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Bar Ashveil 〜魔術師は夜を改稿する〜  作者: 南郷 兼史
第2章 ~血縁の外側~

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88.綻びの治療

遊戯王公式が素晴らしいネタ供給してくれたので久々に喜んでいます。ちゃんと愛人にも触れるんですね。

 扉が開くと、湿った空気が先に漏れた。


 石と鉄の匂い、その下に乾いた血と焼けた術式の焦げが沈んでいる。部屋は広くない。中央に固定椅子があり、使われてはいないが古いベッドも設置されていた。


 ウェイトは椅子に座らされたまま縛りつけられていた。両手首、肘、胴、膝、足首。抜け道だけを先回りして潰したみたいな拘束のされ方だ。目隠しの黒布は鼻梁にぴたりと張り、結び目が耳の後ろへ深く食い込んでいる。視界は死んでいるはずなのに、それでもこちらが見られている感じだけは消えない。


 ガルザはちゃんと仕事をしていた。

 頬骨のあたりに腫れ、口の端の切れ、頬から首筋へかけて薄く走る裂け。左肩は一度外したまま戻したらしい位置の悪さが残り、右手首も腫れている。呼吸は浅い。


 けれど背中の芯だけは落ちていなかった。崩れたふりをしているだけで崩れ切ってはいない座り方だ。痛みと主導権を別の棚へ置ける人間の身体だった。


「……まあここまでようやったな」


 後ろのガルザに言うと、壁際にもたれたまま鼻を鳴らした。


「やった割には何も出てねえよ」

「そらそうやろな」


 近くで見ると肩のズレがやはり目立つ。手首も無駄に腫らしている。ガルザは毎回必要な以上に手数が多い。


「僕はパケラスや。3回目だし、教養深い君にはいちいち元ネタなんて言わなくてええよな。ここでは医者役や」


 ウェイトは何も言わない。

 笑いもしない。皮肉もない。しかし、目隠しの下で顔の角度だけがわずかに変わる。こちらの足音と呼吸で位置はもう測っているのだろう。黙っているのに先に観察している感じがある。



