわね)
ゲームでは、悪役令嬢オクタヴィアが主人公へ嫌がらせをした結果として処理されていた事件。
けれど、実際にはそれだけでは説明できない部分がある。
自分が知っているのは、あくまでゲームで描かれた出来事だけであり、その裏側で何が起きていたのかまでは分からないのだ。
「……レオンハルト」
「何だ」
「一つ、妙なことをお尋ねしてもよろしくて?」
「内容による」
「あなた、もう少し気の利いた返事をなさることはできませんの?」
「質問は何だ」
オクタヴィアは少しだけ眉を寄せたものの、すぐに表情を戻した。
「もし今回の事件が、セシリアを傷つけるためではなく、別の誰かへ罪を着せるためのものだったとしたら、どう思います?」
レオンハルトの手が止まった。
「……誰か、とは?」
「例えば、わたくしですわ」
自分で口にしておきながら、少しだけ嫌な気分になった。
しかし、レオンハルトはすぐには否定しなかった。
「あり得るな」
「……随分とあっさり認めますのね」
「お前が疑われることは予想しやすい。これまでの評判を考えればな」
「失礼ですわね」
「事実だろう」
「……否定はいたしませんけれど」
オクタヴィアは不満そうに口を尖らせた。
レオンハルトはそんな彼女を見て、少しだけ考え込む。
「だが、その場合は疑問が残る」
「何ですの?」
「お前に罪を着せたいだけなら、もっと簡単な方法がある」
「…………」
「わざわざ高度な細工をして、実際に人が怪我をするかもしれない危険を冒す必要がない」
オクタヴィアはその言葉を聞き、ゆっくり頷いた。
確かにその通りだ。
自分の評判を落としたいだけなら、セシリアへ嫌がらせをしたという噂を流すだけでも十分だっただろう。
それなのに犯人は、わざわざ高度な魔法具の細工を施し、実際に暴走事故を起こしている。
「……つまり、セシリアを狙ったこと自体にも意味があるかもしれない、と」
「そう考える方が自然だ」
レオンハルトが頷く。
オクタヴィアはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……面倒なことになりましたわね」
「今さらだな」
「あなた、本当に一言余計ですわ」
そう返しながらも、オクタヴィアの頭の中では別の考えが浮かび始めていた。
原作の悪役令嬢は、主人公を嫌っていた。
だから、主人公を傷つける事件が起きれば真っ先に疑われる。
けれど、その構図を利用しようとする者がいたとしたら。
(……わたくしは、随分と都合のいい存在だったということですわね)
悪役令嬢。
誰かが悪事を働いたとき、その責任を押しつけるにはこれ以上ないほど便利な役回りだ。
そして、これまでの自分は実際に数多くの悪事を働いてきたのだから、疑いを向けられたところで簡単には否定できない。
その事実が、今さらながら腹立たしかった。
けれど。
(……だからといって、好き勝手に利用されて差し上げる義理はありませんわ)
オクタヴィアは本を閉じ、ゆっくり顔を上げた。
「レオンハルト」
「何だ」
「この件、最後まで調べますわよ」
「そのつもりだ」
「結構。でしたら、まずは古い術式を扱っている方々について調べましょう」
レオンハルトが小さく頷く。
その反応を見て、オクタヴィアは僅かに口元を上げた。
自分がしてきたことについては、責任を取るつもりだ。
謝罪が必要なら謝罪し、償えることがあるなら償う。
しかし、していないことまで自分の罪にされるのは、まったく別の話である。
過去の自分が悪役令嬢だったからといって、これから先も誰かの都合のいい悪役でいるつもりなどなかった。




