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Bar Ashveil 〜魔術師は夜を改稿する〜  作者: 南郷 兼史
第2章 ~血縁の外側~

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100.官能の主導権

 そうこうしているうちに、扉が二度軽く鳴った。


「……起きてるでしょう?」


 マディカルは外ではラウンジで客を溺れさせる側の女だが、局の中では薬屋兼錬金術師としての顔が強い。同じ釜と火を扱う者同士、関わりはどうしても深くなる。薬の癖も調合の手順も失敗した時に何が残るかも、互いに大体知っている。彼女はとくに媚薬や興奮剤の類を弄るのがうまく、効き方の細かい差を見るために僕が()()()()()()()()()()()()()()()()。そういう女を、自分が雑になりかけた夜に呼ぶのだから面倒で済めばまだマシだった。


「呼んどいて寝とったら怖いやろ」

「ふふっ。確かにそうね」


 鍵が回る。先に入ってきたのは匂いだった。煙管の甘い煙、乾いた薬草、女の肌にだけ残る温い気配。廊下の冷えた空気を押しのけるように、それが細く部屋へ滑り込んでくる。そのあとで、ようやくマディカル本人が姿を見せた。


 黒く見えて、光を拾うところだけ濃い紫に沈む長い髪が肩から腰まで落ちている。今日はラウンジで男を溺れさせる時のような露骨な装いではなかったが、それでも喉元の開いた細身のドレスに長い上着を引っかけただけの格好であり、立っているだけで布が少し足りないように見えた。肩に掛かった細い紐と脇に隠れるように走るファスナーだけが、辛うじてその形を保っている。高いヒールの分だけ目線が上がるため、元々狭い部屋がさらに狭くなる。片手には煙管があり、こちらの返事を待つような間だけ口元へ運ばれる。吸い込まれた煙は甘く、吐かれるころにはもう部屋の狭さに馴染んでいた。


「まぁ、ひどい顔ね」

「……開口一番それ?」

「だって本当にそうだもの。……でも、思ってたよりはそちら側へ落ちてないかも」

「褒めとる?」

「半分くらいは」


 そう言って、彼女は唇の端がわずかに上がる。マディカルはよく笑う。笑うくせに、笑っている間も相手の顔を見ている。ベッド、机、床、落ちたローブ、僕のシャツの皺、靴の向きまで、一度の視線で全部拾ってから、最後にまた僕へ戻る。見抜くのが早い。今夜はそれが余計に腹立たしかった。


 彼女は扉を閉めると、部屋の中央まで二、三歩だけ入ってきた。椅子に手をかけかけて、散らかった紙を見てやめる。結局、座りもせず立ったまま、煙管を指に挟んで僕を見下ろした。ゆるく腰を抜いた立ち方なのに、重心だけは妙にぶれない。ああいう立ち姿のまま、人の弱いところへ針を刺せる女だった。


「で?」

「で、って」

「私を夜中に呼びつけておいて、それ以外に何があるのよ」


 責める声ではない。逃がさないだけだ。

 僕は返事をせず、床の一点を睨むように見た。少し黙ると、マディカルは煙を細く吐いて肩をすくめる。


「じゃあ、私が当ててあげようか?」

「やめとき」

「あら、優しい」

「お前が当てる時、外しても面倒やし当たっても面倒や」


 その返しが気に入ったらしく、彼女はまた笑った。低い笑いが薬品臭い部屋の空気に混ざる。僕はそれを聞きながら、どうしようもなくいらだっていた。いらだっているのに、その笑い声が入ってきた時点で、一人でいた時より少しだけ呼吸がマシになっているのが分かる。


「子どもの件?」

「……」

「それとも、白い部屋の方?」


 そこまで言われたところで、待つのが急に面倒になった。


 言葉にするより先に僕は立ち上がっていた。ベッドと扉の間など大した距離ではない。二歩で詰まる。マディカルの腕を掴み、そのまま扉の横の壁際まで押しやる。上着の布が壁に擦れて小さく鳴り、煙管を持っていない方の手が僕の胸へ当たる。


