第百四十九話 八谷爆也という人間
その者は、八谷爆也という名前だった。
爆也のことを一言で表すなら、明るい子だろう。幼い子供ならだいたい明るいが、爆也は特に明るかった。
五歳である爆也は料理も出来た。味は毒薬と処理されてもしかたないほど不味かったが、爆也は料理が好きだった。
「むし~。お、セミだ!」
近くの山で虫取りをする事が好きで、よく一人で虫かごと虫取り網を持って冒険していた。親からは崖が多いから近づいてはいけないと言われていたが、爆也の冒険心をその言葉だけで止める事は出来ず、逆によく行くようになっている。
幼い爆也の仕事として、ゴキブリを捕まえるという仕事がある。両親は虫は大丈夫だが、ゴキブリだけは駄目だった。しかし爆也は、すばしっこいゴキブリを素手で捕まえる事が出来る。さすがに素手で捕まえる事は両親から止められたが、家でゴキブリをやっつける仕事は爆也の担当となった。
両親の仲も良好であり、爆也には友達と呼べる者達も居た。すべては平和だった。爆也が、あの時、あの提案をしなければ爆也は平和にスクスクと育った事だろう。いや、そもそも事前に予測する事は不可能だった。
「ねえ、父さん!」
「ん? なんだ?」
それは、休日の昼下がりの会話だった。
「今から山に行くんだけどさ、一緒に行こう!」
「おいおい。あの山は崖が多くて危険だと言っただろう?」
「でもいままで大丈夫だったから」
「うーん。まあいいよ」
「やったー!」
もしここで爆也が山に行くのをやめていれば。いや、全ては過去の話。爆也が提案せずとも、どこかで予定調和のごとく父は――
「爆也はほんとうに冒険が好きだな」
「うん。知らない場所を探検するのは楽しいよ」
「そうかそうか」
爆也が住むのは小さな町だった。爆也と父はその小さな町に在る町の小ささにしては大きい橋を歩いていた。
「あれ? もしかしたら虫かご忘れたかも」
虫取り編みを持って歩いていた爆也はうっかり虫かごを持っていない事に気づく。父と出かけられるといううれしさで、ついつい忘れたのかもしれない。
「取りに帰るか?」
「大丈夫。今日は獲らない事にするから」
もしここで爆也が引き返していたら未来は変わっていたかもしれない。いや、全ては過去の事。今なにを言おうが、すべては無駄だ。
――ドンッ。
爆也の身体に衝撃がはしる。数秒後、爆也は自身が父に突き飛ばされたと理解した。そして、父は――
「父さん?」
父が居た場所にはトラックが居た。暴走したトラックは、父を轢いた。暴走したトラックは橋の縁に衝突して止まっている。そして、そこには赤い水が……。
「あ、あああああああああああぁっ!」
そこで爆也の意識はシャットアウトした。
爆也が目覚めたのは三日後だった。そこで真実を聞かされる。居眠り運転でトラックが暴走した事。父が、死んだ事を。
爆也は変わった。山に行かなくなった。恐いから。またなにかを失うのが。
爆也は暗くなった。爆也は冒険をしなくなった。爆也は虫を捕まえなくなった。
爆也は冒険をしなくなった。が、爆也の冒険心は消えなかった。そして爆也は本を読む。本を読めば冒険が出来る。本ならば、誰も傷付けない。
生活が一変した爆也は、思わなかっただろう。自分が父と同じようにトラックで轢かれるなんて。自分が、異世界に転生するなんて。そこで、封印された爆也の心を解きほぐしてくれる人達と出会うなんて。
自身に眠る力が芽吹くなんて――
◇
――ああ。なつかしい。
出てきた最初の感想はそれだった。いままで見ていたのは俺の前世だ。もう前世なんてほとんど覚えていないのに、なぜか分かる。あれは、俺の前世だと。
……そういえば、俺はどこに居るんだ。確か、無双進撃が動き出して、それでそれで。なんだったか。いきなり視界が暗くなってなぜか前世の事を映像のように見た。
俺はいったいどうしたんだ。分からない。まるで分からない。ただいきなり俺の意識はなくなった。
――おい、起きろ。
ん? どこかで声が聞こえる。どこだろう。
――バベル!
衝撃がはしった。そこで意識は浮上する。ゆっくりと、夢から覚めるように。
目をあけると、そこにはマモンが居た。マモンはペチペチと俺の頬を叩いていたようだ。
「起きたか」
「あ、ああ」
起き上がると、俺は知らない場所に居た。そこは無機質な廊下。装飾品もなにもなく、前も後ろもただ果てしなく続いている。
「マモン、ここはどこだ?」
「さあ。私には分からない。けど、予想はつく」
「予想?」
「死後の世界だよ」
死後の世界。なぜそんな所に居るのだろう。いや、確かに、肉体の感覚がなにか変だ。それに、果てしなく続く廊下が死後の世界なんてなんの冗談だろ。
「なぜ死後の世界だと?」
「私には見えた。なにかが飛んでくるのがな。音速を超えていたし、バベルには見えなかっただろうが、水滴のようなものが無数に飛んできた」
「無双進撃の攻撃か?」
「そうかもしれない。私達は二つ名持ちを舐めすぎていたのかもしれないな」
いくら数キロ離れていようが、いくら強力な爆虫を召喚していようが、二つ名持ちには関係ないのかもしれない。
「あれ? マモンは兵器だろ? 死ぬのか?」
「そんな事私に聞かれてもこまる」
まあそりゃそうだろうな。
「はあ。とりあえず、廊下を進むか」
「そうだな」
ここでじっとしていても始まらない。ここがどこか分からないし、とりあえず進もう。
俺はマモンと一緒に廊下を歩きながら、さっきのことを考えていた。ナレーションつきの前世の映像がながれ、忘れかけていた記憶がよみがえる。確かに父は死に、俺は変わり、高校生のとき死んだ。しかし、最後の言葉はなんなのだろう。俺の中に眠る力とは。
「いったい果てはあるのか?」
「分からない。けど、疲れないし、あまり退屈だとも感じない」
「ふふ。悟りでも開いたか?」
「それはない」
やっぱここはおかしい。死後の世界というマモンの言葉は本当かもしれない。俺の体が俺のものじゃないようなこの感覚。なんなのだろうな。
「……私は思うのだ。バベルの中にあるナニカはなんなのだろうな、って」
「ん?」
マモンは脈略もなく、唐突にそう言う。今マモンが言った俺の中のナニカ。それはあの映像の最後でも似たような事を言われた。
「ずっと思っていた。バベルの中には私以外になにかが居た。いや、あった。いままで沢山の者に食べられたが、バベルはどこか違う。どこか普通じゃあない」
「それは俺が転生者だからじゃないか?」
「分からない、けど、お前にはなにか力が宿っている。魂レベルでナニカがな」
魂が普通とは違う。それは蛙、【酸性雨 エネルギーフロッグ】にも言われた言葉。あの時は転生の事と思ったが、もしかしたら俺はどこか違うのかもしれない。
「なあ、あれは扉か?」
果てしなく続く廊下に、突如として豪華な扉が出現する。木製の豪華な扉は、この無機質な廊下には似合わない。
「開けるか?」
「それしかあるまい」
俺とマモンはうなずきあって、一緒に扉を引いた。そこは、簡素な部屋だった。椅子と机。それと壁には動いていない時計がかかっている狭い部屋。そして、三つある椅子のうち一つに女性が座っていた。無表情だが、それは完成された人形のような美しさ。
「よくきました。歓迎しますよ」
その女性は表所を変えずに、そう言った。




