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Bar Ashveil 〜魔術師は夜を改稿する〜  作者: 南郷 兼史
第2章 ~血縁の外側~

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104.候補に残る名

 イグナスはすぐには動かなかった。

 私がちゃんと自分の足で立って息を乱さずに言葉を返せるところまで見届けてから、ようやく白い部屋の空気を切るように視線を寄越す。怒っているのかどうかはやはり分かりにくい顔だった。まだ私の中に別の緊張が残っていることだけはおそらく見抜かれている。


「まだ引きずってるのか」


 何のことかを言わなくてもすぐに分かった。

 私は返事ができなかった。少しだけ視線を逸らすが、イグナスはそこを責めなかった。


「レイは気にしていない。俺も、今ここでそれを蒸し返すつもりはない」


 声は平たいままだった。ただ、もうそこへ立ち続けるなと線を引く言い方だった。


「大した問題じゃない、とまでは言わん。だが、少なくとも今のお前がそんな顔をし続けるほどのことでもない」


 許されたわけではない。何もなかったことにされたわけでもない。その雑さが、かえってありがたかった。


 私は小さく「……うん」とだけ返した。

 そこでようやく視線を外し、今度はパケラスの方へ向く。


「夜にもう一回見るなら記録は残しておけ」

「分かっとる」

「それでまた落ちるようなら、今度は様子見せずに呼べ」

「そっちはお前やのうて、コイツに言うたって」

「両方だ」


 短いやり取りの後、イグナスは扉の方へ向き直る。

 消える直前、ほんの少しだけこちらを振り返った。


「もうその顔をするな」


 私はまた返事が遅れて、結局うまく何も言えないままただ頷く。イグナスはそれで十分だと思ったらしい。そのまま気配が薄れ、白い部屋には私とパケラスだけが残った。



 折れた符の灰だけが、床の近くで細く残っていた。



 イグナスが消えた後、白い部屋は急に広くなった。私はベッドの縁へ腰を下ろしたまま、自分の左手を一度だけ握って開いた。指はちゃんと動く。足も、喉も、もうさっきみたいではない。なのに、楽になった分だけ別の落ち着かなさが浮いてきた。


 パケラスは器具の表示をもう一度呼び出していた。さっき記録された数値を見返しているらしい。


「……お前、やっぱり普通やないな」


 そう言われても、今は言い返す気になれなかった。

 普通ではないこと自体は前から知っている。けれど、知っているのと数字で見られた上で言われるのとでは少し重さが違った。私は膝の上へ両手を置き、視線だけをパケラスへ向ける。


「……何が?」

「成り立ちや」


 彼は器具から目を離さないまま言った。


「普通の魔術師と違って、お前は身体の作りからしてだいぶややこしい。せやから、魔力切れの時の落ち方も極端になる。息が保たん、立てん、起き上がれん。今日のこれ、しんどいで済む感じやなかったやろ」

「……うん」

「普通の魔術師でもキツい時はキツい。けど、お前のはもうちょい露骨や。身体そのものの維持に食い込んどる感じがある」


 そう言われ、私は少しだけ喉を触った。もう息はできる。けれど、さっきまでの足りなさはまだ記憶として皮膚の下に残っている。苦しいというより、削れていく感覚だった。


 パケラスはそこでようやく私を見た。


「だから、魔力切れはお前にはわりと致命的やと思っといたほうがええ」

「……致命的」

「大げさに脅してるんやのうて、単純にそういうことや。普通より落ちる。落ちた時の戻し方も、普通の基準だけでは足りん」


 その後、彼は一度だけ器具の表示を消した。

 パケラスの目だけはまだ何かを追っている。私ではなく、その向こうにある筋道を見ている顔だった。


「ただな」


 その一言だけ、少し低くなる。


「それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。普通やったら、自前で回してる分でもうちょい保つ。少なくとも、寝てる間にここまで薄うなって起き上がれん、とまでは落ちにくい」


 その言葉で、背中の内側がまた少し冷えた。

 私は何も言わない。言えないという方が近い。ウェイトからの供給があることを、ここでどこまで言っていいのか自分でもまだよく分からない。しかし、黙っていると逆に何かを隠しているみたいになるのは嫌だった。