「……ちょっと、待って」


 僕は止まらない。そのまま顔を寄せる。甘い煙と薬草の匂いが、そのまま口の中へ流れ込みそうになる。マディカルは逃げはしないが、受け入れる顔もしていない。その曖昧さが余計に神経を逆撫でする。


「パケラス――っ」


 低く呼ばれてなおさら情が写った。

 唇を塞ぐ。軽い確認では済まない口づけだった。呼吸を奪うように深く重ね、舌先で無理にこじ開ける。甘い煙の味がそのまま移り喉の奥に残る。マディカルの指が僕の胸元を掴み、そのまま喉へ、鎖骨へ、シャツの合わせ目へと爪先だけでなぞるように触れてくる。煽るつもりなのか、宥めるつもりなのか、そのどちらともつかない手つきだった。逃がさず、けれど先へも行かせない。弄ぶようにこちらの熱の置き場だけを探ってくる。


 その一拍が長い。


 僕は片手で彼女の腰を引き寄せた。布越しでも細い。細いのにその上はやけに豊かで、体の線が触れた瞬間に別のところまで熱が走る。押しつければ柔らかさが返ってくる。返ってくるから余計に理屈が遅れる。もう一度、今度は角度を変えて深く口づける。舌が触れるたびに、胸の奥のざらつきが少し違う熱へ変わっていく。


 けれど、そのままいかせてくれる女でもなかった。


 マディカルの手が胸元を押し返す位置を変える。強くはないのに、きっちり距離が切れる。僕の腕を払うのではなくずらされた。掴まれた側のはずなのに、気づいた時には主導権を取り返されていた。


「……まだ、その顔になった原因、聞いてないんだけど」


 脳に響くくらい甘い声だった。

 拒絶もしていないし、責めてもいない。ただ、今はそこではないと告げる声だけが綺麗に響いた。マディカルは僕の胸に置いた手をそのままに、少しだけ首を傾げる。見上げる角度がうまい。挑発とも慰めともつかない、あの女にしかできない顔だった。


「順番、間違えないで。自分でも分かってるでしょう」

「……」

「子どもの件と、白い部屋の件、どっちが今のあなたをこうしてるの?」


 息がまだ近い。

 唇に残った熱も離された後の空気の冷えも、そのまま中途半端に残っている。僕はすぐには答えられなかった。答えられないことまで見越している顔で、マディカルは静かに僕を見上げている。低い声も煙の匂いも胸に置かれた手の位置も、全部がこちらの熱を散らさずに留めるためのものみたいだった。


「……両方や」

「うん」

「クレアの件で吐いて、朱音の件で別の熱が戻った」

「でしょうね」


 そこでようやく、彼女は息を一つ漏らした。意地悪なのに、少しだけ甘やかす響きも混ざる。


「最初からそう言えばいいのに」

「言う前にお前が笑うやろ」

「笑うわよ。だって、今のあなたほんとに分かりやすいもの」


 そう言いながら、彼女は僕の顎へ指先をかけた。持ち上げるほどではない。熱を測るみたいに軽く触れるだけだ。その指先が頬へ移り、耳の下を掠め首筋で一度だけ止まる。そこから肩へ降りて、シャツの皺を伸ばすみたいに布を整える。弄るような、あやすような、診るような手つきだった。医者でもないくせに、人を落ち着かせる触れ方だけは異様にうまい。


「自分で寝られない」

「……せや」

「薬で鈍るのは嫌」

「せやな」

「で、放っておくと雑になる」


 彼女はそのまま僕の胸を軽く押した。


「はい、じゃあまず寝ましょうか」

「命令すな」

「するわよ。今夜のあなた、放っておくとろくなことしないもの」


 マディカルはもう一度胸を押す。こういう時だけ妙に迷いがない。僕をベッドの方へ向け、そのまま端へ腰を落とさせる。座ったところで終わりかと思ったら、今度は肩に手を置きゆっくり背中をマットレスの方へ倒した。


「……子ども扱いするな」

「今のあなた、だいぶ扱いにくい子どもよ」

「失礼やな」


 マディカルは返事の代わりに低く息を揺らした

 上着の裾を引いて乱れないよう膝をつき、ベッドの縁へ少しだけ身体を乗り出してくる。そのせいで胸元の影が深くなる。今の近さは煽るためではなく、逃がさないための距離だった。


