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Bar Ashveil 〜魔術師は夜を改稿する〜  作者: 南郷 兼史
第2章 ~血縁の外側~

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110.都合のいい接続

「なんや」

「簡易報告を行います」

「手短にな」

「朱音が一度覚醒しました」

「理由は?」

「左脇腹に一瞬の疼痛を訴えました」


 その一文だけで十分だった。

 パケラスの目がほんの少し細くなる。やはり完全には切れていない。しかも落ちたのは痛みそのものではなく、遅れて届く類の揺れだ。場所まで一致している時点でもう仮説の域ではない。


「今は」

「これといって痛みはないとのことです。呼吸も数値も安定しています」

「他は」

「現時点では認めません」


 必要な項目だけが並ぶ。無駄がなく説明も感想もない。

 パケラスは一瞬だけ視線を横へ流す。目隠しされたウェイトは荒い呼吸のまま黙っている。鎖へ引かれた身体のどこかだけが、まだ遅れて強張っていた。


「分かった」


 それだけ言って、パケラスは通話を切った。

 続報を待つ気はなかった。欲しいものはもう来ている。左脇腹、一瞬の痛み、今は消えている。それで十分だ。それ以上細かく聞いたところで、今この場での判断は変わらない。


 端末を下ろすと、ガルザが面白そうに口角を上げた。


「なんだ」

「当たりや」

「へぇ」


 軽い返事だった。

 パケラスはそれに付き合わず端末をポケットへ戻す。頭の中ではもう、線がいくつか引き直されていた。完全な直通ではない。止めている層はある。けれど、ショックと位置の情報は落ちる。条件次第では痛みの輪郭まで薄く拾う。センシオルで抑えが飛ぶと、その揺れはさらに濃くなる。


 少なくとも、わざわざここまで降りてきた意味はあった。


 パケラスはもう一度、ウェイトの方を見た。

 目隠しで表情は見えないが、それでも分かることはある。鎖へ引かれた腕の強張り方、腹の浅い痙攣、息が跳ねる位置。その全部が、さっきまでより少しだけ雑に崩れている。センシオルで抑えが薄くなったせいだ。そう考えると、医務室からの報告は綺麗すぎるくらい噛み合っていた。


 基本的には、痛みそのものは朱音に落としていない。


 そこは最初からおそらく合っていた。でなければ、ガルザにしばかれている最中から朱音の方がもっと露骨に崩れている。日中の落ち方はあくまで消耗と供給切れの形に近かった。刺された瞬間の鋭い痛みや殴打のたびの衝撃がそのまま向こうへ通っていたなら、あんなものでは済まない。もっと早く、もっと分かりやすく壊れている。


 だから、ウェイトは止めている。

 意識的にか、構造の側でかはまだ分からない。少なくとも、痛覚の層は普段かなりきれいに切っている。


 その代わり、魔力は少しずつ吸っていた。


 それもほぼ間違いない。

 封魔の手錠で外からの供給は潰れている。回復へ回る筋も絞られている。その状態で、今この男がここまで意識を保っている理由は二つしかない。本人の気力が異様にしぶといか、どこかから細く補っているかだ。前者だけでここまで保つタイプではない。いや、保つには保つだろうが、その場合もっと別の崩れ方をする。今のウェイトは削れながらも均一に保っている。ということは、大抵どこかで継ぎ足されている。


 朱音の落ち方もそれを裏づけていた。

 寝ても戻りが足りない。なのに、完全には枯れきらない。外部供給に慣れた器の落ち方だ。


 ただし、全部が全部向こうへ通るわけでもない。


 今回落ちたのは左脇腹の一瞬の痛み。

 すぐ消えて呼吸も安定している。数値の変動も大きくない。つまり、傷そのものが丸ごと通ったのではない。直通しているならもっと崩れるしもっと長く残る。あれは、耐えきれないところまで行った時だけリミットみたいなものが外れて、ショックの形だけが向こうへ落ちている。


