バチバチバチ
アパートの階段を文字通り転げ落ちるようにして、佐藤は通りへ飛び出した。
そこはすでに、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
夜の主要幹線道路。帰宅を急ぐ凄まじい数の車が完全にスタックし、テールランプの赤い海がどこまでも続いている。誰もが狂ったようにクラクションを鳴らし、窓から身を乗り出して怒鳴り合っていた。
「おい! 動けよ!」「前で火事が起きてんだよ!」
パニックに突き動かされた一台のミニバンが、強引に歩道へと乗り上げてきた。
「うおっ!?」
危うく撥ねられそうになり、佐藤はガードレールにしがみつく。サイドミラーがパーカーの袖をかすめていった。
「危ねえだろバカヤロー!!」
だが、彼の怒号は、直後に響き渡った「異質な音」によって完全に掻き消された。
――ジジジ、ジジジジジジジッ!!!
何千匹もの巨大な油蝉が一斉に鳴くような、不快な高周波の音。
道路の真ん中、立ち往生した軽自動車のボンネットのすぐ上で、空間が不自然に歪んだ。次の瞬間、そこから「巨大な電気の球体」が爆発するように誕生した。
バレーボールほどの大きさの、青白く、凶暴に明滅する雷球だ。
「な、んだあれ……」
佐藤が目を見開いた刹那、雷球は生き物のように跳ねた。
触れた瞬間に、軽自動車のフロントガラスが粉々に弾け飛び、車体が青い稲妻に包まれる。
車内にいたドライバーの悲鳴は一瞬で途絶え、車体全体が凄まじい熱量で赤く焼け焦げ、ゴムの焼ける猛烈な悪臭と、嗅いだことのない「肉の焼ける匂い」が周囲に立ち込めた。
道路のあちこちで悲鳴が爆せる。
たまらず車に乗っていた人たちは、ドアを開いて逃げ出す。
しかし、雷球の捕食は止まらない。今度はすぐ脇の電柱へと吸い込まれると、火花を散らしながら電線を高速で伝っていった。
バチバチバチバチッ!!!
電線に沿って、通りに面したマンションのベランダの手すりが次々と赤熱し、エアコンの室外機が爆発していく。割れたガラスの雨が歩道に降り注ぎ、雷球はそのまま空へと駆け上り、夜空に巨大な残像を爪痕として残して消え去った。
強烈なオゾンの臭いと、焦熱の嵐。
佐藤は恐怖でガタガタと震える膝を、両手で無理やり押さえつけた。
まともな思考が吹き飛ぶ中、本能が叫んでいる。
ここにいたら、次は自分が消し炭になる。
「チャリ……、チャリはどこだ!」
アパートの駐輪場へ這うようにして戻る。奇跡的に無傷だった、
配達用に使い古したクロスバイク。
ロードバイクの速度と、マウンテンバイクの頑丈さを兼ね合わせた自転車だ。
佐藤はサドルに飛び乗り、ペダルを思い切り踏み込んだ。
(でも、どこへ逃げりゃいい? 安全な場所なんて、この世界のどこにあるんだ?)
走りながら、ポケットからスマホを取り出す。バッテリー残量は12%。
「頼む、動いてくれ……!」
すがるような思いで地図アプリを開くが、画面の端には『圏外』の文字。
マップのパケットは一切読み込まれず、現在地を示すピンだけが空白の地図の中で虚しく立ちすくんでいる。
周囲の家のWi-Fiの電波も、完全に消滅していた。
巨大な電磁波が街を突き抜け、スマホも通信設備も、見えない基板ごと一瞬で焼き切られたのだ。
「クソッ、ネットが死んでる……! さっきの電気の玉のせいで、機械がイカれたのか!?」
現代人の命綱である情報が、完全に断たれた。
佐藤は奥歯を噛み締め、スマホをポケットに突っ込んだ。アルゴリズムの指示はもう来ない。自分の頭で考えるしかない。
「……公園だ。小学校前の公園に行こう」
脳裏に浮かんだのは、近所の避難場所に指定されている小学校だった。
あそこなら広いグラウンドがある。地震の時の備蓄もあるはずだし、警察や自治体の人間が避難誘導をしているかもしれない。
バチン、バチンと街灯が連続して立ち消え、自動車から立ち上る炎だけが焦げた道路標識を不気味に照らし出す。頼れる明かりは消え去り、東京の街がゆっくりと太古の時代と同じ暗い海のように広がる闇の中へと沈んでいく。
佐藤は立ち上がってペダルを漕ぎ続けた。
残り12%のスマホと、ポケットの中の「ひどく冷たい石」だけを抱えて。