「目、閉じて」

「無茶言うな」

「閉じなくていいわ。せめて暴れないで」


 そう言って、マディカルは僕の胸元を押さえたままわずかに体勢を変えた。上着の裾が滑り、長い髪が肩から前へ落ちる。次の瞬間、彼女はためらいもなく片膝をベッドへ乗せ、そのまま僕の腰の上へまたがる形になった。


 さすがに一拍遅れる。


「……お前」

「あら……何?」


 甘いのに一歩も引かない声だ。彼女は僕を見下ろして、少しだけ目を細める。押さえつけるためだけならもっと別のやり方もあるはずなのに、わざわざこの体勢を選ぶあたり性格の悪さがよく出ていた。


「分かっててやってるだろ」

「もちろん」


 ふざけているようにも見えるが膝の置き方は妙に安定していて、僕が無理に起き上がろうとしても崩れない位置をきっちり取っている。胸元へ置いた手も、煽るためではなく本当に動きを止めるための圧だった。薬屋というより、暴れかけた獣を寝かせる側の手つきに近い。


「ほら。こうした方が大人しい」

「人をなんやと思っとる」

「今のあなた? かなり手のかかる()()ね」


 煙管の甘い匂いが近い。

 呼吸のたび、薬草の青い渋みと一緒にそれが落ちてきて、ただでさえ落ち着かない神経を別の方向へ引っ張る。マディカルはそれも分かった上で距離を外さない。


「股がって寝かせる医者があるか」

「私は医者じゃないもの」


 そうあっさり言って、こちらを見たまま間を置く。

 そのまま彼女は片手で僕の肩をベッドへ戻し、もう片方の手で頬を軽く撫でた。撫でるというより、熱を測るみたいな手つきだった。そこから耳の下、首筋へとゆっくり降りて、脈の位置で一度だけ止まる。


「……緊張してるの?」

「……分かるん?」

「分かるわよ。この距離だもの」


 そう言った後で、マディカルは指先を首筋から鎖骨へ落とした。熱を測る手つきのまま、けれど途中から明らかに別の意図を帯びている。白衣の診察では絶対に触れない速度で、肌の上をゆっくり滑っていく。僕は浅く息を吐いた。落ち着けと言われているのに、落ち着く方向が違う。


「……わざとやろ」

「もちろん」


 軽く微笑みながら、胸元へ置いていた手でシャツの襟を少しだけ開く。指先が喉元の熱へ触れ、そこから一つ下のボタンへ移る。外す気があるのか焦らしているだけなのか、その境目を曖昧にしたまま爪が布の縁をなぞった。


「ほら。こうしてる方が話が早いでしょう」

「寝かせるんちゃうんか」

「寝かせるわよ。その前に、あなたがどこまで雑になってるか確かめてるの」


 彼女は僕の腰の上でわずかに重心を変えた。大した重さではないはずなのに、上から押さえられているというだけで妙に身動きが鈍る。髪が肩から垂れて頬の横を掠める。甘い煙と薬草の匂いが近い。煙管を持っていない方の手は、今も僕の胸元を押さえたままだった。


「で?」

「で、って……」

「さっきの続き。朱音のこと思い出して、どこまでいったの」


 問い方が低い。

 責めてもいないし慰めてもいない。逃がさないまま、呼吸の合間へ言葉を差し込んでくる。僕は答えず、代わりに彼女の腰へ手を回した。細いのにそこから上は柔らかくて、その感触が手の中へ入った瞬間、また別の熱が戻る。


 マディカルは止めない。

 今度は二つ目のボタンを外した。布がわずかに開き、皮膚に触れる空気の冷たさが増す。そこへ彼女の指先が落ちる。煽るでもなく、熱の溜まり具合を確かめるみたいにゆっくり触れる。そういう触れ方をするから余計にたちが悪い。こちらが勝手に意味を増やしてしまう。


