第四百三十話 箱館湾海戦
---三人称視点---
「大砲の照準は合っているか! 武器・弾薬は十分か!
兵士たちの配置に問題はないか!」
聖の指示は、具体的かつ厳格だった。
兵士達は、聖の鬼気迫る表情に、否応なく緊張感を高められた。
「いいか、お前ら! ここが死に場所だと思え!
一歩たりとも退くなよ! 一人でも多く敵を道連れにするんだ!」
聖の怒号が、各陣地に響き渡る。
また伊庭八郎率いる遊撃隊は、その機動力を活かし、
敵の上陸地点を予測し、奇襲をかける準備を進めていた。
彼等は箱館周辺の海岸線に分散し、
息を潜めて敵の接近を静かに待っていた。
「勝太郎、敵は何処から上陸してくると思う?」
伊庭は、双眼鏡で沖合の敵艦隊を観察しながら、
人見勝太郎にそう問うた。
「……兵力の多い主力部隊は、箱館港に近い砂浜を狙ってくる筈です。
しかし陽動として、別の地点にも上陸してくる可能性があります。
我々は、その陽動部隊を叩き、敵の計画を混乱させるべきでしょう」
人見は冷静にそう分析した。
「嗚呼、俺もそう思うよ。ならば我々は、
函館山の麓あたりに網を張ろう。あそこなら、
敵の目にもつきにくいし、
いざとなれば山中に退くこともできるからな」
伊庭は、素早く決断した。
「皆、行くぞ! 俺たちの腕の見せ所だ!」
遊撃隊は、馬を駆り、函館山の麓へと向かった。
彼らの顔には、緊張と共に、
どこか高揚したような表情も浮かんでいた。
これから始まるであろう激しい戦いに、
彼らは自らの存在意義と存在証明を賭けようとしていた。
六月二十五日早朝。
箱館湾の沖合に、新政府軍の大艦隊がその全容を現した。
黒煙を上げる蒸気船、帆を張った輸送船、
そしてその中心に鎮座する甲鉄艦。
その数は、共和国海軍の艦艇を遥かに凌駕していた。
「……ついに来たな」
開陽丸の艦橋で、荒井郁之助が呟いた。
「全艦、突撃! 敵の甲鉄艦は無視しろ!
狙うは輸送船団だ! 敵の上陸を何としても阻止するぞ!」
防御力に優れた甲鉄艦との直接対決を避け、
兵士を乗せた輸送船を沈めることで、
敵の陸上戦力を削ぐという狙いが荒井にはあった。
「回天、蟠竜、続け!」
共和国艦隊の快速艦、
回天丸と蟠竜丸が、先陣を切って敵艦隊へと特攻する。
「撃ち方、始め!」
回天丸の艦長、甲賀源吾の号令で、
搭載された大砲が一斉に火を噴いた。
砲弾は、敵輸送船の近くの海に着弾し、大きな水柱を上げた。
「敵艦、接近! 直ちに迎撃せよ!」
新政府軍の護衛艦艇も、すぐさま応戦を開始した。
春日丸や丁卯丸が、回天丸、蟠竜丸に向けて砲撃を加える。
海上に、轟音が響き渡り、硝煙が立ち込める。
こうして箱館湾海戦の火蓋が切られた。
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回天丸と蟠竜丸は、その速さを活かして敵弾を避けながら、
巧みに輸送船団へと迫っていく。
だが新政府軍の護衛艦も数で勝り、執拗な追撃を加えてきた。
「くっ、なかなかしつこいな!」
蟠竜丸の艦長、松岡磐吉は、舌打ちをする。
彼の操る蟠竜丸は、小型ながら機動力に優れ、
敵艦の間を軽快に進んでいく。
その時、ついに甲鉄艦「東艦」が動き出した。
低い船体から黒煙を上げ、ゆっくりと、
それでいて圧倒的な存在感を放ちながら、共和国艦隊へと接近してくる。
「ついにおいでなさったか、化け物め……」
開陽丸の荒井は、双眼鏡でその姿を捉えた。
「怯むな! 開陽の力を見せてやれ!
照準を甲鉄艦に合わせろ! 撃て! 撃つんだ!」
開陽丸の誇るクルップ砲が、甲鉄艦に向けて砲撃された。
だが放たれた砲弾は、甲鉄艦の厚い装甲に弾き返される。
まるで効果がないようだ。
「何だとっ!? まるで効かないのか!?」
荒井は思わず愕然とした。
すると今度は甲鉄艦の前部砲塔が旋回し、開陽丸に向けて火を噴いた。
「ドオォォォンッ!」
今までとは比較にならない、轟音が周囲に鳴り響いた。
放たれた巨大な砲弾が、開陽丸の船体側面に命中した。
「う、うわあああっ!」
凄まじい衝撃と共に、木製の船体が激しく軋きしみ、
その破片が周囲に飛び散る。
数名の水兵が、爆風で吹き飛ばされた。
「被害状況を報告します!」
「船体側面が大破! 浸水してます!」
「駄目ですっ! し、浸水が止まりません!」
開陽丸は、甲鉄艦のたった一撃で、
深刻なダメージを負ってしまった。
「くっ、これが、甲鉄艦の力なのか……」
荒井は、唇を噛み締めた。
「回天、蟠竜! 開陽を援護せよ!」
荒井は、他の艦艇にも指示を出した。
だが回天丸も蟠竜丸も、敵護衛艦との戦闘で手一杯だった。
新政府軍は、この隙を逃さなかった。
黒田清隆の指揮の下、輸送船団は護衛艦に守られながら、
箱館港近くの砂浜へと次々と接近し、
上陸用舟艇ボートを下ろし始めた。
「敵が上阪山付近に上陸を開始しました!」
五稜郭の物見櫓から、報告が入る。
「よし、ついに来たか!」
報告を聞くなり、聖歳三が叫んだ。
「弁天台場、千代ヶ岱、砲撃開始!
敵の上陸部隊を一気に叩け!」
海岸線に配置された共和国軍の砲台が、ここで一斉に火を噴いた。
砲弾は、砂浜に殺到する上陸用舟艇や、
上陸したばかりの新政府軍の兵士達の頭上に降り注いだ。
「う、うわあっ!」
「ふ、伏せろ! 伏せるんだ!」
砂浜は、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
砲弾の炸裂音、兵士達の悲鳴、そして指揮官の怒声が入り乱れる。
「怯むな! 怯むんじゃない!前へ進め!
兎に角、前へ進め! そして敵の砲台を沈黙させろ!」
山田顕義は、自ら先頭に立って兵士達を鼓舞し、
砂浜を駆け上がっていく。彼の率いる長州兵たちは、
最新式の銃を構え、応戦しながら前進する。
陸と海、その双方で激しい戦闘が始まった。
蝦夷共和国の命運を賭けた、
最後の戦いが、ついに幕が開けた。
圧倒的な物量と火力で迫る新政府軍に対し、
榎田、聖、伊庭、そして共和国の兵士達は、
どのようにして立ち向かうのか。
北の大地は、今、赤い血と硝煙に染まろうとしていた。
次回の更新は2026年5月9日(土)の予定です。
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