11話 疑われる理由はありますわ
実技場に漂っていた魔力の残滓が消えた頃、オクタヴィアは教師たちに促され、隣接する準備室へと移動していた。
幸い、魔法具の暴走による負傷者は出なかったらしい。セシリアも念のため医務室へ向かったものの、目立った怪我はなく、授業を担当していた教師たちもひとまず胸を撫で下ろしているようだった。
もっとも、魔法具に人為的な細工が施されていたとなれば、単なる授業中の事故として片づけるわけにはいかない。
そして、その細工をしたのではないかと疑われているのが、よりにもよってオクタヴィア・ローゼンフェルトなのである。
(……実に腹立たしいですわね)
準備室の椅子に腰を下ろしながら、オクタヴィアは表情を変えずにそう考えた。
何が腹立たしいかといえば、自分が疑われる理由を十分に理解できてしまうことだ。
昨日までの自分なら、セシリアを目障りに思って魔法具へ細工するくらいのことは考えたかもしれないし、実際にゲームの中ではそれをやっていたのだから、周囲が疑うのも無理はない。
ただし、理解できることと納得できることは別である。
「ローゼンフェルト嬢、いくつか確認したいことがある」
向かいに座った教師が口を開いた。
実技を担当していた男性教師で、名をグレゴール・ハインツという。四十代ほどの厳格な人物で、授業中も生徒の家柄によって態度を変える様子はなかった。
「構いませんわ。ただし、わたくしも確認したいことがございますので、後ほどお時間をいただけるかしら」
「もちろんだ。まず、今日の授業が始まる前に魔法具へ触れたことはあるかね?」
「ございません。実技の順番が回ってきた際に使用しただけですわ」
「昨日、実技場へ立ち入ったことは?」
「それもございません」
「アーデン嬢とは、入学初日に何か揉め事があったと聞いているが」
「わたくしとセシリアが揉めたわけではありません。わたくしの周囲にいた令嬢たちが彼女を囲んでいたため、それを止めました」
ハインツ教師は手元の書類へ何かを書き込んだ。
「その令嬢たちは、君の指示で動いていたのではないのかね?」
「いいえ。少なくとも、わたくしが命じたことはございません」
そこまで答えてから、オクタヴィアは僅かに言葉を止めた。
命じていない。
確かに、それは事実だ。
けれど昨日、エレノアたちと話したばかりではないか。
自分が直接命令しなくても、周囲の人間が自分の意向を汲んで動くことがあるのだと。
「……ただし」
オクタヴィアは背筋を伸ばしたまま続けた。
「彼女たちが、わたくしの気に入る行動だと考えていた可能性はございます。これまでのわたくしが、そのように思わせる振る舞いをしてきたことは否定いたしません」
教師の筆が止まる。
「それは、アーデン嬢を快く思っていなかったという意味かね?」
「以前のわたくしであれば、そうだったでしょうね」
「以前?」
「ええ。ですが、現在は違います」
ハインツ教師が訝しげな顔をした。
当然だろう。
本人からすれば前世の記憶を取り戻して人生観が変わったという事情があるものの、それを知らない相手にとっては、数日前まで傲慢だった公爵令嬢が突然態度を改めたようにしか見えないのだから。
「ローゼンフェルト嬢、君の評判については私も耳にしている」
「存じております」
「それなら、今回の件で疑いを持たれることも理解できるだろう」
「もちろんですわ」
オクタヴィアは迷わず頷いた。
「疑われるだけの理由があることは理解しておりますし、それについて腹を立てていないと申し上げれば嘘になります。ですが、過去のわたくしがどれほど傲慢だったとしても、今回の事件を起こした証拠にはなりませんでしょう?」
「……その通りだ」
「でしたら、わたくしの評判ではなく、事実をお調べくださいませ。必要な協力は惜しみません」
教師はしばらくオクタヴィアを見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「分かった。君の言う通りだ」
その返事を聞いて、オクタヴィアはようやく肩の力を少しだけ抜いた。
ここで家名を持ち出して教師を黙らせることも、不可能ではなかっただろう。
しかし、それをすれば結局、これまでの自分と何も変わらない。
何より、ローゼンフェルト公爵家の名を使って疑惑を封じたところで、周囲の人間が納得するはずもないのだ。
(……まったく、面倒なことですわ)
それでも、やるしかない。
自分が何もしていないのであれば、堂々とそれを証明すればいいだけの話なのだから。
◇
準備室を出ると、廊下にはエレノアたちが待っていた。
フェリシアとナタリアも一緒で、三人とも落ち着かない様子だったが、オクタヴィアの姿を見つけるとすぐに近づいてくる。
「オクタヴィア様!」
「何ですの、そんなに慌てて」
「大丈夫でしたか? 先生方から何かお咎めを受けたりは……」
「事情を聞かれただけですわ。そもそも、まだ何も決まっておりませんもの」
そう答えると、エレノアは安堵したように息を吐いた。
しかし、すぐにその表情が曇る。
「……申し訳ありません」
「何が?」
「わたくしたちが入学初日にアーデン男爵令嬢を囲んだことも、今回オクタヴィア様が疑われる原因になっているのでしょう?」