 普段なら切れる。切っている。

 けれど、完全ではない。


 ――限界を越えた時だけ、漏れる。


 それは防波堤の継ぎ目みたいなものだとパケラスは思った。普段はきれいに塞がっている。痛みも傷も、基本向こうへは行かない。しかし、あまりに強い衝撃が来ると、その継ぎ目だけが一拍遅れて開く。そこから落ちるのは刃の感触そのものではなく、もっと曖昧なものだ。身体が()()()()()()()()()と判断した瞬間の揺れ。そういう塊だけが、向こうへ滑る。


 センシオルで抑えが飛ぶと、その継ぎ目がさらに甘くなる。


「……器用なことしよる」


 独り言みたいに漏らした。

 褒めているわけではない。むしろ逆だ。切るなら切る、通すなら通すでどちらかへ寄せろと思う。こんなふうに都合のいいところだけ細く残して気力は保ち、痛みは切り、限界の時だけ向こうへ押しつける構造はあまりにも性質が悪い。


 しかも、普段は与えている側だ。


 そこが一番面倒だった。

 ただの寄生や吸い上げなら、まだ話は早い。回路を切ればいい。だが実際には逆で、ウェイトは朱音へ魔力を流していた。()()()()()()()()()()()()()。向こうが与える側で、必要な時だけこちらからも引く。その不均衡があるせいで、朱音の身体は支えられていることに慣れてしまっている。慣れた器は、供給が切れた時に極端に落ちる。


 ――最悪の構造だ。


 支えているように見えて、切れた時の反動まで最初から仕込まれている。しかも当人同士の情や執着がそこへ絡むと判断が甘くなる。朱音が黙るのも、ウェイトが保つのも、その甘さの延長で説明がつく。だからなおさら質が悪い。


 パケラスは短剣を下ろしたまま、ウェイトの前に立つ。

 答え合わせはだいぶ済んだ。全部ではないが方向は見えた。そうなると、次に見るべきものもだいぶ限られてくる。


「お前さ」


 パケラスは静かに言った。


「だいぶ都合よくやっとるやろ」


 もちろんウェイトは何も言わない。

 その沈黙自体がもう半分くらい答えだった。自覚がないわけではない。ないくせに、必要だからそうしている顔だ。見えなくても分かる。その手合いは大体、黙り方だけで腹が立つ。


 ガルザが横で笑う。


「何、分かったのか」

「大体は」

「へぇ」

「へぇ、やないねん。面倒が増えただけや」


 吐き捨てるみたいに言う。

 実際その通りだった。朱音を診る。減り方を見る。夢での接触も前提に置く。ウェイトを締める。全部が別々の問題に見えて、実際には一本で繋がっている。繋がっているせいで、どこか一つだけを処理しても終わらない。



 パケラスはもう一本のアンプルを指先で揺らした。硝子の中で、わずかに青みを帯びた液が薄く返る。牢の灯りの下だとその色だけが妙に澄んで見えた。中身の性質とはあまりにも釣り合わない。


「ネタばらししたろか」


 そう言うと、パケラスはアンプルを揺らしたまま片方の口角だけを上げた。

 目隠しの下でウェイトの表情は見えないが、聞いてはいるのだろう。さっき自分でそう言ったばかりだ。()()()()()()()()()()()()()()。だったら勝手に喋るぶんには問題ない。


「これな、センシオル言うねん」


 アンプルを軽く掲げる。

 見えていない相手に見せる意味はない。だが、そういう無駄な仕草をしたくなる程度には、さっきの反応がまだ手に残っていた。


「感度上げる薬。痛みも快楽も、どっちもや」


 ガルザが横で「ほぅ」と言う。

 その軽い反応へ、パケラスは顔を向けずに続けた。


「ただ、そこらの雑なやつと一緒にしたらあかんで。()()()()()()が作っとるからな」


 自分で言うな思うが事実でもある。センシオルは使い方の品が悪いだけで、薬そのものの出来はかなりいい。効きが早い。切れも早い。残り方が汚くない。拷問用の薬にしてはかなり完成度が高い。


