10話 犯人はわたくしですの?
# 第十話 犯人はわたくしですの?
入学から三日目の朝、オクタヴィアは学院の廊下を歩きながら、ようやく新しい生活にも少し慣れてきたことを実感していた。
もっとも、周囲から向けられる視線が減ったわけではなく、短く切った黒髪については今でも話題になっているようだし、セシリア・アーデンと昼食を共にしていることについても、どうやら令嬢たちの間で様々な憶測が飛び交っているらしい。
(……本当に皆さん、お暇ですこと)
そんなことを考えながら教室へ向かっていると、前方からエレノアが歩いてきた。
「おはようございます、オクタヴィア様」
「おはよう、エレノア。随分と早いのね」
「今日は午前中に魔法実技の授業がございますので、少し早めに準備をしておこうかと」
「魔法実技……」
その言葉を聞いた瞬間、オクタヴィアは足を止めた。
(……あら?)
何かが引っかかる。
魔法実技。
入学して最初の実技授業。
そして、セシリア・アーデン。
(……そういえば)
記憶の奥に、見覚えのある光景が浮かんできた。
ゲーム『花冠の乙女と銀の誓い』では、入学直後に主人公セシリアの魔法適性が披露されるイベントが存在する。
セシリアは希少な光属性の魔法を扱うことができるものの、地方で育ったため正式な魔法教育を受けた経験が少なく、最初の実技授業では緊張から上手く魔力を制御できない。
そこへ、悪役令嬢オクタヴィアが現れる。
『まあ、アーデン男爵令嬢。随分とお粗末な魔法ですこと』
そう言って周囲の令嬢たちと笑い、さらに彼女が使用する魔法具へ細工を施すことで、セシリアに恥をかかせようとするのだ。
ところが、細工された魔法具が暴走したことでセシリアの光魔法が発現し、その場に居合わせた攻略対象の一人が彼女を助ける。
結果として、セシリアの才能が学院中に知られることになるという、序盤ではそれなりに重要なイベントだった。
(……ありましたわね、そんなものも)
そして当然ながら、問題が一つある。
魔法具へ細工をするのは、原作のオクタヴィアだ。
だが現在のオクタヴィアには、そんなことをするつもりなど毛頭ない。
(でしたら、今回は何も起きないのでしょうね)
そう考えたところで、少しだけ胸騒ぎがした。
これまでの経験からすると、ゲームの展開は既に随分と変わっている。
セシリアとレオンハルトの出会いは起こらず、オクタヴィア自身も本来なら敵対しているはずの主人公と昼食を共にしているのだから、魔法実技のイベントだけが都合よく原作通りになるとは考えにくい。
「オクタヴィア様?」
エレノアの声で我に返る。
「……何でもありませんわ。参りましょう」
今さら過去のゲーム画面を思い返しても仕方がない。
細工などしなければ、少なくとも自分が原因で事件が起きることはないはずだ。
そう結論づけ、オクタヴィアは再び歩き始めた。
◇
王立セレファイス学院の魔法実技場は、校舎の北側に設けられた広大な施設だった。
高い天井と頑丈な石壁に囲まれた室内には、魔法の衝撃を吸収する特殊な術式が施されており、学生たちはそこで属性魔法の基礎や魔力制御について学ぶことになっている。
オクタヴィアが到着したときには、既に多くの生徒が集まっていた。
「本日は魔力の出力と制御を確認する」
教壇に立った男性教師がそう告げると、補助教員たちが銀色の台座をいくつも運び込んできた。
台座の中央には透明な水晶が取り付けられており、その周囲を細かな魔法文字が取り囲んでいる。
「これらは魔力測定用の魔法具だ。手をかざし、指定された量の魔力を流し込んでもらう。属性によって反応する色が異なるが、重要なのは出力の大きさではなく、どれだけ安定して制御できるかという点だ」
説明を聞きながら、オクタヴィアは水晶へ目を向けた。
(……あれですわね)
ゲームで暴走する魔法具と同じものだった。
もちろん学院の備品なのだから、同じであること自体は不思議ではない。
それでも、あの水晶が砕け散る場面を知っている身としては、あまり気分のいいものではなかった。
「オクタヴィア様は、魔法もお得意なのでしょう?」
隣にいたエレノアが尋ねてくる。
「それなりには。幼い頃から家庭教師について学んでおりますもの」
「さすがですわ」
「まだ何もしていませんわよ」