「それは否定できませんわね」
エレノアが俯いた。
オクタヴィアはその様子を見て、少し考えてから言葉を続けた。
「ですが、だからといってあなた方が今回の細工をしたわけではないでしょう?」
「もちろんです!」
「でしたら、今はそれで十分ですわ。以前のことについては、既にお話ししたはずでしょう」
「……はい」
エレノアは頷いたものの、まだ何かを気にしているようだった。
「どうしましたの?」
「その……オクタヴィア様は、本当に何もご存じないのですよね?」
その言葉を聞いた瞬間、オクタヴィアは動きを止めた。
エレノアも、自分が何を口にしたのか気づいたらしい。
「あっ、違います! 疑っているわけではなくて、その……」
「エレノア」
名前を呼ぶと、少女の肩が跳ねた。
オクタヴィアは少しだけ息を吐く。
「疑問があるなら、聞いて構いませんわ。昨日、そう申し上げたでしょう?」
「ですが……」
「それに、あなたが疑問に思うのも当然です。これまでのわたくしなら、あのようなことをしても不思議ではないと考えているのでしょう?」
エレノアはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで十分だったが、やがて小さく頷く。
「……はい」
正直な返事だった。
オクタヴィアは少しだけ胸の奥が痛むのを感じたものの、それを表情には出さなかった。
「でしたら、わたくしも正直に答えます。今回の細工については何も存じませんし、誰かに命じたこともございません」
「……本当ですか?」
「ええ」
エレノアが顔を上げる。
「それなら、わたくしは信じます」
その言葉に、オクタヴィアは僅かに目を見開いた。
「随分と簡単ですのね」
「簡単ではありません」
エレノアは首を振った。
「以前のオクタヴィア様なら、こうして尋ねることさえ許してくださらなかったと思います。けれど、今はきちんと答えてくださったので」
「……それだけ?」
「それだけではございませんが、少なくとも、わたくしに嘘をつくためにそのようなお話をされているとは思えません」
オクタヴィアは少しだけ視線を逸らした。
信用されるというのは、思っていたよりも居心地が悪い。
今までなら当然のように受け取っていた言葉が、今は妙に胸へ残る。
「……そう。でしたら、好きになさい」
「はい」
エレノアが微笑む。
その顔を見て、オクタヴィアも僅かに表情を緩めた。
しかし、そこで新たな声がかかった。
「オクタヴィア様」
振り向くと、廊下の向こうからセシリアが歩いてきていた。
医務室へ行っていたはずだが、どうやら大きな怪我はなかったらしく、足取りもしっかりしている。
「セシリア。もう医務室を出てよろしいの?」
「はい。先生からも、特に異常はないと言っていただきました」
「そう。それならよかったですわ」
オクタヴィアがそう答えると、セシリアは少しだけ躊躇うように視線を伏せた。
「あの……先ほどは、本当にありがとうございました」
「礼なら教師の方々へおっしゃい。わたくし一人では防ぎきれませんでしたもの」
「もちろん、先生方にもお礼は申し上げます。でも、オクタヴィア様が最初に守ってくださったので……」
セシリアはそこで言葉を止め、少しだけ表情を曇らせた。
「それなのに、わたしのせいで疑われることになってしまって……」
「あなたのせいではありませんわ」
オクタヴィアは即座に答えた。
「誰かが魔法具へ細工をしたのでしょう? でしたら悪いのは、その細工をした人間です。あなたが責任を感じる必要などございません」
「……はい」
「それに、わたくしが疑われる理由はあなたではなく、これまでのわたくし自身にありますもの」
セシリアが顔を上げる。
「ですが……」
「セシリア」
オクタヴィアは彼女の言葉を遮った。
「以前、あなたにも申し上げたでしょう。過去にしたことは、なかったことにはできません。わたくしが疑われるのは、その結果の一つですわ」
「……はい」
「ただし、だからといって、していないことまで認めるつもりはありませんけれど」
そう付け加えると、セシリアは少しだけ笑った。
「……オクタヴィア様らしいですね」
「あなた、わたくしと知り合ってまだ三日ほどでしょう」
「それでも、少しは分かってきた気がします」
「随分と自信がおありなのね」
「そんなことはありません。ただ……」
セシリアは少し考えてから続けた。
「三年前のことを知っているからこそ、今日のこともちゃんと見ていたいと思うんです」
オクタヴィアは黙って彼女を見つめた。
「わたしの家が困ったことと、今日オクタヴィア様が助けてくださったことは、どちらも本当です。だから、どちらか一つだけで決めつけたくありません」
以前、小さな庭で話したときと同じ考え方だった。
セシリアは、過去を忘れたわけでも、全てを許したわけでもない。
それでも、今のオクタヴィアを見ようとしている。
「……あなた、本当に頑固ですわね」
「そうでしょうか」
「ええ。少なくとも、わたくしが知っているあなたよりは」
「……?」
セシリアが不思議そうな顔をしたので、オクタヴィアは慌てて視線を逸らした。