「大体十分前後で切れる。効きは長う残らへん。後遺症もほぼない。少なくとも、この薬だけのせいで何か残ることはまずあらへん」


 ウェイトの呼吸がまだ荒い。

 しかし、少しずつ最初の鋭さは抜け始めている。効いている最中の身体がどんなふうに揺れるか、その減衰の仕方まで、パケラスにはほとんど手に取るように分かった。


「今みたいに、こうやってしばかれてへんかったらな」


 そこでわざと少しだけ間を置く。


「痛い方より、気持ちええ方が強う出るよ」


 ガルザが今度は露骨に面白がった顔をした。

 パケラスはそれを横目で流す。面白がるところが違うと言いたいが、半分くらいはそういう反応を見越して言っているので面倒だった。


「そこらの精力剤なんかより、よっぽど出来ええ」

「ほう、いいなそれ」

「ほう、やないぞガルザ。変な方向で感心すな」


 吐き捨ててから、パケラスはまたアンプルの残りを見た。

 センシオルは本来、痛みの確認にも快の確認にも使える。感度を上げるだけなら、それ自体はただの増感剤だ。問題は、使う側がろくでもない時にろくでもない用途へ流れやすいことだけだった。


「ヤりたくなったら僕に言うてくれれば出したげるよ」


 わざと軽く言う。

 冗談半分だ。本気だけで言うには自分でも品がないし、冗談だけで言うにはこの薬の出来が惜しい。だから、そういう中途半端な口調になった。


 ガルザが横で喉の奥を鳴らした。


「お前、そういう売り方もするんだな」

「せえへんわ。比喩や」

「今のは比喩に聞こえなかったが」

「うるさい」


 パケラスは短剣を持ち替えながら、そこでふと顔をしかめる。


「……いや、待てよ」


 独り言みたいに落とす。

 自分の中の筋が急に別方向へ曲がったせいで、パケラスは少しだけ考え込む。


「朱音には使うなよ、は言おうと思ったんやけど」


 そう言いながら、白衣のポケットへ手を入れる。


「あぁ、もしかして」


 パケラスはアンプルを見たまま、眉を寄せた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 その一言で、牢の空気が一拍だけ変わる。

 ガルザが「何だそれ」と笑う。ウェイトは黙る。黙っているが、呼吸の乱れ方だけがわずかに変わった。パケラスはそこを見て、ますます顔をしかめる。


「……やっぱダメやな」


 すぐに結論が出る。

 痛みだけが綺麗に切れて衝撃だけが落ちるならまだしも、快の側まで滲むとなると話は別だ。別というより、面倒の質がさらに悪くなる。想像したくない方向へ容易に転がる。しかも、その場合本人の自覚まで余計に甘くなる可能性がある。それはよろしくない。()()()()()()()()()()


「……で、実際どうなん」


 ウェイトは返事をしない。

 さっきまで荒かった呼吸が、そこで一度だけ妙に詰まる。薬のせいで鈍るどころか、むしろ余計なところばかり拾っているらしい。沈黙が少し長引いて、それからようやく喉の奥を擦るような声が出た。


「……何がだ」

「朱音に通しとるんか、今」


 パケラスの問いは、それだけだった。

 痛みや衝撃と同じように、快の側まで落ちるのか。訊きたいのはただそれだけだ。だが、ウェイトの身体はその短さを短いまま受け取らない。目隠しの下で見えない顔が、多分ろくでもない方向へ固まっていくのが、黙り方だけで分かった。


「意地でも通さない……」


 掠れた声だった。

 それでも、その一言だけは芯があった。


()()()()()()()()()()()()()()()……」


 そこで切れる。

 パケラスは一瞬だけ眉を寄せた。思い通り、という言い方が少しおかしく感じた。こちらは単に快の側まで通るかを訊いただけだ。なのに、返ってきた声にはそれ以上の何かを拒絶する響きがあった。薬で感覚が跳ねたせいか、向こうの中では勝手に話が別のところまで飛んでいるらしい。


 ガルザが横で面白そうに笑う。


「何を想像したんだコイツ」

「知らんわ」


 パケラスは短剣を下ろした。


 牢の中には、ウェイトの荒い呼吸だけが残る。センシオルは時間的にもう抜けている。神経を裏返すみたいなあの嫌な鮮明さは薄れたが、それで楽になったわけではない。薬が引いた分、素の消耗だけが露わになっていた。磔の姿勢そのものの負担、何晩も積み重なった寝不足、血の足りなさ、打たれた後の鈍い熱、雑に浴びただけの水気が乾いた皮膚の荒れ。誤魔化しの利かない疲弊ばかりが、今ははっきり見える。


