ネズミ算
小さな鉄の球を拾い上げた佐藤は、パチンコ屋の壊れたガラスドア越しに、じっと店内の光景を観察してみた。
(あの放電現象……デタラメに起きているわけではなさそうだ。)
ジジジ……と空間が歪むような微細な雑音が聞こえた後、空気が帯電してバチッと青白い光が弾ける。
そして、一度光が弾けると、数秒間だけ何事もなかったかのように静寂が訪れる。
(やっぱりなにか法則がある。あれにはチャージの時間があるのか。放電した直後の数秒間は……安全?)
佐藤は推測の確信を得るため、拾ったパチンコ玉を指で弾き、通路へと投げ入れた。コツン。硬質な音を立てて転がった金属玉が、見えない歪みに触れた瞬間――
『バチィンッ!!』
――放電。
激しく火花が散り、青白い閃光が店内を照らし出す。パチンコ玉は衝撃で跳ね上がり、床のどこかに転がっていった。
(よし……再セットまで何秒だ?)
放電がいったん収まったのを確認した佐藤は、心臓の鼓動を抑えながら指を折って秒数をカウントした。
(一、二、三――よし、五秒は安全みたいだな)
佐藤は2個目のパチンコ玉を、同じ場所へ思い切り投げつけた。
『バチチッ!』
「……ふぅーっ……」
閃光が消えた直後、佐藤は地面を力強く蹴り出した。
アルミパイプを強く握り締め、ばっと躍り出る。
鼻を突くオゾンの匂い。肌の表面がピリピリと逆立つような感覚は静電気だろうか。全身の毛が逆立つ空気を受けながら、佐藤は全力で通路を駆け抜けた。
右から左へ、計算した放電ポイントの隙間をすり抜ける。背後で再び『ジジジ……』と電気がチャージされ始める不気味な音が聞こえたが、振り返らずに景品交換所の受付カウンターへと飛び込んだ。
『――バチィンッ!』
背後で凄まじい放電の音が響き渡る。佐藤はおもわずカウンターの裏で背中を丸めた。
(……やった、成功だ!)
荒い息を吐きながら、全身の血が激しく巡るのを感じる。
佐藤は額の汗をぬぐい、受付の背後にある棚を見上げた。
そこには、幸運にも手付かずの景品がズラリと並んでいる。
佐藤はすばやく棚を漁る。
長期保存が効き、栄養源になりそうなお菓子――飴やクラッカー、チョコレートといった糖尿病促進セットと、チーズかまぼこ、ドライソーセージ、ビーフジャーキーといった、痛風確定ガチャセットを片っ端からリュックへ詰め込んだ。
今は非常時。来年の健康より今の命だ。寿命と引き換えに手に入るカロリーを、佐藤は片っ端からリュックへ押し込んでいく。
さらに棚の奥には、銘柄ごとのタバコのカートンが積まれていた。
「俺は煙草なんて吸わないけど……」
佐藤の手が止まる。
(映画なんかじゃ、煙草とかライターってよく物々交換のネタになってたよな)
文明が崩壊した世界では、タバコのような嗜好品は、水や食料と同等かそれ以上の価値を持つ「交換通貨」になる。
(昨日の様子を見たら……これまでの日常が返ってくるとは思えない。――よし)
佐藤はタバコの箱をいくつか掴み、リュックのポケットに押し込んだ。
戦利品の重みを背中に感じながら、佐藤の口元に自然と小さな笑みが浮かんだ。見えない脅威のルールを解き明かし、命懸けで得た初めての成果だった。
防災袋に詰めた戦利品の重みを確認すると、佐藤は景品カウンターの奥にある『STAFF ONLY』と書かれたドアへ向かった。
幸い、ドアは内側からサムターンで施錠されていただけで、カチャリと回せば簡単に開いた。暗いバックヤードをアルミパイプを構えながら慎重に進み、さらにその奥にある、搬入口を兼ねた重い金属製の裏口の鍵を開ける。
眩しい太陽の光とともに、冷たい外気が一気に流れ込んできた。
佐藤はパチンコ屋の裏手に当たる、従業員用の未舗装の駐車場に出た。砂利敷きのスペースには、古びた軽トラックが一台停まっているだけだ。
「……?」
ふと、軽トラックの影から低い唸り声が聞こえた。
佐藤がパイプを構え直し、身を固めて警戒する。すると、車体の影から一匹の犬が姿を現した。小柄だが引き締まった体躯の、茶色の柴犬だ。首輪はついていない。
(犬……? こんなところに?)
柴犬は佐藤を見るでもなく、駐車場脇に伸びた草むらへ向けて、低く敵意の籠もった唸り声を上げ続けていた。
佐藤が足元の砂利をそっと踏み締め、アルミパイプを握り直す。その視線の先で、ガサガサと草むらが大きく揺れた。
次の瞬間、ぬっと姿を現した「それ」を目にして、佐藤は呼吸を忘れた。
「……なっ!?」
ネズミだ。だが、サイズが尋常ではない。小型の猫ほどもある巨体で、後ろ足で立ち上がった姿は、あきらかに佐藤の膝の高さよりも高かった。
異様なのは大きさだけではない。体表には毛がまばらに生えているだけで、まるで深刻な皮膚病に冒されたように、赤黒い皮膚がボロボロに剥がれ落ちている。
その様子からして、とても普通のネズミには見えない。
絶句する佐藤の目の前で、草むらからさらに次々と異形が這い出してきた。
二匹、四匹、八匹――。文字通りのネズミ算式に、醜悪な巨躯が砂利を埋め尽くしていく。
「おい、ワンちゃん! 逃げろ、お前じゃ無理だ!」
言葉が通じるはずもないが、思わず佐藤は叫んでいた。
直後、先頭のネズミが鋭い鳴き声を上げ、柴犬を目がけてしなやかな跳躍で飛びかかった。
柴犬は間一髪でそれを横飛びに回避すると、身を翻して猛然と吠え立てた。
『キャンッ! バウッ!』
その瞬間、佐藤の視界がぐにゃりと歪んだ。
「え……?」
柴犬が一度吠えるたびに、その輪郭がブレ、真横に「全く同じ姿の柴犬」がぬっと生み出されていく。
二匹、三匹――吠声が響くたびに、空間の歪みから柴犬が増殖していくのだ。
「なんだぁ……っ!?」
思わず叫んだ佐藤の前で、柴犬は瞬く間にネズミの群れと同数にまで増え上がった。数で圧倒していたはずのネズミたちは、一瞬困惑したように動きを止める。
『『ワンッ! ワンッ! ワンッ!』』
増えた柴犬たちは一斉に牙を剥き出し、ネズミの群れに襲いかかった。