「……お前、ほんま性格悪いな」

「知ってるわ」

「そこ認めるんや」

「認めた方が、あなたは余計に困るでしょう?」


 彼女はまだ余裕のある顔をしていたが、もう一度その口を塞ぎたくなった。

 実際、僕はそうした。彼女の首の後ろへ手を差し入れ、そのまま顔を引き寄せる。今度はさっきより深く長く離す気のない口づけだった。マディカルの息が一つ乱れ、その後すぐ持ち直す。応じることも拒むこともなくぎりぎりのところまで付き合ってから、彼女は僕の下唇を軽く噛むみたいにして間を切った。


「だめ」

「……全然だめって顔ちゃうやろ」

「そこまでだめって言ってないもの」


 彼女は僕の首筋へ顔を寄せ、煙と一緒に息を落とした。触れるか触れないかの距離で止める。そのくせ指先だけはシャツの開いたところから中へ少しだけ入り、肌へ直接熱を置いてくる。


「あなた、ちゃんと選ばないと後で余計に荒れるわ」

「説教しながらその手つきするな」

()()してるのよ」


 それから彼女は、わざとらしいくらいゆっくり僕のシャツをさらに開いた。胸元まで、ほんの少し。肌が露わになるたび空気が冷え、その上から指が触れる。なぞられるだけで、体の方が勝手に反応するのが腹立たしい。僕は腰へ回していた手に少し力を入れた。マディカルはその圧を受け止めたまま、視線だけで笑う。


「ほらね」

「何が」

「ちゃんと落ちるところまで落としてあげないと、今夜のあなたは眠れないもの」


 その一言に、返す言葉が少し遅れた。

 遅れた隙を逃さず、彼女は上着の留め具を外した。布が肩から滑り落ち、細い肩と首の線があらわになる。胸元の深い影が近い。見せつけるつもりがあるのかないのか、その境目を曖昧にしたまま、彼女は僕の上で静かに息をした。


 僕はたまらず、今度は彼女の背へ手を回した。上着の下の細い布地越しに、肩甲骨の形が分かる。さらに下へ触れればあの蛇もいる。背中のどこかで皮膚の下を這うみたいに動く刺青。見たいと思うのに、見せない時は絶対に見せないのがいかにも彼女らしかった。


「……見せへんの?」

「何を?」

「分かっとるやろ」

「今はだめ」


 ささやくみたいに言って、マディカルは僕の胸へ額を寄せた。甘えているように見えて、実際には違う。次の瞬間、彼女の指が僕の手首を取る。力は強くない。それでも、触れてほしい位置とまだ触れさせない位置をそれだけで選び分けてしまう。


「まだ、ちゃんと寝かせる前」

「寝かせるつもり、ほんまにあるん?」

「あるわよ」


 彼女は僕を見下ろし、唇の端だけで笑った。


「でも、あなたがこのまま目を閉じないなら、もう少し別の方法で静かにさせるだけ」


 そう言って、マディカルはゆっくり身を屈めた。額へ、頬へ、喉へと、軽い口づけを落としていく。焦らすように浅く途切れず。さっきみたいな奪う口づけではなく、熱の置き場をずらしていくための触れ方だった。胸元へ降りてきたところで、彼女は一度だけ止まる。視線が下へ落ちる。


「……ねえ、パケラス」

「なんや」

「ここから先、ちゃんと私の言うこと聞ける?」


 低い声が耳元に近いところで落ちる。

 僕はすぐに答えられなかった。喉が乾いて息だけが少し荒い。彼女はその反応を見て、楽しそうに目を細める。楽しんでいるわりに雑ではない。順番をつけると言った通り、こちらが完全に切れる寸前でちゃんと手綱を引いている。


 マディカルは僕の胸へ手を置いたまま、もう片方の手で自分の髪を横へ払った。黒紫の束が流れ、首筋の白さが一瞬だけ強く出る。その白さごと口づけたくなって、僕は再び体を起こしかけた。すると彼女はまた胸を押し返す。


「だめ。まだ」

「いつまで待たすねん」

「待てるうちは待ちなさい」


 その返しがあまりにも平然としていて、逆に呆れそうになる。呆れて済む状態でもないが、マディカルはそれを見て満足そうに頷いた。


「……少し目が戻ったわね」

「お前がそうしてるんやろ」

「えぇ。だからもう少しだけ任せなさい」


 そう言って、彼女は僕の手を取った。こちらがどこまで自分で選べるかを見ている顔だった。さっきまで散々、順番だの静かにしろだのと言っていたくせに、今はその順番の先へ、わざわざ僕の手を連れていく。