 パケラスはウェイトの前まで行き、傷より先に顔色を見た。目隠しの布があっても、顎の線と喉の動きだけで十分だった。起きているのが不思議なくらい削れている。しぶといのは認める。しかし、それとこの状態を放っていいかは別の話だった。


「弱りすぎや」


 返事はない。喉が一度だけ上下する。水も足りていないのだろう。呼吸の奥に乾いた擦れが残っていた。


「見てられへん」


 そう言って、パケラスは拘束具へ手をかけた。留めを外す。金属が噛み合っていた音がほどけ、鎖が少し弛む。その途端、ウェイトの腕が自分の重さを思い出したみたいに落ちかける。パケラスは肩の下へ手を差し入れて支えた。


「……急に落ちんなや」

「誰のせいだと……」

「そこまで口回るならまだ元気やな」

「うるさい……」


 掠れた返しだったが、嫌味だけは残っている。そのことに少しだけ安堵している自分へ、パケラスは内心で眉をひそめた。


 片腕、もう片腕と順番に外す。脚の固定も解く。支えを失った身体は見た目よりずっと重い。筋肉の重さではない。脱力した人間特有の、受けた側へ全部預けてくる質の悪い重みだ。しかもウェイトは完全に委ねるほど素直でもない。ところどころ意地だけが残っていて立つ邪魔をする。


「ちょっとは自分で立とうとしてくれへん? 僕かてそれなりに鍛えとるけど、しんどいんやぞ」


 パケラスは半ば抱えるようにして、牢の奥のベッドへ運ぶ。短い距離なのに面倒だった。汗と血と乾いた皮膚の匂いが近い。嫌な匂いだがもう慣れている。慣れていること自体がろくでもないなと思いながら、肩へ回された腕を支え直す。


「ゆっくり休めや」


 寝台の縁へ腰を落とさせながら、パケラスはぼそりと言った。


「何晩ちゃんと寝てへんの」

「……」

「最低限の睡眠と雑なシャワー程度やろ。そんなもん休んだうちに入らへん」


 ウェイトは否定しない。できないのかする気がないのか、その両方かもしれなかった。パケラスはそのまま背中へ手を入れ、ゆっくり体重を預けさせる。倒すのでなく、崩れきる前に受け止める手つきだった。


 背が寝台へ落ちる。張っていたものが一段だけ緩む。パケラスは肩口の傷をざっと見て、次に腹へ視線を落とした。止血は足りている。深くは入れていない。だが、こういうのは本人の消耗が強いと見た目以上に響く。そこへ何晩も寝ていない身体が乗っているなら、なおさらだった。


 パケラスは白衣の胸ポケットから細いガラス瓶を一本抜いた。中で沈んでいるのは薄っすらと黄色く色づいたの液体で、揺らすと底に溜まった金属粉が遅れて舞う。栓を抜いた途端、冷えた薬草と鉄の匂いが立った。


「動くなよ。今さら暴れたら余計ひどなる」


 返事を待たず、パケラスは指先へその液を垂らした。冷たさに混じって、ごく薄い痺れが皮膚へ噛む。魔力を通しやすくするための薬だ。濡れた指で肩口の裂け目に沿ってなぞると、傷の縁がわずかに引きつる。


 ウェイトの喉が震える。


「……っ、何……して」

「治しとる」

「なんで……また……」

「外傷ほっといて寝かせる方が雑や」


 パケラスは低く言い捨て、もう一度液を足した。今度は腹の傷へ移る。刺した場所は浅いが、周囲の筋が無駄に強張っている。痛みを庇ったせいで呼吸のたびに細かく引きつり、治りかけるたびまた開くあの面倒な形だ。指二本で傷の両端を寄せ、爪の先で空中へ短い式を刻む。文字というより、癖で覚えた手順だった。閉じる、留める、熱を逃がす。その三つだけを必要な順で重ねる。