「ほな、順番に聞くわ」


 返事はない。


「一つ目。朱音に愛着あるんか」


 呼吸が一拍だけ浅くなる。ほんのわずかだ。

 答えにはならない。でも反応にはなる。


「二つ目。本当に回収したいんは朱音本人か、Babylonか」


 今度は顎の筋肉が動いた。目隠しの布が鼻梁の上で少し引きつる。

 そこも刺さるらしい。


「三つ目。朱音の最終用途は何や。願いの器として固定するんか、扉にするんか、それともお前の代行装置か」


 ここはもっと分かりやすかった。

 一瞬、呼吸が止まる。すぐ戻る。けれど、戻るまでのあの半拍は誤魔化せない。


「四つ目。監察局がまだ把握してへん協力者、観測点、仕込み先。人物でも店でも器物でもええ。どこに何を置いた」


 沈黙。

 平らに整えた沈黙だ。何も刺さっていない相手のものではない。


 ガルザが横で舌打ちした。


「で、結局何も吐かねえ」

「吐かんやろ。最初からそういう相手や」


 白衣の袖口を指で整えつつ少しだけ考える。正面から四つを投げてもコイツは絶対に言わない。なら別の角度へ入るしかない。



「ほな、聞き方変えるわ」


 椅子の前で膝を折る。

 ウェイトの顔がわずかに上を向いた。こちらの高さを測っているのが分かる。目隠しをされていても、上から見ようとする癖だけは抜けていない。



「朱音のこと、どうでもええんやったら何してもええんか?」


 その一言で、顔が動いた。


 露骨だった。

 今までの四つよりずっと分かりやすい。口元が強張り、顎の線に一瞬だけ力が走る。痛みを飲み込む顔ではない。純粋に嫌そうな顔だ。


 僕はそこで少しだけ笑ってしまう。


「……ああ、そういう顔はするんや」


 ウェイトは何も言わない。

 でも呼吸だけが少し乱れる。黙ったままそれを押し戻そうとしているのも分かるが遅い。


「好きにしろ。私の創った朱音とは既に遠いものだからな」


 ようやく出てきた言葉は、切り捨てたいのに切り捨て切れていない人間の響きがうっすら混じっていた。



「――ほな寝取ってええんやな?」


 口から出た瞬間、自分でも少しだけ嫌な笑い方をしていると分かった。

 薬が回っていなければ、多分ここまでは言わない。


 ウェイトは答えない。ただ、さっきより若干だが嫌そうな顔をする。それだけで十分だった。


「だってどうでもええんやろ? 捨てた女なら、いくら抱いたってええやろ」


 部屋がしんとした。

 ガルザが横で珍しいものを見るときの顔をした。


「……お前、そんなこと言うんだな」

「何、どうでもええんやろ」

「いや、理屈はそうでも言い方ってもんがあるだろ」

「詐欺師が倫理観語るんや」


 ガルザは鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わない。

 ウェイトも黙ったままだ。嫌悪だけがそこに残る。言い返せば認めることになる。黙っていれば、こっちはもっと好き勝手言える。そのどっちも嫌で、結果として口を閉じるしかない顔だった。


「安心しぃや。()()何もしてへん」


 わざと「まだ」を残して言う。

 そこでまた、呼吸がわずかに乱れる。ほんの一拍だ。でも十分だった。


「喋らへんのはええけど、顔が喋っとるで」


 そう言って立ち上がる。

 これ以上ここを突いても、今夜はもう同じ反応しか取れない。収穫はあった。ゼロではない。だったら次へ繋げる方がいい。


 ガルザが壁から体を離した。


「……終わりか」

「今日はな。これ以上やると反応ごと壊れる」

「甘いな」

「効率の話や」


 短く返し、ウェイトの左肩へ手を伸ばす。

 触れた瞬間、そこだけ筋肉がごくわずかに強張る。反射だ。痛みに慣れていても、身体の反応までは消せない。


「ほな、今から治すで」


 返事はない。

 でも顎の線だけが硬くなる。


 位置を確かめる。脱臼は雑に扱われた分まだ少しずれていた。こういうところだけガルザはほんまに雑や。力を入れる。鈍い音がして、関節が元の位置へ嵌まる。ウェイトの喉が一つだけ上下した。呻きも悲鳴もない。ただ、呼吸が短く乱れる。その乱れの方がさっきまでの沈黙よりよほど人間らしい。


「……そういう顔もするんや」


 つい言うと、ガルザが横で吹き出した。


「お前、今日ほんと機嫌悪ぃな」

「最初からそう言うてるやろ」


 手首の腫れを見て、それから顔の裂けや口元の切れへ目をやる。

 こういう表面の傷は物理でどうこうするより早い。指先へ魔力を集める。淡い光が滲み、切れた皮膚の端へ触れると、血の乾いた線が少しずつ閉じていく。頬の浅い裂けも、口の端の割れも、見えるところから順に整える。痣までは消さない。そこまでやると逆に不自然だ。


 ウェイトが不思議そうに口を開いた。


「……何故治した?」


 さっきまで黙っていたくせに、そこは聞くんだなと思った。僕は手を止めず、そのまま右頬の血の跡を拭った。


「そりゃもっと痛めつけるためや」


 平坦に言うと、ガルザが横で低く笑った。


「正直だな」

「お前が言う?」


 ウェイトはそれきり何も言わない。

 けれど、さっきまでの嫌悪とは別の硬さが口元に残った。治療は救済じゃない。次を続けるための整備だとコイツもちゃんと分かっている。


 僕はもう一度、魔力を走らせる。

 表面上の傷だけが整い、血の匂いが少し薄くなる。見た目はマシになった。だが、肋骨も手首も肩の奥も、痛むところはまだ痛むはずだ。そういう治し方をわざと選んでいる。


「親切やと思った? 残念やったな。僕、そんなええ人ちゃうねん」


 ガルザがまた鼻で笑う。

 地下の部屋には湿気と鉄とまだ消え切らない血の気配が残っている。表面だけ整って余計に嫌な絵になる。次も続くと分かる絵だ。


 僕はウェイトの顎を軽く持ち上げ、治ったばかりの口元を一度だけ見た。

 もう血は垂れない。顔だけ見れば少し前よりずっとまともだ。まともに見えるだけで、中は何一つ終わっていない。


「ほな、今日はここまでや」


 手を離す。

 ウェイトは何も言わない。目隠しの下でこちらを睨んでいる気配だけが残る。それだけで十分だった。


「次までに喋る気になっとき」


 そう言って背を向ける。

 ガルザが扉の方へ顎をしゃくった。見張りがまた鍵へ手をかける。重い鉄の音が地下に響き、部屋は少しずつ閉じていく。

 その沈黙の中にだけ、さっき拾った綻びがまだ残っていた。

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