「……外して」

「さっきまで待て言うてたやろ」

「えぇ。だから、()()()()()


 甘美だが冗談ではない声だった。僕は一瞬だけ彼女の顔を見る。見返してくる目は笑っているようで、笑っていない。試しているのでも、挑発しているのでもない。ここから先へ進むなら、ちゃんと自分の意思で来なさいと言っているだけだった。


 だから余計に質が悪い。


 僕は彼女の脇腹へ手を回し、指先で細いファスナーの金具を探った。見つけたそれをつまみ、ゆっくりと最後まで引き下ろす。金具の擦れる音は小さいのに妙に近く響いた。締めつけられていた布がそこで初めて息をつき、胴を沿っていた線がわずかに緩む。マディカルはその間ずっと黙っていて、ただ呼吸だけが少しずつ深くなっていく。


 ファスナーが下りきると、ドレスはもう元の形を保っていなかった。脇で支えていた張りがなくなり、身頃がゆるく開いて熱だけが先にこぼれる。


 僕はそのまま、肩に細く掛かっていた紐へ指を引っかけた。ほんの少し持ち上げてから外す。片側の支えを失った布は、もう片方だけでは持ちこたえきれず、肩口から静かに滑りはじめた。


「パケラス」

「……なんや」

「今日は雑にしないで」


 その言い方に調子を狂わされる。誰のせいでこんなふうになっていると思っているのか。そう言いたいのに、喉の奥が乾いてうまく声にならない。代わりに僕は、落ちかけた布をもう片方の肩からもそっと払った。


 ドレスはあっさり床へ落ちた。


 見せるための服だったのに、脱げる時だけは静かだった。布がベッドの縁を掠め足元へ沈む。マディカルにはもう服などどうでもよかったのだろう。逃げる気も隠す気もない。長い髪だけが肩から胸元へ流れて、辛うじて視線の行き先を曖昧にしている。その曖昧さが余計にいやらしい。


「……ほんま、性格悪いな」

「知ってるわよ」

「自覚あるんやったら、少しは反省せえや」

「したところで、あなたは喜ばないでしょう」


 声の底だけが少し甘くなる。その揺れ方が今夜は妙に近い。僕はそこで初めて、布越しではない彼女の腰へ手を回した。こういう時の彼女は妙に安定していて、触れているこちらの方が落ち着きを失う。ただ柔らかいだけではない。体温も匂いも呼吸の深さも、全部がこちらを落ち着かせるのではなく、別の場所へ引いていく。


 マディカルは僕の肩へ手を置いた。そこから首筋へ、さらに後頭部へと指先が移る。撫でるのでもない。押さえつけるのでもない。どちらにも転べる手つきのまま、彼女は少しだけ顔を寄せた。


「ふふっ、もうこんなに熱くなっちゃって――」

「誰のせいやと思てんの」

「まぁまぁ、楽しましょうよ」


 こんなこと言っているのに彼女は冷静だ。ここまで来てもなお、完全には主導権を渡していない声だった。そういうところが腹立たしくてたまらなくなる。


 僕はそのまま彼女へ口づけた。今度は止められない。止めないつもりなのが、唇の重なり方だけで分かる。深く、長く、息を奪うみたいに重ねると、マディカルも逃げずに応じる。さっきまでみたいに途中で切ることもせず、こちらの熱を受けたまま時折喉の奥で低く息をほどく。その湿った気配が触れるたび、余計に引き返せなくなる。


 ベッドがきしみ、掛け布が半分ずれる。


 マディカルは僕を見た。近いところから真っ直ぐに。意地悪で、綺麗で、何をどこまで見せるか自分で決めている女の目だった。彼女はそのまま僕の頬へ手を添え、誰よりも甘い声で言う。



「もうここまで来たんだから、最後まで――ね?」



 そう言って、彼女は自分からベッドへ重心を預けた。

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