(危ないですわね)
ゲームのセシリアを知っているなどと口にしたところで、説明できるはずもない。
それに、目の前の彼女は既に、自分が知っていたゲームの主人公とは少しずつ違う姿を見せ始めているのだから。
◇
その日の放課後、オクタヴィアは一人で図書室へ向かっていた。
魔法具の調査は教師たちが進めているものの、細工が施されていたという事実以外、今のところ詳しいことは分かっていないらしい。
もちろん、学院側の調査を待つのが最も確実なのだろう。
しかし。
(……気になりますわね)
原作では自分が細工をしたはずなのに、今回は何もしていない。
それでも事件は起きた。
ならば、誰か別の人間が細工をしたということになる。
問題は、その人物が何のためにそんなことをしたのかだ。
セシリアを傷つけるためなのか。
それとも、オクタヴィアへ罪を着せるためなのか。
あるいは、その両方なのか。
どれも考えられるが、今の段階では判断する材料が足りなかった。
「……難しい顔をしているな」
不意に声をかけられ、オクタヴィアは足を止めた。
振り向くと、書棚の近くにレオンハルトが立っていた。
「レオンハルト。あなたも図書室へ?」
「ああ。調べたいことがある」
「奇遇ですわね。わたくしもです」
「魔法具の件か」
「……どうして分かりましたの?」
「今のお前が他に何を調べる」
「失礼ですわね。わたくしだって読書くらいいたします」
「そうか」
「……もう少し会話を続ける努力をなさってはいかが?」
「必要か?」
「必要ですわ」
相変わらずの無愛想さに、オクタヴィアは小さく息を吐いた。
しかし、レオンハルトは特に気にした様子もなく、手にしていた本をこちらへ差し出した。
「これを探していたんじゃないのか」
表紙には『魔法具制御術式の基礎と応用』と記されている。
「……随分と都合がよろしいですわね」
「お前が来る前から読んでいた」
「それは分かっておりますけれど」
オクタヴィアは本を受け取り、近くの机へ置いた。
「それで、何か分かりましたの?」
「まだ確証はない」
「構いませんわ。お聞かせになって」
レオンハルトは少し考えてから口を開いた。
「今日の魔法具は、単に魔力を暴走させるよう細工されていたわけじゃない」
「……どういう意味ですの?」
「特定の属性へ反応するよう、術式の一部が変更されていた可能性がある」
オクタヴィアの表情が変わる。
「特定の属性?」
「ああ。教師が調べている途中で見えた術式の残骸が気になった。まだ断定はできないが、光属性の魔力にだけ強く反応するよう調整されていたとしたら、今日の現象にも説明がつく」
「つまり……」
「アーデン嬢が使ったから暴走した可能性がある」
オクタヴィアは黙り込んだ。
もしそれが本当なら、今回の事件は偶然ではない。
誰かがセシリアの光属性を知り、その能力を狙って細工をしたことになる。
「……厄介ですわね」
「そうだな」
「それで、あなたはなぜわたくしにその話を?」
レオンハルトがこちらを見る。
「お前も疑われているからだ」
「それは存じております」
「なら、調べる理由は同じだろう」
あまりにも簡潔な答えだった。
オクタヴィアは少しだけ呆れたものの、同時に妙な納得も覚えていた。
レオンハルトは自分を無条件に信じているわけではない。
ただ、事実を確かめようとしているだけなのだろう。
それは今のオクタヴィアにとって、何よりありがたい態度だった。
「……そうですわね」
彼女は本の表紙へ目を落とす。
「でしたら、まずは調べてみましょうか」
「ああ」
「ただし、わたくしの無実を証明するためだけではありませんわよ」
レオンハルトが僅かに眉を上げる。
「ほう?」
「セシリアが狙われたのなら、また同じことが起きるかもしれないでしょう。犯人を見つけなければ、安心して授業も受けられませんもの」
「……なるほど」
「何ですの?」
「いや。思っていたより、まともな理由だ」
「あなた、本当に一言余計ですわね!」
思わず声を上げると、レオンハルトが僅かに口元を緩めた。
笑った。
今、確かに笑った。
(……この男、案外いい性格をしていますわね)
オクタヴィアは少しだけ腹を立てながらも、机へ向き直った。
過去に自分がしてきたことは、消えない。
だから疑われることもあるし、簡単に信じてもらえないこともあるだろう。
けれど、だからといって身に覚えのない罪まで背負う必要はない。
そして何より、今回の事件にはまだ分からないことが多すぎる。
オクタヴィアは本を開き、最初の頁へ目を通した。
原作では、犯人は自分だった。
だが今は違う。
ならば、この事件の真相を知るために必要なのは、過去のゲームの知識ではなく、目の前にある事実を一つずつ確かめることなのだろう。
そう考えながら、オクタヴィアは隣で本を読み始めたレオンハルトへちらりと視線を向けた。
(……まさか、あなたと一緒に調べ物をすることになるなんて)
ゲームの中では、こんな場面はなかったはずだ。
しかし、それを不思議に思うことにも、そろそろ慣れ始めていた。
物語は既に、彼女の知っている筋書きから外れている。
そして今度ばかりは、そのことを少しだけ心強く感じていた。