オクタヴィアがそう返すと、エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。
以前なら、こうした何気ない賞賛を当然のように受け取っていたのだろうが、今は褒められるたびに本当にそれだけのことをしたのかと考えてしまう。
(……別に、褒められることまで拒む必要はありませんわよね)
自分の能力に自信を持つことと、他人を見下すことは別だ。
そこまで卑屈になるつもりはない。
やがて実技が始まり、生徒たちが順番に水晶へ魔力を流し込んでいく。
赤く輝く者もいれば、青い光を放つ者もおり、中には魔力が安定せず教師から指導を受ける者もいたが、全体としては穏やかな雰囲気で授業が進んでいた。
オクタヴィアの番になると、彼女は水晶へ右手をかざした。
魔力を静かに流し込む。
すると透明だった水晶の内部に、深い紫色の光が広がった。
「……見事だ、ローゼンフェルト嬢。出力、安定性ともに申し分ない」
「ありがとうございます、先生」
オクタヴィアは優雅に一礼し、その場を離れる。
周囲から感嘆の声が上がったが、これについては素直に受け取って構わないだろう。
(当然ですわ。何年学んできたと思っていますの)
胸の内で少し得意になっていると、エレノアが嬉しそうに迎えてくれた。
「素晴らしかったですわ、オクタヴィア様」
「あなたも落ち着いて行えば問題ありませんわ。普段の練習通りになさい」
「はい!」
そのままエレノアの測定を見守っていたところで、教師が次の名前を呼んだ。
「セシリア・アーデン」
オクタヴィアの視線が自然と動く。
少し離れた場所からセシリアが進み出てきた。
表情は緊張しているものの、足取りはしっかりしており、教師の前へ立つと丁寧に一礼する。
「アーデン嬢は光属性だったな」
「はい。ただ、正式な測定は初めてですので……」
「心配はいらない。ゆっくり魔力を流せばいい」
「ありがとうございます」
セシリアが水晶へ手をかざす。
オクタヴィアは腕を組み、その様子を見守った。
(さて、どうなりますかしら)
原作では、この直後に魔法具が暴走する。
だが今回は細工などしていないのだから、多少制御に失敗したとしても教師が指導して終わるはずだ。
セシリアが目を閉じ、水晶へ魔力を流し始める。
淡い金色の光が灯った。
最初は小さな光だったが、徐々に水晶の内部へ広がり、周囲の生徒たちから驚きの声が上がる。
「綺麗……」
誰かが呟いた。
オクタヴィアも思わず見入っていた。
ゲームの画面越しに見たことはあったが、実際に目の前で光属性の魔法が発現する光景は、想像していた以上に美しい。
(……なるほど。これは確かに、特別ですわね)
そう思った、そのときだった。
水晶の内部で、何かが弾けた。
「……え?」
小さな音がした。
続いて、水晶を取り囲む魔法文字が一斉に明滅し始める。
教師が眉をひそめた。
「アーデン嬢、魔力を止めなさい」
「は、はい!」
セシリアが慌てて手を離そうとする。
しかし、水晶から伸びた光が彼女の指先へ絡みつくように広がり、離れようとした手を引き戻した。
「先生、手が……!」
「全員、下がれ!」
教師の怒声が響いた。
周囲の生徒たちが一斉に後退する。
水晶の光は急激に強まり、内部に細かな亀裂が走り始めていた。
(……どうして?)
オクタヴィアは息を呑んだ。
原作と同じだ。
いや、完全に同じではない。
ゲームでは魔法具が暴走する直前、オクタヴィアがセシリアを嘲笑う場面があったはずだが、今回はそんなことはしていない。
そもそも細工すらしていないのだから、こんなことが起こるはずはない。
「オクタヴィア様、危険です!」
エレノアが腕を引こうとする。
だが、オクタヴィアは動かなかった。
水晶が砕ける。
その直後、セシリアへ向かって魔力の奔流が押し寄せる。
ゲームで見た光景が脳裏をよぎった。
(……間に合いませんわ!)
教師が防御魔法を展開しようとしているが、暴走した魔力は既にセシリアの目前まで迫っている。
考えるより先に、オクタヴィアの身体が動いた。
「――伏せなさい!」
鋭く叫ぶと同時に、右手を突き出す。
紫色の魔力が一気に広がり、セシリアの前へ薄い障壁を形成した。
直後、金色の奔流が障壁へ衝突する。
「っ……!」
凄まじい衝撃が腕を伝わり、オクタヴィアは思わず奥歯を噛み締めた。
(何ですの、この出力は……!)