 パケラスはその沈黙を見て、眉を少しだけ寄せた。

 責めているというより診立ての幅を並べている顔だった。


「魂が混ざった影響で変な消耗が出とるのか。それとも、お前の中へ入っとるもん以外に、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 最後の一言で、私は身体が強張ってしまった。

 ほんの少しの動きだったはずなのに、パケラスはそれをきっちり見ていた。


「別に今ここで全部吐けとは言わんよ。外から足されてたもんがあるなら、切れた時の落ち方が説明つく」


 私はベッドの縁を少しだけ握った。

 けれど、ウェイトのことを話したところで私自身がまだ分かっていない部分も多い。中途半端なことを言えば、それはそれで面倒になる気がした。


 パケラスはそんな私を見て、ふっと鼻で笑う。


「まあ、ビビりなや」

「……びびってない」

「顔がそう言うてへん」


 追い詰めるつもりなら、もっと別の言い方をする人だともう分かっている。わざと軽くしているのだ。その分こちらの反応を拾っている。


「とりあえず、可能性の一つとしては外部供給や。もしそうなら、切れた時に一気に落ちるのも、戻りが自前だけで追いつかんのもおかしない」


 私は視線を落とした。

 否定しないこと自体がもう半ば肯定みたいなものだと自分でも分かる。だが、そこを突かれるのが怖い。ウェイトの名を出されたくないというより、それを口にした瞬間、自分が今何によって保たれていて何が切れたらこうなるのかを完全に自覚してしまいそうで嫌だった。


「……ウェイト詰めてみるかぁ」


 言い方だけが妙に軽い。

 雑談のついでのような声だったので、私は逆にぞっとした。心臓がひとつ無駄に跳ねる。


「……何を」

「何をって、そのままや。供給絡んでるなら、アイツ問い詰めたら何か出るやろ」

「……」

「別に今すぐ首根っこ掴みに行く言うてるわけやないよ」


 そう言って、パケラスは肩をすくめた。

 冗談っぽく見せているのか本当に半分くらいは軽口なのか、その境目が分からない。


「そんな顔せんでもまだ仮説や。候補には入れとく。候補から外す理由が今んとこない」


 候補、という言い方だけが妙に冷静で嫌だった。

 一つの症例みたいに、ウェイトの名前が私の身体の不調の横へ並べられる。そのこと自体が、急に現実を濃くする。


 私は呼吸を整えた。ちゃんと入るのに、落ち着かない。


「……詰めるって、何するの」

「何も決めとらん」


 私は黙ったまま膝の上の手を見た。

 パケラスはその反応を少し見てから、話をそこで切った。

 無理に掘らない。掘れば何か出ると分かっていてあえて今はやらない。その代わり、器具へもう一度手を伸ばす。


「とりあえず今日はもう一回測る」

「……今?」

「いや、夜」


 短く答えて、彼は記録板の端へ何かを書きつけた。


「今ので一回戻ったやろ」

「……うん」

「せやから、この先どれくらいでまた減るか見たい。夜まで保つんか、じわじわ落ちるんか、寝るとまた変わるんか。そのへん見んと、次の手が決めにくい」


 その説明は、奇妙なくらい素直に入ってきた。

 責められているわけではない。調べられているだけだ。調べる必要があるから調べる。そういう顔で言われると、まだ少しだけ安心する自分がいるのも嫌だった。


「また夜に測って、減り具合見る」

「……減ってたら」

「そん時また考える」


 あまりにも当然みたいに言うので、私は少しだけ口をつぐむ。

 また考える。その言い方の雑さの中に、逆に「一回で決め打ちしない」感じがある。パケラスは最初から全部を断定しない。いくつか並べて、外しながら詰める。医者っぽいのか、錬金術師っぽいのか、多分両方なのだろう。


「今日は無理すんな」

「……分かってる」

「ほんまに?」

「……まぁ」

「まぁって……」


 そう言って、彼は白衣のポケットへ手を突っ込んだままベッド脇に立つ。

 医者の顔と錬金術師の顔が半端に重なっている。私の身体のことを考えているのだろう。


 白い器具の表示はもう消えている。

 なのに、その数値だけがまだ部屋のどこかに残っている気がした。


 パケラスは最後にもう一度だけ私を見て、小さく息を吐いた。


「……まあ、夜でもう一回やな」


 その独り言みたいな声が妙に静かだった。

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