 青白い光が一瞬だけ濃くなる。傷口の縁が濡れた布みたいにやわらぎ、そのままゆっくり寄った。皮膚の下でぶつ切りだった繊維が噛み合い、赤い線が細く縮む。縫い跡の代わりに淡い線痕だけが残る。


 ウェイトが浅く息を呑んだ。痛みで跳ねるのでなく、内側を無理に整えられる時の逃げ場のない顔だった。パケラスはそこを見ても手を止めない。肩、脇腹、手首、拘束具で擦れたところまで順に潰していく。派手に肉を盛るような治し方ではない。開いたものを閉じ、裂ける手前まで戻し、余計な熱だけ引かせる。回復の前借りに近い、錬金術師の魔術だった。


「……お前の理屈は理解できない」

「褒めてもなんも出えへんで」

「誰も褒めてない……」

「なら黙っとき」


 最後に、パケラスは掌を一度だけウェイトの胸骨の上へ置いた。外傷ではなく、呼吸の乱れを見るためだった。鼓動は早いが、さっきよりは幾分かマシだ。


 その時ようやく、ガルザが後ろで鼻を鳴らした。


「なんだ、終わりか」

「終わりや」

「もっと壊さなくていいのかよ」


 パケラスは振り返りもせずに返した。


「これ以上無理にしばいたって何も出えへん。アホかお前は」

「そうか?」

「そうや。今のコイツに要るんは追加の痛みやのうて、寝る時間や」

「ずいぶん優しいな」

「うるさい」


 吐き捨ててから、パケラスは寝台の脇へ置かれた薄い毛布を拾った。こんなものが役に立つかは怪しいが、ないよりは良いだろう。広げてウェイトの腹から下へ掛ける。全裸で磔にされていた男へ今更毛布一枚というのも少し馬鹿らしいが、皮膚の表面温度が落ちれば回復は遅れる。


 ガルザがまだ後ろで面白がっている気配がある。


「お前、結局ちゃんと面倒見るんだな」

「誰がやった思うてんねん」

「お前だろ」

「お前()、やろ。毎回やりすぎやねん」


 パケラスはようやくガルザに顔だけ少し向けた。これ以上は本当に面倒だという意思だけは乗せる。


「センシオル切れた後にこのまま放っといて、明日傷開いとったら余計だるいやろ」

「死なないだろ」

「そういう問題ちゃう」


 ガルザは肩をすくめた。反省する気は最初からない。パケラスはそれ以上説明するのを諦めて、またウェイトへ視線を戻す。


「水いる?」

「……」

「いらんの」

「……あとで」

「強がる元気はあんねんな」


 返ってきた声は小さかったが、意識は落ちていない。だからこそ、一回沈めた方がいい。訊くことはまた後でもできる。今無理に起こしても、返ってくるのは意地だけで、答えそのものは減る。そういう線引きは、パケラスにもガルザにも分かっている。分かっていてやり方だけが違う。


「とにかく寝とけ」

「……お前に、指図される筋合いは」

「あるやろ」


 パケラスは即答した。


「少なくとも今は僕が見とる。傷閉じたからって終わりちゃうねん。寝不足で頭回ってへん時に粘っても、しんどいだけや。何晩もろくに寝てへんの。見たら分かる」


 そこで、ウェイトはようやく黙った。反論が尽きたのか、喋るのもしんどくなったのか、その辺は曖昧だ。だが、沈黙の質が変わる。刺々しさが減って、代わりに疲労だけが残る。パケラスはその変化を見て小さく息を吐いた。


「ほんま、見てられへん」


 今度は誰に聞かせるでもなく、独り言の調子だった。


 ガルザがまた何か言いかけたが、パケラスは手だけで黙らせた。今はもう、あの軽い茶々に付き合う気分ではない。牢の中はまだ湿っていて血の匂いも薬の残り香も消えていないが、それでもさっきまでよりは少しだけ人間の部屋に近い形になっていた。寝台。毛布。横たわる身体。魔術で辛うじて塞いだ傷口。最低限の休息の形。それだけで十分だと、今は思うしかなかった。

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