想像していたより遥かに強い。
防御魔法そのものは得意だが、十五歳の学生が咄嗟に受け止めるには明らかに過剰な魔力量だった。
障壁に亀裂が走る。
まずい。
そう思った瞬間、別の方向から青白い光が伸びてきた。
「――そのまま維持しろ!」
聞き覚えのある声だった。
横を見る余裕はなかったが、オクタヴィアには誰なのか分かった。
レオンハルト・ヴァイス。
彼の展開した防御魔法がオクタヴィアの障壁を包み込み、二重になった光の壁が暴走した魔力を押し返す。
そこへ教師たちの術式も重なり、数秒後には水晶から溢れていた光が急速に弱まっていった。
最後に小さな破裂音が響き、魔法具は完全に沈黙した。
実技場が静まり返る。
オクタヴィアはゆっくり右手を下ろした。
(……危なかったですわね)
腕が痺れている。
幸い怪我はなさそうだが、もう少し遅ければ自分の障壁は破られていただろう。
「無事か」
隣から声をかけられた。
振り向くと、レオンハルトが立っていた。
「ええ。助かりましたわ、ヴァイス様」
「レオンハルトでいい」
「……そうでしたわね」
以前の会話を思い出し、オクタヴィアは僅かに眉を上げる。
「それにしても、随分とお早い対応でしたわね」
「お前が飛び出したからな」
「わたくしが?」
「ああ。何か知っているように見えた」
心臓が一瞬跳ねた。
「……気のせいではなくて?」
「そうかもしれん」
レオンハルトはそれ以上追及せず、壊れた魔法具へ目を向けた。
「妙だな」
「何がですの?」
「魔力の流れが不自然だった。単なる制御の失敗には見えない」
オクタヴィアの表情が強張る。
そのとき、教師たちの一人が壊れた魔法具を調べながら声を上げた。
「……待て。これは」
別の教師が近づく。
「どうした?」
「内部の制御術式が書き換えられている」
周囲がざわめいた。
「書き換え?」
「ああ。魔力を吸収する術式の一部が変更されている。これでは一定量を超えた時点で制御できなくなる」
オクタヴィアは、その言葉を聞いて動けなくなった。
(……細工されている?)
そんなはずはない。
自分は何もしていない。
魔法具に触れてすらいない。
なのに、原作と同じ細工が施されていたというのか。
「誰かが意図的に手を加えた可能性がある」
教師の言葉に、生徒たちの間で不安そうな囁きが広がる。
その中で。
「……でも」
誰かが小さく言った。
「アーデン男爵令嬢を嫌っている方が、いらっしゃいましたわよね」
オクタヴィアの背筋が冷たくなる。
嫌な予感がした。
「昨日も、その方の周りの令嬢たちがアーデン男爵令嬢と揉めていたそうですし……」
「それって……」
視線が集まる。
ゆっくりと。
確実に。
オクタヴィア・ローゼンフェルトへ。
(……冗談でしょう?)
思わず笑いそうになった。
自分は細工などしていない。
むしろ、セシリアを守るために飛び出したばかりだ。
それなのに。
「まさか、ローゼンフェルト公爵令嬢が……?」
その囁きが耳に届いた瞬間、オクタヴィアはようやく理解した。
原作では、自分が犯人だった。
だから今回も、自分が疑われる。
たとえ何もしていなくても、過去に積み重ねた悪評がある限り、人々はそう考えるのだろう。
(……なるほど)
腹が立つ。
実に腹立たしい。
けれど、その怒りを周囲へぶつけたところで何も変わらないことくらい、今のオクタヴィアには分かっていた。
教師がこちらへ視線を向ける。
「ローゼンフェルト嬢、少し話を――」
「構いませんわ」
オクタヴィアは背筋を伸ばした。
胸の奥では怒りが渦巻いているものの、ここで取り乱せば疑惑を深めるだけだ。
「調べたいのでしたら、どうぞお調べになってください。わたくしには、隠すことなど何もございませんもの」
静かに告げる。
しかし、その隣でレオンハルトが口を開いた。
「少なくとも、こいつが細工をしたと決めつけるのは早い」
教師が彼を見る。
「ヴァイス君?」
「魔法具の異常に最初に反応したのはオクタヴィアだ。しかも、アーデン嬢を守るために自分から防御魔法を展開している」
「それは……」
「疑うなら、まず誰が魔法具へ触れられたのかを調べるべきだろう」
淡々とした声だった。
オクタヴィアは思わず彼を見た。
「……あなた」
「何だ」
「随分と親切ですのね」
「事実を言っただけだ」
それだけ答えると、レオンハルトは再び教師へ向き直った。
オクタヴィアは小さく息を吐く。
(……本当に、調子が狂いますわね)
原作ではセシリアを助けるはずだった男が、今は自分の隣に立っている。
しかも、何の見返りも求めずに。
けれど。
それよりも気になることがあった。
(……誰が細工をしましたの?)
自分は何もしていない。
原作で犯人だったはずのオクタヴィアが動かなかったのに、事件は起きた。
つまり。
この世界には、ゲームで描かれなかった何かがある。
あるいは、既に物語そのものが変わり始めているのかもしれない。
オクタヴィアは壊れた魔法具へ視線を向けた。
そこには、かつて画面越しに見たものとよく似た光景が広がっている。
ただ一つ違うのは。
今回は、犯人が誰なのか分からないということだった。




